第62話 蝕まれた心

 唯の目の前に広がるのは薄暗く、ひたすらに空虚な景色だ。そんな中で手足は鎖に繋がれて魔力すらも体に流すことができず、ただジッとしているしかない。


「誰かいるの・・・?」


 急に二つの黒い煙が立ち昇り、揺らめいたと思うと人型を形成しはじめる。そのシルエットが明確になるにつれ、唯の表情は強張っていった。


「ヨミ・・・メイム・・・!」


 唯の目の前に現れたのは死んだはずの魔人ヨミと、ガイア出身の適合者メイムだった。この二人に共通するのは唯に深刻なトラウマを植え付けたという点だ。彼女達から受けた陵辱の記憶は消えることはないし、終生唯を苦しめることになるだろう。


「来ないで・・・!」


 不気味な笑みを浮かべる二人が唯へと近づいてくる。逃げ場のない中で唯はただ絶望に沈むしかない・・・・・・




 彩奈は丑三つ時の深夜に目を覚ました。電気が消えていて真っ暗なのだが、枕元に置いてあるデジタル時計のうっすらと光る数列が現在の時刻を教えてくれる。

 朝まではまだ時間があると、もう一度寝ようとしたのだが、


「・・・唯?」


 隣で眠る唯がうなされている事に気がついた。恐らく悪夢を見ているのだろうが、それが唯の精神にとても悪い影響を与えると知っている彩奈はデジタル時計の隣にあるスタンドライトを点ける。


「唯、起きて」


 小さな光に照らされた唯は苦しそうな表情をしていて、彩奈は肩を揺らして起こそうとする。


「う・・・・・・」


「唯、気がついた?」


 ゆっくりと開かれた虚ろな目が彩奈の姿を視認してピタリと止まった。どうやら悪夢から醒め、現実に戻ったことを把握できたようだ。


「また悪い夢を見ていたのね?」


 小さくコクンと頷く唯は寝ていたのに疲れた様子で彩奈の手をギュッと握ってきた。小言や冗談を言う余裕すらないらしい。

 彩奈は手近にあったタオルを掴み、汗で濡れた唯の胸元を拭ってあげる。


「ありがとう・・・ちょっと顔洗ってくる」


 涙の線を見られるのが嫌だったのか、唯は裸のまま起き上がって洗面所へと向かった。フラついた足取りが彩奈を不安にさせるが、これ以上どう声をかけていいのか悩んでしまう。

 

「・・・・・・」


 夢の内容は彩奈も察しがついていた。以前から同じような事は何度かあり、その時の寝言から推察できたのだ。唯の心を蝕む記憶・・・ただでさえヨミのせいでボロボロだったのに、メイムのダメ押しで更に唯の精神は不安定になってしまった。




 洗面台の前に立った唯は蛇口を捻り、冷水を手にすくって顔にかける。ヒンヤリとした感覚が肌を伝い、意識が鮮明に覚醒した。


「またあんな夢を・・・・・・」


 まるで過去を再現するような夢で、唯はゲンナリとして髪をかき上げて鏡に写った自分と見つめ合う。


「・・・酷い顔」


 鏡の中の顔は生気が無く、やつれた形相はまるで邪悪な魔女のようであった。そんな自分を見てミイラ取りがミイラになるという言葉を思い出し、魔女を狩っている内に自分自身が魔女そのものに近づいてしまっているのではと不安になる。

 昔から楽観的な人間ではないのだが、暗い思考になってしまうことにすら嫌気が差して自らを叩きたい気分になるが、


「唯、大丈夫?」


 心配した彩奈もまた裸のままで洗面所まで来てくれた。そして後ろから全身で唯を抱きしめる。


「彩奈は優しいね・・・・・・」


 東山彩奈、彼女こそが唯の精神安定剤である。もし彩奈がいなければとっくに唯の精神は壊れ、狂人が廃人となっていただろう。とはいえ、首の皮一枚のところで繋ぎ留められているのでいつ千切れ飛ぶか知れたものではない。

