第113話 玉の輿

 夜、屋敷ではささやかな夕食会が開かれていた。


 当初は盛大に祝うべきとの声があったものの、リンはそれに反対したのだ。

 というのも、マリナの件もあり、セリナに遠慮したという面が強かった。


 それでも、孤児院の子供たちは楽しげに笑っていたし、セリナも笑顔を浮かべていたのでリンは少しだけ気が楽になった。


「ふぅ……やれやれやっぱりこうなったか」


 リンは食堂の隅で全体を見渡しながら小さくため息をついた。


「お酒が入ったら大抵そんなものよ、リンくんは飲まないのね?」


「俺のいた世界では二十歳まで酒は飲まないんだよ、なによりアレはあまり好きになれそうもないからな」


 そう言って手にしたグラスに口をつける。

 中身は普通のジュースだ。

 孤児院の子ども用に用意されていたものだが、リンとしてはこっちの方が口に合っていた。


「凛、主役がこんな隅っこでなにやってんの?」


 ほんのり頬を赤く染めた悠里に声をかけられた。

 どうやらいい感じになっている様で、その顔はご機嫌だった。


「みんな大分出来上がってるみたいだからな、ちょっと休んでたんだよ」


「ふーん……それより、聞いたよアリス王女様との話!」


 悠里はそう言って頬を膨らませると、両手を腰に当てる。

 少し子供っぽく『不機嫌です』アピールする辺り、やはり結構酔っているようだ。


「なんで教えてくれなかったの?!」


「いや……なんでって言われてもな、ドールでの一件とは関係ない話だったし、何よりその、なんだ……なんとなく言いづらかったんだよ」


 まるで小説のような展開で婚約者が出来ましたなどと、幼馴染みである悠里には本当に言いづらいかった。


「ふーん……なんとなく言いづらかったのかぁ」


「な、なんだよ……」


 じーっと悠里に見つめられ、妙に気恥ずかしくなり、リンは目を逸らす。


「ま、いいでしょう! 許してあげるよ!」


 そんなリンを見て、悠里は再び上機嫌な笑みを浮かべた。

 変わり身の早さに多少驚いたが、あっさり許された事にリンは内心で安堵の息をもらした。


「楽しそうですね」


 そんな言葉とともに姿を見せたのはアリスだった。

 話すのは数日振りな上、色々あった為、若干気まずいリンにアリスのどこか冷たい視線が突き刺さる。


「ユーリさんにセーラちゃんにステファニアさん、素敵で魅力的な方たちですね……」


「お、おお?」


 いくら鈍いリンでも流石に理解できた。

 同時に自分の迂闊さを反省する。


 なにせ、婚約者が待つ自宅に女性を3人も連れ帰り、なんの説明もしていないのだ。


 怒って当然である。


「えーっと……コイツはーー」

「知っています。 ユーリさんですよね? リンの幼馴染みの、セーラちゃんとステファニアさんの事も聞いてます」


 ジト目で見つめられ、嫌な汗が噴き出す。

 なんと答えたらいいか分からず、狼狽するリンを見てアリスは大きなため息をついた。


「はぁ……事情は一通り皆さんから聞いてます。 だから別にリンを責めるつもりはありません。 話す優先順位も間違ってはいないと思います。 でも最後でもいいからリンの口から説明して欲しかったです」


 寂しいそうなアリスの表情を見てリンの胸がチクリと痛む。


「ホント、凛はそういうデリカシーのない所直した方がいいよ、王女様が可哀想だよ」


「同感ね」


 悠里とルナの指摘が胸を抉る。


「そ、そんな事言われてもだな……」


「そもそもリンは本当に私と結婚するつもりがあるんですか?」


 涙目のまま、アリスが問いかける。

 その質問にリンは思わず言葉に詰まってしまった。


「やはり……ご迷惑ですか? もしそうなら、私からお父様に話して婚約の件は無かった事にしてもいいのですよ?」


 拗ねている訳でも、嫌味のつもりでもない。

 涙目とは言え、アリスの表情は真剣だった。


 ここまで言わせてしまったのは自分の責任だと自覚もある。

 故にリンは意を決してアリスに本音をぶつける。


「はっきり言ってしまえば、まだよく分からないんだよ」


 気まずさもあり、少し目を逸らしつつ告げる。


「婚約の件は半ば成り行きだったし、そもそも俺たちはまだ会ってそれほど時間も経っていない、だから、俺はまだ自分の気持ちに整理がついてない」


 リンは自分が酷い事を言っていると自覚している。


 こんな話、本来ならもっと早くはっきり伝えるべきだった。

 だが、どうしたらいいか分からず、ここまでハッキリ伝える事が出来なかった。


「アリスの事は決して嫌いじゃない。 でも女性として好きかと言われたら、好きとも嫌いとも答えられない」


「…………」


 リンの言葉にアリスは無言で耳を傾ける。

 悠里とルナもリンが真剣である事を理解していたので口を挟む事はしない。


「だから、勝手な頼みだとは理解しているが、俺の気持ちに答えが出るまで時間を下さい」


 リンはそう言って小さく頭を下げた。

 それを見てアリスは困ったような笑みを浮かべ、口を開く。


「ズルいお願いです……そんな風に言われてしまっては待つしかないじゃないですか」


「ごめん……」


 リンが顔を上げると、そこには笑顔を浮かべたアリスの姿があった。

 色々と申し訳ない事をしたが、ようやくアリスとの事にひと段落つける事ができ、肩の荷が降りたリン。


 アリスもまた、モヤモヤとした気持ちが晴れた気がした。


 そんな2人の空気をぶち壊す存在が現れるとは、その場の誰も想像がつかなかっただろう。


「……ちゃんすです」


「え? セーラ?」


 謎の言葉とともにふらりと現れた人物の名前を呼ぶリン。


「……まだ、入り込む余地がありそうです」


「ちょ! え? セーラなに言ってるの?!」


 誰よりも早くその言葉の意味に気がついた悠里が思わず叫んだ。


「……玉の輿」


 年齢不詳、見た目幼女の爆弾発言により、その後喧々囂々の騒ぎになったのは言うまでもないーー


 ーーーーーー


「まったく、付き合ってられないわね」


 セーラの爆弾発言により起こった大騒ぎから抜け出したルナは一人、屋敷の屋根の上で一人呟いた。


あの子セーラがあんな事言うとは思わなかったけど、ユーリだってリンくんの事が好きみたいだし……ホントいいご身分よね」


 誰に聞かせる訳でもないのに、ルナの独り言は止まらない。


「いく先々でトラブルに首突っ込んで、無茶苦茶やった挙句誰かを助けちゃえば、そりゃ人には好かれるだろうけど……」


 ルナ自身よく分からないモヤモヤしたものを吐き出そうと愚痴をこぼしつづける。


「……まぁ私も変わらないんだけどね」


 お人好しのリンに救われたのは自分も同じなのだ。


 ルナは大きなため息を吐くと、夜空を見上げる。


「……私はリンくんの相棒、あの子達とは違うのよ」


 まるでそう自分に言い聞かせるように、呟いた声はそのまま夜空に吸い込まれていったーー

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