2019

 今日も街に灯が燈る。その灯は祝福のひかりだ。


 街の一角、くに全体で計算すれば人口よりも多いと言われる喫茶店がひしめく路。珈琲豆の匂いの染み付いた木戸のひとつをくぐると、わたしの職場にたどり着く。この街のひとびとと、この街に来るひとびとはみんな、その祝福の灯が燈ってからようやく重い腰を上げ瞼を開けて、「眠気覚まし」を飲みに来る。

 「眠気覚まし」の製法は、その喫茶店ごとに独自の手法で確立されている。だからどこも店をしまわないし、後継者探しに躍起になるのだが、客なんてのは店の事情を知ったことではない。

 いつものくたびれたオジサンに、泣きつかれた顔の新顔(女性)、点がたくさん書かれた灰色の紙をばらばらとやる爺さん。


 彼らとは違って、わたしたち「眠気覚まし」の職人は、いつもしゃっきりと目が覚めていなければならない。誰よりもしゃっきり、はっきりとしていなければ、他人の眠気など覚ませようもない。

 外から来たひとは皆「そんなに?」と不思議そうにするけれど、「そんなにしないといけないくらい、眠かったでしょう」というと頷いてくれる。だいたいそういうものだった。蒸らしの一秒、垂らしてゆく湯と、湯気の広がりぐあい、香りの立ち方、泡と豆の粉のふくらみ。じっと見つめて、頭をはたらかせて、コツを掴むまで何年もかかってようやく「眠気覚まし」は完成する。


 「眠気覚まし」を作るわたしの「眠気覚まし」は、今日もマスターが作ってくれた。きっとマスターも、わたしに飲ませる「眠気覚まし」を作るために誰かに、「眠気覚まし」を作ってもらっているのだと思う。

 奥さんか、お母さんか、それともよその喫茶店のマスターとか。誰かは分からないけれど、みんなが助け合わなければわたしたちは起きていることさえままならない。それだけ強い眠気の街だから、長く住んでいるひとほど夢うつつで、外から来たひとはみんな、休みが必要なひとだった。

 街の眠気が強いせいなのか、それとも、わたしたちの眠気が強いせいなのか。わたしがそんなことを考えたのは、寒い冬の日、豆の匂いのすっかり染み付いたマフラーに鼻先を埋めて、マスターの厨房の、私専用の木の丸椅子から転げ落ちないように必死になっていた朝のことだ。

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