This world - 3

かつてこの国の秩序は死んでいた。

殺人、強盗、強姦、傷害、恐喝等あらゆる犯罪が蔓延り、理不尽が横行し、絶望が絶えない、安全とは無縁の無法地帯だった。

道端に転がる死体は日常の風景。

耳を劈く悲鳴や助けを乞う声に、誰も耳を傾ける事はない。

治安を守る筈の警察は賄賂を貪り、保身に走り、不正が正される事はない。

人々は毎日何かに怯えながら生きていた。

希望なんてない。

誰もが一日を生き延びる事に必死で、やがて誰も守らない道徳を誰もが捨てていく。

腐食はとめどなく広がって、終わっていた。

そんな世界がなんの前触れもなく一変したのは5年前。

当時の国家元首が殺された。

心臓を一突きにされた死体は本部前に晒され、周りには政治権力者達の死体。

身体の一部が削げ落ちた死体。

ぱっくりと真一文字に肉が裂けている死体。

鋭利な刃物で無数に突き刺した跡が全員に刻まれていた。

それら全ての死体は、先端が鋭利に尖った棒状の杭で下腹部から縦に刺し貫かれいて、口や脳天、喉から刃の先端が飛び出ていた。

苛烈で、残酷で、凄惨な光景はまるで見せしめのようで、それは人々の心に焼き付いた。

死体が晒されている場には軍人が配備されている。

この国を護るために国が保有していた軍隊が、死体を片付けるためではなく、その場に誰も踏み入れさせないために機能していた。

その中の一人が声を高らかに告げる。

今日から世界は変わるのだと。

無能な元首は死んだ。

新たに即位した私達の王が望むのは世界の安寧。

そのために。

決して、秩序を乱す行いを許さないと。

その宣告は瞬く間に国中に届き渡った。

救世主が現れたと皆喜んだ。

後日。

反論を唱えた権力者達が生きたまま刺し貫かれた姿で本部前に晒された。

既に絶命している者の他に、杭が自らの体重で深く刺さっていく痛みに苦悶の表情と拉げた呻き声を上げる者もいる。

周りには晒された時のまま片付けられる事がなかった国家元首達の死体が鴉や野良犬に食い散らかされ、肉片が散らばり、腐臭を放っていた。

次の日。

傷害事件を起こした若者達が殺され晒された。

次の日。

強姦事件を起こした男が、縦に裂かれた姿で広場に吊るされた。

次の日。

殺人を犯した男が、指の先端から細かく切り刻まれ殺されていく処刑が広場で行われた。

同じ過ちを犯すなと警告するように残虐さを増していく処刑方法とその無残な死体を前に、人々は恐れ慄き口を噤む。

恐怖が国を包んでいく。

見せしめとしての効果は絶大だった。

政策方針に納得出来ない人間は大勢いる。

けれど実際加速度的に犯罪は減り、治安は回復した。

たった数ヶ月で、死んでいた国は息を吹き返しはじめた。

せかいは平和へと近付いていた。



広場に串刺しにされた死体が複数晒されている。

人混みを掻き分けユキの元へと駆け寄った大和はユキの頭を掴みくるりと後ろを向かせた。

昨日白夜がユキにしたように、大和としてもユキに凄惨な光景を目にしてほしくない。

街の治安は回復し、道端のあちらこちらに死体が転がっているような光景は見られなくなった。街の外も同じように、国規模で犯罪が減ったと伝え聞く。

しかし、今は無残な死体が毎日のように人目につく場所を選んで晒されている。

それはもう街の光景の一部になっていて、ユキにとっても今更目にして驚くような光景ではない。

人間の指が切断される様を見ても。

串刺しにされた死体を見ても。

こんな子供が、そんな凄惨な光景を見慣れてしまっている現状は、大和にとって心苦しいものだった。

ユキの正面に回り込み、目線を合わせるためにしゃがみむ。

するとその直後、


「ごめん!」


