missing child - 1

朝日に照らされて、街を包んでいた白い霧が静かに晴れていく。

日の当たる場所でも肌寒さを感じる中を、雛菊が軽い足取りで散策している。

硝煙や鉄の臭いが混ざらない済んだ空気。

家庭から漏れてくる和やかな声。

道行く人々の顔は晴れやかで、街の人々が”普通”の暮らしを営んでいる姿に雛菊が綻ぶ。

雛菊は自警団に所属している。

かつての街の現状にひどく心を痛め、人一倍自警団として熱心に活動している内の一人。

熱心故に熱くなりやすく、自分の主張を押しつけてしまう未熟な部分もあるが、それは雛菊がこの街を、故郷の安寧を強く願うからこそだった。

いつものように揉め事が起こっていないか気を配りながらあてどなく歩いていると、路地裏からユキが現れた。


「ども!ユキ君、おはよーございます!」

「ヒナ、おはよ」

「お、どーしたんすか、その猫」


雛菊が首を傾げる。

路地裏から出てきたユキは、一匹の黒い子猫を抱えていた。


「今拾った。にゃーにゃー鳴き声が聞こえてきてさ。声がする方探してたらコイツが路地裏で丸まってるのを見つけたんだ。迷子かな?」

「確かに何処かで飼われてた猫さんっぽいっすね」


黒猫は人に慣れしているようで、おとなしくユキの腕に抱かれ身体を預けている。

埃を被ってはいたがその毛並みは手入れが行き届いており、首にはリボンを巻いている。


「俺、この子の飼い主探そうと思う」

「ユキ君一人で?何かアテはあるんすか?」

「ないけど…放っておけないじゃんか」


ユキが抱えている猫の頭を撫でる。

もしも、飼い主が見つからなかったら?

飼い主は亡くなっていて、もう野良なのかもしれない。

捨てられたのかもしれない。

雛菊の脳裏に様々な可能性が浮かぶ。

この街で野良猫や野良犬は珍しくない。

徒労に終わるかもしれない。

けれど本当に猫が迷子なのだとしたら。

飼い主の元へ帰してあげたい気持ちは雛菊も同じだった。


「俺も、御一緒しますよ」

「ほんとか!それは心強い、ありがとう!ヒナ!」

「いえいえ、俺も迷子はほっとけませんよ」


雛菊が子猫の頭を撫でようと手を伸ばす。

子猫は雛菊の手に思いきり噛みついた。



食欲をそそる香りが教会の台所から漂っている。

サツキが食堂へ顔を出すと、シロが完成した料理を食器へ盛っているところだった。

その後ろにある流し台では、白夜が食器を洗っている。


「お、今日は目玉焼きに挑戦すると聞いていたが、予定を変更して卵焼きにしたのか?」


サツキの視線の先、三人分用意された料理の中に卵焼きがある。

美味しそうな湯気が立ち上る卵焼きは形が崩れ所々焦げ目がついていて、白夜が挑戦した事は聞くまでもなかった。

食器洗いを終えた白夜が、濡れた手をタオルで拭きながらぎこちなく振り返る。


「目玉焼きを教わる予定だったのですが、その…私がうまく卵を割る事が出来なくて…」

「使う予定の卵の黄身が全て潰れてしまったので予定を変更しました」


シロが淡々とした口調で経緯を説明すると、白夜が肩を落とした。


「料理が苦手だからお前は料理をシロに習おうと思ったのじゃろう?何事もはじめからうまくは出来んよ」

「はい、頑張ります」

「それにわし、卵焼きすきじゃよ」


卵焼きは食べやすいよう一口サイズに切り分けられていて、サツキがその内の一つを摘まんで口に放り込む。

すると次の瞬間盛大に咽た。

慌てる事なくシロがコップに水を汲んでサツキへと渡す。受け取ったコップをサツキが一気に飲み干したが、まだ咳込んでいる。


「…サツキ、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫じゃ、けほっ、大丈夫、なのじゃが、げほっ、…びっくりした!超辛い!塩辛い!」

