第82話 一連托生

 手紙を読んだリンは自分を落ちつかせる様に大きく息を吸い込んだ。

 思わず衝動に任せて動きたくなるところをなんとか理性で押さえ込んだのだ。


「なんて書いてあるの?」


 何も言わないリンにルナが横から手紙を覗き込んだ。

 まだ文字が読めない遊里は不穏な空気に緊張した表情を浮かべている。


「ちょっと……これって!」


 内容を見たルナはリンと同じく意味を理解したのか焦った様に叫んだ。


「ね、ねぇ! なんて書いてあるの?」


 状況が掴めない遊里は思わず口を開いた。

 セーラも不安げな表情を浮かべている。

 そんな二人に構っていられないといった様子でルナはリンに詰め寄った。


「ずいぶん落ち着いてるわね、この内容から考えればおそらくウェインは――」

「分かってる!」


 ルナの言葉を遮る様にリンは叫んだ。

 ルナの言う通り、その可能性は極めて高いとリン自身理解している。

 だが、ここで慌てて動く訳にはいかなかった。


 リンは遊里とセーラを見た。

 二人ともリンが叫んだ事に驚いているのか、何も言えずに固まっていた。


「分かってる……だが、この手紙が罠の可能性もある以上安易に動く訳にはいかないだろ」


 わざわざこんな手紙をよこす以上、相手側に何らかの狙いがあるのは間違いない。

 額面通り受け取れば、これ以上の詮索や邪魔はされたくないという事だが、そうでなかった場合のリスクを考えない訳にはいかなかった。


「くそっ!!」


 思わず悪態をついてしまう。

 このままウェインを放っておく訳にはいかない。

 すぐにでも探しだしたいが、遊里とセーラを危険にさらす訳にもいかなかった。


(クソッ、どうする……どこか安全なところに隠れてもらうべきか……だがどこに? そもそも、それすらも相手にバレてしまえば返って危険だ……だからと言って一緒に行動する事が安全とも言い切れない……)


 考えが纏まらず、次第に焦りが出始めたその時、『バチンッ』とリンの頬に衝撃が走った。


「凛!」


 そこにはリンの頬を両手で打ち、真剣な表情で見つめる遊里が映った。


「とりあえず落ち着いて、何があったか教えて! 私には手紙の内容が読めないけどなんか不味い事になってるんでしょ?」


 突然の事に思わず言葉を失ったリンだったが、その言葉で少しだけ冷静さを取り戻すことが出来た。

 そして同時に先ほど遊里に言われた事を思い出す。


(また怒らせるところだったな)


 リンは頭をガシガシと掻くと、遊里達に手紙の内容を伝えた。


「!! それってまさか――」


 当然、遊里も同じ考えに至ったのか顔を青くした。

 セーラも手紙の意味を理解したのか、遊里の服を怯えた表情を見せた。


「まだそうと決まった訳じゃない、だから直ぐにでも探しに行きたいんだが――」

「罠かもしれない、そういう事でしょ?」


 リンは少しだけ驚きながらも無言で頷いた。

 それを見た遊里は小さくため息を吐いた。


「はぁ……それでそんな顔してたんだ、どうせ私たちの事が心配で動くに動けなかったんでしょ?」


 図星を突かれて何も言えなくなってしまう。


「心配してくれるのは嬉しいよ? だけど今はウェインさんの方が重要だよ、とにかく探しに行こう」


 それだけ言って、来た道を戻り始めた遊里をリンは慌てて肩を掴んで止めた。


「ちょっと待て!」

「待たない!」


 遊里はそう叫ぶとリンの手を振り払い、不機嫌そうな表情を浮かべた。


「ウェインさんと凛がどんな関係なのか私は知らないけど、少なくとも凛を慕ってくれてるのは分かる。 そんな人が危険な状況でのんびり考えてる暇なんかないよ!」


 そう叫んだ遊里にリンが思わず言い返そうとしたが――


「二人ともちょっと落ち着きなさい!」


 見かねたようにルナが二人の間に割って入った。


「ユーリのいう事も分かるわ、でもリンくんが慎重になるのも当然の事よ。 ユーリ貴女ここから先の相手が人だって事分かってる? 魔物だってそうだけど集団っていうのは危険なのよ、ましてやそれが知能を持った相手なの、戦闘になれば相手を気遣ってる余裕なんてないかもしれない」


 それは暗に人を手にかける事になるかもしれないという事だった。


 遊里もそれは理解していた。

 だが、改めてそう言われてしまうと心が揺らいだ。

 人と戦う、それは場合によっては命の奪い合いになるのだ。


「それは……」


 遊里は思わず唇を噛んだ。

 覚悟はしていたはずだった。


 この世界で生きる事を決め、戦う為に武器を取った時から――


 生きる為に依頼で初めて魔物をその手にかけた時は震えが止まらなかった。


 夜、宿のベッドの中で小さく丸まって泣き続けた。

 未だに、ふとした時に自分が命を奪っているという事実、そしてそれに慣れつつあることにどうしようもない恐怖を感じる事もある。


「そんな様子じゃ無理ね、でもそれでいいと思うわ」


「今はね」ルナはそう小さな声で付け加えた。

 その言葉が遊里の耳に届いたかは分からないが、既に遊里はその場から動けなくなっていた。


 その様子を見たルナは続けてリンに視線を向けた。

 その視線は鋭く突き刺すような冷たいものだった。

 リンはその視線の意味を理解している。

『貴方も同じよ』そう言っているのだ。


 その視線にリンは何も答えず、ただ視線を逸らすだけだった。


「ふぅ……やれやれね」


 ルナは呆れたようにため息を吐くが、追及する事なく話を前に進めた。


「まぁ、のんびりしている時間も無いわね、私がユーリ達に付くわ。 リンくんならですぐに見つけられるでしょ? 見つけたら結果がどうあれまずは一旦合流、ヤバかったら絶対に逃げなさい、私たちは宿で待機するわ」