と、ユキが突然頭を下げた。大和はぎょっとする。


「なんで謝る」

「大和、俺に怒ってるだろ?」

「なんでそうなる」

「だって今怖い顔して怒鳴ったじゃないか…今声掛けちゃ駄目だった?俺、大和の仕事の邪魔しちゃったか?」


眉尻を下げてユキが答える。

ユキの声が大和の耳に届いた時、ユキが自分に駆け寄って来ていると察した大和は、目にしていた広場の死体をユキに見せたくないあまり咄嗟に怒鳴りつけてしまった。

それをユキは、自分のせいで大和を怒らせたと勘違いをしてしまっていた。


「違…っ」

「それは違うぞユキ、大和はお前を心配したのさ」


そこに現れたのはブライアンだった。

しゃがむ大和の傍らに立ち、挨拶代わりにユキの頭を乱暴に撫でる。

乱れた髪を手で梳かしながら、ユキがブライアンに聞き返す。


「心配?」

「そうだ。串刺し死体なんか見たらお前が怖がると思ったんだ」

「大和、そうなのか?」

「まあ…」

「そっか…大和は俺が怖い思いをしないよう気遣ってくれてたのか」

「そーいう事」

「じゃあ俺が大和に言うべきだったのはごめんじゃなくて御礼だったんだ。ありがと、大和」


誤解が解けた事で、曇っていたユキに笑顔が戻る。

大和は立ち上がり、助け船を出してくれたブライアンに頭を下げた。


「どんまい!」


にっと笑い、ブライアンは大和の背中を叩いた。思わず前のめりになる大和を見て、ユキは声をあげて笑う。

その時、突然広場につんざく叫び声が響いた。

ブライアンと大和が素早く辺りを見回す。声の主はすぐに見つける事が出来た。

喚き声を上げながら広場に近付いて行くのは一人の少女。

押し退けた衝撃で子供が転んでも見向きもしない。晒された死体を見上げながら人混みを掻き分けていく。


「姉さん!姉さんどうして!!」


死体の中には女性の姿もある。それらの誰かが少女の姉なのだろう。

晒されている血縁者の死体の前で泣き崩れる残された親族の姿。

これも珍しいものではない。

しかし見慣れる事が出来るものでもなく、大和は険しい表情で少女の後姿を見つめる。


「…オイ、まずいぞ」


言いながら、ブライアンは少女へと向かって駆け出していた。

一直線に死体へと向かう少女に立ち止まる気配はない。

少女は死体へ手を伸ばしている。串刺しにされた姉の死体を、降ろそうとしていた。

ブライアンが舌打ちをする。今いる位置からでは少女を止めに入れない。間に合わない。

少女の手が死体に届く、その直前、人混みの中から一人の青年が飛び出し少女を横から蹴り飛ばした。

少女は砂煙をあげながら地面を転がる。蹴りを入れた青年が少女に大股で近付き、胸倉を掴みあげた。


「馬鹿野郎!死にてーのか!!」


突然の出来事に少女はぽかんと口を開けたまま唖然としている。数度瞬きをした後ようやく現状を理解したのか、血相を変える。


「なっ…なんで邪魔するの!離して!早く、早く降ろしてあげないと!」

「させない!私情で晒されてる人を降ろせばお前まで処罰対象にされる、分かってんのか!」

「分かってる!けど、家族があんな晒し者にされて放っておける訳ないでしょ!」

「分かってるんだったら早まるな!今ここでお姉さんを、罪人を降ろしたって、お前も反対者として処刑されて終わりだ!」


罪人と言う言葉を使って良いかどうか青年は一瞬悩んだが、あえて口にする。

この場に晒されている人間は全員なんらかの罪を犯した。だから処刑され、晒されている。これまで、無実の人間が制裁された事はなかった。

姉が罪人であるという事。

その事実は理解しているようで、罪人と言われ少女は顔を真っ赤にしたが、言葉を呑み込んで、青年を非難する事はしない。けれど感情は抑えられないようで、青年を睨みつける。