「し、神父様すみません!味付けは私がしました!」

「これ味見はしたのか?」

「味見…?」

「なんじゃ『その発想はなかった』とでも言いたげな顔は」

「その発想はありませんでした…」

「今度から頼む…」

「分かりました…それと、砂糖は入れ過ぎると塩辛くなってしまうんですね。はじめて知りました」

「んん?」

「シロさんは普段神父様の味の好みに合わせて甘口寄りだと窺ったので、甘くしようと思ったのですが………え、神父様なんですかその目は」

「白夜様。もしかして、砂糖と塩を間違えたのではないでしょうか」

「えっ」

「砂糖と塩は、見た目がよく似ていますから」

「なんて古典的な」

「す…っ、すみま…すみません……ッ!」


白夜が顔を覆いながら震える。


「白夜様。こちらの卵焼きはこのままでは喉を通りにくいようなので、他の野菜と混ぜて炒めましょう」

「は、はい!手伝います!」


紆余曲折を経て完成した野菜炒めは卵焼きの失敗を忘れる出来で、白夜は改めてシロの料理の腕前に感動した。

数日前から白夜はシロに料理を教わるため教会へと通っている。

料理を教えるといってもシロには教会での仕事がある。そのため個人的に料理を教える時間の確保が難しかった。

なのでシロが食事を作る時間と白夜の都合が合う日に教わっている。

白夜はシロの予定を予め聞いておき、積極的に自分から都合を合わせるようにしている。


「卵焼きの味付けを間違えてしまったと気付いた時は、どうしようかと思いました」

「シロの閃きに救われたな」

「はい。私には出来ない発想でした。勉強になります。これからも宜しくお願いしますね」

「…はい」


片付けを終えた白夜はこれから仕事へ向かうための支度を素早く済ませる。

玄関扉の前で振り返り、改めてサツキとシロに深々と頭を下げる。


「今日も有難う御座いました」

「今回は塩と砂糖の違いを学べたな!」

「はい、もう間違えません。それではまた、教わりに来ますね」


了解と言うように、シロは小さく頭を下げる。


「それでは、失礼します」


白夜が扉の取っ手に手を伸ばす。

しかし白夜が取っ手に触れるよりも先に、教会の扉が開いた。

教会への来訪者かと思い白夜が一歩下がる。

重く大きな扉は重低音を響かせながらゆっくりと開く。

その隙間から現れたのはユキと雛菊だった。白夜が目の色を変える。


「ユキさん!雛菊さんも」

「こんにちはー」

「はい、こんにちは…!」

「二人揃ってどうしたのじゃ?」

「ちょいと迷子の子猫の飼い主を探しておりまして」

「子猫、ですか」

「この子だ」


そう言ってユキが子猫の両脇に手を入れて抱え上げる。

白夜は子猫と視線が合うよう前かがみになりまじまじと見つめる。


「神父様は街の事を誰よりも詳しいから、なにか知ってるんじゃないかと思って来たんだけど」

「ふふーん、嬉しい評価を有難うなのじゃ。しかしわしを頼って来てくれたのにすまん。その猫に見覚えはない。シロはどうじゃ?」

「はじめて見る猫です」

「ふーむ。白夜はどうじゃ?」

「私も見覚えがありません…」

「そっか」


しゅんと俯き残念そうなユキの姿を見て白夜が狼狽える。

改めて猫に関してユキに提供出来る情報はないかと必死で記憶を探ったが、やはり思い当たらず白夜も俯いてしまう。


「お力になれず、すみません」

「あ、白夜が気にする事はないぞ。街のみんなに聞いて回ってる事なんだ」

「そうでしたか」

「これだけ目撃情報がないっつー事は、普段室内で飼われてる猫なのかもですね」


むむむ、と雛菊が顎に手を当てて呻る。


「あの、私も猫の飼い主探しを手伝います!」

