第85話 遊里の不安
時間は少し前に戻る。
リンと別れ、宿に向かう筈だった遊里達はある場所へ向かって走っていた。
リンに届けられた警告の手紙に記されたのはウェインに害が及んでいる可能性と、次は遊里達を狙うという脅し文句だった。
手紙に記された内容から、素直に受け取れば「これ以上詮索するな」という警告。
だが、それが真意なのか断言する事は出来ない。
ウェインを囮に何か企んでいる可能性や、今の様に分断が目的な可能性もある。
後手に回された以上、多少のリスクを承知でリンが単独で動き、遊里達は宿で待機する事にした。
だが、今遊里は宿とは違う方向に向かって走っていた。
唐突に襲ってきた嫌な予感が、己の直感が告げた。
セーラを抱えて走るユーリは街の人たちの視線を無視して目的地へ一直線に走り込んだ。
バンッ! と大きな音を立てて乱暴にドアを開けた遊里が大声で叫ぶ。
「メグミさん! イーリスさん!」
遊里の目に飛び込んできたのは--
「ユ、ユーリさん?」
凄まじい剣幕で飛び込んできた遊里に、驚きを通り越して目を丸くしているメグミの姿だった。
「無事、だった……よかったぁ〜」
メグミの無事な姿を見て思わずその場に座り込んでしまった。
「ど、どうしたんだい? そんなに慌てて」
「ユーリちゃん? あらあらどうしたの?」
奥の部屋からイーリスも顔を出し、変わった様子は無かった。
「あ、あはは……ちょっと色々とあって……」
少し落ち着いた遊里は急に恥ずかしくなったのか、僅かばかり顔を赤くしながら曖昧に返事をする。
「安心してる場合じゃないでしょ? 考え過ぎなのか運良く先回りしただけか分からないんだからのんびりしてる時間は無いわよ。 あとセーラが目を回してるから離してあげなさい」
置いていく訳にもいかず、かと言ってセーラに合わせて移動する余裕が無かった為、やむを得ず小脇に抱えて走ってきた。
無論、全力で。
結果、セーラは遊里の腕の中でぐったりしていた。
「きゃあああ! ごめんね!」
慌ててセーラをその場に下ろすと、セーラはそのまま床にペタンと座り込んだ。
そして普段あまり感情を出さないセーラが珍しく頰を膨らませて怒った様に遊里にジト目を向けた。
「あああ、ごめんね! ほんっとにごめん!」
遊里は両手を合わせながら頭を下げると必死に謝る。
『……ふふ』
頭に響いてきたのは意外な事に少し嬉しそうな声だった。
『初めてユーリさんに会った時を思い出した』
キョトンとする遊里にセーラが満面の笑みを浮かべた。
出会ってからこれまで見たことがない、年相応の屈託の無い笑顔だった。
セーラは出会ってから殆ど感情が表に出ない子だった。
記憶を失っているのが原因なのか分からないが、ここ数日で驚くほど感情が見える様になった。
「仲が良いのはいいけど、のんびりしてる場合じゃ--」
「おやおや、これはこれは随分と賑やかですねぇ」
唐突に背後から聞き覚えのない声がかけられた。
その声を聞いた瞬間、相手の姿も確認せず遊里は反射的にセーラを抱え、声の主から飛び退いた。
ほぼ同時にルナも一瞬で臨戦態勢を整えると、敵対心をまるで隠さずに声の主を威圧する。
対峙して改めて相手の姿を確認すれば、無造作に伸ばされた髪に丸メガネの顔色の悪い男が入り口に立っていた。
体格は細く、薄汚れた白衣で一目で科学者や研究者といった雰囲気を醸し出している。
「んん〜面倒なのは嫌なんですがねぇ」
その声は言葉とは裏腹にどこか愉快さを含んでいた。
「……君が訪ねてくるなんて珍しいね、カプト君」
そう言ったメグミの声色に遊里は驚いた。
あからさまに嫌悪感を滲ませていたからだ。
「ああ、君に用は無いんだよ。 僕が訪ねたのはイーリス、君だよ」
カプトと呼ばれた男はメグミに対して手で払う様な仕草を見せると、そのまま部屋の奥にいるイーリスに声をかけた。
あまりにも不躾で不愉快な態度にイーリスも眉根を寄せると、メグミ同様に嫌悪感を隠す様子も無く話す。
