第3話
道長にはちょっとだけ、いや、大いに下心があった。こんなところで若い娘を拾うとは。まさか無体な行為に及ぶつもりはないが、恩を翳して多少強引にでも合意を得られれば、アリかも知れない。
薄暗い林の中でもそれなりに整った顔立ちであるのはわかったが、宿に入って灯りの下で見れば、滅多にお目に掛かれないような美しさだ。
妙な素振りが気にはなるが・・・。
「お連れしました。」
襖の向こうから声が掛かる。宿の女は襖を開けると、道長に一礼し、忙しなく仕事に戻った。
「入りなさ・・・。」
襖の陰に控えている香絵へ目を移し、道長は言葉を失う。
宿が用意した香絵の
入っていいものか判らず戸惑っている香絵に気付き、「こちらへ。」と道長が招き入れる。
部屋へ入り、襖を閉め、こちらへ向き直る香絵の姿を、道長は目を放すことが出来ずに見詰めていた。瞬きするのさえ惜しい気がした。
「・・・香絵、だったな。」
「はい。」
「では話を聞こうか。そなたの着ていた衣はこの国の物ではないと思うが、何処から来た?」
香絵は何か言おうとして止めた。そしてそのまま黙ってしまった。うつむいて眉を寄せ、必死に何かを考えている。
「どうした?」
「・・・分かりません・・・。」
香絵は片手でこめかみを押さえ、辛そうに顔をしかめた。
「香絵?頭が痛むのか?」
香絵からの返事はない。下を向き、痛さに歪む顔を隠そうとしている。道長は香絵の様子に、自分の頭が痛む気がした。
近寄り香絵の肩に手を置くと、香絵は道長の腕の中に倒れ込んで、そのまま気を失った。
「香絵?どうした?香絵?・・・っ!政次!兼良!」
道長が隣の部屋へ叫ぶ。取り乱した道長の声に、供の二人が急ぎ顔を出した。
「香絵が倒れた。宿の者を呼べ!」
「はっ!」「はいぃ!」
慌てて廊下に駆け出した兼良が引きずるようにして、宿の女を連れてきた。
「はいはい。そんなに引っぱらなくても。。。。あれまあ。どうされました?。。」
のんびりと驚く宿の女に床を延べさせ、そこへ自分の腕の中の香絵を寝かせるまで、道長の目はずっと香絵の顔を見ていた。
寝かせた後もじっと見詰める。もう、痛そうな顔はしていない。静かな寝顔だ。
「お医者様を呼びましょうか?」
宿の女の声に、道長はやっと我に返った。
「いや。必要ない。私が診る。」
道長の心は落ち着かない。今日出逢ったばかりの姫なのに、不安が胸に広がる。病気なのか?このまま目覚めなかったら・・・。命にかかわる重病だったら・・・。考えると息苦しい。胸が、苦しい。
「桶に手洗い用の水と、手拭いを数本。それと――――――」
必要なものを準備させると、他者を退出させ、道長自身が香絵を診察する。
『身体に大きな異常はないようだな。』
見つけた時は土に塗れて酷く汚れていたが、傷があることには気付かなかった。特に手足に多く、どれも擦り傷程度で深いものはない。入浴した時によく洗ったのだろう。傷口はきれいだ。今のところ化膿もしていない。腕と腰に打ち身もあったが、軽いものだ。
心音も安定している。身体は大丈夫だ。
道長の胸も、速まっていた鼓動がやっと静まってきた。
『では、やはり
見つけた時の姿と、先程の香絵の様子から、道長は見当を付けた。
何処から来たのか答えたくても答えられない。
香絵は記憶を失くしているのだ。
香絵を宿へつれて来た時には道長の心の中に確かにあったはずの下心はいったいどこへいったのやら。その夜道長はとにかく香絵が心配で、時折と言うには頻繁すぎるくらい、襖を開けては隣の部屋で眠る香絵の様子を確かめた。
出逢った時のただならぬ様子。失くした記憶。いったい彼女の身に何が起こったのか。記憶を手放してしまうほどの衝撃が彼女を襲ったのだ。
『かわいそうに・・・。』
香絵を想うと、何かしなければならない焦りにも似た息苦しさを感じた。
香絵の顔を見ずにはいられなくなり、道長はまたそっと襖を開けてみる。
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