首吊りの丘

望月おと

【首吊りの丘】


 不景気という名のモンスターは、簡単に会社を踏み潰してしまう。一度現れたら、消えそうもない。ピンチの時に飛んでくる正義のヒーローなんて、空想世界にしかいないんだから。


 録画していた戦隊ものを夢中で観ている息子の背に、雪乃ゆきのは心のなかで現実を呟いていた。


 垣田かきた家は、現在ピンチの真っ只中。不景気により、夫の会社は業務縮小を余儀なくされ、支店の数を減らすことに。その中の一社に選ばれたのが、夫が勤務している会社だった。


 パートで働きに出ようかと雪乃は考えたが、息子はまだ三歳。幼稚園に預ければ、稼いできたパート代の半分は持っていかれる。かといって、フルタイムでは働けない。幼稚園よりも保育時間が長い保育園は待機児童で溢れ、とてもじゃないが今すぐ受け入れてくれる所など無い。


 雪乃の息子と同い年の娘を持つ母親が近所に住んでいるが、昨日燃えるゴミの収集日で、ゴミ捨て場にて遇った時、「保育園に預けられないから、産休開けても職場復帰できない」と嘆いていた。


 困ったものだ。雪乃が吐き出すため息の数は、日を追う毎に増していく。

 

 アパートの部屋に差し込む夕日が切ない。自分の心情を表している、そんなふうに思えるから尚更だ。


 お日様の香りが残る洗濯物を畳みながら、「正義のヒーローが我が家にも現れないかな……」と、テレビ画面いっぱいに映るヒーローに雪乃は思いを馳せるのだった。


「再就職先が決まったぞ!」


 だが、そのヒーローはすぐ側にいた。夫の会社は無くなってしまうが、彼の働きぶりが認められ、別の支店で勤務することが決まった。


「何もない田舎に行くことになる」

「無職よりは全然マシ」

「ありがとう、雪乃。心配かけて悪かった」

「いいよ。こちらこそ、頑張って働いてくれてありがとう」


 ピンチの時に支え合い、助け合う。それが夫婦だと垣田夫妻は互いに思っていた。抱き合う二人に息子も「パパ、ママ、だーいすき!」と加わる。絵に描いた幸せな家庭である。


「いつ引っ越すの?」

「今月末には」

「一週間後か。明日から少しずつ荷造り始めるね」

「よろしく頼むよ」

「日曜日は、あなたも手伝ってよ?」

「わかった」


 整理整頓が得意な雪乃はテキパキと荷造りを終え、引っ越し当日には入室した日と同じ状態になっていた。


 最後の荷物と一緒に三人は五年住んだ我が家に別れを告げ、新居となる隣の県北の地へマイカーに乗って旅立った。


「写真で見る限り、良さそうだったけど。実際は、どんな場所なんだろう」

「かなり長閑だったよ。山とか川とか周りは田んぼだらけだった」

「それなら、和希かずきが騒いでも近所迷惑になる心配はなさそうだね!」

「あぁ! 和希。新しいお家に着いたら、好きなだけ騒いでいいぞ!」

「ちょっと、それは言い過ぎでしょ!」


 和やかなムードのまま、車は県境に位置する山道を走っていた。途中、野生の猿に遭遇するなど街では見られない光景に一家は心を弾ませていた。


 山道を抜け、田畑が永遠と続く道を40分ほど走り、車は十字路を右折。ゆるい上り坂に出たところで【目的地付近に着きました】とハイテク機械は道案内を終了した。木々に囲まれた頼りない道。一応 舗装は施されているが、道の凹凸は激しく、ガタガタと車体を揺らしながら、奥で待つ新居を目指し、進んでいく。


「あれ? おかしいな……」


 オーディオの上に設置されているハイテク機器を見つめ、夫は首を傾げ出した。


「どうしたの?」

「この前来たとき、この道通ってない気がして」

「え? 忘れてるだけじゃないの? ナビだって、目的地付近に着いたって言ってたよ」

「うーん……」


 傾斜はあるものの、道は見通しの良い直線。前からも後ろからも車が来る気配はなく、そのままマイカーを一旦停車させた。納得がいかない夫はナビの道案内履歴を確認し、さらに首を左右にひねった。


「ここ、案内を設定した場所と違う」


 奮発して買った最新のカーナビだ。壊れるには早すぎる。設定した場所ではない所に案内するなんて。一体、どういうことなのだろう。垣田一家を不安が襲う。


「もう一度、案内設定してみよう」夫は行くはずだった場所を入力し、案内をスタートさせた。


【道案内をスタートします】


 やっと当初の目的地を目指す気にカーナビはなったようだ。安堵し、夫は再び車を走らせた。軽快なリズムで効果音が鳴る。


【目的地まで、あと50メートルです】


「あと50メートルだって」

「意外と近くまで来てたんだな」


 道の舗装が途切れ、完全な砂利道になってしまった。車体の揺れは大きくなる。また音が鳴った。


【25メートルです】また音が鳴る。

【10メートルです】


 ついに、目的地に車は到着した。


【目的地に到着しました。案内を終了します】


​──カァ……カァ……

 不気味に飛び交うカラスの群れ。


 一家が到着したのは目的地ではなく、一本の大木がある小高い丘の上だった。大木には、たくさんの人形がぶら下がっている。風が吹くたび、ギシギシと不気味な音を立て、一斉に人形は揺れる。


「何これ……」

「みんな、木に首を括ってる」


 その中の一体が地面に落ちた。縄が脆くなっていたのだろう。ズシャッと何かが潰れる音がした。人形の足は高い位置からの落下により、よからぬ方向へ曲がってしまった。


 二体目が落下した。一体目と同じように音が聞こえた。今度は落下により、腕が離れたところへ飛んでいった。


 三体目も二体目の後を追うように落ちてきた。他の人形に比べ、小柄だった。ちょうど、和希ほどの大きさだ。


 雪乃は何かに気づき、運転席にいる夫の腕を掴んだ。


「あれ……人形じゃない!! ヒトだよ!」


 雪乃の手を取り、夫は言った。


「あぁ。──あれは、俺たちだ」


*****


 翌朝、哀しいニュースが報道された。【一家心中】三歳の男の子と、その両親が廃ビルの屋上から身投げした。父親の足は高い位置からの落下により、よからぬ方向へ曲がり、母親の腕は数メートル離れた場所で発見された。男の子は両親の間で眠るように亡くなっていた。


 一家が所有していた車は廃ビルの下で発見されたが、ステレオの上に設置されていたカーナビには、まっさらな地図が映し出され、車の現在地は【首吊りの丘】と表示されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

首吊りの丘 望月おと @mochizuki-010

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