第6話 100人目の友達


 腐葉土がクッションになったおかげで大きな怪我はしていなさそうだが、あちこち擦り傷が出来た。見上げると、5mほど頭上から浅山さんが心配そうにこちらを見ていた。


「おーい!大丈夫かー!?」


 浅山さんが口の周りに手を当て、大声で呼びかけてくる。私は簡単に自分の体を確認し、


「なんとか大丈夫でーす!!」


 と浅山さんと同じく口の周りに手を当てて返事をした。


「車の中にロープがあるから、そのまま待ってろー!」


 そう言った浅山さんは一旦その場から立ち去る。待つ間、斜面を背もたれにしてぼーっと空を見上げていると、目の前にある山の岩肌が切り立った崖になっているのが見えた。自分たちが最初に調べたあの崖だろうか?上から見たときは下の様子は全く分からなかったが、意外とすぐ近くのようだ。あの真下に行けば、サキに関する何かが見つけられるかもしれない。はやる気持ちを抑えて浅山さんを待った。

 しばらく上を見て様子をうかがっていると、浅山さんが顔を見せた。早速ロープを落とそうとする浅山さんに、私は自分の考えを伝えようと声を張る。


「すみませーん!この先が、最初に見た崖の真下になっているかもしれないので、何か無いか調べたいでーす!」


「1人で大丈夫かー?」


「ここから近そうなので、ちょっと見たらすぐ戻りまーす!!」


 浅山さんからの返事にやや間が開く。どうしようか考えているようだ。


「………わかった!ただし、2時間以内に戻ることと、ここを見失う程遠くには行かないこと!」


「わかりましたー!」


 続いて先ほど目印に使っていた赤い紐の束が投げ渡された。


「念のため、こいつも渡しておく!2時間も経てばもう日が暮れ始める!そうなると目印もあまり意味が無くなってしまう!必ず2時間以内で帰ってくること!……いいね!?」


 赤い紐を握りしめて、私は大きく頷いた。


 紐の束が残り3本になったところで、ついに崖の真下に辿り着くことが出来た私は安堵のため息を漏らした。スマホを確認すると、時刻は15時32分。移動時間を考えると、ここを探索出来るのは1時間くらいか。

 とりあえず崖沿いを歩いてみる。崖に手を触れると、無骨で冷たい岩の感触。上を見ると岩の間からまばらに短い木が生えている。崖の天辺がどうなっているのかはわからないが、少なくとも都内の超高層ビルくらいの高さはありそうだ。

 しばらく歩いていると、目の前に山の景色とは不釣り合いな色合いの何かが落ちているのが見えた。よく目をこらしてみてそれが何か分かったとき、思わず腰が抜けてしまった。

 それは赤いダウンジャケットを来た成人男性の死体だった。同じ死体でも納屋で見た白骨死体とは訳が違う。肉体がほぼ残っている死体というのは精神的ショックが大きすぎる。辺りには異臭が漂い、死体の周りを小さい羽虫が飛び回っていた。

 私は吐きそうになるのをこらえながら一端崖下から離れ、近くの木の幹に寄りかかった。頭がくらくらする…気を抜くとそのまま倒れてしまいそうだ。額からじっとりとした嫌な汗が噴き出している。手でそれを拭い、冷静にこの状況を分析しようと、深呼吸をして目を閉じる。


(……あれは、自殺?事故…?それとも………)


 3ヶ月前の自分の体験を思い出す。あの時と同じ事が、赤い服の人にも起こっていたとしたら……原因は………。


「……………………そう……私がやったのよ」


 聞き覚えのある少女の声が鼓膜を刺激した。目を開けると視界いっぱいにサキの人形のような笑顔が飛び込み、私は小さく悲鳴をあげた。探し求めていた存在だが、こんな形で再会するとは思わなかった。


「…………あの時、あなたもそうなるはずだった」


 表情を一切崩さず、サキは続ける。


「ずっと待っていたんだから。だって私たち……トモダチですものね…………。」


 そう言うと、それまで小さなつぼみのようなサイズだった口が、不気味に吊り上がり耳元まで裂けた。私は唖然としてしばらく言葉が浮かばなかったが、緊張で溜まった口の中の粘ついた生唾を一飲みし、


「……どうしてこんな事するの?」


 ようやく一声出すことが出来た。


「……………カクマ様との約束だから……」


 確か同じような名前を、夢で見た白い空間にいた少年も言っていた。一体誰なんだろう?


