missing child - 2

空が白み始めている。

街の中心部から離れた位置に在る教会に街の生活音は届かない。

まるで世界が寝静まっているかのように、しんと心地良い静寂に包まれている。

そこへ、箒を携えたシロが教会から現れた。

教会の正面玄関前に積もった砂埃を箒で払いはじめる。

教会の清掃はサツキの従者として教会に身を置いているシロの日課だった。

吐く息が白い。

シロが黙々と掃き掃除をしていると、女性が一人教会へとやってきた。この国では生産していない島国の衣服に身を包んでいる。


「おはよう、シロさん」


静寂を包み込むような柔らかい声と、和やかな微笑み。


「おはようございます、八重様」

「今日も朝早くからお疲れ様。礼拝に来たのだけど、いいかしら」

「はい」


シロが扉を開けて、隅へ寄る。

ありがとう、と告げてから、八重と呼ばれた女性が教会へと歩を進める。

彼女の他に人の姿はない。

広い空間の中、コツコツと廊下を歩く音だけが規則正しく響く。

最前列の長椅子にゆったりと腰かける。

見上げると正面には祭壇があり、その後部にはステンドグラスが飾られていて、朝の光を反射して美しい光を教会内にもたらしている。

八重が見惚れるように目を細める。

礼拝堂の中は冷たく、しんと静まり返っていて、耳を澄ませば幽かに鳥の囀りが聞こえてくる。

溜め込んだ日々のわだかまりや、疲労感すら身体から溶け出していくような心地良さがここにはある。

そっと目を閉じて、八重は祈るように手を組んだ。



今日も露天市場は人々で賑わっている。

その中に今日は一際目立つテントがあった。店に並ぶ客の列が出来ていて、皆一様に食器を持っている。

テントからはよく通る明るい声で、絶え間なくいらっしゃいませ、ありがとうございましたと聞こえてくる。

客から食器を受け取った売り子達が大きな鍋から雑炊を皿へと盛り、次々と客に返していく。

雑炊からは湯気が立ち上り、受け取った客からは笑顔が零れている。

ここは安価で食事を提供している露店。

味も品質も良質だと街では評判で、店を開く度に今回のような行列が出来る。

人の列は途切れない。売り子達は慣れた手つきで接客をこなしていく。


「くださいな!」

「あら、天使様」


皿を両手で持ち上げるように手渡したのはユキだった。

ユキから皿を受け取った売り子の一人、八重が微笑む。


「今回も来てくれたのね」

「八重の露店が店を開くといい匂いが漂ってくるからすぐ分かるぞ」

「嬉しいわ、ありがとう。はい、どうぞ。熱いから気を付けてね」

「ありがと!おいしそう!」


代金を支払い雑炊を受け取ったユキはテントの内側へと小走りで回り込む。

テントの奥に詰まれたコンテナに腰かけてから膝の上に雑炊を置いた。

いただきます、と手を合わせるユキを見て、売り子達が表情をなごませる。

ユキが用意していた木製のスプーンを使って雑炊を口に運ぶ。


「おいしい!」


思わず口をついて出たユキの感嘆を背中に受けて、売り子達が嬉しそうに笑う。


「八重ちゃんの味付けは天下一品だからね」

「いいお嫁さんになれるわー」

「か、からかわないでください…」


売り子の言葉に同意だと言うように店の前に並んでいる客も頷いて、八重が頬を赤く染める。

ユキも一緒になってにこにこと笑った。

数年前まで街には腐った野菜や出所の分からない死骸の肉などが出回っていて、不衛生が蔓延っていた。