「阿呆。お前には午後から仕事があるじゃろ。またすっぽかす気か」


勢いよく手を挙げて子猫の飼い主探しの手伝いを名乗り出た白夜だったが、すかさずサツキに指摘され消沈する。

何か言い返したそうに口をもごもごしていたが、言葉は見つからなかったようで、黙ったまま眉尻を下げた。


「ユキ君には俺がついてるから大丈夫っすよ」


雛菊が項垂れている白夜の肩をぽんぽんと叩く。

暫く情けない呻き声を漏らしていた白夜だったが、何か閃いたようでその顔に生気が戻る。


「そうだ、斡旋所に行ってみるのはどうですか?」

「斡旋所?」


白夜の提案に、ユキが首を傾げる。


「はい。私はいつもそこで仕事を斡旋してもらっているのですが、その中にペットの捜索依頼が出ている事もあるんですよ」

「そーなんだ」

「ほう。それは行ってみる価値アリっすね」

「あ…でも、空振りになってしまったら…すみません…」

「なに謝ってるんだ、手がかりが一つ増えるのは助かる事なんだぞ。白夜、ありがとう」

「ユキさん…!私は一緒に行く事は出来ませんが、迷い猫の飼い主が無事見つかる事を祈ってますね」



雛菊とユキは斡旋所へと足を運んだ。

二人共斡旋所を利用した事はなかったが、建物の位置は把握していたので迷わず辿り着く事が出来た。

屋根は高く、石造りの建物は重厚感がある。

建物の前に設置された掲示板には現在受け付けている仕事の一部が張り出されているため、人だかりが出来ている。

正面玄関へと進み扉を開けると、来訪を告げる鈴が凛と鳴った。

外観に相応しい優雅で落ち着いた内装。渋い色味の壁には一面、外の掲示板と同じように仕事が所狭しと張り出されている。

建物内には大勢の利用客がいた。

細身の女性から屈強な男性まで、幅広い年齢層が見受けられる。

皆一様に自分の仕事を見つける事に集中していて、人口密度に対して話し声は目立たない。

雛菊がすぐそばに貼られている用紙に目を通す。

客引き・立ち売り・配達・清掃等、様々な仕事が並んでいて、仕事の種類で張り紙が固められている事はなさそうだ。

室内に設置されたテーブルの上にも書類の束がいくつもある。利用客がそれらに目を通しているところを見ると、それも案件なのだろう。

ペットの捜索依頼があるかどうか、地道に探していくしかない。


「雛菊、どうだ?この子の捜索依頼、ありそうか?」

「うーん、これはちょいと時間がかかるかもですね」

「そっか…そうだよな。これ全部仕事の依頼なんだろ?」

「そーっすよ」

「俺も字が読めたら手伝えるのに…ごめん」

「ユキ君が謝る事ねーですよ。ここは俺に頼っていーところです!」


ユキは字が読めない。

本人に学ぶ意欲があるため、学びの場が限られているこの街で唯一安定して読み書きが学べる教会へユキは足繁く通っている。

教会では定期的に読み書きを教える時間を設けていて、ユキの他にも年齢を問わず多くの人が集まっていた。

その人達の中でユキの吸収率は低い方ではなかったが、まだまだ未熟だった。


「なにやってんだお前ら」

「大和さん」

「小遣い稼ぎの仕事でも探しに来たのか?」


二人に声を掛けたのは大和だった。

大和も白夜と同じく斡旋所で仕事を紹介してもらい日銭を稼いでいる。引き受けた仕事の完遂手続きをしに訪れたところだった。


「やや、違います。小遣い稼ぎじゃなくって…って、そうだ、大和さんここよく利用してますよね?ペットの捜索依頼がどこに張り出されてるかなんて知りません?」

「ペットの捜索依頼?」

「うっす」

「受理された仕事の張り紙が外されて、すぐそこに新しい張り紙を貼っていくんだ。どこになにが貼ってあるかなんて、職員も把握してないだろうよ」