「アンタだって…家族があんな晒し者にされてたらそんな事言えやしない…っ」

「かもしれん。けど今はそんな話関係ない。俺は今お前が死に急いでるのを止めたいんだ。耐えろ。お前も」


少女を説得しようと言葉を絞り出す。青年は怒りと、悲しみと、己の無力さへの悔しさを混ぜ合わせ噛み潰しているような表情を浮かべていた。


「ヒナ」


宥めるように青年の肩を叩かれ、ヒナと呼ばれた青年―雛菊が振り返ると、そこにいたのはブライアンだった。


「ブライアンさん」

「落ち着けって。嬢ちゃんもムキになっちまうだろ」


ブライアンの言葉に宥められ、雛菊は少女から静かに手を放す。

解放された少女が咳込んだ。

自分が胸倉を掴んでいたせいで少女が呼吸をしにくかったのだという事にようやく気付いた雛菊は、すぐ少女に向けて頭を下げたが、少女はもう雛菊を見ようともしない。


「ねぇ貴方自警団の人よね!姉さんを降ろすのを手伝ってよ!」


少女がブライアンの上着を両手で掴み、必死に訴える。ブライアンは困ったように笑いながら、自分の上着を縋りつくように強く握る手を優しく包むように手を添える。


「悪ィな、それは出来ねぇんだ」

「どうして!貴方達はいつも私達を助けてくれるじゃない!」

「ホント、どうして、だろうな」


ブライアンが死体を見上げる。

どうして。

間違っていると思っても、自分が正しいと思う声をあげる事すら許されない。

少女がブライアンを突き飛ばす。


「みんなだっておかしいと思わないの!こんなの!こんな、死んでまで辱められるなんて!こんな非道がまかり通ってるなんて、絶対におかしい!」


周囲を見渡しながら訴えるが、すっかり恐怖心が植えつけられている街の人々は誰も少女と目を合わせようとしない。

広場の真ん中で死体が晒されている現状を良しと思っている人間など、この場に一人としていなかった。

けれど、誰にもどうする事も出来ない。

死体を降ろしたくても、降ろす事は許されない。

晒される死体はどれも罪を犯した人間。

処刑した死体を人目につく場所に晒すその行為には、現在国を治める人間の、もう誰も同じ罪を犯さないようにという明確な意思が込められている。

だから、その死体を降ろすという行為は、今の政策方針に背くという事。

そんな行為を今のこの国は許さない。

例外なく、反乱分子として処罰対象になるだけ。

そうしてこの国の治安は維持されている。


「もういい!どいて!私は姉さんを降ろすの、そしてちゃんと埋葬してあげるの!だから邪魔をしないで!」


少女が再び死体に向かって駆け出そうとすると、


「なんの騒ぎだ!」


怒鳴り声をあげたのは軍警だった。

市場の見回りを行っていた軍警が騒ぎに気付いたのだ。まだ姿は見えないが、騒ぎの現場を向かう複数の足音が近付いてくる。

ひとまず逃げろ、雛菊が少女にそう声を掛けるよりも早く、少女は一目散に人混みの中へと逃げ込んでいた。少女の後姿はすぐ人の波に埋もれもう見えない。

ブライアンは溜息をつく。


「頑固な嬢ちゃんだねェ」


踵を返し、雛菊の後頭部を小突く。

小突かれた箇所をさすりながら、雛菊はブライアンをじとりと見上げる。


「なんスか」

「先走るのがお前の悪いクセ。もうちっと落ち着きをもてるようになるといいな」

「むう」

「さて、軍警につつかれる前に、俺達もここから離れるとするか」



「シロのおにーちゃんおかえり!」

「おかえりなさーい!」

「神父様!シロのにーちゃんが帰って来たよ!」


市場から帰ったシロが教会の扉を開けると、街の子供達が笑顔で出迎えた。

はやくはやくと急かす子供達に手を引っ張られながらサツキも奥から現れる。


「おかえり、シロ」

「はい、ただいま帰りました」

「ユキもおかえり」

「ああ、ただいま!」

「後ろにいるのは…ブライアンと雛菊か。いらっしゃい」

「よォ、元気そうだな」

「お久しぶりです、神父様」

「二人を送ってくれたのか?」

「はい、市場でばったり会いまして。俺も二人に会うの久しぶりだったし、まだまだ子供だけで出歩くには安全とは言い切れない世の中ですからね」

「礼を言うぞ」

「いえいえ」


雛菊が手提げ袋をサツキに差し出す。重量感ある手提げ袋の中にはシロが市場で購入した品物が入っていた。


「荷物を持ってくださり、ありがとうございました」


