第81話 激怒
腕を組み、凄まじい形相で睨みつける遊里にリンは自分の後頭部の痛みの原因が彼女である事を理解した。
「ちょ、ちょっと待て! おま、なん、なにすんだよ!」
驚きと混乱に思わずそう叫んだリンだったが、それを聞いた遊里の眉がピクッと動いた瞬間、それが間違いだったと気がついた。
「ふーん、まだそんな事言うんだ? へー……もう一発殴られないと分からないみたいだね?」
怒りの形相から笑顔に変わった遊里だが、リンにはその笑顔が鬼にしか見えない。
リンは過去に何度か本気で遊里を怒らせた事がある。
そして、その時の事は今でも鮮明に覚えている。
サァーっと血の気が引き、背中に氷を入れられた様な感覚がリンを襲う。
「いや! 待て! 分かった俺が悪かった!」
「なにが? なにが悪かったの?」
一歩づつ、ゆっくりと近づいて来る遊里に合わせリンも一歩づつ後ろへ下がる。
リンの視界に遠巻きに眺める街の住民が目に入る。
ざわめきがざわめきを呼び、街の住民の足を止め、野次馬が徐々に増えていくが、そんな事に気を回す余裕などリンには無かった。
「あ、あれだ、嘘をついたのは悪かった! だがこれには深い訳があーー」
「分かってない!!」
目にも止まらぬ踏み込みから鋭い打ち下ろし気味のフックがリンの左頬を襲った。
その威力は強化されているはずのリンが地面に膝をつく程だった。
あまりにも強烈な一撃に野次馬のあちこちから遊里に恐れを抱く声が漏れ聞こえて来る。
口の中が切れ、血の味が口内に広がる。
更に膝が言うことを聞かず、立ち上がる事も出来ない。
そんなリンを遊里が腕を組んだまま見下ろしていた。
『ユ、ユーリさん! どうしたの?! なんでいきなり……』
「セーラは少し下がっててね、今はこの馬鹿にいかに自分が身勝手なのか教えているところだから」
『!! 』
首だけセーラの方へ向けた遊里がそう告げると、セーラはコクコクともげる勢いで首を縦に振り、ルナを抱えてブルブルと震えた。
『……ユーリは怒らせたらダメなタイプだったのね、お互い気をつけましょう』
ルナはそれだけ言って二人を眺めていた。
『ユーリさんすごい怒ってる、なんでだろう? ルナちゃん分かる?』
『ユーリの言う通りリンくんがお馬鹿さんなのよ』
セーラは頭上に?マークを出しながら首を捻った。
そしてもう一人、頭上から?マークを大量に出しながらどうしたらいいか分かっていない者がいた。
「待て、ホント待って下さい!」
「待たない、その賢いだけの頭でしっかり考えなさい!」
だが、リンには理解出来なかった。
これほどまでに遊里が怒る理由がまるで見つからないのだ。
その様子を見て遊里は盛大にため息をついた。
本当は自分で気がつくまでぶん殴ってやるつもりだったのだが、リンの様子からそれは難しいのだろうと理解する。
(本当に、変わらないなぁ……でもこれからはそれじゃダメだよ、凛)
遊里は心配で仕方がない、そして同時に悲しかった。
遊里はそもそも自分達が尾行されている事に気がついていた。
リン達ほどすぐに気がついた訳では無かったが、【直感】の異能のにより、リンに声をかけられる少し前から気がついていたのだ。
どうするべきか考え、ギルドに到着しても気配が消えない様であればリンに相談するつもりだったのだ。
だが、そんな遊里の考え方とは裏腹に先に動いたのがリンだった。
遊里はすぐにリンの考えている事を理解した。
それは遊里にとって許せない考えだった。
こちらの気持ちなどお構い無しに、自分が良いと思った方法を取る。
独善的で自虐的な考え方をするリンが許せなかった。
心配してくれているのは分かる、だが同時にそれは信頼もされていないという事なのだ。
これまで自分達が生きていた世界ならばそれでもなんとかなったかもしれない。
だが、今いる世界は簡単に命までも失いかねない世界なのだ。
このままでは遠からず取り返しのつかない事になりかねないと遊里は思ったのだ。
だから、思い切りぶん殴った。
(半分くらいは単純に我慢の限界だったからだけど……)
リンが何か言いづらい事を隠している事にも気がついている。
本人は上手いこと隠せていると思っているようだが、遊里からしてみればバレバレだった。
その内話してくれるつもりだろうと思っていたし、実際そうだったようで夜に話してくれると言っていたが、まぁその前に我慢の限界がきてしまったが……
(やり過ぎた、とは思わないけどちょっとは気も晴れたしそろそろ説明してあげるかな)
