第64話 少女達の気持ち
唯のヒアリングが行われている最中、彩奈は気を揉みながら魔道保安庁本部の屋上で空を眺めていた。本当なら唯と出席したかったのだが、関係者以外立ち入り禁止なので仕方ないのだ。だが彩奈とて当事者であり、唯との関係も考えれば無関係ではないはずであるが。
「彩奈、ここで瞑想中か?」
「まあそんなところよ。唯を想いながらね。で、加奈は何しに?」
「あたしもさ。たまには謙虚になるのも悪くないなと思って」
「フッ・・・・・・」
気難しい顔をしていた彩奈は少しだけ口角を上げた。だが目は笑っておらず、真剣に唯を心配しているのだなということは加奈にも分かる。
「神宮司さんや美影長官も一緒なんだ。あの二人に任せれば大丈夫さ」
「そうね・・・でも、唯なのよ」
「ずっと一緒に居たいんだな?」
「この前の一件で、改めて唯と離れたくないって思ったわ」
「本当に唯が好きなんだな」
「大好きよ。唯は、私の全てだもの」
彩奈がこれほど他者に入れ込むなど、数年前までなら考えられらなかったことだ。しかし今の彼女は依存レベルで唯を気に入っていて、それを加奈は微笑ましいと思えど、悪いことだとは思わない。人それぞれ幸せのカタチは違うし、それで唯と彩奈は上手くやっているのだからそれでいい。
「他にも何か考えていることがあるんじゃ?」
「えっ・・・?」
「顔に書いてある。悩んでいることがあるんだろ?」
「ええ・・・少し前から考えていたことがあるのよ」
「よければ訊いていいか?」
加奈の観察眼には彩奈も感服する。それは加奈の優しさの賜物であり、舞もそういう点に惹かれているのだろう。
「唯を・・・引退させたいの。適合者としての戦場から」
「なるほどな」
「もう充分に頑張ったわ。唯には、もう心に傷を負うような場所に居てほしくないの・・・・・・」
「確かに唯は人一倍頑張ってきたな。しかも想像を絶する酷い目にも遭ってさ・・・だから、あたしは彩奈に賛成するよ」
唯の心はボロボロだ。彩奈の存在が辛うじて崩壊を防いでいるだけで、これ以上の負担が加われば間違いなく壊れてしまう。
「あれから唯は精神刺激薬が手放せなくなっているのよ・・・処方された分ですら足りなくなって・・・・・・」
「そこまで重症なのか・・・・・・」
「皆がそれぞれ命を懸けて世界を守っているのは知っているけど、私には唯が特別で・・・だから世間からは自己中心的な判断だと言われるかもしれない。それでも唯をもう戦わせたくない。その分は私が埋め合わせをするわ」
彩奈とて限定的だが天使族の力を手に入れたのだ。唯の代わりには足りないが、努力でなんとか補っていけばいい。
「その時は、彩奈は唯の傍にいてやれ」
「え?」
「彩奈に唯が必要なように、唯には彩奈が必要だ。引退した後、唯と共に過ごし支えてやるんだ」
「でも・・・・・・」
「心配するな。あたしがいるだろ?唯と彩奈の分も、あたしがやってやるさ」
加奈はウインクしながらフェンスに手をかける。並の女子なら加奈にトキメキを感じるだろうが、彩奈は罪悪感に似た感情を抱いて俯く。
「加奈だって大怪我をして、辛い事はあったでしょう? それなのに、これ以上背負おうというの・・・?」
富嶽で瀕死の重傷を負った加奈は奇跡的に一命をとりとめたが、左腕と右目を失ってしまった。本来なら退役するレベルなのに、加奈は自ら望んで戦線復帰したのである。
「舞には言ったことだけど、大切な友達が傷つくくらいなら、あたしが痛い思いをするくらいなんともないさ。あたしは命を懸けても皆を守るって、そう決めたんだ」
「どうしてそこまで・・・?」
「・・・雪奈を守れず、死なせてしまった時からの決意さ」
三宅雪奈。唯が適合者となる以前に彩奈達と共に戦っていた適合者だが、魔人との戦いの中で死亡している。その雪奈を守れなかったことは加奈の中で深い後悔として突き刺さっており、以来、自分が先陣を切って仲間の負担を減らす戦法を取るようになった。
「あたしは戦う。魔物を蹴散らし、皆がアイツらに怯える必要がなくなる日までな」
