第32話 覚悟

 飛び込んできた騎士の口から出た言葉は大事を知らせる内容だったにも関わらず、部屋にいた全員が一人として口を開けずにいた。

 しかし、部屋の中で一人だけ冷静だった者がいた。


「それで? 公爵様はご無事なのですか?」


 シンだった。

 やはりと言うべきか、引退した身とは言え元Sランク冒険者らしい冷静沈着な様を見てライズが咳払いと共に口を開いた。


「それで、どうなのだ? 公爵様はご無事か?」


 その内容はたった今シンが聞いた内容だったが、直属の上司に問われ、報告にきた騎士がハッとして再び口を開いた。


「し、失礼しました! 公爵様は重症ですが一命を取り止めました。 しかし、現在も意識は戻らず、専属の騎士団が厳重に警護しています」


「わかった、それともう一つ、一体何処の誰が公爵を襲撃したのかわかっているのか?」


 公爵が襲われた事実は驚きだが、ライズの言う通り襲撃者の正体はかなり重要な事だった。

 しかし、その答えは騎士の表情を見た瞬間部屋の全員が理解できてしまった。


「不明です……現在、騎士団が総力を上げて襲撃者を捜索していますが、手がかりすらない状況です。 申し訳ありません」


 そう言って報告にきた騎士が頭を下げた。


「いや、君が悪い訳ではない、私達もすぐに騎士団本部に戻る、君は引き続き調査を続けてくれたまえ」


 ライズがそう言うと、報告にきた騎士は再び敬礼するとすぐに去っていた。


「申し訳ありませんが、そう言う事ですので今日のところは失礼させていただきます。 明日改めてお邪魔させていただきます。 それとこの件については、念の為口外無用でお願いしたい」


 そう言ってライズは立ち上がると足早に立ち去ろうとした。

 だが、部屋を出る直前でリンに向き直ると、


「リン殿、今回の件は我々が巻き込んだ様なものです。 本当に申し訳なく思っています」


 何度目になるか、ライズは頭を下げた。

 しかし、続く言葉は謝罪の言葉では無かった。


「リン殿、先ほどの覚悟の言葉、我々としては真と受け止めています。 今後は是が非でも協力を仰ぐ事になるでしょう。 もとより、ドラゴンの草原より生きて戻る程の実力の持ち主と聞き、力を借りたいと思い会いに来ました」


 ライズの言葉にリンは無言で頷いた。


「正式な依頼内容は改めてギルドを通し、指名依頼という形を取らせて頂きます。 恐らく、その内容は国家間の戦争の渦中へと飛び込むものとなるでしょう。 本来であればきちんと実力を見定め、その力量に合った内容を依頼したかったのですが、それも難しい状況になってしまいました。 しかし、どうかよろしくお願いします」


 そう言ってライズは再び背を向けた。

 そして、ギリギリ聞き取れる様な小さな声で


「この戦争は、恐らく負け戦でしょう……多くの騎士や国民が死に、国も…… ですから仮に、依頼した冒険者が途中で消えても、誰も探しませんし気がつかないでしょう」


 それだけ呟くと、振り返る事なく、ライズとクリスは部屋を後にした。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ライズ達が帰った後、部屋には沈黙が流れた。

 ライズの最期の言葉、その意味が分からないリンでは無い。

 しかし、その言葉はあまりにも重たかった。

 最初は本当にリンに助力を求めていたのだろう。

 しかし、それは公爵が襲撃され、意識不明の重症を負った時点で大きく事情が変わってしまった。

 ライズは恐らくだが、公爵を捕らえ、その策略を潰す事で、帝国との戦争を回避するつもりだったのだろう。

 だが、公爵は何者かに殺されかけた。

 否、何者かなど考える必要は無い、十中八九帝国によるものだろう。

 状況的に考えて、それ以外の可能性はあまりにも低い。

 となれば、最早戦争を回避する方法など無いと考えるべきだった。

 なにしろ、帝国は公爵を切ったのだ。

 それはすなわち、帝国がセントアメリアを支配するつもりに他ならない。

 その事実にライズも行き着いたのだろう。

 そして騎士団の団長が覚悟を決めると言う事は、それだけ帝国との戦力差は圧倒的なのだろう。


 だからこそあの言葉が出たのだ。


「…………」


「リン様、一つよろしいですか?」


 いつの間に入れたのか新しいお茶を入れたカップを目の前に差し出した。


「私も現役時代、幾度と無く死を覚悟する事態に遭遇しました。 実際に仲間を失った事もあります。 ですが、私は今こうして生きています。 何故だかお分かりになりますかな?」


