第20話 アリス・アメリア王女

 結局、クリスに文字が書けない事を正直に告げると、「そうですか、まぁ当然ですよね、では代筆させていただきます」と言って、代わりに書いてくれた。


 その後はあっさりと街の中に入る事が出来た、その際に「明日にでもこの書類を持ってギルドに行くといいでしょう、ギルドに登録すれば今後は煩わしい手続きの必要も無くなりますよ」と教えてくれた。


 騎士の人にキースの言っていた清風館の場所を聞いて街を歩く中で、リンは気がついた。

 文字が読めないのだ、街中いたるところに見たことの無い文字が踊る、リンはその事実に愕然とした。

 スキルのお陰で言葉は通じるので、街の人に聞きながら、なんとか清風館に辿りつき、入り口を見つけた時には思わず安堵の息を漏らしてしまった。


「ようこそ清風館へ、お一人様でよろしいですか?」


 中に入るとすぐに従業員らしき人物が声を掛けてきたのでキースの紹介である事を告げる。


「お話は伺っております、お部屋にご案内致しますのでこちらへどうぞ」


 すぐに部屋へと案内してくれた。

 改めて内装に目をやると、上品ながら高級感があり、一目で高級宿とわかる。

 案内された部屋は最上階の角部屋だった。

 部屋の内装も派手すぎず、かと言って高級感は損なわない部屋だった。


「改めまして、ようこそ清風館へ、私は当館の支配人でシンと申します。 今後ともよろしくお願い致します」


 シンと名乗る人物はそう言って会釈する、その動きは洗練された動きであり、高級宿に相応しいものだった。


「キース様よりお話は伺っております。 お困りの際には何なりとお申し付け下さい。 お食事は通常二階にございますレストランにて提供させていただいておりますが、本日はお部屋に運ぶよう申しつかっております。 お食事はすぐにご用意してもよろしいでしょうか?」


 食事と聞いて、思い出したかの様に空腹感を感じたのでお願いする。

 シンは「それでは少々お待ちください」と言って部屋を出て行った。

 部屋に自分とルナだけとなると、リンは盛大なため息を漏らす。


「まいったなぁ……本当にうっかりしていたよ」


『文字の事?』


 ルナの声にリンは答える


「ああ、しかし困ったな。 覚えようにも流石に簡単に覚えられるものでも無いだろうし、せめて読める様にならないと今後絶対困るよ」


 リンにしてみれば知らない土地で文字が読めないという事は相当な問題だった。

 しかしルナは、


『別に気にしなくても、ゆっくり覚えたらいいじゃない、言葉は通じるんだし、最悪必要になれば誰かに聞けばいいわ』


 などと言って、大して問題視していないようだった。


「そういう訳にもいかないだろ、常にそばに誰かいるとは限らない訳だし、その時になって困っても遅いだろ」


 そういう可能性を考えると、とても楽観視はできなかった。

 

『うーん……そんなに心配なら明日キースに相談してみたら?』


 なるほどその手があったか、と思っていると部屋をノックする音が響き、扉の向こうから声を掛けられた。


「失礼致します。 お食事をお持ちしました」


 ノックの主はシンだった。

 リンが扉を開けると、シンがカートの様な物に料理を乗せて立っていた。

 シンは一度会釈するとそのまま部屋の中のテーブルへ手際よく料理を並べてくれた。


「お食事が済みましたらご用命いただければ片付けに参ります。 すぐにおやすみになりたいようでしたら、そのままにしていただいても構いませんし、こちらにお済みの食器をのせ廊下にだしておいて頂ければお下げします」


 気を使ってくれたのか、そんな事を言ってくれた。

 

「それとキース様よりご伝言でございます。 明日の正午に使いを出すので、都合が良ければ私の店まで来て欲しい。 との事でしす。 明日は使いの方が見えるまでお声掛けは控えさせていただきますので、不都合等ございましたらお声がけ下さい、ご希望でしたら朝食もご用意致します。 それでは私は失礼致します。 ごゆっくりおやすみ下さい」