加奈はサッと手を振り、彩奈に背を向けて屋上の扉へと足を向けた。
「加奈、ありがとう。話を聞いてくれて」
「彩奈から感謝される日がくるなんて・・・あたしはそれだけで泣きそうだよ」
「口に出したことはないけれど、感謝はしているわよ。それに、アナタが仲間で良かったって心から思っているわ」
「フッ、それはあたしもだ。まっ、一人で抱え込むなってことさ。唯と彩奈には、あたしや舞達がいるんだからな」
サムズアップして去っていく加奈を見送り、彩奈は帰ったら唯と今後について相談してみようと決意するのであった。
都庁から本部へと戻った唯は、精神的疲労を抱えたままハウンド小隊の待機室に向かおうとしたが、演習場に春菜の姿を見つけて立ち寄ることにした。近くに彩奈がいるかもしれないという考えがあってのことでもある。
「あっ、唯先輩! お疲れ様です」
「お疲れ。春菜ちゃん一人?」
「はい。暇だったので、少し自主訓練をしておこうと思いまして」
「そっか。偉いね、春菜ちゃんは」
既に時刻は夜の七時を指しており、もう退勤してもよい頃合いだ。なのにわざわざ居残りして訓練している春菜の真面目さに唯は感心していた。それは唯が元々手を抜けるところでは手を抜く性格だからで、自分が先輩として正しいかと言われると、答えはノーだろう。
「それに、唯先輩を置いて先に帰るなんてできませんよ」
「私のことなんて気にしなくていいんだよ。でも・・・ありがとう」
えへへと照れくさそうに笑う春菜につられ、唯の表情も少し綻んだように見えた。気の休まる相手というのは大切なもので、彩奈以外にも春菜達の存在が唯のストレスを軽減しているのは間違いない。
「唯先輩、大丈夫ですか?」
「えっ?」
「顔色が悪いようですから。昼くらいから深刻そうに考え込まれていたようですし・・・・・・やっぱり、ヒアリングのことで?」
「嫌いなんだよ。ああいうのはさ・・・今日だってボロクソに言われて・・・・・・なんで戦っているのか、分からなくなるんだ」
守るべき人々に責められれば卑屈にもなろう。しかも唯を殺処分したい者達が一定数いるわけで、その事実だけでも心を痛めるに充分だ。
「でも唯先輩の味方だっています。私がそうですから」
「優しいね、春菜ちゃんはさ・・・・・・」
「お世辞とかじゃなくて、本音なんです。私は唯先輩に憧れていて・・・天使族の力はないけれど、いつか唯先輩のようになりたいって」
「本気・・・?」
完全に予想外な春菜の言葉に、唯は目を丸くして驚いていた。自分のどこに憧れるような要素があるのか皆目見当がつかないのだ。
「加奈や舞の方が立派な適合者だよ?」
「確かに加奈先輩達も尊敬しています。でもなんて言うか・・・唯先輩の背中を追いかけたいって思ったんです。理屈じゃありません」
「そっか・・・・・・」
「それに唯先輩って包容力があるじゃないですか。ママって感じで、近くにいると安心するんですよね・・・・・・」
「ママ!?」
子を持った覚えはないが、春菜には唯の包容力が母親のもののように感じているらしい。
「あっ、ゴメンなさい! ヘンな事言って・・・・・・」
「い、いやいいんだよ。きっと喜ぶべきことなんだし」
「ともかく、私は唯先輩の味方ですから! 魔道管理局の分からず屋がどう言おうと、私は唯先輩を応援しています」
「ふふ・・・こんなイイ後輩が居てくれるなら、頑張れる気がするよ」
先程までは己の運命を呪うかのような目をしていたが、自分は一人ではないという実感が気を楽にさせてくれた。
足取りを軽くしながら、訓練を終えるという春菜と共に、唯は彩奈達の待つ待機室へと戻っていくのだった。
本部近くの高級マンション、そこは寮として魔道保安庁の管轄になっていて、魔道管理局などから無駄遣いではないかとしばしば批判の的となるのだが、美影長官は取り合わなかった。適合者は生死の境を戦場で彷徨うわけで、せめて住まいくらいは良いモノを与えてもバチは当たるまいと長官は考えているからだ。
その寮の一部屋に唯と彩奈が入っていく。この部屋は本部に駐留する際に利用していて、唯達には第二の自室となっている。