「そっすかー」

「まあ、何処になにが貼ってあるかは分からなくても、職員が把握出来るよう管理されてはいるだろう。受付に聞いたらどうだ?」

「そうか!さすが大和さん、ナイスアドバイス!」

「しかしなんでまたペットの捜索依頼なんか」

「ユキ君が子猫を保護したんすよ」

「猫?」


雛菊と向き合って会話をしていたため、大和はユキが猫を抱えている事に気付いていなかった。

大和が猫の首根っこを摘まんで持ち上げる。

まじまじと見つめられている猫は大和に捕まれたまま間の抜けた欠伸をする。


「お前、南地区に一人で住んでる爺さんとこで飼われてる猫だな?」


返事をするように猫が鳴いた。

ユキは驚く。

大和が猫の飼い主を知っているかもしれない。


「この子の事、知ってるのか?」

「ああ。散歩でもしててこっちに迷い込んで来たのか?」


大和が猫をユキの腕の中へと返す。


「大和、そのおじいさんの家へ案内してくれないか?」

「今からか?構わんが…」

「うおーまじっすか!ありがとうございます大和さん!」

「分かったから万歳はやめろ…」

「良かったですねユキ君!猫、無事送り届けてあげられそーですよ!」

「うん!良かったな、もうすぐうちに帰れるぞ」


ユキが嬉しそうに猫の頭を撫でた。



大和の案内で猫の飼い主の家を目指す。


「自警団さん、その後どうだい?」

「まだ探し回ってるのかい?うちでちょっと休んでいきなよ」

「天使様、猫の飼い主は見つかった?」


道中すれ違う人々がユキと雛菊に声を掛ける。

手がかりは見つかったとユキが返事をすれば、街の人々は笑顔を返した。


「雛菊、お前よく斡旋所でペットの捜索届出てるなんて知ってたな。斡旋所なんて利用した事ないだろう」

「それは白夜さんに知恵を頂いたのですよ」

「白夜に?」

「うい。はじめは神父さんを尋ねて教会へ行ったのですけどね、そこに白夜さんもいらっしゃいまして」

「白夜が?なんでまた」

「なんでも、シロ君に料理を教わっているのだとか。努力家っすね、白夜さん」

「そういえばそんな話もしてたな」


他愛ない会話を交えながら三人が目的地に向かい進んでいると、辺りが騒がしくなってきた。

騒がしさは歩みを進める度色濃いものになっていく。

通り過ぎる人達の顔色に不安や戸惑いの感情が窺える。

慌てた様子で駆けて来た一人を大和が捕まえる。

突然腕を掴まれた男性は苛立ちを露わにしたが、自分の腕を掴んだのが自警団として日頃街中を駆けまわっている一人だと分かると警戒心を解く。


「何か騒ぎでもあったのか?」

「この先で火事が起こってるんだよ。住んでる爺さんが逃げ遅れてまだ家の中にいるって話で」

「何処だ!」


大和の顔色が変わる。

男とのやりとりが聞こえていなかった雛菊とユキは大和の様子から不穏な空気を感じ取り息を呑む。

男から情報を聞きながら、大和はすぐ動けるように南地区に在住している老人の顔と住所を頭の中で整理する。

男から住所を耳にした時、自然とユキの抱えている猫へと視線が動いた。

火事の現場は、今からユキを連れて向かおうとしていた家だった。

現場へと向かいながら、大和が火事の現場が子猫の飼い主である老父の家だと伝えるとユキが泣きそうな顔になる。

雛菊へ男性から聞いた状況を簡単に伝え、大和は二人に合わせていた速度を上げて現場へと急ぐ。

ユキも懸命に追う。

走る振動で子猫がにゃあにゃと鳴いた。

ユキが力強く抱き締める。

現場に近付くにつれて辺りに煙が充満しているのが分かった。

煙で目が痛む。

物が焼ける臭いが強くなる。

