第8話
大学に飛び級入学すれば、高校は退学することになる。しかし、その相談を受けた担任教師と校長は大喜びした。
担任に相談した次の日、瑠奈は校長室に呼び出された。
「それは素晴らしい。我が校始まって以来の名誉じゃないか。ぼくらも協力を惜しまないよ」
居並んだ校長と教頭、そして担任は口々に激励する。
校長は満面の笑顔だ。しかしかれらの笑顔には、学校で扱えない規格外の生徒を厄介払いしたいという本音が見え透いていた。来年になったら生徒集めのために大きく宣伝するだろう。むろん、瑠奈の実状は伏せて。
担任は言った。
「明日から登校しなくていいから、家で思う存分受験勉強してくれたまえ。きみなら大丈夫だ。なに、内申書は心配するな」
久しぶりに杏奈と食卓を囲んだとき、瑠奈はぶっきらぼうに告げた。
「あたし、ひろちゃんと結婚するから」
杏奈は気色ばんだ。
「なんだって? 結婚? あのオタク男と? 半人前の癖して生意気言うんじゃない!」
「ママ、未婚じゃない」
「うるさい!」
卓上のものをたたきつけた。
「あんたなんかねえ、あのときゴムが外れてなかったら生まれなかったんだからね! それをここまで育てたのに、感謝するどころか、大学だの研究だの、このところおかしなことばかりほざいて、あんたほんと、どうなっちゃったのよ!」
瑠奈は不意に言った。
「ママ……あたし、覚えてるよ。10歳のときだった」
「どうしたの、いきなり?」
「ママが連れ込んだ男に、夜中、抱きつかれた。それからは何をされたかわからなかった。でも、あとで知った。ママがいつもしていることなんだってね」
「……」
「いくら泣いても、叫んでも、ママは助けに来なかった。あたしがどうなろうとも、あの男のご機嫌を取る方が大事だったんだ。でも結局は捨てられたじゃない。それから何人、男を替えたたの?」
「そんなの……あたしだって……同じこと……親に……」
杏奈の眼に光るものが見えた、ような気がした。
「今まであんたに言ってたことは嘘よ。あんたの父親は……」
そこまで言って口ごもった。
「親子だけど、姉妹……」
唇をゆがめた。
瑠奈には、今の母親の気持ちがわかってしまう。哀しいほどに。
自分の手元にいて、自分の知っている世界で生きていてくれれば嬉しいが、知らない世界に行ってしまうことを告げられた。
寂しいのだ。しかし、その寂しさには、もう付き合うことは出来ない。
(あるがままでいい)
ふと、誰かが言ったような気がした。
(あるがままだ。わたしが定めた秩序に逆らわずに従えば、おまえの幸福は保証されるのだ)
そんなちょーダサいこと、誰が言うこと聞くものか。
腹を決めたのは、河田も同じである。
役所からもらってきた結婚届の用紙を広げて、いった。
「未成年の結婚には同意書がいるんだけど、こっちで勝手に作っちゃえ。判子さえあれば大丈夫だ」
結婚届は、いったん受領されれば取り消しはできない。民法が定める公益的な取り消し事由は年齢の不足、重婚、近親婚、再婚禁止期間中、この四つだけで、同意書や保証人のでっち上げはない。何故かというと、そう法律に明記すると、婚姻は両性の合意のみに基いて成立することを定めた憲法24条に触れる可能性があるからだ。
瑠奈は難なく入試にパスした。入学手続きを取った同じ日に、河田と入籍した。結婚については、極力大っぴらにしないことにした。
結婚式も披露宴もしなかった。ただ、入学と結婚祝いを兼ねた、ふたりだけのささやかなパーティーを、河田の部屋で行った。
「おめでとう!」
乾杯した。
卓袱台に載っているのは寿司のパックに、唐揚げ、乾き物などなど。乾杯してから、河田は缶ビールを一気に飲み干した。一方、瑠奈はジュースである。
「あたしにもちょうだい」
「ダメだよ、未成年だろ」
「こういうときは未成年? だっさーい」
「文句を言うな」
そして、夜も更けてきた頃。
瑠奈は河田を見やりながら、口を開く。
「眠くなってきちゃったー」
「……そうか」
「ひろちゃんは?」
「……いや」
河田は動こうとしない。
「どうしたの」
肩に手を回すと、河田が妙にこわばっていることに気がついた。
「……ひょっとして」
瑠奈が耳元に口を寄せてささやくと、河田は決まり悪そうに頷いた。
「中学も高校も男子校だったし、大学は理系で女っ気なかったし、出てからも研究研究でそれどころじゃなかったから……」
河田は眼を伏せて、もじもじした。
瑠奈はほほえんだ。
「だいじょうぶ。あたしにまかせて」
肩を抱いて唇を押しつけた。舌が入ってくる。
そのとき、河田の身中にかっと火が付いた。
「……!」
瑠奈は抱きついて河田を引き倒した。河田の身体が瑠奈にのしかかる格好になった。
瑠奈の息づかいが荒くなっていった。
翌朝、河田の目が覚めたとき、まだ眠っている瑠奈の横顔を見つめた。夕べとは別人のような、あどけない寝顔。頬にキスをして、床を出た。
カーテンを開けると、朝日がまぶしかった。
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