第69話 混迷の中で
前代未聞の非常事態が発生した魔道研究所は物々しい雰囲気に包まれていた。施設の前には警察車両だけでなく、軍用車両も止まっており、厳重に立ち入りが制限されている。
緊急招集が掛けられはハウンド小隊員は事件の中心地となった研究室へと立ち入る。
「アナタも悪運が強いというか、よくもまぁ生き残れましたわね。他の警備兵などは無惨に殺されているというのに」
先陣を歩く舞は、研究室内で頭部に包帯を巻いている人物に声をかける。その人物とは中原に相違なく、この事態を引き起こした張本人だ。
「自分でも幸運の持ち主と思いますね。生きていれば挽回のチャンスもあるというものです」
「ふざけたことを……アナタ方のせいでビューリカが蘇ったと聞きましたわ」
「予測不能の事で……我々の考えではミリアという天使族の体に新しい命を吹き込み、当方の戦力として運用するつもりであったんですよ。完全なコントロール下に置くことで、高山唯のような不安定さの無い天使族となるハズでした」
「そんな安易な考えで行動する愚かさを反省する機能はアナタには無いようですわね?」
「どうとでも言ってくださいよ。天使族を生み出すメカニズムを解析することで人類を救おうとした我々を誰が責められるというんです?」
「少なくともわたくし達にはありますわ。あのビューリカを倒すのに、どれほどの苦労があったかを知らないアナタこそ天使族に触れる資格などありませんわ」
舞は丁寧に言葉を紡いでいるように見えるが、実際には殺気に満ち溢れている。彼女の友人である唯や彩奈が、絶望を乗り越えて討伐した敵を復活させられたとなれば当然だろう。
「しかし、あの枝の中に意識を潜ませていたとは……やはり天使族とは脅威的です。高山唯の処置についても考慮する時が来ていると思いませんか?」
「いい加減に黙って頂きますわ。このわたくし、新田舞は案外我慢弱いところがありまして、特に大切にしているモノを傷つけられて怒気を抑えられることはできません」
「まあいいでしょう。さて、もう一つ悪いニュースがありますが、聞きますか?」
「……どうせ聞かなければならないのでしょう?」
「この研究所では魔女エリュアの解析も行っていたんですよ。あの魔女から様々な魔族に関するデータを得ようとね……で、脱走したビューリカはエリュアを救出して共に逃亡したようですよ」
「……」
もはや言葉にすらならない。舞はため息をつくこともなく瞼を閉じ、額に手を当てた。
「もう結構ですわ。あとは、わたくし達で対処します。アナタ方は金輪際何もしないでくださいな」
冷徹に吐き捨て、舞は仲間のもとへと戻る。唯達は中原の話を聞きながらも、ビューリカ復活の舞台となった研究室内を捜索していた。
「ビューリカに繋がる手がかりは無いね。どこに逃げたのかさえ分からないんじゃ、追撃しようが……」
ビューリカが寝かされていた台の上を観察していた唯は舞にそう呟き、不安そうに眉を下げている。それも仕方ないことで、前の戦いで唯はビューリカに殺されかけたのだ。もう一度交戦したとして、生き残れるとは思えなかった。
「ヤツが行動を起こすのを待つしかないかもしれませんわ。エリュアという魔女を配下に置いたのであれば、何かしらのアクションを起こして人類へ逆襲を始めるはずですし」
自らを負かした人類に対し、ビューリカもエリュアも憎しみを抱いている。これは逆恨みでしかないのだが、生き物の負の感情とは理不尽なものだ。
「まったく、魔道管理局は人の足を引っ張ることしかしませんわね。この研究所も閉鎖に追い込まれればいいのですが……現実には難しいでしょうね」
「こんな不祥事を起こしたのに?」
「今は魔物との戦時下にあり、情報統制がなされていますわ。となれば、この事態も公表されることはなく、一般には何も知らされません。つまり、研究所の失態は無かったこととなる……」
「おかしいね」
「仕方ないと割り切りたくありませんわよね。少なくとも、わたくしは許しませんわ」
唯は舞に同調して頷きつつも、頭の中は宿敵の行方で一杯であった。
「後で神宮司さん麾下の魔道保安庁調査隊が到着しますわ。その方達に引き継いだら、わたくし達は引き揚げることにしましょう。いつ戦闘招集が発令されるか分かりませんし、休んでおくのも重要ですわ」
「そしたら彩奈と一緒にマンションに帰ってもいいかな?」
「是非そうしてくださいな」
ニッコリとして答え、唯が彩奈に駆け寄る姿を見て舞は多少心が安らぐ。こんな地獄のような世界の中で、心の繋がった二人の尊さを見守るのが数少ない楽しみであるのだ。
魔道研究所から帰還したハウンド小隊は待機となったが、実際にはプライベートの時間となっていた。彼女達は特例権限の与えられた遊撃隊であり、待機室で待つ義務はない。本来であれば命令に備えるのが待機なのだが、舞の手配で瞬時に迎えを送ることも可能なので出撃時間までには間に合わせることが出来るという理由もある。
そこで唯と彩奈は寮として用意されているマンションへと帰り、一息ついてダークカラーのスーツを脱ぐ。
「しかし、よりにもよってビューリカとはね……アイツは危険な敵だよ」
「そうね。私にとっても、かなりムカつく相手よ。だって私の唯を傷つけたんですもの」
彩奈は唯のワイシャツのボタンを外し、露わになったお腹に指を這わせる。富嶽頂上の一対一の戦いで、唯は腹部を刃で刺し貫かれて瀕死に陥ったのだ。
だが、今はもう傷は無い。サリアの治癒術によって傷口は綺麗に消滅しており、滑らかで美しい皮膚が広がっている。
「私を傷つけていいのは彩奈だけだもんね?」
「そうよ。その首筋に、まるで吸血姫のように噛みついて歯形を残すなんてのもアリね」
「いいかも。彩奈の所有物ですっていう証明みたいにさ……考えただけでも興奮してきた」
唯は淫靡な目つきで彩奈を見つめる。他の誰にも見せない、その淫らな表情が彩奈は好きだった。
「むしろ私が彩奈に傷をつけちゃうかも」
「別に構わないわよ。唯にならば、何をされてもいいわ」
「そうやって私を本気にさせちゃっていいの? 冗談じゃ済まないかも」
「攻めに回った唯は激しいものね。基本はドMなのに、急にドSになるものね」
「両極端だ、私。よく彩奈は付き合ってくれているね?」
唯は彩奈を抱き寄せる。全身で彩奈を感じ、その甘美なにおいを肺一杯まで吸い込んだ。
「まだシャワーも浴びてないから臭くないかしら?」
「ううん。めっちゃイイにおい……ずっとこうしていたい」
「ふふ、ありがたいけれど、続きは体を洗った後にね?」
「分かった。じゃあ一緒に」
唯と彩奈は浴室へと共に向かい、一切の衣服を脱ぎ去る。生まれたままの姿でも、もうお互いに恥ずかしがることなどない。既に数年という時を過ごし、濃厚に交わってきた二人には裸など普通なのだ。
「えへへ、じゃあ私が彩奈のコト洗ってあげるね」
「そう? って素手?」
「任せなさいな。昔の人はボディタオルなんて使っていなかったと古事記にも書いてある、らしい」
唯はボディソープを両手につけて擦り、泡をたてる。
「さて、まずは背中からですな」
そして、彩奈の背面から泡まみれの手を密着させた。ひんやりとした感触に彩奈はビクッと身を震わせる。
「かゆいトコがあったら言ってね」
「全身と言ったら、くまなく洗われてしまうのかしら…?」
「そりゃ勿論。徹底的に、全部をね」
唯の手が彩奈の脇腹を通り、身体の前面へと移る。細い指先が下腹部をくすぐった。
「さあ、私からは逃れられないよ。覚悟してね?」
「お手柔らかに…とはいかないわね」