この露店は、そんな中、八重の母親が多くの人々に安全な食材を使った料理を提供したい一心で立ち上げたものだった。

軍が国を統治する事になってから随分環境は改善されが、母親が他界した今でも娘である八重が引き継いで、母と共に仕事をしてくれていた人達と露店を開いている。

安価で提供しているため頻繁には開けないが、街の人々に愛されている馴染の味と易しい価格設定のおかげで毎回大盛況している。

雑炊を食べ終わり、露店の流し台を借りてユキが食器を洗っていると、遠くからバイクのエンジン音が聞こえてきた。

舗装されていない地面を走る振動でテントがかたかたと音を立てている。

聞き覚えのあるエンジン音だな、と思いユキが露店から顔を出す。

どよめく人々の視線の先、人で溢れる市場の中を、器用に人混みを掻き分けながらバイクを走らせてきたのはブライアンだった。

ユキのいる露店の前で急ブレーキをかけるとタイヤと地面が擦れて土煙が巻き起こる。

片足をついてエンジンをかけたままブライアンが声を張り上げる。


「八重はいるか」


名指しで呼ばれ、慌てて八重が露店から飛び出す。


「え、はい!います!あの、何かあったんですか?」

「お前の親父さんが仕事中に倒れたそうだ」


途端八重の顔から血の気が引く。

よろめいた八重の身体を近くにいたユキが咄嗟に支えた。八重の身体が小さく震えている。


「八重…大丈夫か?」

「え、ええ…大丈夫よ、ありがとう、天使様。あ、あの、ブライアンさん、お父さんは…」

「詳しい事は俺も知らん。連れて来いと言われたから来たんだ、さっさと後ろに乗れ」

「は、はい…」


震える身体をなんとか動かしてバイクに乗ろうと足を踏み出したその時、八重ははっと何かに気付いて後ろを振り返る。

視界に映るのは母の意思を継いで続けている露店。

客が列を作って料理を楽しみに待ってくれている。

露店はまだ営業している。

完売まで休む間のない忙しさを身に染みて理解している。

八重は個人的な事情で仕事を抜ける事がまるで仕事を放り出すようで、後ろめたい気持ちに襲われた。

八重が何を戸惑ったのか察した売り子達が口々に叫ぶ。


「こっちの心配なんかしなくていーの!」

「店はあたしたちに任せなさい!」

「で、でも…」

「どうせこっちに残ってたって、アンタ親父さんの事気になって仕事手につかないでしょ!」

「早く行ってあげな!」

「あ、ありがとうございます!」

「八重、行くぞ!」


ユキが八重の手を引いてブライアンの元へと連れていく。


「もたもたしてんじゃねぇよ」

「すみませんっ」


八重がバイクの後部座席に座る。続いてユキが八重の前に座り込んだ。


「なんだユキ、お前も着いてくるのか」

「八重のお父さんの事は俺もよく知ってる。俺も心配なんだ」

「いいけど、振り落とされんなよ」

「ブライアンこそ、俺を振り落とすなよ!」



「お父さん!」


木製の扉を勢いよく開けて、父親がいるという建物へ八重が飛び込んで行く。

勢いよく開けたため、ベルが乱暴な音で来客を告げた。

後にユキとブライアンが続く。

八重の父親は配達の仕事をしている。

ここはその取引先の一つ。小さな店舗だが街では有名な薬局で、配達の仕事にいつも八重の父親を指定しているお得意様。

配達する荷物を受け取っている最中に倒れたらしいと、バイクでの移動中ブライアンが話して聞かせた。ブライアンも現場を見た訳ではないので、詳しい事は分からないのだと言う。