 もう少しだけ彩奈の柔らかな感触を味わってもバチは当たるまいと、唯は目をつぶって思考を放棄した。






 翌日、寝不足気味の唯と彩奈の姿は日ノ本エレクトロニクスにあった。宇宙より来たりしビューリカとの激闘に勝利し、いつも通りの日常が戻って来たといえども魔物との種の存亡を懸けた戦いは続いていて、こうして天使族の調査も継続されている。


「やあやあ。待っていたよ」


 日ノ本エレクトロニクスの地下研究所、そこで唯と彩奈を待っていたのは佐倉だ。薄汚れた白衣を纏っていて、自分の格好に無頓着なのは相変わらずで逆に安心感がある。


「お久しぶりです。最後に会ったのは・・・・・・」


「富嶽での実況見分の時かな。アレから三週間くらいだね」


 決戦の場となった富嶽には生命の樹がそびえ立っていたのだが、リスブロンシールドを用いた攻撃で消し飛んでおり、僅かな残骸を残して元の大きな火口が広がっている。

 立ち話もなんだからと、佐倉は与えられたばかりの新しい研究室に唯達を招く。天使族の魔力調査というのは建前で、今回はその研究室を見せびらかすことが目的らしい。


「どうだい! 前までの狭い部屋とは違って、このフロア全部が私のモノになったんだよ。新しい研究もできるようになったし、もっと皆に貢献できるように頑張る所存さ」


 地下六階が全て佐倉の管轄下にあり、これはひとえに彼女が魔道保安庁や国家に対して多大な貢献をしたことが評価されてのことだ。実際、佐倉がいなければ魔道戦艦ラグナレクをはじめとした魔道兵器を戦線投入することは難しかっただろう。彼女は陰ながらの功労者で間違いない。


「しかも助手にサリア君がついてくれたから百人力さ」


 サリアはビューリカの配下として地球にやってきたガイア出身の適合者だ。しかしビューリカの方針に反対しており、最終的にはリスブロンシールドを持って逃亡。唯達の手助けをした後に投降して今に至る。

 敵陣営にいたサリアを国家研究の要である日ノ本エレクトロニクスに入れることに当然反対を唱える者もいたが、佐倉の要請等から許可されることになったのだ。


「サリアちゃんも元気そうで良かった」


「これもユイさん達のおかげです。極刑も覚悟していましたが・・・与えてくださったチャンスを無駄にせず、自分にできる奉仕をしていこうと思っています」


 元々サリアは技師ではないのだが、大型魔道戦艦ターミナートルにおいて保守点検などをさせられていたので技術に関する知識もある程度持ち合わせている。それを佐倉に買われたというわけだ。


「でね、キミ達に見せたいものがあるんだ」


 そう言って佐倉が案内したのは601研究室とプラカードの掛けられた大きな研究室だった。内部には見慣れない機械類がいくつも置かれ、まさにラボラトリィと言える規模である。


「どうだい! これが今開発中の新兵器さ!」


 研究室の中央に置かれているのは円筒形の機械で、以前から運用されている自律型パトロール機に似ていた。だが高さ1.5メートルのその機体には改修が施されていて、頭頂部には砲塔が設置され、ランドセルのように背負ったバックパックも存在している。