 リンは少し考えて、


「ありきたりかも知れませんが、諦めなかったからですか?」


 そう答えた。

 しかし、シンは首を横に振った。


「正しい様で、違います。 私は覚悟を決めていたのです」


「覚悟、ですか?」


 その言葉にリンは死を覚悟していたのだと感じた。

 だが、


「そうです、覚悟です。 ですが、死を覚悟したのではありません」


 シンは見透かしたかの様にリンの答えを否定した。


「私の覚悟ーーそれは、死ぬまで諦めずに生き抜く覚悟です」


 その言葉を発したシンの表情に何故か圧倒された。

 理由など無い、ただ圧倒的な何かにリンは気後れしてしまった。


「リン様は先ほど、殿下を助けると言いましたな、その覚悟はどれほどのものですか? ライズ様の言葉に揺れてしまう程度のものですかな?」


 その言葉には確かな叱責を含んでいた。


「覚悟とは! そんな甘いものではありません!」


 その言葉と共に、気がつけばリンは部屋の隅まで吹き飛ばされていた。


『ちょ! ちょっと! シン! 貴方何をっ……』


 慌てて飛び出したルナがその身を凍りつかせた。

 それは余りにも明確な敵意、殺気と言ってもいいだろう。

 シンから発せられたその気は呼吸すら忘れさせる程の暴力的な気配をまき散らした。

 リンは腹部に感じる激痛に奥歯を噛み締める。

 噛み締めたはずだった。

 だが、噛み締めたはずの口からカタカタと音が漏れる。

 激痛で動けないと思ってた。

 だが動けないのは痛みが原因では無い。

 恐怖、絶対的な恐怖だった。

 ドラゴンの女王を前にしても感じられなかった程の、絶望的なまでの死の恐怖を目の前のシンから感じてしまったのだ。


「折れてしまいましたかな? この程度で折れる覚悟など、覚悟ではありません。 違うと言うのなら私程度の老人など切り捨ててしまいなさい!」


 シンの姿が消える、リンは反射的に頭を下げた。

 同時に横にあったベッドが吹き飛ぶ、リンは転がる様にその場から離れる。

 しかし、直後に背後からの衝撃で吹き飛ばされた。


「どうしましたか、私程度を止めらずして、どうして殿下が救えますか、武器を取りなさい。 私は例え己一人となろうとも生き抜く覚悟を持って生きて来ました。 己の身しか守れない程度の覚悟しか出来なかったのです。 貴方は己だけで無く、他者をも救いたいのでしょう。 ならば私程度踏み越えて行きなさい!」


 ーーーその言葉に、何故か涙があふれた。

 シンの言葉から感じた思い、それは悲しみと後悔だった。

 理由など分からない。

 だが確信してしまうほどに、突き刺さる思いが込められた言葉だった。

 恥ずかしかった。

 シンを元Sランクの冒険者という肩書きでしか見ていなかった事が。

 その歩んで来た道がどれほど壮絶なものかなど考えた事など微塵も無かった。

 救えなかった事や失った事が無いはずがない。

 それでも目の前のこの人は今日まで生きて来たんだ。

 絶望や悲しみ、あらゆる経験をして、それでも冒険者として覚悟を持って生きて来たからこそのSランクという称号なのだ。

 そんな人を前に自分はなんて薄っぺらい覚悟をひけらかしてきたんだろうか。

 自分の過去や矜持など、この人の足元にも及ばないだろうにーーー


 シンが静かにリンへと近づく。

 その様子をルナは見ている事しか出来なかった。

 ルナはそれが、悔しくてたまらなかった。

 ルナもまた、リンと同じく己の覚悟を恥じていた。


(3000年も、私は何をしていたの……っ)


 シンよりもはるかに長い時を生きてきた。

 生きてきただけだと思い知らされた。


「どうしました? もし、本当に心が折れてしまったのならば今すぐ逃げてしまいなさい、今なら誰も貴方を責めません。 いずれ貴方も……」


 そこまで言ってシンは言葉を止めた。

 話しかけた相手の様子が変わった事に気がついた。


「……はは、ははは」


 笑っていたのだ。


 その様子にシンは内心驚いた。

 手加減はした、だが死なない程度の加減であり、リンに対してぶつけた殺気に加減などしていなかった。

 だが、笑っているのだ。

 自棄や諦めなどからくる笑いでは無い事はすぐに分かった。

 リンが顔を上げた。

 やはりそこにあったのは笑顔だった。

 ルナもその様子に気がついたのだろう、慌てたように、


『ちょっとリンくん! おかしくなっちゃった?!』


 だがシンはその笑顔に覚えがあった。

 若かりし頃に見た笑顔か、否、自分にも経験がある、そんな笑顔だった。


「シンさん、すみませんでした。 俺にはまだ覚悟なんて出来ませんでした」


 そう言ってリンが立ち上がる。

 そして一歩踏み出す。


「でも、吹っ切れました。 すみません、やっぱり俺はアリスを助けたいです」


 ゆっくりと、一歩づつシンへと近づいていく。

 ダメージが残っているのか、その足取りは遅い。

 だが、確実に、真っ直ぐにシンを見つめるその瞳に先ほどまでの恐怖は無かった。


「でも俺ワガママですから、困ってる人とか大切な人は全員助けたいです。 だからシンさんを踏み越えるなんて出来ません」


 シンが始めて会った時の様な柔らかい笑みを浮かべた。


「シンさんの言う覚悟は出来ませんでしたけど、これが俺の精一杯の想いです」


「そうですか、でも今はそれでいいんです」


 シンはそう言ってリンに一歩近づいた。

 リンは最後の一歩に全力を込め、己の想いを拳に込めて振りかぶる。

 シンは避ける素振りを見せない。

 だが、リンもそんなシンに遠慮などしない。

 全力で想いの込めた拳をシンに叩き込んだ。


「いい一撃でした。 リン様の想い、しかと届きました」


 そう言って力尽き、倒れこんできたリンを優しく受け止めた。

 そんなシンにリンは思う。


(クソ、本気で殴ったのに、全然効いてないか……)


 そんな事を思いながら、リンは意識を手放した。

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