バチバチと物が燃える大きな音が辺りに乱暴に聞こえてくる。

現場に到着すると、人混みを掻き分けて人垣の前に身を乗り出した。

家屋が炎に飲み込まれていた。

黒い煙を巻き上げながら赤い炎がまるで生き物のように轟々と蠢いている。

その光景の恐ろしさに、見上げるユキの足がすくむ。

あまりの熱さに喉が痛み、呼吸がしづらい。

まだどこも崩れず家屋の原型を保ってはいるが、いつ崩壊してもおかしくない程火の手が回っている。

辺りを見回すと大和の姿を見つる事が出来た。

消防隊と連携しながら声を張り上げ周りに支持を出しているようだったが、炎が上げる轟音で聞き取る事は出来ない。

猫が家を見上げながら鳴く。

先程までユキの腕の中で安心して身を委ねていた猫が、今は離せと訴えるようにユキの胸に爪を立てている。

家屋を見上げ、大和から聞いた話を思い出す。

家の中に、おじいさんが取り残されている。


「ヒナ、この子お願い!」

「はあ?!」


ユキが雛菊に子猫を渡して燃え盛る家屋目掛けて一直線に走り出す。

すぐさま雛菊はユキの上着のフードを掴んで無理矢理止めた。


「なんだヒナ、離せ!おじいさんはまだ家の中にいるんだろう!はやく助けてやらないと!」

「いやいやいや落ち着いて考えてください、ここでユキ君が行って何が出来るんですか!

危ないですよ!」

「だから俺が行くんだ!俺は死なないから大丈夫だ!」


パンッ


と、乾いた音が辺りに響いた。

雛菊がユキの頬を平手で叩いたのだ。

小さな身体は叩かれた勢いでバランスを崩し転びそうになるが踏み止まる。叩かれたばかりの左頬は軽く触れると痺れた。


「馬鹿な事言ってんじゃねえ!そういうのは、大丈夫って言わないんだ!」


雛菊がユキに怒鳴りつける。

辺りを支配していた業火が立てる轟々という音を掻き消すような雛菊の怒声とその剣幕にユキは身体を僅かに縮こまらせた。

俯いて唇を噛む。瞳が潤む。

その姿を雛菊がじっと見つめる。


「俺が行くから、大丈夫ですよ」

「ぇ」


雛菊は猫をユキに向かって放り投げる。慌ててユキが猫を抱きとめる。顔を上げると、そこにもう雛菊の姿はない。

雛菊は勢いを増し続けながら燃え盛る家族の中へと駆け込んでいた。



数時間後。

火事は無事消防隊によって消し止められた。

火元である家屋は焼け崩れてしまったが周りに飛び火の被害はなく、死者は出なかった。

家主である老父は、次の瞬間には屋根が崩れるというところで雛菊に助け出されていた。

老父は足が悪く身動きが取れなかったため軽い火傷を負ってしまったが、命に別状はない。

間一髪救け出してくれた雛菊に涙を浮かべながら何度も御礼を告げた老父は、今は駆け付けた親戚とその身の無事を喜び合っている。

その老父の膝の上には、ユキが見つけた子猫が居心地良さそうに座っている。

消防隊の処置を受け終えた雛菊がその様子を見守っていると、背中に軽い衝撃を感じた。

振り返るとユキが頬を膨らませている。

どうやら背中を小突いたのはユキらしい。


「俺には行くの止めたくせに」


雛菊の身体は火事の中へ飛び込んだため怪我を負っていた。傷口を覆う包帯やガーゼ、覆われていない部分にも軽い火傷の跡が見られる。

ユキにはまるで雛菊が自分の身代わりになって怪我をしたように見えて、口を真一文字に結ぶ。


「ユキ君があの場で飛び込んでいくのは無謀ってゆーんですよ」

「ヒナにだけは言われたくない事言われた!」

「君があの場で家に飛び込んだとして、まずどうやっておじいさんを外へ連れ出すつもりだったんすか?おじいさんは足が不自由なんすよ。ユキ君の身長では支えになってあげる事すら出来ません」

