第36話 孤独
時は少し遡る、公爵家に囚われたアリスは公爵と対峙していた。
「叔父様、貴方の目的はなんなのですか?」
リン達が追い出され、一人残されたアリスは、そうはっきりと問いかけた。
本来であればその質問は無意味だった。
王家を裏切ってなにをしたいのか?
そんな質問に正直に答えるはずなどない。
だが、今のアリスは結末が決まっているようなものだ。
ならば真実が聞けるかもしれない、そう思ったアリスは愚直なまでにストレートな質問をぶつけた。
「目的ですか? それはもちろん王女様の安全を……」
「そんな見え透いた建前など聞きたい訳ではありません、真実が知りたいのです。 なぜ国を、実の兄であるお父様を裏切ったのかが知りたいのです!」
それはある意味愚かな質問だろう。
真実を知ったところで今のアリスに出来る事などなにもない。
だが、アリスは公爵が国を売った理由をどうしても知りたかった。
「…………ふん! 世間知らずな小娘だと思っていたが、なるほど、そのぐらいは察していたか」
先ほどまでの態度を一変させた公爵が見下したような視線をアリスに向けた。
「理由か……そんなもの聞いてなにになる? どうせ貴様はもうすぐ死ぬんだ、そんな相手にわざわざ説明してやる必要などあるまい」
死ぬ
そうはっきりと言われた事にアリスの心臓が跳ねる。
リンが襲われた状況から、黒幕の正体はほぼ確信していた。
その上で公爵の元を訪れる事に決めたのも、これ以上リンを巻き込みたくない一心からだった。
公爵がこの戦争の仕掛け人だとすれば、仮にドールへ救援を求めても、確実に妨害が入る。
最終的にドールは動くだろうが、時間がかかるのは確定だった。
だが、今の王国にその時間を稼ぐだけの力は無い。
そうなればセントアメリアの敗戦は明白だった。
だからこそ、せめてリンだけは助けたかった。
そしてその為に公爵の元を訪れると決めた時点でこうなることは覚悟していた。
これ以上リンを巻き込む訳にはいかないという使命感のようなもののお陰で押し殺していられた恐怖が一気にアリスの心を支配する。
それは瞬く間に身体をも支配する。
「なんだ、いまさら恐ろしくなったか、やはり所詮は小娘か、先ほどまでの威勢はどこにいったのだ? まぁいい、王都に移送後、兄ともども処刑されるまでせいぜい震えて待つんだな」
公爵はそう言って、高笑いを上げながら部屋から出て行った。
一人、部屋に取り残されたアリスは力無くその場に崩れ落ちるしかなかった。
――――――――
部屋に取り残されてから数時間、アリスは呆然と天井を眺めている事しか出来なかった。
自分の弱さに打ちひしがれ、ただただ絶望した。
それと同時にひたすらに孤独を感じていた。
これまでの人生、王族として育てられ、外に出ることや人と会う事が極端に少なかった為、親しい知人や友人などいなかった。
それでも孤独を感じたことは一度もなかった。
父や母は優しく、愛情を注いでくれていたからだ。
だが、今回の戦争の影響で始めて一人で外の世界に出た結果、リンやルナ、シンと出会った。
それはアリスにとってとても新鮮で刺激的な体験だった。
それ故に、
「こんなに悲しい気持ちになるものなのね……」
孤独と絶望がアリスにのしかかってきた。
「その悲しみも間もなく終わる」
その声にアリスは背筋が凍るような感覚に襲われた。
何故なら誰もいないはずの
「誰っ?!」
とっさに振り返ると、そこには真っ黒なローブに身を包んだ何者かが、いつのまにかそこに立っていた。
