This world - 2
ユキが無事保護された事を口伝えに聞いた自警団員達は、各々目の前の仕事を片付けてからユキがいる路地に向かい、一声掛けてから帰って行く。
「ユキ、もう誘拐なんてされるんじゃねえぞ」
「食べられなくって良かったな」
「無事で良かったよ」
「またうちに遊びにおいで!」
自警団は有志によるボランティア活動であり、国の後ろ盾がある訳でも仕事をこなせば報酬が支払われる訳でもない。
深刻な怪我を負うかもしれない。命を落とす可能性だってある。
それでも、自分に出来る事はないかと求めて自警団の元に人が集まる。
今回ユキが誘拐されたと聞き、救出するために集った人々はユキの無事を心から喜んだ。
中には、”天使様”だから協力した者もいる。
中には、”ユキ”だから協力した者もいる。
中には、”悪行を放ってはおけない”から協力した者もいる。
理由はそれぞれ違ったが、その場にいる全員が、一人の子供のしあわせを願っての行動だった。
ユキに声を掛けにやって来る人が途絶え、路地にはユキ、白夜、大和が残った。
「ユキ、お前今日は教会に泊めてもらえ。あそこなら安全だしすぐ休める」
「うん」
大和の提案にユキが首を縦に振り答えると、大和はユキに背を向け、肩膝を立ててしゃがみこんだ。両掌をユキの方へと向ける。
「乗れ」
「あ、わかった!おんぶだ!」
わーい、とユキは喜んで、抱きつくように大和の背中に乗りかかる。
ユキの両手には未だ手錠が嵌められている。
リング同士を繋ぐ鎖は大和が刀で切断する事が出来ていたため、ユキは難なく大和の首に両腕を回す事が出来た。
ここから教会は距離が離れている。
ユキの身体は元の状態へと再生したばかりでこの場にいる二人よりも身体状態は良好だったが、誘拐され助け出されたばかりの子供に遠距離を歩かせるなんて大和には出来なかった。
「その前に一度廃墟の方寄るけど、いいよな?」
「もちろん。でも、何でだ?」
「ブライアンに声掛けとかないと。まだ降りて来てないみたいだから」
「皆帰ったのにまだ中にいるのか。なにしてるんだろうな」
「そういえば、先程から喚き声が聞こえてきますね」
ユキの傍らに立つ白夜が頭上を指差す。
大和とユキが上を見上げると、確かにユキが囚われていた部屋の窓から男の呻き声とブライアンの怒鳴り声が漏れていた。
三人はユキが囚われていた部屋へと向かう。
扉がなくなった出入り口から中を覗く。室内は硝煙の臭いが立ち込め、窓ガラスは割れ、壁一面に銃弾の痕が広がり、乱闘の痕が色濃く残っていた。
ユキを誘拐した男達が後ろ手に縛られ、隅に固められている。
その内の一人であろう男が縄で椅子に縛り付けられていた。両足は暴れないよう椅子の脚にそれぞれ縛り付けてある。右腕は埃を被った木製のテーブルにブライアンが押さえつけており、ナイフを男の手の甲の上で泳がせている。
「何度も言わせんな、逃げた奴の名前を教えろ」
「知らねぇって言ってるだろうが!」
男が吐き捨てるとブライアンがナイフを垂直に落とした。男の叫び声が室内に木霊する。額からは汗が拭き出し身体を震わせる。
「あーあ、薬指もなくなっちまったなァ」
「こ、の…ッ、クソ野郎!!」
テーブルの上には三本の指が転がっている。切断された部位からは血が滴り、テーブルを赤く染めていた。
白夜は大和におぶられているユキの両目をそっと隠す。
「おや?なにも見えんぞ?」
その声にブライアンが振り返る。
「お、ユキ!」
「やっほーブライアン、助けに来てくれてさんきゅー!」
ユキが白夜に目を隠されている事には構わず二人は会話を続ける。
「当然だろ。無事でなによりだ。お前も大変だよなァ、くだらない迷信のせいで何度も食われそうになってさ」
「また頼むよ」