遊里はもう一度大きなため息をつくと、周りに聞こえないよう、テレパシーで声をかけた。
『私は尾行に気がついてたよ』
「……は?」
突然そう言われた事に驚いたのか、リンは思わずそう口に出してしまった。
驚きのあまり、口を開けたまま呆然としている。
『私達はもう一蓮托生でしょ? 頼りないかも知れないけど、でもちゃんと話してよ。 でないと凛に万が一があった時、私はどうしたらいいの? 私達を心配したつもりかも知れないけど、私はこれっぽっちも嬉しくない!』
遊里の真剣な表情と剣幕にリンは言葉を失った。
思わず空を仰ぎ、目を瞑り遊里の言葉を反芻すると、ようやく理解できた。
(ああ、前に怒らせた時もそうだったな……
良かれと思っていた。
だが、遊里からしてみれば裏切られたような気持ちでしかなかったのかも知れない。
「……悪かった。 ごめん」
遊里を正面から見据え、ただそれだけを口にする。
その言葉に遊里は無言でリンを見つめる。
時間にすればほんの数秒足らずだったが、リンにはやけに長く感じられる時間だった。
「ーーーーま、反省したみたいだし、許してあげよう」
そう言って、遊里は表情を崩した。
いつもと変わらない、見慣れた笑顔。
その笑顔でようやく緊張から解放されたリンは大きく息をついた。
それはその光景を眺めていた者たちにとっても同じだったようで、野次馬達は一人二人と止めていた足を動かし始めた。
『終わった? 何事も無かったからいいものの……まったく、ユーリも気がついてたなら考えて喧嘩してくれるかしら? 』
ルナに言われてリンは自分達がいかに目立つ事をしていたか気がつき慌てたのだがーー
『ユーリがリンくんを殴り飛ばした辺りで気配は完全に消えたわよ』
ルナは心底呆れた様子でそう言った。
「「ごめんなさい」」
リンとユーリは申し訳ないやら恥ずかしいやらでルナに頭を下げた。
二人は気がついていなかったが、ルナは二人が揉めている間も周囲を警戒し、セーラを守れる位置で待機していた。
『仲直りしたの?』
黙って様子を見ていたセーラがおずおずと二人に近づいた。
その表情は不安の色がありありと見て取れた。
そんなセーラの様子を見て、リンとユーリはますます申し訳ない気持ちで一杯になる。
「本当にごめんね、もう大丈夫! すっかり仲直りしたよ! ね?」
「ああ、悪かったな。 もう大丈夫だ」
リンと遊里はセーラの前にしゃがみ込み、目線を合わせて笑いかけた。
『うん、良かった』
ようやく安心したのか、セーラが少しだけ表情を明るくしてくれた事に二人は安堵した。
「あのー……」
そんなやりとりをしているリン達に唐突に声がかけられた。
リンが反射的に遊里とセーラを抱え、声の主から距離を取るべくその場から一瞬で飛び退いた。
「え? あ、あの……」
「誰だ?」
リンは声の主を鋭く睨みつけた。
声の主は年の頃で言えば中学生くらいのまだ幼さが残った少年だった。
「すす、すみません! さっきこれを預かったのですが……」
少年はリンの視線にたじろぎながらも両手で何かを差し出した。
リンはその様子に警戒を解くと両脇に抱えた二人を下ろし、少年の差し出したものを受け取った。
「……悪かったな、ありがとう」
リンが受け取ったもの、それは簡素な封筒だった。
「これは……この手紙を君に渡したのはどんな人だった?」
「えーっと、真っ黒なローブを着ていて顔はよく見えませんでした。 でも声は男の人だったと思います」
リンが「ありがとう」と言うと、少年は首を横に振って人混みへと消えていった。
「さて、この手紙らしきもの……どうしたらものかな」
リンはヒラヒラと封筒を扇いだ。
『開けてみるしかないんじゃない? そのまま捨てるって選択肢があるなら別だけど』
「遊里はどう思う? ってどうした?」
遊里は先程リンが下ろした体勢のまま固まっていた。
「遊里?」
「っは!」
リンが遊里の顔を覗き込むと弾かれた様に立ち上がった。
その顔は薄っすら赤く見える。
「〜〜〜〜っっ! 凛はもう少しデリカシーを覚えた方がいいよ!」
突然そんな事を言ったかと思うとプイッとそっぽを向いてしまった。
先程の様に殴られたりはしないが、どうやらまた怒らせてしまったようだった。
「あー……まぁとりあえず開けてみるか」
リンはそう言って封筒を開き中の手紙に目を落とす。
そこにはこう書かれていた。
『国へ帰れ、さもなくば
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