そしてなんの前触れもなくアリスの意識は闇に閉ざされた。
――――――――――
豪華な装飾が施され、一つあればしばらくは遊んで暮らせるほどの価値を持つ装飾品が所狭しと並べられた部屋。
その部屋の主人であるルフィア公爵は卑しい笑みを浮かべていた。
「これで……これでようやく手に入る、私がこの国の王になるのだ……ふひ、ふふふふ」
既に王の座を手に入れたと喜び、興奮を抑えられない様子で、ただひたすらに笑いをこぼしていた。
そして公爵は一つの報告を待っていた。
その報告をもって、いよいよ計画は結実する。
今か今かと待ちわび、落ち着かない様子の公爵の耳に遂にその知らせをもたらす音が耳に届いた。
控えめに叩かれた私室の扉、その音に公爵は満面の笑みでノックへと返事をする。
「入れ!」
その言葉に静かに開かれる扉。
そこには漆黒のローブに身を包んだ男が部屋へと入ってくる。
目深に被ったフードでその表情は窺い知れず、知らないものが見れば不審者そのものだったが、その姿を確認した公爵はこれ以上ない程に喜びをあらわにした。
「おおおおお! 待っていたぞ! 首尾はどうだ! いや、貴様がここにいる事が何よりの答えか! ご苦労だったな!」
失敗する事など考えていない。
自分の思い通りに事が運んだと信じて疑わない傲慢な笑み。
その様子を見たローブの男が小さく呟いた。
「醜悪だな……」
その言葉は公爵の耳へと確かに届いた。
「なんだと? 貴様っ! 今なんと言った!」
それまで浮かべていた笑みを怒りに形相に変え、顔を真っ赤に染めた公爵が叫んだ。
「醜悪と言ったんだ。 分を弁えぬ、愚かな豚よ」
その言葉に、血管が切れるのではないかという程に顔を真っ赤に染めた公爵が怒りの形相で叫んだ。
「き、貴様ぁ! 誰に口を聞いているつもりだ! 誰のお陰で……」
だがその言葉は最後まで続かなかった。
いつのまにか公爵の背後に立ったローブの男が握った剣に胸を貫かれ、肺から空気がこぼれる。
ヒューヒューと声にならない声が公爵の口からもれる。
遅れて自分の置かれた状況に気がついた公爵が背後に立つ男へと視線を向ける。
目深に被ったフード、その奥の瞳と目が合った。
フードの男の瞳には先ほどまでの怒りが消え、恐怖に支配された公爵の瞳が映っていた。
「貴様こそ勘違いするな、貴様ごときが我らが帝国と手を結ぶなどありえん。 貴様など精々利用する程度の価値しかない」
そう言って握っていた剣を離すと、公爵はそのまま部屋の床に倒れる。
朦朧とする意識の中、公爵の耳に届く言葉。
「殺すな、と命を受けているのでな、貴様が欲したこの国の最後を見届けるのだな」
その言葉を最後に男は虚空へと消えた。
――――――――――
目を覚ますとそこは暗闇だった。
一瞬、自分は死んだのではないかと錯覚する程に濃い闇に包まれていた。
だが、意識が覚醒するにつれ、まだ生きているのだと実感した。
その理由は経験したことのない、鼻をつく異臭だった。
吐き気を催すその臭いにアリスは口元を押さえた。
必死にこみ上げるものを堪える。
なんとか耐えきったアリスはあらためて、周りの様子を伺う。
しかし、自分の姿すら見えない程に深い闇があるだけだった。
先ほど感じた孤独が再びアリスの心を支配しそうになる。
その事に強い恐怖を感じつつ、アリスは恐る恐る闇へと呼びかける。
「誰か……誰かいないのですか?」
その声は闇に吸い込まれてしまうのではないか?
自分は一人きりで、ずっとこのまま孤独なのではないか?
