第22話 女王様の授業
沈黙が部屋を支配していた。
リンは先ほどから何度も声を掛けようとして、その度に言葉を飲み込むという事を繰り返していた。
当のアリスは俯いたまま一言も発しない。
リンがルナに助けを求めるよにその姿を探す。
しかし、既に飽きたのか相棒はソファで眠っていた。
どうしたものかと頭を悩ませていると、
「……リン」
突然声を掛けられて思わず身体が跳ねる。
「女性の部屋に入る時はノックをするという常識も無い世界から来たのですか?」
「いや、ノックはしました、よ?」
思わず声が上ずってしまう。
顔を上げたアリスは貼り付けた様な笑顔だった。
「ふ、ふふふ……リン、貴方には文字の前にマナーを教えてあげる必要があるようですね」
リンにはその笑顔がドラゴンの女王より恐ろしかった。
その後日が暮れるまで自分の奴隷にお説教されるというなんとも情けない目に合うのだった。
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「驚きました、 城の食事より美味しいです」
宿のコックが聞いたら泣いて喜びそうな事を言う。
「それにしても、ルナと言いましたか、随分とお行儀の良い子ですね」
確かにルナはその小さい身体を器用に使って食事を取る。
テーブルを汚したりはしない。
「え、ええ……ルナはこう見えて賢いんですよ」
『ちょっとリンくん! こう見えてってどう言う意味よ!』
リンの話す言葉はアリスにもルナにも通じる、以前気がついた事だったが、うっかりしていた。
リンがルナにフォローを入れようと思ったら、アリスが驚いた表情で、
「え? 今なにか頭の中で声の様なものが聞こえた様な気が…」
「え?!」
リンはまさかと思ったが、
『え? どうしたの?』
「また聞こえました!」
どうやら間違いない様だった。
「ルナ、どうやらアリスにもルナの
リンはどうせ聞こえるならと、あえて声に出す。
『え?! 嘘でしょ! 私の
「な、な、なんですかコレ! リン! これはルナの声なのですか?!」
「そうです、ルナの声で間違いありません。 何を言っているか分かりますか?」
アリスが首を横に振った。
「ルナ……どうやら、
『またって言うな! でも不思議ね、もしかしたらその子、
ルナ曰く、ごく稀に他者の強い思念を受け取ってしまう者がいるらしい、アリスもそういった特異体質なのではないか? という事だ。
そんな説明をルナから聞いている間も、アリスには理解出来ない声が聞こえている様で、耳を抑えて涙目になっていた。
「あーっと、王女様、驚いたかもしれませんが、俺とルナは普段他の人に聞こえない様に、
「そう、なのですか……私には理解出来ない言葉ですが、何語なのですか?」
「ルナが言うには竜語というそうです」
「竜語?! ルナは竜なのですか?!」
竜語というのが正しいか分からなかったが、どうやら通じた様だった。
その後、なぜ竜と一緒にいるのか、どうしてリンが竜語を理解しているのか、など色々と聞かれたので、不死の能力など非常識なスキルの事は伏せ、説明した。
説明を聞いたアリスが何事か考え、そして提案してくる。
「リンに文字を教えると同時にルナにエデン語を教えてみたいのですが、どうでしょう?」
少し驚いたが、ルナに伝えると意外にもルナは乗り気だった。
その後、3人で会話をしながら食事を取った。
会話と言ってもルナとアリスは直接話す事はできないので、リンが通訳の様な事をする羽目になってしまい、ゆっくりと食事が取れなかったリンだった。
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「ではそろそろ夜も更けてきましたし、寝ましょうか?」
正確な時間は分からないが、体感的にはそろそろ深夜に差し掛かろうかという時間で眠気が来始めたリンが提案する。
するとアリスが急に動揺し始めた。
「え? えーっと、その……まだちょっと……」
まだ眠く無いのか? と思ったリンだったが、直後のアリスの言葉で間違いだとわかった。
「私、その、
一瞬なにを言っているのかと思ったリンだったが、すぐに日中の事件を思い出し、慌てて否定する。
「ち、違います! ほら! 王女様はそっちのベッドを使って下さい! 俺はこっちのベッドを使いますから!」
そもそもがツインの部屋なので一緒のベッドで寝る理由が無い。
いや、無い事も無いが、女性経験の無いリンにそんな事をする勇気は無かった。
「あ、そうなのですか?」
若干残念そうにしている気がするが、きっと気のせいだと自分に言い聞かせる。
しかし何故かアリスが食い下がる。
「リ、リンは知らないかもしれませんが、私は貴方の奴隷なので
ほんのりと頬を染めて上目遣いで言われ、思わずリンは心臓が跳ねた。
しかし、その雰囲気を察したルナがリンの腕の中に自ら収まる。
「あ、俺はほら! ルナが一緒に寝るから」
『ふん! リンくんは私と寝るから貴方はそっちで
お互いの言葉は通じない。
通じないはずなのだが、
「何故でしょうか……今物凄く失礼な事を言われた気がします。 リン今ルナはなんと言ったのですか?」
先ほどまでの甘い空気はどこに行ったのか、今では冷たい空気が流れている。
『ピンク王女とリンくんを一緒に寝かせる訳ないでしょ、リンくんは私と寝るのよ』
「どうしてかしら? 何故かルナに激しい怒りを覚えるのですが……リンは私では無く、ルナと寝たいのですか?」
遂にはアリスの矛先がリンに向けられる。