シロが雛菊に小さく頭を下げる。


「やや、いいんすよ。なんならもっと頼ってくれて良いですからね」


雛菊が笑い掛ける。シロは無表情を崩さずに、小さくはい、と機械的に返事を返した。

そこへ、


「シロのにーちゃん!絵本読んで!」


と、子供達がシロへ駆け寄り、四方八方からしがみつく。

シロの服を小さな手でぎゅっと握りしめる子供達の顔をゆっくり見てから、シロは説明を求めてサツキを見る。


「ほら、この前教会に来た子供達に絵本を読んであげた事があったじゃろ」

「はい」

「それが気に入ったようでな。また読んでほしいとこの通り、今朝から押し寄せて来てるのじゃ」


治安が良くなった事で学業を学ぶ場も増えた。

しかし、まだまだ学ぶ機会が安定して行き渡らないのが現実だ。

この街でシロは、数少ない読み書きの出来る子供だった。

絵を見て楽しむしかなかった子供達にとって、絵に沿った物語を聞いて想像を膨らませる事はこれまでに経験した事のない刺激的な体験だった。


「どうじゃ?無理にとは言わんが」

「分かりました」


シロの意思を問うサツキの言葉に対して、そう答える事が当然であるようにシロは淡々と了承の言葉を口にする。

自分の主が子供達に本を読む事を望んでいるようだったから。

一瞬、サツキが残念そうに眉尻を僅かに下げた。その微々たる表情の変化にシロは気付いたが、何故そんな表情をしたのかは分からなかった。


「シロのおにーちゃん絵本読んでくれるの?!」

「やったー!」


子供達が賑やかな歓声を各々あげる。

シロの手を引き、背中を押し、階段を上り、図書室を目指す。

教会の二階には図書室が設けられている。

保管されている書籍の品揃えは豊富で、数も多数あり、街の人々も利用できるよう開放されているため、大人から子供まで利用する一つの施設として成り立っていた。


「シロ君の読み聞かせ、興味あるなぁ。ユキ君は聞いた事ありますか?」

「んーん、ない。っていうか、シロが子供に絵本読んでなんてせがまれてる図が未だに信じらんない」

「なら二人共聞いてきたらどうじゃ?わしとしては是非聞いてやってほしい。眠くなってしまうのが難点じゃがな」


雛菊とユキがシロの普段の口調を思い返す。

平坦で、淡々としていて、抑揚がなく、無感情。

緩急なく機械的に読み上げる姿が思い浮かび、雛菊とユキは顔を見合わせながら笑う。


「シロ君が一生懸命読んでくれるんですもん、寝たりなんかしませんよ。ユキ君、一緒に聞きに行こ」

「うん!」


雛菊が差し出した手をユキが握る。

二人は図書室へと向かった。


「子供相手に読み聞かせとはなぁ。お前んとこのシロ、前見た時はちっこかったのに随分成長したじゃねぇか」

「そうじゃろそうじゃろ!シロは物覚えが良くってな、わしも教え甲斐があるのじゃ。子供達に絵本を読んでとせがまれる姿なんてもう、嬉しくて涙が出そうじゃよ」


シロを褒められてサツキが子供のような笑顔で喜ぶ。


「けど、欲を言えば、もうちょっと自分の意思表示が出来るようになったら良いなと思うんじゃ」

「どういう事だ?」

「あの子はまだ、自己主張した事がないのじゃ」

「ああ…そういえば絵本読むっつーのも、あれは空気読んで判断してたな」

「じゃろ。シロのあれはどうにも、聞き分けが良いのとはまた違う」


白夜に料理を教えてほしいと頼まれた時。

子供達に絵本を読んでほしいと頼まれた時。

シロは昔から、自分がどうしたいのかという意思表示をした事がなかった。

周りを気遣い自分の感情を二の次にしているのではない。

自分がどうしたいのか。自律的な意思決定が出来ない。

それは一番近くで過ごしてきたサツキが一番理解している。

表情に寂しさを僅かに滲ませながら、サツキは続ける。


「わしとしては、もっと自分がどうしたいのか言える子になってほしい。我儘だって言ってほしい。っていうかシロの我儘に振り回されて困ったりしてみたい!」

「お前ほんとシロの事大好きだな」

「よく分かっておるじゃないか。その観察眼は大したものだぞ」

「俺じゃなくっても分かると思うがね」


サツキとシロの間に親子関係はない。

けれどサツキがシロを従者として迎えてから二人が過ごした時間は実の親子よりも長い。街の人々から見ても、二人はまるで本物の家族のようだった。

ブライアンが教会に設置された長椅子の一つに腰掛ける。