「私に何か用でもあるのかしら? ロクでも無い話じゃ無いといいのですけど」
遊里は思わず息を飲んだ。
先程のメグミもそうだが、イーリスの態度と言葉は普段の彼らからは想像も出来ないほどに冷たかった。
「ええ、実は近々この国を離れる予定でしてね、貴女と共に」
一瞬何を言っているのか理解出来なかった。
頼む訳でも尋ねる訳でも無い。
目の前の男の中では既に決定事項かの様な言い方だった。
そもそも、イーリスはメグミの妻なのだ。
そのあまりにも勝手極まりない言い方に遊里は呆れや怒りを通り越し、身震いするほどの嫌悪感と恐怖を感じた。
何より恐ろしかったのは、この男の中では自分の言い分が
「……貴方は何を言っているのかしら? 以前から言っていますが、貴方に協力する気はありません。 ましてや貴方と一緒に国を出るなんて考えたくもありません」
イーリスは不快感もあらわと言った様子でそう言い切った。
「カプト君、君がどんな研究をしようが勝手だが、
本当なら声を荒げてもいい場面だが、メグミはあくまで冷静に、しかし断固とした態度でそうハッキリと口にした。
しかし、それほどまでに明確な拒絶を受けたにも関わらず、カプトと呼ばれた男はまるで意に介した様子も見せなかった。
「ふむ……残念ですねぇ、出来れば穏便に済ませたかったのですが、まぁいいでしょう」
「っっ……どういう意味だい?」
穏便に済ませたかった、その含みを持たせた言葉に思わずメグミが反応する。
穏便に済まなかった、だから次からは過激な方法をとるぞ、そう取ってしまうのも無理のない話だ。
いよいよ、我慢の限界といった様子のメグミに、なにがおかしいのかカプトがヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべる。
「まぁいいでしょう、今日のところは失礼するよ、思わぬ収穫もあった事だしねぇ」
そう話すカプトの視線がセーラに向けられた。
その視線はまるで品定めでもしているかの様な極めて不快な視線だった。
視線を向けられたセーラは思わず身を縮めて遊里に縋りついた。
遊里はセーラを背後に庇うと、カプトに向けて鋭い視線を飛ばす。
ルナも敵意をむき出しにカプトを威圧した。
「おぉ怖い怖い、異能持ちの
そう言って、カプトは身を翻すと外へと飛び出した。
「!! 待ちなさい!」
ルナが咄嗟にカプトを追って外に出るが、既にそこにカプトの姿も気配も無かった。
「ルナ!」
遊里も慌てて飛び出してきたが、カプトの姿を見つける事が出来ず、辺りを見回した。
「無駄よ、既に気配も無いわ――メグミ!」
ルナはそう声を上げると、メグミに詰め寄った。
「あの得体の知れない男は何者?」
メグミはルナの剣幕にたじろぎながらも口を開こうとしたが――
「ルナ、のんびり話してる暇は無いよ、あの男の事も気になるけど今は凛と合流するべきだと思う」
未だ怯えるセーラの背中をさすりながら遊里はルナにそう声を掛けた。
こうしている間にも遊里の中で言い知れぬ不安が大きくなっているのを感じたからだった。
ルナは一瞬、遊里に視線を向けると、小さくため息を吐くような仕草を見せると、「それもそうね」とだけ呟いて、メグミから離れた。
「メグミさん、イーリスさん、詳しい事情を話している余裕がありません、今は私を信じてついてきてくれませんか?」
本当なら、二人にはある程度事情を説明したかったが、カプトの登場でその余裕も無くなってしまった。
だから多少強引でも今は二人を連れてリンと合流することを選んだ。
メグミとイーリスは無言で目を合わせると、小さく頷いた。
「分かったよ、ユーリさんの態度を見ればそうした方がよさそうだ、それに彼の事も説明した方がよさそうだ」
その後、手早く必要なものをまとめたメグミとイーリスを連れ、遊里は急ぎリンの待つ宿へと向かった。
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