「天国にも昇るような極楽体験をさせてあげる」
身を預ける彩奈は唯の巧みに動く指を受け入れ、まさに極楽を味わうような時間を過ごすのであった。
唯達が現実逃避とも言えるイチャイチャを繰り広げている中、裏世界において二つの影が蠢く。その一つはミリアの姿をしたビューリカで、裏世界という初めての舞台に心を躍らせているようだった。
「ほう…これが裏世界というものか。表の世界と酷似しているが、独特の空気感というものがある」
「ビューリカさんは裏世界は初めてなのですか? アナタは天使族なのでしょう?」
そして、従者のようにエリュアが付き従っていた。魔女である彼女は魔族の中でも地位が高いのだが、まずは生存することが重要なのでビューリカを頼ることにしたのだ。
「俗にいう天使族のカテゴリーではあるが、裏世界に馴染みがあるというものではない。この特異な空間は、この惑星にのみ出現しているものだろう」
裏世界がどのように形成されたのかは不明で、それこそ旧文明時代のイザコザの中で生まれたという説もある。どちらにせよ、表世界の人間族と裏世界の魔族は永い時の間戦争を続けてきたのだ。
「逃げ道として有効であるのは間違いない。感謝しているぞ、エリュア。貴様が裏世界を教えてくれなければ厄介なことになっていた」
「いえいえ。助けてもらった恩は返そうと思ってですよ。人間共の実験台にされるのはコリゴリでしたから……でも、何故アナタは私を助けたのです?」
「貴様には独特な魔力の雰囲気を感じた。それを私の逃亡に利用できないかと考えたためだ。囮にするとかな」
「納得です……」
ビューリカは他者を道具として使うことに躊躇いはない。そのため、エリュアを用いて自分に有利な状況を作り出せないかと考えて手助けをしたのだった。
「ですが天使族のアナタがいるのは心強い。これで憎き人類への報復も可能となるでしょう」
「しかし我々だけではな。人員も兵器も足りん」
「イロイロと私にアテがあります。以前、私は魔人とも手を組んでいたことがありまして…ですが、今は行方知らずとなっているので、まずは人類から兵器を奪うことを考えましょう」
「ほう。貴様は人類の兵器にも詳しいのか?」
「私は他の魔族とは違います。前は魔道戦艦に乗って移動していましたし」
魔道戦艦に乗って悠遊と他者を見下していた時を思い出してエリュアは懐かしそうな顔をしている。あの時は忠実な部下もいたものだが、唯に惨殺された挙句に自身も囚われの身となってしまったのだ。
「一つ疑問なのだが、貴様達魔族にはそれほど高い工業力があるのか? 魔道戦艦だって簡単には運用できまい?」
「普通、魔族は兵器など使いません。でも私は違う。特別な力を備えていたのですよ」
「それはどのような?」
「物を修繕する力です。魔力を用いるこの術は、魔具でも兵器でも直すことが出来るんですよ。あまり大きな物は直すのに時間がかかりますが。で、発見した魔道戦艦を私が直して使っていたってわけです。多分アレは滅亡した昔の天使族の遺物だったんでしょうな」
「ふむ。リペアスキルというものか。その物体修復能力は治癒術に匹敵する希少な力だ」
「この力はリペアスキルと呼称されるものなのですか。ほうほう、一つ勉強になりました」
感心するようにエリュアは自分の手を眺めている。そのリペアスキルと呼ばれる力は、これからの対人類との戦争でも活躍するのは確かだ。
「では、早速行動するとしよう。そして、いずれはユイとかいう天使族を私が叩き潰し、この星を完全に手に入れてみせる」
ミリアという他者の器に魂を移しつつも、野心と闘志を燃やすビューリカ。
彼女の復讐は、今始まったばかりだ。
-続く-
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