背もたれに身体を預け、深いため息をついた。


「話変わるけどよ、ちょっと聞いて貰っていいか」


ブライアンが声のトーンを下げてサツキに声を掛ける。


「どうした改まって。懺悔か?」

「違う。愚痴みたいなもん」

「うむ、聞こう。力にはなれんのかもしれんが、話して楽になる事もあるだろう」


サツキは緩んでいた表情を静かに引き締める。普段の朗らかで優しい雰囲気はそのまま残しながら、神父としてブライアンに向き合う。


「今朝、さァ」


ぽつりと、ブライアンが話し始める。


「広場で死体が晒されててさ」

「ああ」

「その中に見た顔がいてな。昨日ユキを誘拐した奴等。俺達が捕縛して、俺が引き渡したんだ。間違いない」


そこでブライアンが言葉を切る。天井を見上げ、力なく息を吐いた。


「自警団なんて名称掲げちゃいるが、俺達は自主的に動いてるボランティア組織でしかない。どんな凶悪な犯罪現場を押さえたって、法的権限なんざ持ち合わせてねえからしょっぴいた奴らは上に裁いて貰うしかない。今回ユキが無事だったんで気が緩んでた。よく考えなくても分かる。誘拐は立派な犯罪で、それはつまり処罰対象だ」


ブライアンが苛立たしげに前髪をくしゃりと握り潰す。

自警団は何年も前から街の治安を護るために機能してきた。

ブライアンが自警団で活動をはじめてから、残忍な犯罪現場に何度も居合わせた事もある。

腸が煮えくり返るような理不尽に直面した事もある。

それでも私刑を実行した事はない。

捉えた身柄は必ず警察へ引き渡し、司法に委ねていた。自分達が行っているのは自警行為であって、口を出せる立場にはないのだと、立場を弁えていた。


「人殺しの手伝いをしたみたいで、気分が悪ィ」


街の人々が少しでも安心して過ごせるように。その一心だった。

有罪者が処刑され死体が晒されるようになってから、犯罪件数は確かに減少した。

正式な統計を見た訳ではないが、何年も街の治安が少しでもよく在るようにと活動を続けてきたブライアンはありありとその変化を感じていた。

街に溢れていた泣き声も、悲鳴も、怒声も、銃声も、道端に転がる死体の数も減った。

けれどそれは殺戮によって人々の恐怖心を煽り押さえつけているから成立する世界。

結果、誰もが望み、夢見た結果が目の前にあったとしても、ブライアンは今の政策に賛同する事は出来なかった。


「だからっつって、自警団の活動を辞めるつもりはこれっぽっちもないけどさ」


ブライアンが天井からサツキへ視線を戻すといつもの表情に戻っていた。

処刑されるかもしれないからといって、見逃すなんて出来ない。

犯罪抑止、再犯防止のために極刑が規定されていても、未だこの街の治安は良いとは言えない。

始終穏やかな表情でブライアンの話に耳を傾けていたサツキは、ブライアンの話が終わったと判断すると静かに目を閉じる。

ブライアンも黙っていると、二階の図書室から漏れる子供達の笑い声が幽かに耳に届いた。

心地良い静寂が教会の中には満ちていて、たった今吐露した血生臭い外の世界の現実を忘れてしまいそうになる。

サツキがゆっくりと目を開けて、ブライアンを見る。

そしてやさしく、力強く、言った。


「ユキが無事帰って来れたのは、お前達のおかげじゃ」


ブライアンが喉の奥で笑う。

愚痴だと前置きしておきながら、誰かに肯定してもらいたかった弱さに苦笑する。


「サンキュ」



日が沈み、辺りが暗くなると、露店市場から点々と人口の光が灯りだす。

昼間とは別の賑わいを見せる市場の中を、その日の仕事を終えた白夜が足早に進んでいる。

抱えている紙包みの中には、つい先ほど購入した団子―これから向かう教会への手土産が入っている。

昨夜の夕飯と一晩宿を借りたお礼を兼ねたものだ。

白夜は斡旋所で紹介された仕事を日々こなして収入を得ている。

大和も利用している街の斡旋所には様々な仕事が幅広く持ち込まれており、利用者は多い。

白夜は昨日、その斡旋所から紹介され、請け負っていた仕事を放ってユキの助けに向かった。今朝サツキにその事を咎められ、白夜が斡旋所と雇い主へ謝罪しに向かうと、斡旋所の職員は済んだ話に用はないと言いたげに白夜の謝罪を相槌で流し、白夜との仕事がはじめてではなかった雇い主側は一度目だからと大目に見てくれたおかげで、白夜は何のお咎めなく新しい仕事を引き受ける事が出来たのだった。