八重の父親は元々身体が丈夫ではない。

それは八重も知っていたけれど、仕事中に倒れたという話ははじめて聞いた。

八重の心臓が早鐘を打つ。


「いらっしゃい」


顔面蒼白の八重とは対照的に、落ち着いた声で出迎えられた。

カウンターテーブルの向こう側、一人ロッキングチェアに腰かけている人物がいる。


「ブライアン君が連れて来てくれたんだね、さすが仕事が早い」

「あ、あの、アイリスさん…」

「ああ、君のお父さんでしょ。奥の部屋で休んでもらってるんだ、ついてきなよ」


読んでいた本を閉じて、アイリスと呼ばれたこの店の店主がゆっくりと立ち上がる。

膝掛けにしていた赤いストールを肩に羽織ると、三人に目配せしてから先導する。

廊下を進む間、八重は手を組んでそわそわと落ち着かない。


「あの、父の容体は…」

「もう落ち着いたみたいだよ、良かったね」

「そう、それは、よかった…」


八重の瞳が安堵で潤んだ。

アイリスが部屋の前で立ち止まる。この部屋だよと告げてから扉を開いた。

おそるおそる八重が部屋の中を覗くと、本棚に囲まれた部屋の中に簡素なベッドが一つあり、そこに男性が横になっていた。

その姿を見つけた途端八重が部屋へと転がるように駆け込む。


「お父さん!」


突然現れた娘の姿に、父親が目を丸くして身体を起こす。

八重は父親が無事である事をその目で確かめて、ベッドの傍らに崩れ落ちるように両膝をついた。


「八重、一体どうしたんだい」

「お父さんが倒れたってブライアンさんが知らせてくれたのよ」

「ああ、ああ。それは心配を掛けてしまったね。自警団さん、有難う」

「無事なら何よりだ」

「八重のお父さん、ほんとに大丈夫か…?」

「ああ、天使様も来てくれたんですか。この通り、もう元気ですよ」

「ほんとか?」

「本当ですとも」


父親の大きく骨ばった手が八重とユキの頭を包み込むように撫でる。

緊張が解けた八重が、安心したように大きく息を吐いた。


「荷物運んでる時に突然倒れるんだもん、僕もびっくりしたよ」

「本当に大丈夫なのか」


廊下から部屋の中を眺めていたブライアンが、三人には聞こえないよう声を潜めてユキと同じ質問をアイリスに投げかける。


「本人が大丈夫って言うんだから大丈夫なんでしょ。いやぁ、ブライアン君がたまたま店の前を通りかかってくれて助かったよ。八重ちゃん呼びに行ってくれてありがとね」

「お前が俺に娘を呼びに行ってほしいなんて頼むくらいだから、よっぽどひどかったんじゃないのか」

「僕は薬剤師だけど医者じゃないから実際のところ容体なんてわかんないよ。後々父親になにかあった時どうして知らせなかったんだって噛みつかれると面倒だなって思っただけだよ」