「うぐ」

「ユキ君は自分が死なないから大丈夫と言いましたが、だから大丈夫だなんて、俺は思いません。ユキ君が煙に巻かれて意識を失って、そこでユキ君が焼け死ななくっても目的であるおじいさんは助けられません」

「うぐぐ」

「っていうか。死なないから大丈夫なんて言い分ありえねえ。そんな理由で無茶するのは駄目です。大人として見過ごせません」


雛菊がユキの額にでこぴんをお見舞いする。ユキが両手で額をおさえてうぐう…と呻く。


「まったく。無鉄砲なんすから」

「無鉄砲はヒナの代名詞だと思う」

「とう!」


雛菊が手刀をユキの頭頂部に叩き込んだ。


「いたい!」

「まるで子供の喧嘩だな」


呆れた声が二人に向けられる。

消防隊の仕事を手伝い現場を駆けまわっていた大和だった。

人手不足の消防隊と自警団が連携する事は珍しくない。


「雛菊。いくらユキに比べお前の方が体力腕力共に上でも現場は火の海だ。想定外の事態は充分起こり得る。危険で無謀だったのはお前だって同じだ。ユキにばかり頭ごなしに怒るもんじゃない」

「はい…」

「そうだぞ!」

「ユキも。自分は死なないからって言い分は俺も許さない」

「ご、ごめん…」


厳しい口調で言われ、ユキがしゅんと肩を落とす。

その頭を大和は乱暴に撫でた。

大和が雛菊に視線を移すと、雛菊は背筋を正して大和を見る。


「けど、お前は結果として老父を救い出した。よくやった」

「はい」


大和の言葉を噛み締めるように瞳を伏せる。

今回の自分の行動が胸を張れるものじゃない事も分かっている。

自分が未熟だという事を、雛菊は誰よりも自分が理解している。


「ユキ、今から少し時間あるだろ?」

「ほえ?」

「爺さんがユキに猫を連れて来てくれた礼を言いたいんだとさ。あの猫、数日前から家に帰ってなかったらしい」


ユキが老父の方を見ると、老父が手を振っている。

親戚と短く言葉を交わすと車椅子を押してもらいながらユキに近付いて来る。

ユキからも駆け寄ると、その飼い主の膝の上で丸くなり安らかな寝息を立てている猫が見えて、ユキは微笑んだ。



空は夕焼けに染まっていて日没が近い。

一日中子猫の飼い主を探して街を奔走していたためユキの両足は鈍痛を訴えていたが、その表情は晴れやかだ。

迷子の子猫を無事飼い主の元へ届ける事が出来たユキ、雛菊、大和の三人が来た道を戻っていると、白夜が前方から駆け足で三人の元へと向かってきているのが見えた。

三人は歩みを止めて白夜を待つ。

白夜はその場で深呼吸をひとつして乱れた呼吸を整える。随分長い距離を走ってきたのか、その額には汗が浮かんでいた。


「どうした、そんなに息を切らして。急用か?」

「いいえ、違います。私はユキさん達を探していたんですよ」

「ん?俺達を?」

「はい。街の人に聞いて回ったら、南地区の方へ向かったと聞いたので」

「なんで?」

「今日の仕事が片付いたので、ユキさんのお手伝いが出来ればと思ったのですが…」


白夜がユキを見る。

教会で会った時より明るい表情を浮かべていて、一目で上機嫌だと分かる。

その腕の中に子猫の姿はない。

視線をユキの両脇にいる大和、そして雛菊へと移し、二人も子猫を抱えていない事を確認してから口を開く。


「どうやら、子猫の飼い主は見つかったようですね」

「ああ!そうだ!白夜のおかげだ、有難う!」

「え?」

「斡旋所を紹介してくれただろ。猫の捜索願いの張り紙は見つけられなかったんだけど、斡旋所に行ったおかげで飼い主の住所を特定する事が出来たんだ!」

「斡旋所で偶然会った大和さんが子猫に見覚えがあったのですよ」

「斡旋所なんて発想はなかったからさ。白夜が教えてくれたおかげで大和に会えたんだ。ありがとな!」

「そう、ですか。ユキさんのお力になれたようでなによりです」

「うん。手伝いにも来てくれて嬉しいぞ。仕事終わって疲れてるのに、ありがとう。けど、無駄足になっちゃったな…」

「いえ、これは私が個人的に、子猫の飼い主の捜索のその後が気になっただけですから。それに、ユキさんを心配していたのは私だけじゃありません。神父さんも、ユキさんが子猫の飼い主を見つけられるかどうか、随分気に掛けていましたよ」