「ねぇ……麻弓は『1年生になったら』って歌知ってる………?」


 考えていると、今度はサキの方から声をかけてきた。


「………“1年生になったら、友達100人出来るかな?”ってやつ?」


 私はサキの様子をうかがいながら慎重に声を出す。


「私には…………1年生になっても友達が出来なかった………。ただの1人も…………。私は誰の心にも触れることが出来なかったし、誰も私の心に触れることは出来なかった」


 そう言うサキの瞳は、真夜中の黒猫のように漆黒を纏っていた。その瞳の色を、私はどこかで見た気がする。


「いつの頃か…私は気がついたら、この山にいた………。ひとりぼっちで………心細くて………本当に寂しかった………。そんな時、声をかけてくれたのがカクマ様だった…」


 サキの目元が少し緩んだ。私は黙って話を聞く。


「…………私はカクマ様からありがたい力を授かり『トモダチを100人作る』事を約束した………。そうすれば私はこの山から出られると………カクマ様は言った」


 サキが今まで見せた不思議なことは全て『カクマ』という人の仕業だったのだろうか?サキは赤いジャケットの死体を指さすと、


「……………そこにいる彼は私の99人目のトモダチ。………………そしてあなたが…………………………」


 サキはその細い両手を私の首に絡ませる。


「念願の『100人目』になるの………………」


 少女とは思えない強い力で、うめき声を上げる余裕も無く私の首は締め上げられていく。振りほどこうとサキの手を掴み、必死に抵抗した。しかし引っ掻いても叩いてもその力は緩まることは無い。視界の端がチカチカと瞬き、全身ががくがくと震えだした。そう感じたすぐ後、徐々に目の前が霞んできた。……………遠のく意識の中で、私は思った。


(ああ………私、死ぬのか………唯一の友達だと思った人に殺されるなんて、なんてろくでもない人生だったんだろう…………ごめんなさい…お母さん、心配してるよね………。ごめんなさい…浅山さん、危険なことはしないって約束したのに…………。ごめんなさい…井川さん、私たちが探し求めていたサキは…サキは………)


 死が近い事への恐怖や、目的が果たせなかった無念さ、サキに対する複雑な想いが絡み合い、目から涙が次々とあふれ出てくる。私の涙がサキの手首を濡らしたとき、突然首を掴む力が緩み、私はその場に崩れ落ちた。急に呼吸が出来るようになって何度か咳き込んでいると、サキは頭を抱えて苦しみだした。


「………オ……ヵア………サ……ン?………グッ………ガアァ!……………ギィィ……」


 目を見開き、よだれを垂らしながらしばらく悶え、頭を抱えたまま空を見ると、周りの生き物が全て逃げ出すようなサキの絶叫が木々を揺らした。その場で体をくねらせながら唸るサキをしばらく見ていた私だが、今が逃げるチャンスだと気づき一目散にその場を駆け抜けた。


 体力の限界が来るところまでひたすら走り続けた後、一旦立ち止まって周りを見渡すと、サキの姿はない。ひとまず助かった………と私は安堵のため息を漏らした。でも良いことばかりでも無い。何も考えずに走ったせいで、目印の木を完全に見失ってしまった。

 もうサキのことは諦めようと思っていた。そりゃサキの寂しさや悲しさが分からない訳でも無いし、私も似たような孤独を感じてこれまで生きてきた。井川さんと約束した以上、サキに関する何かしらの手がかりが見つかると良かったのだけれど、彼女は私の想像以上にやっかいな事になっているようだ。今は浅山さんと合流し、一刻も早く山を出たいとそう考えていた。

 しかし、どこを見ても同じような木が並ぶばかりで目印になるような物は何も無い。太陽の傾きで方角だけでも知りたかったが、日が暮れかかって木々に囲まれたこの場所では太陽がどこにあるかすら分からない。闇雲に動いて体力を消耗する訳にもいかないので、その場で立ち止まってしばらく考える。

 でも戻る方法を考えていたはずなのに、気がついたらサキのことばかり考えていた。


(……あの時、なぜサキは手を緩めたのだろう。確か私が井川さんの事を考えている時だった……その想いがサキにも伝わり、お母さんの事を思い出して、力が抜けた………)


 思えばサキには二面性があった。私と遊んでいたときのぎこちないながらも可愛らしい笑顔や、電話で助けを求めてきた少女らしい一面と、何を考えているのか分からなくて、平気で人を殺せる悪魔のような一面。

 あの子は『カクマ様に力を貰った代わりに友達を100人作る事を約束した』と言っていた。友達……つまり自分と同じ幽霊を作るために人を殺すことを、彼女自身は本当は望んでいないんじゃ無いか?彼女が見せる狂気の面は、カクマという人物の力によって洗脳や憑依のような“操り人形”のような状態になっているから?お母さんのことを思い出しかけて悶えていたのは、本当のサキがカクマの呪縛から解き放たれようと抵抗していたから…?

 だとすればあと少し、サキの生前の記憶を取り戻す何かがあれば………彼女の魂は解放されるかもしれない。諦めようとしていたのに、気がつけばまだサキをどうにかしたいとばかり考えている自分が自分でよく分からない。

 サキの生前に関する手がかりは何か無いか………私はサキに出会ってから今までの出来事を一つ一つ丁寧に思い返してみる。出会った時のこと、病院での電話、井川さんの家…そこまで思い返したとき、一つ思い出した。そうだ、くまのぬいぐるみだ。

 確か失踪した日も彼女は大事そうに持っていたと井川さんは言っていた。しかし今のサキは何も持っていない。崖から落ちたとき離ればなれになったのか?そのぬいぐるみをもし、見つけることが出来れば………よし、ぬいぐるみを探そう。何の宛も無いけれどサキを取り戻す最後の希望を、私は諦めたくない。