「この部屋、やけに血の臭いがするな」

「ブライアン君は鼻がいいねぇ。別に隠すつもりはないからいいけど。吐血がひどくってね、このまま死んじゃうんじゃないかと思ったよ」


それ以上ブライアンは何も聞かなかった。

八重は母親を病で亡くしている。

それから父親と二人三脚で支え合って生きてきた。

母親がいない分を埋めるように。

父親は娘のために、娘は父親のために。必死に。

アイリスが先を見越して娘に知らせようとした理由もよく分かる。

だから、ブライアンも父親が危篤だと八重に知らせに行く頼みを素直に受けた。

八重の父親が病弱なのは知っている。

娘に悟られないように振る舞っている事も。

自分が口を挟むべきではないと分かっているからブライアンは八重に何も言わない。

けれど。

父親が倒れたと聞いた時の八重の反応を思い出す。

顔面は蒼白、身体は小さく震えていて、失うかもしれない恐怖と怯えで瞳は混濁していた。

ブライアンが溜息をつく。

やりきれない気持ちがちらついた。


「歓談中のところ悪いんだけど、いい?」


アイリスが三人の会話に割り込んだ。


「配達の仕事はどうするの?今日のところは任せられないって事なら、他の人に頼むけど」

「すまないね、アイリスさん。僕はもう大丈夫だから、引き続き仕事をさせてください」


そう言って八重の父親がベッドから身体を起こそうとするのを八重が慌てて止める。

力一杯抑え込む娘の力に驚いて父親の動きが思わず止まる。


「駄目よお父さん、無理をしては!倒れたばかりなんでしょう?」

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないわ」


八重は母親が体調が優れない中仕事を優先して休まず働いていた姿を覚えている。

母親が忙しいという事は、店が繁盛している証拠。

仕事をしている母親は嬉しそうだった。

誰もが笑顔を失くして俯いて生きる世の中で、笑顔で働く母親は眩しかった。

だから強く休めと言わなかった。

止めなかった事を八重は後悔している。


「早く決めてくれない?」


アイリスに催促され、父親が困ったように八重を見る。

八重はなにかを決意したように、アイリスに向き直り力強く手を挙げる。


「私が、父の仕事を引き継ぎます」

「僕は構わないけど、出来るの?君に」

「八重、よしなさい」

「お父さんは黙っていて。出来ます。私が代わります」

「うーん。意気込みが良いのはどうでもいいんだけど…どうしますか?おとうさん?」


いくら八重が仕事を引き継ぐと主張しようとも、最終決定はアイリスと仕事の契約を交わしている父親の意思に委ねるという事らしい。

八重が真剣な眼差しで父親を見ている。

暫く父と娘が真正面から向き合っていたが、根負けしたのは父親の方だった。

渋々と首を縦に振る。


「娘に一任します」

「そう。じゃあ仕事の説明するからついてきて」

「はい。お父さん、安静にしてないと駄目よ!」

「駄目だぞ!」

「はいはい…」


部屋から出ていく娘とユキの後姿を見送ってから、父親はおとなしく身体をベッドに預けた。

八重、ユキ、ブライアンの三人はアイリスの案内で店の裏に出る。

そこには大型の貨物自動車が一台停まっていた。

片隅には八重の父親が荷台に積み込み作業を行っていたであろう段ボール箱が、幾つも積まれたままの形で置かれている。


「ここにある段ボール箱を全部お願いんだ」

「はい、頑張ります!」


八重は胸の前で握り拳を作り、威勢よく返事をする。


「俺も手伝う!」

「天使様…お気持ちは嬉しいのだけど力作業になるわ。天使様には荷が重いかも…」

「俺がいて八重の仕事の邪魔になるようだったらすぐにどくよ。でも、俺に手伝える事がある分にはいいだろ?」

「でも…」

「いつもおいしいごはん作ってくれてるお礼だ!」

「まぁ…それじゃ、ありがとう。一緒に頑張りましょう」

「ああ!」


柔らかく微笑んで、八重はユキの申し出を受け入れる。

アイリスとブライアンが見守る中、二人は段ボール箱を荷台へ運ぶ作業を開始する。

はじめのうちはユキも八重も一人で持てるような小さい段ボール箱もあったが、次第に一人の力では抱えるのが難しい重さの物が増えていく。

二人共段ボール箱を運ぶ足取りがふらふらとしていて危なっかしい。

八重が運んでいると、下からユキが支えるようにして持ち上げた。


「二人でなら持てるぞ」

「ありがとう、天使様」

「それにしても重いな…なぁアイリス、中身はなんなんだ?」


ユキの問いかけに、アイリスが口をくすりと口角をあげる。


「臓器だよ、ヒトのね」


軽い口調で告げるアイリスの回答に八重とユキが固まった。

ずっしりと重量感が増していく感覚に囚われた二人は段ボール箱から視線を動かせない。

そんな二人の様子を見て、アイリスがおかしそうに続ける。


「知ってた?ヒトの臓器って高値で売買されてるんだよ。新鮮であればある程いいの」


八重とユキが息を呑む。

そこへブライアンが大股で近付き、二人が抱えていた段ボール箱を取り上げると、その場に置いて乱暴に開封した。

八重が短い悲鳴をあげて両手で目を隠す。


「そんな物騒なモン積んでる訳ないだろ」


段ボール箱の中身は小さな医薬品の箱で埋まっていた。


「怖がらせるなよ」

「ごめんごめん、ブライアン君が睨むと怖いからやめてよ」


悪びれずアイリスが舌をちろりと出しておどけてみせる。そんなアイリスをぱちくりと瞬きしながら八重ちユキが見つめる。


「冗談でしたか…」

「心臓に悪いぞ…」

「分かったならさっさと手を動かせ」


一向に終わりが見えない二人の作業を見ていてしびれをきらしたらしいブライアンも運搬作業に加わる。八重とユキが二人掛かりで運んでいた段ボールを幾つも積み重ね持ち上げて素早くトラックの荷台へと積んで行く。

その無駄のない動きに八重とユキが関心の眼差しを向けている間に、段ボール箱はブライアンが積み終わってしまった。

八重とユキが拍手を送ると、払いのけるようにブライアンが片手をひらひらとさせた。


「で、八重。お前、運転出来るのか?」

「え?」


荷物を積んだ大型貨物自動車の前でブライアンが尋ねると、八重が頭上にクエスチョンマークを浮かべながら小首を傾げた。

ブライアンが呆れたような視線を八重に送る。


「荷物積んで終わりじゃねぇだろ」

「あ」

「行き先は市街地にある工場だよー。住所はトラックの運転席に置いてあるから。よろしくね」


積み荷を確認したアイリスは一人でそそくさと店内へと戻って行く。

八重は運転の免許を取得していない。

荷物を積んだ後の事を考えていなかった八重は父親のトラックを呆然と眺めながら冷や汗をかく。

その様子をきょとんとユキが見つめている。


「あの…」


ぎこちなく八重がブライアンを見る。


「なんだ」

「ブライアンさんって、運転、出来ますよね」


ブライアンが露骨にめんどくさそうな顔をした。

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