第84話 疑わしき者

 その姿を見た瞬間、リンは一気に血の気が引いた。


「ウェインさん!」


 血塗れのウェインに、咄嗟に駆け寄る。

 普段の冷静なリンならばまずは周囲を警戒しただろうが、出来なかった。


 リンの脳裏に血塗れで倒れる両親の映像がチラつく。

 ひしゃげた車に潰され、直視に耐え難い姿の父と一目で分かるほどの致命傷を負った母--

 記憶に焼き付きいてしまった光景とダブる。


 口の中が酸っぱくなり、喉の奥に込み上げる不快感を必死に抑え込み、倒れるウェインを抱き起す。

 その身体はまだ暖かい。

 視界に映るウェインのステータスには[瀕死]の文字--


 リンはすぐさま治癒魔法をかけた。


 瀕死ならば、魔法で回復すればいい--


 リンの頭の中にはそれだけしかなかった。


 周囲が明るくなるほどの光がウェインを包み込むと、見る間に傷口が塞がっていく。

 程なくして光が収まると、傷口は完全に塞がっていた。


「----っぐ」


 ウェインが小さな呻き声をこぼす。


 それを聞いたリンは思わずその場にへたり込んでしまった。

 間に合ったのだと理解し、リンは大きく安堵の息をついた。


「っく……」


 意識が戻ったウェインは薄っすら目を開くと視界にリンを捉え、フラフラと立ち上がった。


「リン様……? 私は一体何を……」


 意識は戻ったものの、まだ朦朧とするのか自分が死にかけていた事も直前の記憶もはっきりしていないようだった。


「大丈夫か? 傷は塞がったはずだが、流れた血は戻せないから無理はしないでくれ」


 そう言われて徐々に自分に起きた事を思い出し始めたのか、みるみるの表情が険しくなっていく。

 周囲に意識を広げ、警戒しているのが伝わってくる。


「とりあえず一旦移動しよう、その格好じゃ目立つかもしれないが、その方がかえって安全かもしれないしな」


 とは言え、ウェインが生きている事が相手にバレる可能性も高くなる。

 だが、この場に死体が無ければ遅かれ早かれ知られる事なので、今はより安全だと思える方を取ることにした。


 フラつくウェインに肩を貸し、急ぎ路地裏から人通りの多い通りに戻る。

 すると案の定、血塗れの服を着たいウェインに道行く人々が何事かという視線を向けてきた。


 目立ちつつも出来るだけ早く移動するつもりだったのだが、ウェインの消耗が思った以上に激しく、想像以上に移動に苦労した。


 その結果--


「そこの二人、止まれ!」


 血塗れのウェインを見て誰かが通報したらしく、気がつけば騎士達に囲まれてしまった。


「我々は北方警邏隊だ、血塗れの男が街をうろついてると通報を受けた。 手荒な事はしたくない、大人しくついてきてくれるな?」


 そう警告した男を見てリンは


「ああ、抵抗するつもりはない。 大人しくするよ」


「そうしてもらえるとこちらも助かる。 そちらの怪我人は我々が手を貸そう。 ではついてきてくれ」


 リンは無言で騎士の後に続いた。


 騎士達がウェインだけ治療の為に診療所に連れて行くと言ってくれた。

 だが、ウェインは「問題無い」の一点張りで診療所に行く事を固辞した。

 血を流しすぎ、青白くなった顔と息も切れ切れといった様子に騎士達は困惑していたが、最終的にはウェインの意思を尊重するという事でリンと一緒に行くことになった。


 騎士に連れられ訪れたのはドール入国時に事情を聞かれた騎士団の詰所だった。

 部屋の中には数名の騎士がいたが、リン達を連れてきた騎士が人払いしてくれた。


「今団長を呼んで参ります。 恐縮ですがこちらで少々お待ちください」


 そう言って騎士は入ってきた扉とは別の扉から出ていった。


「ウェインさん、さっきも言いましたが流れた血は戻せていません。 無理はしない方が方が--」


 リンがそこまで言いかけたところで扉が開いた。


 現れたのは北方騎士団団長であるテリーだった。


「ご無事で何よりです。 警邏隊隊長より報告を受けた時には焦りましたが、最悪の事態は避けられたようで安心しました」


「申し訳ありません、私が至らないばかりにご迷惑お掛けしました。 警邏隊の隊長殿が機転を利かせてくれなければ騒ぎになっていたかもしれません」


 ウェインは相当辛い状態なはずにもかかわらず、毅然とした態度でテリーに感謝を述べた。


 だが、リンにはそんなウェインの様子に違和感を感じる。

 というより、先程から様子がおかしいと感じていた。

 どこか警戒している様子が端々に感じられるのだ。


 最初は襲撃を受けた直後だからと思っていたのだが、ここに来て更に警戒が増しているように思えてならなかった。


(まさかとは思うが……)


 リンは目の前に座るテリーとその後ろに待機する警邏隊の隊長に視線を向けた。


「先程は失礼致しました。 閣下の部下の方が瀕死の重傷を負われたと聞き、騒ぎになる前に匿えて何よりでした」


 警邏隊隊長が深々と頭を下げる。


「……気にしないでくれ、ウェインの言う通りお陰で助かった」


 なるほどとリンは納得する。

 これは隠す気が無いのか、それともボロが出たのか彼が勝手にそう思ったのか判断し難いが、なんにせよ可能性は高そうだった。


「しかし、ウェイン殿はすぐにでも治療をされた方がよろしいのでは?」


 テリーはウェインの様子を見て、そう提案してきた。

 確かにウェインは出血が原因でその顔色は蒼白く、誰でも心配になるものだった。


「ああ、その点は心配いらない。 既に医者は手配しているからな、助けて貰って申し訳ないが、そういう訳であまりのんびりしている訳にもいかないんだ」


 これ以上ここに留まるのは得策では無いと判断したリンは、多少あからさまな言い方をする。


「なるほど、こちらとしては事情を聞きたいところですが、ウェイン殿にこれ以上無理をさせる訳にはいきませんね」


 テリーは少し考える素振りを見せる。


「ではこうしましょう。 後日で結構ですのでこちらまでご足労願えますか? 私は大抵詰所ここにおりますので」


 テリーの提案はこちらにとって都合が良い。

 むしろ良すぎるほどで多少勘ぐってしまうが、現状ではその提案に乗るほか無かった。


「わかった、こちらも事情があるので明日明後日にという訳には行かないけどな」


 まだ本当にか分からない。

 だが、後々の言い訳ぐらいは用意しておくに越した事はない。


 テリーは少し困った顔をしつつも了承してくれた。

 最後に改めてテリー達に礼を言って早々に詰所を後にした。


 リンはそのまま宿に戻るべきか少し悩む。

 なにしろさっきはテリーにあんな事を言ったが、当然医者など当てはない。

 だが、あまり時間をかけると遊里達が心配するかもしれない。

 しかしウェインをこのままという訳にもいかない。


 難しい顔で今にも唸りだしそうなリンを見てウェインが少し可笑しそうに口を開いた。


「私の事なら心配いりませんよ、確かに正直しんどいですが、傷はリン様のお陰で完全に回復していますから今すぐ治療が必要な訳ではありません。 それに--」


 そこまで言ってウェインは少し声を潜めると--


「報告したいこともあります、ユーリさん達の姿が見えない事も気になりますし、今は一刻も早く落ち着いて話せる場所に移動しましょう」


 リンはその言葉に素直に頷くと、ウェインに肩を貸しつつ急ぎ宿へと戻る事にした。

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