「分かった」


 現状考えうる最善の手だろう事はリンも理解していた。

 それでもなお、不安はあったのだがこれ以上悩んでいる暇はないとリンも理解していたので、おとなしくルナの提案に乗ることにした。


 すぐにマップを利用し、ウェインを探し始めるた。


「ちょっと待って! 凛一人で行かせるなんて――」

「いいから、言うことを聞きなさい! 貴女が行ったところで邪魔になるだけよ! それにこれ以上議論してる暇は無いわ!」


 遊里の言葉をルナは強い口調で遮ると、強烈な威圧感を放った。

 常人ならばそれだけで失神しかねない程のプレッシャーに遊里は無意識に膝が震える。


「ルナ、そのくらいにしてやってくれ。 それに街の人にも迷惑だぞ」


 よく見れば、往来のど真ん中で辺り構わず威圧感を放った為、辺りには腰を抜かした者や泣き叫ぶ子供の姿があった。


「そうね、悪かったわ」


 ルナはそう言ってすぐに元の空気に戻る。

 プレッシャーから解放された遊里はその場に立っていられず、膝から崩れ落ちた。

 可哀想な事に遊里の近くにいたセーラは既に真っ青になりながら目に涙を浮かべ、ガタガタと震えていた。


「見つけたぞ! 俺は行くから後は頼んだぞルナ」


 言うが早いかリンは駆け出した。

 その背中をルナは無言で見送ると、少しだけ気まずそうに遊里達に声をかけた。


「脅かして悪かったわ、でもこの際だからはっきり言っておくわ。 リンくんと貴女達じゃ実力に差がありすぎるの、邪魔にしかならないわ」


 ルナは内心、少しだけ可哀想な気もした。

 だが、出会った頃のリンの様に実力に見合わない無茶をすればそれこそ命がいくつあっても足りない。

 リンが特殊過ぎるだけなのだ。


 ルナにとって大切なのはリンだけだ。

 だが、そのリンが大切に思っている相手を助ける事に悪い気はしない。


 それ以上にルナ自身が遊里やセーラ、ウェインを気に入っているのだ。


 だからこそ、リンと一緒に行動したい気持ちを抑え、自分が遊里達を守り、ウェインをリンに任せたのだ。

 厳しい言葉も遊里達の身を案じての事だった。


(リンくんの幼馴染か……冷静な様に見えて向こう見ずな所とかそっくりじゃない)


 そう思うと思わず笑ってしまいそうになった。

 ルナの雰囲気が柔らかくなった事でようやく落ち着いた二人は立ち上がる事が出来た。


「さ、宿に戻るわよ」


 ルナに促され、遊里達は宿へのは道を歩く。

 ルナは周囲を警戒しつつ、遊里はいつでもセーラを庇える様に慎重に移動していた。


 宿を視界に捉え、もう着く、そう思い少しだけ気持ちに余裕が出た次の瞬間、遊里の背中に冷や汗が噴き出した。


 ここまで、一度もおかしな気配は無かった。

 尾行も監視も無いと言える。

 それは今も変わらない、このままなんの問題も無く、宿にたどり着くだろう。


 だから、その冷や汗は全く別の所からくるものだった。


 強烈に噴き出す予感――


 それは遊里の持つ異能故か、確信にも近い最悪の予感だった。


「ルナ!」


 遊里が叫び声を上げる。

 気がついてしまったのだ。


 手紙の目的が罠に誘いこむ事でも、警告でもない別の可能性に――


 その目的から意識を逸らす為のものだと言う事に――


「どうしたのよ?」


 切迫詰まった様子の遊里を見たルナは一瞬で周囲に警戒を広げた。


 だが、遊里の口から飛び出したのはリンもルナも予想出来なかった別の可能性だった。

 遊里が感じた予感を聞いたルナは思わず苦虫を噛んだ様な唸り声をあげた。


  ――――――


 その頃、目立つ事も構わず、屋根から屋根を飛ぶように移動し、たどり着いたのは薄暗い路地裏だった。

 入り組んだ路地と遮蔽物が多く、待ち伏せには絶好の場所だった。


 リンは最大限警戒しながら、徐々にマップが示す場所に歩を進めた。


 そして次の路地を曲がれば目的の場所にたどり着いくというところで、僅かに感じたのは人の気配だった。


 警戒を緩めず、ゆっくりと路地の先を覗き込むと――


「!! ウェインさん!」


 そこには一人血塗れで倒れるウェインの姿があった。

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