白夜が市場を進んでいると、風に乗って漂ってきた鉄の臭いが鼻をついた。

市場の中に溢れる人々の興味を引くような豊穣な香りではない。

様々な香りに混ざっていても異質を主張する生臭いその臭いの正体が血の臭いだと気付いた白夜の足が止まる。

街を歩いていれば血の臭いが漂ってくる事は珍しくない。

思わず歩みを止めてしまったのは、漂ってきた血の臭いがあまりにも濃かったからだ。

近場で死体が晒されているのでしょうか。

そんな事を思いながら辺りを見回す。

臭いの発生源を特定したところで白夜に出来る事はないし何かをするつもりもない。ただ、知っておけばユキに会った時近寄らない方が良いと伝える事が出来ると思っての行動だった。

もう怖い思いをしてほしくない。

臭いを頼りに見渡していると、市場の奥、広場に串刺しにされた複数の死体を見つけた。

その場に置かれて随分時間が経過しているのだろう。人々は広場に背を向けていて、立ち止まらず、広場の近くに集まる人影もない。

露天市場に隣したこの広場は街の人々の憩いの場であり、子供達の遊び場でもある。

人目につく場所を選んでいると分かっていても、なにもこんな人目につく場所を選ばなくても、と白夜は小さくため息をついた。

場所を特定した白夜は踵を返そうとしたが、物影に隠れながら足音を忍ばせ、死体に近付く人影に気付き動きを止める。

暫く人影の動向を目で追っていると、どうやら串刺しにされた死体を降ろそうとしているらしい。

歩み寄ると人影の正体は少女だった。白夜の足音には気付いていない。


「あの」


白夜が声を掛けると、少女はびくりと肩を跳ね上げる。


「な、何よ」

「死体を降ろそうとしているようだったので。その死体は再犯抑止のために軍が掲げたものです。死体を降ろせば処罰される事を御存じですか?」

「知ってるわよ!アンタも降ろすなって言うの?!」


人影の正体は日中雛菊に死体を降ろす事を止められた少女だった。

雛菊の説得を受けても尚少女は諦めていなかった。

食って掛かる少女に白夜は顔色を変えず、淡々と返す。


「いえ、御法度だと知らずに降ろそうとしているのだったら伝えようと思ったのですが、知っているのでしたら良いのです。私から言う事はありません」

「私を止めたい訳じゃ、ないのね?」

「止めてほしいのですか?」

「邪魔をしないでほしいだけよ」

「でしたら問題ありません。私に貴方を止めるつもりはありません。だって降ろせば処刑されると分かっているのにそれでも貴方は行動しようとしている。やめろと言われてやめるような覚悟ではないのでしょう」


柔和に話す白夜に、少女は無言で小さく頷く。


「これもなにかの縁です、私からひとつ助言を。この辺りは特に、市場が開かれているので軍警の巡回も慎重です。私が貴方の動きに気付くくらいですから、もう少し冷静に周りに目を向けた方が良いと思いますよ」

「余計なお世話よ」


ふいっと白夜から顔を背け、少女は再び物影へと姿を消していった。

白夜はその後ろ姿を見送ってから、教会へと急いだ。



翌朝。

昨日まで広場に晒されていた複数の死体の中から、一人欠けた事に気付く人は誰もいない。

代わるように、首のない少女の死体が串刺しにされた状態で新たに晒されている。

新たに晒されている死体が誰なのか、いちいち気に掛ける人は誰もいない。

少女の遺体を見上げながら、雛菊が悔しそうに拳を握りしめている。

頭がなくてもわかる。

遺体が昨日の少女だと。

少女は、成し遂げたのだと。

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