「唯、薬を? 食後の方がいいと思うけれど・・・・・・」
帰宅してすぐに唯は精神刺激薬に手を出した。医師からは用法要領を守るよう言われているが、最近の唯はあまりよろしくない使い方をしているなと彩奈は思う。
「これで少しでも楽になるならって・・・・・・まったくさ、これじゃあ春菜ちゃんに幻滅されちゃうな・・・・・・」
「春菜さんがどうしたの?」
「今日ね、春菜ちゃんが言っていたんだよ。私に憧れているって。でも、正直私は憧れられるような人間じゃない」
「そう言うものではないわ。唯が気がついてないだけで、唯には沢山の魅力がある。あまり自分を卑下しなくていいのよ」
キッチンに立つ唯の後ろから彩奈が抱き着いてそう諭す。唯にしてみれば、彩奈の方が包容力があるように感じる。しかし彩奈がこうした態度を取るのは唯相手だけで、他の人間には分からない。だがそれでいい。彩奈の全てを知っているのは世界で自分だけでいいのだという独占欲が唯の中で渦巻いている。
「ねえ唯。少し話があるのだけれど」
「・・・離れ離れになろうって話だったら私は自分の首を斬るからね?」
「そんな話をすると思う?」
「いや全然。ゴメン、イジワルな事言っちゃったね・・・・・・」
「いいのよ」
唯の荒んだ心を理解している彩奈は、唯を責める気など毛頭ない。
「唯、引退しましょう」
「適合者を?」
「そうよ。もう戦わなくていい。これ以上は唯が本当にもたない、壊れてしまう前に・・・・・・」
彩奈の腕がギュッと唯の体を絞める。けれど苦しさは無く、むしろ安心感があった。こうして彩奈の温もりを感じている時間だけが生を実感できて、唯はもっとキツくしてほしいとさえ思う。
「いいかもしれないね・・・世俗から離れてさ、二人だけの空間で・・・・・・」
「でしょう? もう辛い事を考えなくてもすむわよ」
「うん・・・けれど私、辞めないよ」
「唯・・・・・・」
この答えは彩奈には想定できたものだった。きっと唯は退かないだろうと。
「そりゃあ早く楽になりたいよ。でも魔物を放ってはおけない。だってヤツらがいる限り、私と彩奈に平穏はこないもの。適合者としての使命だとか大仰なモノじゃなくて、極めてエゴな考えだけど、私は彩奈と生きていくためにヤツらを排除したい。そのためには辞めるわけにはいかないんだ」
例えばこれがアニメや漫画の主人公なら、世界の平和のため、人類のために戦う決意を述べるところだろう。しかし唯は特殊な力を持っただけの女の子だ。彼女の肩に世界は重く、目の前の少女を守ることに全力になるのは誰に咎められることではない。
「それに加奈や舞、春菜ちゃんや麗ちゃんを残して私だけ引き下がるのは無理だよ。皆に支えてもらって・・・この恩をアダで返せないもん」
しかし唯とてエゴの塊ではない。これまで助けてくれた加奈達も大切な友達であり、彼女達のためにも戦う意思はあるのだ。
「いいのね? またきっと唯には辛いことがあるかもしれない・・・・・・」
「かもね。だからさ、私には彩奈の支えが絶対に必要になる」
唯は彩奈の腕を解き、向き合う。そして彩奈の首元から上に指を滑らせ、顎を上げさせて視線を合わせた。身長は唯の方が少し高く、こうして強引に彩奈の視線を自分に向けさせるのが好きなのだ。普段はマゾ気質な唯だが、たまにサディスティックに変貌し、彩奈はそんな唯の責め受けの反転が好きだった。
「いつだって私は唯の支えになるわよ。そのために産まれてきたと言ってもいいくらいだもの」
そう返答してくれるのは分かっていても、言葉にして聞きたくなる。これは言語によるコミュニケーションを主としている人間の性なのだろう。
唯は満足げな表情を浮かべ、彩奈と額を合わせた。妙な高揚感が体の内から湧き上がってくるのは精神刺激薬の効果ではない。彩奈という存在そのものが唯を昂らせていて、悪夢のこともヒアリングのことも忘れ、本能のままに彩奈を抱きしめるのだった。
-続く-
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます