第69話 異世界転移、二人目

 従兄の幼馴染が突然失踪してすでに一週間が経っていた。


 普段からまったくと言っていいほど向こうから連絡してくる事はないが、こちらからの連絡には必ず返事が返ってくる。

 それが今回に限っては数日経っても音沙汰なし。


 可能性を心配したお父さんが警察連絡して、色々調べたが目撃情報一つ無し。

 しかも自宅にはスマホ、財布やキャッシュカードなども残されており、自発的な失踪も考えづらい。


 だが、以前とは違いもう彼を狙うような奴はいないはずなのだ。

 そんな事をすればどんな目に合うか、一番わかっているはずなのだ。


 だから私はそこまで心配していないし、お父さんも心配している様子は無い。

 むしろ、のではないか? と心配している様だ。


「はぁ、連絡の一つくらい寄こしなさいよ…」


 私は主の居なくなった部屋で独り言をこぼした。


 ここ最近では、学校の帰りに彼の家に寄るのがすっかり日課になりつつある。

 別に心配はしていないけど、帰ってきたら真っ先に文句を言ってやるつもりだ。

 他にも言いたい事はたくさんある。

 前から部屋の整理をするよう言っているのに、相変わらず本は出しっぱなしだし、洗濯は溜め混んでいる。

 食事だって、自炊しないから家に食べに来るよう言っているのに、いつも何かと理由をつけて来ないくせに冷蔵庫は空っぽでゴミ箱にはコンビニ弁当のゴミばかり。


 私が片付けてあげても良かったけれど、何となく――

 本当に何となく、彼の痕跡が消えてしまう気がしてする気が起きなかった。


 彼が好きで私に勧めてくれたライトノベルを手に取り、ページを捲る。

 つい先日までは、たまに遊びに来た時に読む程度だったから、半年かけても三冊くらいしか読めなかったのにここ数日は一日一冊読めてしまう。


「……ホントに、どこいっちゃたんだか」


 自分でも気が付かないうちに、そう呟いていた。


 腰かけていたベッドに倒れこむと、連日の寝不足がたたってか急激に眠気が押し寄せてくる。

 あんまり遅くなると、家族に心配をかけるかもしれないと思いつつも眠気には抗えず、枕へと顔を埋めた。

 ほんのりと香る彼の匂いに少しだけ安心を覚え、意識はそのまま白に染まっていった。


 ―――――――――――――


「…ん」


 ゆっくりと意識が浮上してくる。

 徐々に意識がはっきりしてくるにつれ、まぶたに強い光を感じた。

 自分がうっかり眠りに落ちていたことを自覚すると、慌てて身体を起こした。


「やっちゃったぁ…今何時だーー え??」


 目の前に広がる光景に言葉を失った。

 一面に広がる草原と遠くに見える山々ーー


 眠りに落ちるまでは間違いなく凛の部屋にいたはずだった。


 だが、目を覚ませば見覚えの無い大自然のど真ん中だった。


 だが、私はこういった現象を知っている。


「異世界転移……って! そんな訳ないでしょ!」


 思わず自分で自分にツッコミを入れてしまう程度には混乱していた。

 いくらなんでもアニメや小説じゃあるまいし、異世界に飛んできました、なんていくらなんでも奇想天外にも程がある。


 だが、夢だと笑い飛ばす事が出来ない程の現実味が頭の中にチラついていた。


「…夢、じゃないよね、ホント何がどうなってるのよ…」


 夢だと笑い飛ばす事も出来ず、現実だと受け入れるのも抵抗がある。


 だから私はここが何処なのかはっきりさせる為に動く事を決めた。

 勘を頼りに歩き出す。

 不思議な事に、なんとなくそれでいい気がした。


 一時間ほどだろうか、ひたすら歩き続ける私の視界に小さな建物の様なものが見えた。

 まだかなり遠くにうっすら見えるだけだが、それまでの景色とは明らかに違う、人工的な気配を感じる。


 ようやく見つけたこの場所のヒントに私は思わず走り出してしまう。


 だが、そこでふと違和感を感じた。

 生来運動は得意な方だと自負しているし、脚の速さや体力にはそこそこ自信がある。


 だが、それにしてもおかしいのだ。


 景色が今まで感じた事がない程の速度で流れていく。

 ここまで慣れない野道を一時間も歩きっぱなしだったはずなのに息が全く上がらない。


 夢のような、どこかフワフワした感じも無く、この時点で私は馬鹿な考えだとは知りつつも、ここが異世界なのだとなんとなく認めてしまった。


「あはは…」


 自然と苦笑が溢れる、だが次の瞬間には自分では分からないが満面の笑みを浮かべていたと思う。


 だってーーー


「凛もこの世界にいる気がする」


 なんとなくなのに、確信が持てる。


 連絡も無く失踪して帰って来ない。

 人格は結構歪んでいるけど、身内には基本的に気を使う凛がそんな事をするはずが無いと思っていた。

 だが、私と同じように突然この世界に来てしまったのなら辻褄が合うのだ。


 馬鹿馬鹿しいにも程があるが、納得出来てしまう。


 こんな非現実的な事も実体験を伴えば信じるしかない。

 私は凛と違って現実なんていつでも想像以上の事が起きるものだと思っている。


 その方が人生は楽しいと思う。


 だけど時と場合って大切、この世界が異世界だからって、生き物がいるのは遠慮したい。


 視界の向こうを走る生物。

 体長3メートルはありそうな巨体に赤黒い肌。

 丸太のような手足に、棍棒と言うには大きく太すぎる無骨な巨木を振り回している。


 幸いなのは標的が私ではない事。

 不幸なのは、追い回されているのが小学生くらいの背格好をした子供だと言う事。


 放っておけば、あっという間にぺしゃんこにされてしまうだろう。


 見殺しにする訳にはいかない。


 でも戦う術を持たない私に出来ることなど一つしか無かった。


「もう! 私、ゲームはイージーモードしかやらないのに!」


 いきなりのハードモードに誰にでも無く悪態を吐くと全力で駆け出した。


 なんとかあの化け物の気を引かなければ、と思ったのだが化け物が眼前に迫ったところで事態が悪化した。


 子供が転んだ。


「嘘ぉ!」


 思わず上げてしまった声に化け物が一瞬こちらを見たが、標的が私に移る事は無く、目の前の化け物が腕を振り上げる。


 そこから先は考えて取った行動では無かった。

 咄嗟に倒れている子供を抱えて無我夢中で走った。


 どれくらい走ったか分からないまま、気がつくと背後に追いかけてくる影は見られなかった。


「っはあああ〜…」


 思い出したように大きく息を吐き出すと、一気に疲労感が襲ってくる。

 それもそのはず、必死に逃げている間に、目指していた人工物のすぐ近くにまで来ていたのだから。

 恐らく数キロ、下手をすればそれ以上の距離を全力疾走したのだから、疲れて当然だった。

 むしろ、普通に考えれば絶対不可能な事だが、そこはファンタジーな世界だし、お約束的な力が宿ったのだと勝手に納得した。


 それにしてもーー

 私は思わず目の前にそびえる巨大な壁を見上げた。

 高さにすればビル3階建程の壁が視界の端から端まで続いている。


 呆然と見上げる私だったが、右腕に抱えていた子供がモゾモゾと動き、ようやくその存在を思い出した。


「あ! ごめんね、苦しかった?」


 慌ててその子を地面に座らせると、そこで初めて正面から顔を見ることになった。


 綺麗な腰まで伸びたエメラルド色の長い髪に、クリクリとした瞳、幼い表情ながらもどこか不思議な雰囲気の女の子だった。


 しかし、なにより目を引いたのはその特徴的な耳だった。

 長い髪に隠れる事なくピンっと立った耳はファンタジーではお馴染みのーーー


「えーっと…あれね、いわゆるエルフってやつね!」


 これが相馬遊里のエデン最初の出会いだった。

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