「いや! ほら! 王女様と同じベッドなんて、そんな恐れ多いですし、ベッドもシングルサイズで狭いですし」
その言葉を聞いたアリスの額に青筋が浮かんだ。
「アリスと呼んで下さいと申し上げましたよね? では明日以降はダブルベッドを用意させましょう。 それなら問題無いですね?」
遂には明日は同じベッドで寝る事になってしまった。
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翌日、朝から何処と無く不機嫌なアリスと共に朝食を取り、その後文字を教えてもらう事になった。
その頃になるとアリスは機嫌を取り戻し、リンは内心かなりホッとしていた。
肝心のエデン語に関しても、教えてもらって分かったが、文字自体は違うものの、考え方としてはローマ字の様に複数の文字の組み合わせだと分かった。
理解してしまえば簡単なもので、午前中だけでもかなり読める様になってきた。
書くのはまだ難しいが、読むだけならば時間を掛ければおおよそ理解は出来るまでになった。
驚いたのはルナだった。
午前中の短い時間で既にかなりエデンの言葉を理解し、話すまでになっていた。
ルナが言うには一応昔勉強したので、完全にゼロからでは無かったかららしい、それにして凄い理解力だった。
『えーっと……ムッツリ王女、で良いのね』
「よくありません! なんですかその呼び方!」
昨夜以来二人の仲は最悪だった。
途中まではリンが都度仲裁に入っていたのだが、最悪と言っても剣呑な雰囲気とも違い、なんというかケンカするほど仲がいい、といった感じなので、途中からは放っておく事にした。
日も登り正午になろうかという時間で部屋がノックされた。
「リン様、キース様の使いの方が見えられました」
リンはそういえば昨日そんな話になっていた事を思い出す。
少し考えてキースの所へ行く事にした。
アリスの話だと、いずれ王女を探しに来た者が接触してくる可能性が高い、事前に話を通しておく必要があるだろうと考えての事だった。
「アリス、俺は少し出てくる、昨日話した商人のところだ。 念の為、部屋で待機しててくれ」
文字を教えてもらい、ルナとの仲裁をしているうちに大分慣れたのか今ではアリス相手に遠慮は無くなっていた。
「そうですね、その方がいいでしょう。 待っている間にルナとはきっちり話を付けておきます」
なんの話をつけるんだ、と思ったが追求はしない。
わざわざ地雷を踏むことは無いだろうと考え、ルナには留守番を頼む。
置いて行かれる事に若干の不満を漏らしていたが、了承してくれた。
そうして話がまとまった所でキースの使いと共にキースの待つ店へと馬車で向かった。
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「連日お呼び立てしてすみません。 奴隷の売却に関する契約を早めに済ませておきたくて、本当に申し訳ありません」
キースは最初にそう言って頭をさげた。
「いや、昨日はこちらの都合で切り上げてしまったし、むしろ謝るのは俺の方です。 それに
そう言って、キースへ暗に人払いを頼むと、キースは直ぐに察してくれたのか、
「ふむ……君、飲み物はいいからしばらく外してくれ、私が呼ぶまで決して部屋へは近づかないでくれ。 もちろん近く者がいないよう配慮しておいてくれ」
待機していた部下の人は返事だけしてすぐに退室してくれた。
「この部屋は商談などでも利用するので、音が漏れない様になっていますし、盗聴対策もされています。 安心してください」
そう言って、すぐに聞く体制を整えてくれた。
「すまない、実は昨日の奴隷にかんしてなんだが……」
キースにアリスの正体を明かす事は事前に了承を得ている。
絶対他言無用と念を押し、事情を説明した。
「そういう事なんだ、キースを巻き込んでしまって本当に申し訳ないが、使いの者が現れる可能性を考えれば教えておかない訳にはいかなかった」
「そんな事言わないで下さい、むしろ巻き込んでしまったのはこちらの方です。 しかし、まさかアリス王女ですか」
キースの話では、アリスは普段滅多に表に顔を出すことが無く、王都に住んでいる者でもほとんど見たことのある者はいないらしい。
なんでも次期女王と言われており、暗殺などのリスクを極力減らすのが理由らしい。
とは言え貴族であれば知っている者も多いらしい。
「わかりました、もしアリス王女を探しに来た者がいれば、リンさんの名前だけ伝える様にします」
これはリンが提案したものだった。
万が一にでもキースへ危険が及ぶのを避ける為だった。
その後は、奴隷の売却の件をまとめ、もう一人の商人が持っていた荷物に関しても、キースへ一任した。
キース曰く、全ては売却せずに、貴重な物があれば保管しておいてくれるそうだ。
一通り話がまとまった所で、宿へ戻る事にした。
キースに礼を言って帰ろうとすると、
「そういえば、ギルドへはもう行かれましたか?」
「いや、まだですね」
昨日からの騒ぎですっかり忘れていた。
「でしたら御者に案内するよう伝えておきますので、帰りに寄って行かれるとよろしいでしょう。 さほど時間も取られませんし、なによりギルドの登録は早い方がいい」
確かにギルドでやっておきたい事もあったので好意に甘える事にした。
改めてお礼を言ってキースの店を後にした。
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