 そう言って最後まで優雅な所作を崩さずに退室していった。


 その後は運ばれて来た料理をルナと楽しむ。

 料理はそのどれもが非常に美味しく、久しぶりの暖かい料理だった。

 用意された料理は二人分あり、キースの心遣いを感じるもので、そんなキースの心遣いにルナは『へんな気を使わなくてもいいのに』と言っていたが、その声には嬉しさが滲んでいた。


 食事の後は疲れもあったのか、すぐに眠気に襲われ、食器は廊下に出してベッドに横になった。

 数日ぶりのベッドに感動し、野営の時と同じようにルナを抱きかかえてベッドに潜り込む。

 ルナは最初こそ抵抗していたが、すぐに大人しくしてくれた。

 リンはルナが大人しくなると、すぐに眠りに落ちた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 翌日リンは部屋をノックする音で目覚めた。

 外をみれば既に日は登り切ろうかという時間だった。


「キース様の使いで参りました。 ご都合がよろしければご案内させていただきますが、いかがでしょうか?」


 結局、キースの使いを待たせる事になっていまう程寝過ごしてしまったリンは若干の気まずさの中使いの馬車でキースの店へ向かうこととなった。


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 案内されたのは応接室の様だった。

 部屋の椅子に座っていたキースは立ち上がり、リン達に声を掛けた。


「ようこそいらっしゃいました。 昨夜はゆっくり眠れましたか?


「ええ、おかげさまで、あれほどの高級宿俺には勿体ないくらいです。 それに料理も二人分用意してもらって、ルナも喜んでました。」


 その言葉は半分本心だった。

 昨夜は不慣れな事もあってか、宿の雰囲気に恐縮してしまっていた。


「とんでもない、あの宿はルフィアで一番人気の宿なんですが、非常に良心的な価格で料理も美味いと評判なんですよ、私も懇意にさせていただいています。 もし気に入っていただけたのなら是非今後とも利用していただけたらと思います」


 なるほどとリンは納得してしまった。

 キースからすると自分に宿を提供しつつ今後に繋がる客を紹介した事で自分と宿に貸しを作ったという訳だ。

 その上そんな事を言われてしまえば、今後リンの宿は決まったも同然だった。

 流石は商人と感心すらしてしまう。


「それではリンさん早速本題に入りましょう。 まずは報酬の件ですが、私とグラスさんでそれぞれ金貨20枚ずつお支払いします。これはギルドで決定された金額で、こちらはギルドからの書類です」


 そう言ってキースが小袋と書類のような物を渡してきた。


「そちらの書類はギルドの決定通知書です。 不正が無いように渡されるんですよ」


 渡された書類を開くとそこにはやはり理解出来ない文字の羅列だった。


「あ、ああ……」


「なにか不都合でもありましたか?」


 キースが若干不安げな表情を浮かべてる


「いや……実はだな……」


 どちらにしても相談するつもりだったので正直に文字が読めない事をキースに相談した。


「なるほど、それは私も迂闊でした。 当たり前の様に言葉が通じるので……でしたらいい方法がありますよ」


 そう言ってキースは驚きの提案をしてきた。


「昨日お話しした奴隷の件は覚えていますか? リンさんが現在所有権を持つ奴隷は7人おります。 その中から一人リンさんの奴隷として主従契約を結べば良いのです」


 その提案はリンにとって寝耳に水だった。

 当然、断ろうと思ったリンだがその言葉を遮る様にキースが続ける。


「リンさんが奴隷に忌避感を持っている事は分かっています。 ですが昨日お話しした通り、このエデンでは奴隷は切っても切れない存在です。 実際商人の家庭では学のある奴隷を購入し子供の教育を始め身の回りの世話を任せる事も珍しくはありません」