「またって何だよ。もう捕まるんじゃねぇよ」
ブライアンが喉の奥で笑いながら、白夜に向かって鍵束を投げた。
白夜はユキに正面の光景が見えないよう片手の角度を調節しながら、もう片方の手で鍵束を受け取る。
「手錠の鍵だとよ。仲間の一人が持ってた。外してやれ」
「ありがとうございます。では、大和さん外に出ましょう、片手では開錠出来ません」
「両手使えよ」
「両手を使うために外に出るんですよ。私がこの手をユキさんから離せばユキさんの視界にショッキングな光景が映ってしまいます」
「俺、平気だけど」
「いいえ、見ないに越した事はありません」
あっけらかんと言うユキに、白夜が厳しい口調で返した。
「ブライアン、俺は今からユキを教会へ連れて行く。後始末を任せて大丈夫か」
「いっちょまえにそんな心配しなくても、こいつらは俺がちゃーんとおまわりさんに引き渡しておくよ」
ブライアンが三人を追い払うように手首を上下に振る。
「ありがとう、頼んだ」
「おう」
「それではブライアンさん、お疲れ様でした」
「またなー!」
ユキが笑顔で手を振ると、ブライアンは笑顔で応えた。
◇
今の時分日没が早く、先程まで明るかった空はもう随分暮れている。
三人が教会を目指し出発してから一時間程が経った頃、ようやく進行方向に教会の灯りが見えてきた。他愛ない会話を交えながら、大和はなるべくユキに振動を与えないように気を付けて歩く。
教会は街から少し離れた位置に建っている。
草を描き分けるように敷かれた石畳の小道を三人は進む。
堂々と立つ教会は厳かで、周りの世界から切り離されたような、穏やかな静寂に包まれている。
階段を上り、教会の扉の前に三人が並ぶ。ユキを背負う大和が端に寄り、白夜が教会の扉に手を伸ばす。しかし白夜が扉に振れるより先に扉は開いた。
「こんばんは」
扉の先、教会の内側からこの教会に仕える神父の従者である少年―シロが姿を見せる。
平坦な口調で挨拶を口にしてから、三人に小さく頭を下げた。
「こんばんは。悪いな、もう閉館時間過ぎてるのに」
「いえ」
シロが三人を招くように扉を大きく開けた。
三人の入室を確認してから静かに扉を閉め、三人を先導するようにシロが中央廊下を奥へと進む。
日が暮れた暗がりの中、教会内はランプの淡い明かりが灯されていた。
高い天井と広い幅を有する教会内部は、外観から受ける印象よりも広い空間が広がっている。内部を取り囲む装飾が美しい。
通路の左右には礼拝に訪れた人のための長椅子が設けてあり、奥へと続く。
側廊の上部には彩色が施されたステンドグラスが貼られている。日の光が内部に差し込めば、美しい色彩を醸し出すだろう。
柱で仕切られた中央通路を進んでいると、奥からこの教会に勤める神父が姿を見せた。
「シロ、どうした。誰か来たのか?」
「神父さま、こんばんはー!」
「おお、ユキじゃないか、こんばんは。誘拐されたと聞いた時は驚いたぞ、無事でなによりじゃ」
ユキが大和の背中から降りて神父―サツキに駆け寄る。
サツキがユキの頭を力いっぱい撫でた。ユキがころころと笑う。
「自警団の人達が助けてくれたんだ」
「そのようじゃの、お疲れ様」
サツキは大和と白夜、それぞれに薄く微笑みかける。二人は静かに頭をさげた。
「三人共疲れたじゃろ。ちょうど今から夕食をとるところだったんじゃ、食べてけ。うちのシロの手料理は最高にうまいぞ!」
「待ってください」
三人の返事を待たずユキの手を引き食堂へと向かおうとするサツキをシロが淡々とした口調で呼び止めた。
「なんじゃ、シチューが冷めてしまう」
「ユキ様は一度着替えた方が良いと思います」
「ほえ?俺?」
「上着から血のにおいがします」
サツキがしゃがんでユキの上着に目を向ける。ユキの上着は黒色で目立たないが血がしみ込んで乾いた痕があり、所々に複数の穴が開いていた。
