2話

「いやー、ひっさしぶりだねけんたろー! けんたろーってば、テレビ電話どころか普通の電話すらしてくれないんだもん。わたし、寂しかったんだからねー」

「いや……まあ、それは悪かったけどさ」


 所変わって、我が家の居間。俺はと向かい合う形で、テーブルの前に置かれたソファーに腰掛けていた。まあ、ソファーとは言っても、卓袱台程度の高さのテーブルに合わせてあるせいで、ほとんど座椅子同然の高さなのだが。


「こんな可愛い妹をほっぽって三年も放置だなんて、ほんっと薄情な兄だよ全く……」

 黒絹のようにやたら艶のある黒髪を肩の辺りまで垂らした、二人の妹の内の一人、俺の良く知る方の愚妹、あおが、大袈裟に溜息を吐いて肩を落とした。その拍子で、サイズの合っていないぶかぶかのTシャツが右肩の方だけずり下がり、太陽の光とは縁遠そうな色白の肌が露出してしまったのだが、本人には全く気にした様子が無い。


 確かこいつももう中二くらいだったはずなんだが、年頃の女の子の恥じらいとやらは無いのだろうか。


 ……つか、そのTシャツ俺のものでは? これはアレですか。家族間での物の所有権は三年で失効するとか、そういう。


 ……いや、そんな事より今は、何よりも先に解決すべき事がある。


「……おい。愚痴なら後で聞いてやるから。そろそろ説明が欲しいんだが?」

「へ? 説明? なんの?」


 いつまで経ってもについて説明を始めない青に痺れを切らして、こちらから催促を開始する。


「しらばっくれるんじゃない」

 ちらりと、青の隣に座る少女へと視線を移すと、偶然にもばっちり目が合ってしまった。

 少女は一瞬驚いたように目を見開いてから、恥ずかしそうにもじもじと視線をテーブルに落としたものの、すぐに顔を上げ、頬をほんのりと赤らめながらこちらに向けてにへらと相好を崩してみせた。薄らと日に焼けた褐色肌に、くりくりとした愛嬌のある二重まぶた。そして、同じく日光が原因であろう、ほんのり茶に染まったショートポニーテールが、傾げた頭に合わせて揺れて……うん。こんな可愛い妹は俺にいない。間違い無い。


「……あー。もしかしてけんたろーってば、この子の事が気になっちゃってる感じ?」

 青の声に視線を移すと、テーブルの上に両手で頬杖をついた青の姿があった。白魚のような細い指の中に収まった顔には、普段の西洋人形染みた整った顔立ちからは想像すらできない程に悪意に歪んだ笑みが浮かんでいる。


「その「面白い玩具おもちゃ見つけました」みたいな顔と語弊を招く言い回しを止めろ。……そりゃあお前、久し振りに帰った実家に俺の事を『にぃにー』呼びする見知らぬ女の子がいたら、どんなごうの兄だろうと気になるだろうが。……ん? にぃにー……?」

 一瞬、何かが頭の奥に引っかかった気がしたが、すぐに見失ってしまった。まるで、脳がソレについて考える事を忌避するかのように。


「えー。だって。けんたろーは酷いねえ。鬼畜だねえ」

 俺が首を捻っていると、青が俺の揚げ足を取るような調子で、隣のもう一人の妹へ話し掛けた。俺の評価を外道にまで貶めるおまけ付きで。

「し、仕方無いよ。だってボク……にぃにーと最後に会った日から、だいぶ変わっちゃってるし……」

 ほんのりと寂しげな苦笑を浮かべて返す少女の横顔に、朧げな誰かの面影が重なる。そう。俺はこの顔をどこかで――


「……って。?」

 ――まさか。いや、そんな事が有り得るはずが……。

 だがしかし、俺の事を知っていて、その一人称かつ俺の事をにぃにー呼びする人物には、一人しか心当たりが無いのも事実。


「あれ? もしかしてけんたろー、気付いちゃった?」

「……っ。……い、いやいや。はありえないだろう。は。いやー。誰だか全く見当がつかないなあ」

「うっわ。こりゃひどい。この人、シラを切ったよ。現実を認めたくないみたいだよ

 青は『言ってやりなよ』みたいなジェスチャーを、くーちゃんと呼ばれた少女に……いやおいまて? それは一体どういう――


「う、うん。……えっと。ご、ごめんね。にぃにー。急でびっくりさせちゃったよね」

 青曰く、くーちゃんが俺に向き直り、若干の照れと申し訳なさが同居する複雑な表情を浮かべながら言葉を紡いでいく。



「……改めまして。ボクはにぃにーの弟のくうだよ。よろしくね、にぃにー」



 ……って、やっぱり兄弟同士で自己紹介するのって、なんか変な感じだね。という、くーちゃんの照れ隠しの呟きが、遥か遠くに聞こえる程に、俺は自らの気が遠くなっていくのを感じていた。



 くーちゃん改め、島袋空しまぶくろくう。正真正銘、島袋家の次男であり末っ子の、心優しき十三歳の少年。


 つまり、俺の弟である。



 ……弟?

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