「そっか。じゃあ神父様にも、ちゃんと飼い主見つかったって伝えに行かなきゃな」

「だったら、今から行ったらどうだ?」

「今から教会に向かったんじゃ日が沈んじゃいますよ」


教会は街の中心部からやや離れた所に位置している。

雛菊の指摘通り、四人がいる地点から教会までは距離が離れていて、移動中日が沈んでしまうのは容易に予想がついた。


「教会にそのまま泊めてもらえ。今夜の見回りは俺の当番だから、ユキをうちに送ってから出る予定だったんだ。一人で留守番させるよりずっと安全だろ」

「俺、一人で留守番くらい出来るぞ」

「教会に泊まってくれてる方が俺も安心出来る」

「う!うぬ…!」


大和自身が安心出来るからと言われてしまっては、ユキに返す言葉はない。

自分の身を案じて提案してくれたのだと分かるから、口を尖らせながらもユキはそれ以上続けなかった。

自宅に施錠をしていたとしても、決して安全とはいえない事を、ユキもよく知っている。

朝起きると子供が失踪していた、なんて被害の報告を、数えきれない程耳にしてきた。

大和が白夜と雛菊を交互に見る。


「教会までユキを任せていいか?」

「勿論ですよ」

「お任せあれ!」

「助かる」

「大和、見回り、気を付けてな」

「ああ」


じゃあな、と告げて大和は小走りで駆けて行く。

遠ざかる背中を見送りながら、ユキがぽつりと呟く。


「大和は毎日忙しそうだ」

「ブライアンさん調べなんすけど、最近どうやらちょいと失踪者が増加傾向にあるらしいんす。悲しい事にこのご時世失踪なんて珍しくありませんので、たまたま増えただけなのかもしれません。けど、用心するに越した事はありません。なので、自警団で見回り強化しようって話になったんすよ。人の目があれば牽制にもなるっしょ」

「そうなのか…忙しいのに今日は俺に付き合ってくれてありがとうだな。雛菊も」

「困ってる人のお手伝いをするのは、自警団の立派なお仕事ですよ。最後に笑えたなら万々歳です」


雛菊がにっと笑う。


「ユキさんに見つけてもらえた子猫は運が良かったですね。無事家族の元に帰る事が出来て」

「そっかな。俺がでしゃばんなくっても、家に帰ってた気もする」

「そうかもしれませんけど…誰にも知られず、見つけてもらえず、野たれ死んでいく方が多い世の中ですから。帰り道が分かっていても、帰れない事だってあります」

「そうっすよ。猫の飼い主を探そうとユキ君が動いてくれたから、火事の現場にだって居合わせる事が出来たのですから!」

「わはは…二人共俺を褒め過ぎだ。照れるぞ」


ユキは照れたように両手で口元を隠してしながら笑う。


「あの…火事って何の話ですか?二人がやけに煤に塗れている事と関係が?」


大和も煤を被っていた事を思い出しながら、白夜が疑問を口にする。

火事現場に居合わせた三人は、ぱらぱらと雪が降り積もったように全身に煤が付着していた。

雛菊にいたっては衣服の所々が焼け焦げていて、負傷している。

雛菊とユキが視線を交わしてからどちらからともなく笑い合い、今日の出来事を白夜に語り聞かせる。

疎らにある街灯が、暗闇の中点々と三人の行く先を照らしている。

三人は穏やかに教会への道を進んだ。

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