「これはサリア君の知識を取り入れて開発した魔道機兵さ。まだ試作段階だけど、間もなく実施される試験を経て初期生産型を量産する予定なんだ」


 これが日ノ本製魔道機兵らしい。しかし唯達が戦った魔道機兵ヴィムスは二足歩行型で、まるで人間のような挙動を行うタイプで似ても似つかぬ形状だ。


「私も整備はしていたのですが、根本的な設計図などは見たことなくて、ガイア製のヴィムスを再現することはできなかったんです」


「回収したヴィムスの残骸を解析したけど、あの技術を再現するのは現状では難しい。だからこれでもカタチになったほうなんだよ」


 完全体で回収できたヴィムスは一体もおらず、魔道戦艦をも建造できるガイアの技術力の高さは計り知ることはできなかった。なのでできる限り応用する程度が限界なのだ。


「この魔道機兵の名前はホウセンカ。バックパックに魔道コンバータとバッテリーを搭載し、そこで精製した魔力を機体上部に設置した魔道キャノンで撃ち出すという仕組みだ。これなら適合者無しでも魔物に有効打を与えられるし、現在国防陸軍と首都防衛隊への配備が決まっている。コイツが量産の暁には、魔物など消し炭にしてくれるわ!」


 成果を誇るように高笑いする佐倉。実際にこのホウセンカが配備されれば人員不足を補うことができるし、偉大な発明であるのは確かだ。


「それに、ここで成果を出しておかないと魔道研究所に国家予算を持っていかれてしまうからね」


「魔道研究所・・・魔道管理局主導で設立された組織ですよね?」


「そうそう。でもなあ、あの組織なんか怪しいんだよな」


「怪しい?」


「我々が回収した生命の樹の残骸やデータを接収していったんだけど、それで何をどう調べているのか全く実態が見えてこないんだよ。曲がりなりにも国家予算を投入されているのに非公開な情報が多すぎるんだ」


 魔物やそれに類する研究は政府から要請されて最優先事項となっており、常に情報公開を行って国会にも提出を行っている。しかし新設された魔道研究所は一切の情報を外部に提示していない。


「主導した魔道管理局は独自に天使族のことも調べているらしいし・・・・・・まあ連中が何をしていようと、それを私が上回ればいいだけだしな! それに、高山君達のための装備開発も平行して行うから待っていてくれ」


 唯は佐倉の言葉に頷きつつも、話題に出た魔道管理局に関する懸案事項を抱えていることを思い出した。






 午後、日ノ本エレクトロニクスから魔道保安庁本部にあるハウンド小隊用の待機室に戻り、隊のメンバーと合流する。


「高山、顔色が悪いが体調が良くないのか?」


 待機室ではハウンド小隊指揮官の神宮司が待っていて、血の気の少ない唯を見て心配そうに顔を覗き込む。


「もし調子が悪いようなら夕方の魔道管理局によるヒアリングはキャンセルしたほうがいい」


「いえ、大丈夫です。それにキャンセルしたら何を言われるか分かったもんじゃないですから」


 ビューリカ達との決戦は日本全土の通信が途絶している中行われ、戦闘内容を知るのは現地で戦闘に参加した者だけだ。特に唯は敵に捕まっていたこともあり、魔道管理局によって集中的に聴取が行われている。


「でもさあ唯、あんなん参加する必要はねえよ。ヒアリングだ? 恫喝の間違いだろ」


 加奈は憤慨するように言い放つ。以前唯と共に聴取を受けたのだが、その時の魔道管理局側の態度があまりにも酷かったためにキレたことがあった。


「管理局の高官達は自分を上級の国民だと思っているフシがありますわ。そんなヤツらだから、立場の弱い我々に高圧的な態度で迫るのです。唯さんの功績を無視して・・・・・・」


 舞もいつもの柔和な表情ではなく、まるで殺し屋のような鋭い眼光で魔道管理局を非難する。

 元から保安庁と管理局の関係は良くないのだが、とはいえ度の過ぎたパワハラまがいの聴取が許されるわけはないだろう。


「今回は神宮司さんもいてくれますし、心配はしてません」


「任せろ。高山の事は私が必ず守るさ」


 ウインクする神宮司を頼もしく思いつつ、しかし抱えた不安が無くなるわけではない。

 困り眉ながらも無理矢理笑顔を作る唯の痛々しさを、彩奈は見ていることができなかった。


   -続く-

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