 なるほど確かに言われてみれば人を雇うより効率的な方法だった。


「リンさんの実力であれば、今後ギルドで冒険者として活動すれば奴隷の維持は簡単にできるでしょう、下手に人を雇って学ぶより効率もいいですし、こう言っては失礼ですが、エデンの常識を学ぶにも良いでしょう」


 正直、確かにとてもいい案だと思えた。

 文字を始め、この世界の事を教えてもらえる存在が常に近くにいてくれるのはリンにとって助けになるのは間違い無かったからだ。


「そして、運良く今回リンさんが所有権を持つ奴隷の中にその条件を満たすであろう者が一人おりました。 商人の家の出で、読み書きを始め、学に優れ、魔法の素養も高い様です。 また見目麗しいので夜伽をまかせるのもいいでしょう」


「よ、夜伽って! 俺はそんな事……」


 女性経験の無いリンには少々刺激の強い話題も出たが、それを置いても確かに魅力的な話だった。


「ではこう考えたらどうでしょうか? 奴隷は本人かその主人が公表しない限り、滅多にバレる事はありません、ですのでルナさんと同じようにパートナーとしてお側に置けば良いのです。 要はリンさんの考え方一つなのですよ」


 もはやリンに断る言葉は出てこなかった。

 キースの言う通り、奴隷としてではなく、パートナーとしてなら抵抗感が少ないと感じたのが大きかった。

 それでも念の為聞いておきたい事があった。


「万が一、どうしても一緒にいる事が出来なくなった場合はどうすればいい?」


「そうですね、その場合は奴隷ギルドに税金を収める事で奴隷を解放する事が出来ます」


 税金を収めると言うのには驚いたが、キースが言うには奴隷を使った犯罪の防止なのだそうだ。


「そうか、ならキースの言う通りにしてみるよ。 最悪の場合は解放すればいいしな」


「わかりました、では奴隷を連れて参りますので、少々お待ちください」


 そう言ってキースは部屋を出ていった。


『リンくん? キースと何の話してたの?』


 言葉がわからないルナは不思議そうに聞いてきたので、キースとの話を掻い摘んで伝える。

 するとルナはあっさりと、


『それはいい方法ね、私も賛成』


 と言ってくれた。


『悪かったな、相談もせずに話を進めて』


『別に気にしなくていいわよ』


 と言って気にした様子が無かった事にリンは安心した。

 そんな話をしているとキースが一人の女性を連れて戻ってきた。

 キースが連れている相手を見て、ルナが、

『え、女の子なの……』

 と言っていたが、リンがその言葉を、[女の子を心配して出た言葉]だと思ったのがリンの異性関係の貧弱さを物語っていた。


「では早速、主従契約を行います。 リンさん、こちらに来てください」


 キースに促され女性奴隷の前に立つ、その時初めて彼女の顔を正面から見た。


 彼女は一言で言えばとても可愛い女性だった。

 年の頃は15、6だろう、奴隷として売られたからだろうか、身なりは汚れていたが、それを差し引いても、幼さを残しつつも整った顔立ちをしており、出るところは出ていて、男ウケしそうな見た目だった。

 一瞬リンの頭にキースの夜伽という言葉が過るがそれも無理が無い程度の美しさだった。


 しかしリンには一つ気になる事があった。

 彼女の目は光を捉えていない様だった。

 それどころか耳も聞こえていない様で、こちらの会話に一切の反応がない。

 ただどこか怯えた様子にリンの良心が鈍い痛みを訴えた。


「彼女は目が見えないのか?」


 気になったリンは思い切ってキースに聞いてみる事にした。

 しかしキースの答えはリンの想像とは大きく異なっていた。


「いえいえ、これは仮契約の奴隷が逃走するのを防ぐ為のものですよ」


 キースが言うには奴隷は買い手が見つかるまで、奴隷同士集団で生活する。

 すると逃走などのリスクが高くなる為、管理しやすい様に視力と聴力、声や運動能力を封印するらしい。

 しかし本契約と呼ばれる主従契約を結べば自動的に解除されるそうだ。


「なので彼女は今は何も聞こえませんし、見えません。 しかしこの後すぐに回復しますので安心してください、ただ本契約直後は気絶してしまう事がほとんどなので今日は契約が終わり次第すぐに宿に連れ帰るといいでしょう」


 キースはそう言って部下に外で馬車を待機させる様指示を出してくれた。


「なにからなにまで申し訳ないな」


 リンはキースに感謝を伝える


「とんでもない、これくらいリンさんに受けた恩を考えれば安い物ですよ」


 そう言ってキースは笑ってくれた。


「だがその恩は今日きちんと金貨20枚で清算してもらった。 なら、対等な立場だろ? キースさんが昨日教えてくれた事だよ」


「確かにそうですね、では残りの奴隷を売却した際の分け前を増やしていただければそれで結構ですよ」


 キースはそう言ってくれたが、先ほどの話を聞くかぎり恐らく彼女以上に高く売れる奴隷はいないのだろう、そう考えると、先の宿といいキースには借りが増える一方だな、とリンは思った。


「さて、小話はこのぐらいにして本契約を済ませてしまいましょう。 と言っても、難しい事はありません。 リンさん彼女の首に付いた首輪に手をかざして下さい。 それで自動的にリンさんが主人として登録されます。 契約が完了すると直後に彼女は気を失うと思いますので、怪我をしないよう支えてあげて下さい」


 キースに言われるがままに彼女の首に巻かれた首輪に両手をかざす。

 すると首輪が赤い光を放った。

 数秒後赤い光が弱まると、首輪が外れた。

 直後に彼女が崩れ落ちそうになるのをリンは慌てて支えた。

 そのままでいる訳にもいかず、彼女を抱え込む様に持ち上げる。


「これで契約は完了です。 お疲れ様でした。 外に馬車を待機させています、それで宿まで送らせましょう」


 キースに案内され、馬車に乗りこむ、キースが言うには1時間ほどで目を覚ますそうだ。

 そのままキースに礼を言い、馬車で清風館に戻った。


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 清風館に戻ったリンを出迎えたのはシンだった。

 部屋を借りたいと伝えると、すぐに部屋へと案内してくれる。

 その際にさりげなく他の客の目に触れない様、配慮してくれたのは流石の一言だった。


 部屋に案内され、すぐに彼女をベッドに寝かせる。

 シンがさりげなく沐浴の用意をしてくれていた、本当に流石である。


 ちなみにルナは何故かずっと無言だった。

 若干不機嫌に見えたのは気のせいだろう。


 リンはそのままベッドに横になると知らぬ間に眠りに落ちていた。


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「あ、あの! 起きて下さい!」


 突然耳元で声をかけられたリンは驚いて飛び起きる。


(しまった……寝ちゃったのか)


 自分の迂闊さに頭が痛くなった。


「あの! 聞こえてますか?」


 聞き覚えの無い声に驚いて声の方向を見るとそこには、先ほど契約をした彼女が目を覚まし、こちらを見ていた。


「ああ、ごめん、聞こえてるよ、目が覚めたんだよかった」


「私は気絶していたのですか?」


 どうやら状況が分からないらしい、とはいえ、視覚と聴覚を封印されていたのだから無理もないだろうと思う。


「ああ、気絶していたよ、多分1、2時間程度だと思うよ」


 まずは徐々に説明した方が良いと考えたリンだったが、直後の彼女の発言でその考えは吹き飛んだ。


「ここはどこですか? 私は亡命に成功したのですか?」


「え? 亡命? え? 君は奴隷として売られたんじゃないのか?」


 話が噛み合わない事に無性に嫌な予感がした。


「そうです、国外へと脱出を試みたのですが、失敗したのでしょうか? ところで貴方は……」


「俺はリン、君は一体……」


 リンの中の何かが警鐘を鳴らす。


「私はアリス、セントアメリア王国第1王女 アリス・アメリアです」


 リンはこの世界にきて初めて、全力で元の世界に戻りたい逃げたいと思った。

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