そんな風に感じてしまうアリスだったが、そんなことはなかった。
「その声は、アリスか! アリスなのか?!」
アリスにとって、聞き慣れた声であり、セントアメリアに暮らす者なら誰しもが一度は聞いた事のある声だった。
「?! お父様? お父様なのですか?」
「おお! アリス! 無事であったか!」
その声は確かに国王である父の声だった。
そしてもう一人、
「本当にアリスなのですか?! 怪我はありませんか?」
それは母の声だった。
「お母様! 私は大丈夫です。 お父様とお母様も怪我はありませんか?」
「大丈夫だ、捕まる時に多少の怪我はしたが、かすり傷程度のもので問題ない」
その言葉にアリスは胸をなでおろした。
そして、それと同時にあちこちから声が掛けられる。
「姫様! ご無事でしたか!」
「王女様!」
「ああっ! 姫様!」
それはどれも馴染みのある声ばかりだった。
「皆さん、私は大丈夫です。 ご心配お掛けしました」
囚われの身である事は誰もがわかっていたが、誰もその事は口にしなかった。
ただ、その無事を喜んだ。
だが、そのそれも束の間だった。
姿は見えないが、その場にいた者が口々に喜びの声を上げる中、突然、痛みを感じる程の光が差し込んだ。
思わず目を閉じてしまったが、うっすらと目を開けると、そこが地下牢だとそこでようやくアリスは理解した。
そして、ようやく目が慣れてきたところで地下牢に声が響いた。
「なにやら騒がしい様だが、それまでだ、これより貴様らの処刑が執り行われる」
その声は無慈悲に死刑宣告を告げた。
――――――――――
王都の中心にある広場、そこに並べられた
広場を取り囲む様に帝国の兵が並び、その外から国民が声を上げていた。
空に輝く二つの日は間もなく登りきり、処刑執行の正午を告げようとしていた。
「皆、力無い王で本当にすまない」
真っ直ぐに正面を向いたまま、磔にされた者達聞こえる声で国王が声をかけた。
「いえ、私は陛下に仕えられた事を誇りに思います」
そう、真っ先に答えたのはセントアメリア王国騎士団団長であるルークだった。
ルークの言葉に次々と磔にされた者達が声を上げる。
「私もです」
「感謝しています」
「陛下は最高の国王です」
その言葉は誰もが国王を賞賛するものだった。
「皆、感謝する」
国王はそれだけ言うと横にいた妻である妃へと声をかけた。
「お前にも世話になった。 ありがとう」
「なにを言いますか、私こそ感謝しています。 願わくば来世でもまた貴方に出会いたいものです」
そう言って笑みを浮かべた。
「そうか……そうだな……」
そう言って国王がアリスへと声をかけようとした時、広場に正午を告げる鐘が鳴り響いた。
「これより処刑を執行する!」
広場に帝国兵の声が響き渡った。
広場を囲む帝国兵の外からは国民の怒号が響き、どこからか、未だ抵抗を続ける騎士団の剣戟の音が響いてくる。
その様子をアリスはどこか遠くから眺める様な心境だった。
今まさに死が訪れるという時に、アリスの中ではこの数日の出来事が走馬灯の様に駆け巡っていた。
その多くはリンとルナとの思い出だった。
本当に短い時間ではあったが、アリスにとってこの数日はかけがえのないものだったのだと、あらためて実感した。
そしてその事実に知らず知らずに涙がこぼれた。
(リン、ルナ、どうか無事で)
帝国兵が眼前に並ぶ――
まもなく自分たちに無数の魔法が放たれ、処刑される事になる――
アリスは目を閉じた。
最後は思い出と共に死にたいと、そう思った。
だが、その時、リンとの別れ際の言葉が思い出された。
『絶対に助けてやる、待ってろ』
力強く、決意に満ちた言葉だった。
しかし、それが今際の際にいたアリスの胸に突き刺さる。
諦めた筈の、生への思い。
死にたくない――
そう、思ってしまった。
『死にたくない! 助けて……っ!』
思わず心が叫び声を上げた。
『当たり前だ!!』
それは幻聴だろうか、頭に響いた声。
アリスは思わず目を開いた。
眼前には今にも魔法を放とうとする帝国兵。
アリスは無意識に空を見上げた。
その瞳に映ったのは、空から真っ直ぐに落ちてくる
その
舞い上がる土煙と共に、白銀に輝く竜を駆る青年が降り立っていた。
「ごめん、待たせた」
リンはそう言ってアリスに笑みを向けた。
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