 辺りがだいぶ暗くなって来た。浅山さんとの約束の時間はとっくに過ぎているだろう。戻れたら、思いっきり謝らないと…。

 私は浅山さんから借りていた懐中電灯をつけた。納屋で使った後カバンに入れてそのまま返し忘れていただけだが、こんな形で助かるとは思わなかった。一定の間隔で、手頃な木にナイフで傷をつけ、目印にしていく。私なりに考えた迷わない方法だ。カバンの中には他に救急道具と、水筒、そしてわずかな食料が入っている。全て今朝浅山さんからアドバイスされて支給された物だ。私は浅山さんに心の底から感謝していた。たった一人ではとてもここまで気力も湧かず、知恵も足りなかっただろう。

 とはいえ、もうすぐ冬がやってくる肌寒い野山を何時間も歩き続けてさすがに体力は限界だった。足の色んなところが痛いし、空腹と寒気で今すぐにでも倒れ込んでしまいそう。


(…………駄目だ、ちょっと休もう。)


 そこそこ周りが見渡せるような場所に座れそうな石を見つけたので、腰掛けて少し休憩することにした。しかし数分後、私は座ったことを後悔する事になる。

 座った直後は休憩出来て一安心と思っていたが、自分が思っていた以上に疲れていたようで、今度は立ち上がることが出来なくなってしまった。木々を抜ける風はこんなに体を冷やすのに、ずいぶん前から空腹で胃がキリキリしているのに、頭の中は『眠い』ということしか考えられない。

 ああ…まぶたが重い……頭が上がらない…………。


 ……………………。

 気がつくと、私はまた真っ白な空間に来ていた。あの不気味な少年に会ったらどうしよう…恐る恐る辺りを見渡す………良かった、誰もいないみたいだ。


「またきたね」


 ほっとした私の首筋に、生暖かい息がかかって全身が縮み上がる。振り返ると、ボロ布を纏ったボサボサ髪の子供がニタニタと笑っていた。蛇に睨まれた蛙のようになっている私にお構いなしに子供は話し続ける。


「『かえれ』ってあれだけいったのに…だれだってカクマさまにはさからえないんだから」


「あ、あなたは誰なの?」


 勇気を出してようやく声を出した。


「ぼくは、サキとおなじやくそくをカクマさまとしていたんだけど、やくそくまもれなかったから、ここにつれてこられた…カクマさま、とわにとじこめるっていってた」


「閉じ込められているの?ここは一体どこなの?」


「わからない。どこまでいってもなんにもないしろいへやさ…たしかめてみるかい?」


 少年は笑う。私は少年、サキ、そしてカクマの関係性を知るために、さらに質問してみた。


「あの、カクマっていうのはどういう人物なの?」


「カクマさまは、むかしはやまのかみさまだったんだ。ぼくはやまをまもるいえにうまれて、いえのちかくにはカクマさまをまつるほこらがあった」


 私は無言で頷く。


「あるひ、ぼくなにがはいっているのかきになって、カクマさまのほこらのとびらをあけてみたんだ。かみがはってあったんだけど、それはがしてさ。そしたらまっくろなかたまりがなかからとびだしてきて、そいつがじぶんのことを『カクマ』だといったんだ」


 少年は身振り手振りで説明する。


「カクマさまというのはむかしころされたおとこのおんねんと、もともとまつっていたやまのかみさまがあわさってできたものっていうのを、そのあとおばあちゃんからきいた」


「飛び出してきて…どうなったの?」


「それからはふこうのれんぞくさ。さくもつはそだたないし、びょうきははやるし、いえをでていったひとはじこでしんだときくよ。それでカクマさまのたたりをしずめるために、ぼくはいけにえになった。てあしをしばられて、ははうえのてでたきつぼにおとされた」


 真剣な表情で話す少年に、私は息をすることも忘れていた。


「そしてきがつくと、カクマさまがめのまえにいて、ぼくにこういった『おまえはわたしとおなじだ。くやしいだろう?にくいだろう?わたしのちからをかしてやる。そのかわりおまえはそのちからでともだちをふやせ』って」


 だんだん話が見えてきた。サキもきっと、同じ目にあったのだろう。


「でもぼくはこころもちからもよわかったし、なによりひとをころすなんておそろしくてできなかった。なんねんもだれもころさないでいると、なんにんかぼくとにたようなこどもがカクマさまのもとへあつまってきた。なかにはころすことがすきでたまらないってやつもいた」


 少年は「信じられないよね」というそぶりで両手をあげる。


「ほかのなかまがやまにはいってくるひとたちをころすことになれてきたとき、サキがやってきた。サキはほんとうのおねえちゃんみたいにぼくにたいしてやさしかったし、ひとをころすこともためらっていた。けど、それいじょうににんげんのこともにくんでいたから、カクマさまのちからをおおくうけちゃったみたい。えいきょうがつよいときは、だれよりもためらいなくころせるようになってしまった」


 私の推測は割とあたっていたようだ。



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