「確かに汚れてしまっておるのう」
「あ」
ユキの上着が汚れている理由を思い出した大和だったが、横に立つ白夜の表情が曇った事に気付き、言葉を呑み込む。
そんな二人の様子を見たサツキは口に手を当て考え込んだ後、立ち上がる。
「シロ、着替えを用意してやれ。夕食の用意はわしがしておくから、ユキを頼む」
「はい」
「そうじゃ、どうせ着替えるならその前に風呂へ入ってさっぱりしてこい。さっき頭を撫でた時砂やら埃やら零れ落ちたぞ」
「廃墟に寝かされてたからかな」
「だったら尚更じゃ。こっちも夕食の準備に時間がかかるからのんびり疲れも洗い流して来い」
「うん、御言葉に甘える!」
「ではユキ様、こちらに」
ユキがシロに付いて扉の奥へと消えて行った。
聖堂に残された三人の間に沈黙が流れる。
「ユキは、撃たれたのか」
「ああ」
ぽつりと呟くようなサツキの質問に大和が答える。
「そうか。かわいそうにな」
サツキがユキとシロが消えて行った扉の方を見ながら眉を顰めた。
いくらユキが傷を負ってもたちどころに回復し、絶命しない身体であっても、ユキには痛覚が存在する。
それにユキはまだ幼い子供で、その精神はまだまだ幼い。
誘拐されて。
撃たれて。
殺された。
これが一度目ではない。
ユキはこれまでに、もう何度も死に至る経験を重ねている。
それらの事実は積み重なって、確実にユキの心を蝕んでいくだろう。心に負った傷は癒えない。
白夜は俯いたまま握り拳を震わせている。
「白夜、自分を責めるな。ユキは無事帰って来たんじゃから」
「私は、傍にいたのに」
「だったらその反省を今後に生かせ。過ぎた事を引き摺ってもなかった事にはならんじゃろ。ユキの事を想うなら、いつまでもいじいじしてるより、一つでも多く楽しい思い出を作ってやる努力をした方が有意義だと、わしは思うぞ」
サツキはにこりと笑う。
何の根拠もないのに、相手に安心感を与える澄んだ笑顔だった。
「ほら、早く夕食の支度をするぞ!大目に用意してあったとはいえ、わしとシロの二人分しかよそっていなかったからのう。お前らも手伝え。温め直して、折角だからなにかデザートを作ろう。手伝ってくれ、きっとユキも喜ぶ」
「!」
ユキも喜ぶ、という言葉に反応して白夜の瞳に光が宿った。
はい!と力強く返事をした後、白夜はサツキに続いて足早に食堂へと移動する。
目に見えて生気を取り戻した白夜の様子を見て、大和は呆れて肩を竦めた。
入浴を終え簡素な部屋着に着替えたユキは、シロに連れられ食堂へと向かう。
ユキは5年程前、街にぽつりと現れた。
大和が保護した時言葉すらたどたどしかったユキは、何処から来たのか、自分の事すらも、己の名前以外の一切を答えられないような状態だった。
自分の置かれた現状すら理解出来ていないような子供を、ひとまず保護した張本人である大和が預かる事になった。
しかし大和は軍警から手配されている賞金首等の犯罪者を捕まえ日銭を稼いで生活している身であり、収入は不安定。加えて、自警団に所属する人間の中でも街の治安が良く在るようにと積極的に行動していて、街の見回りなどで自宅に帰る事がまばらだった。
そんな時、サツキが教会でもユキを預かろうと持ち掛けたのだ。
だから、この街の教会にはユキが寝泊まりしている専用の部屋があり、その部屋には着替えをはじめユキの私物が揃っている。
今ではユキも成長し、自分の意思で行動できるようになった。
街の人間とも顔見知りになり、大和が側についていなくても一人で街を出歩ける。
ユキはその特異な身体上、今回のような誘拐事件に巻き込まれるケースもあるが、街の人々は大抵ユキを快く受け入れている。
天使様として。
勿論、ユキの素直で無邪気で愛くるしい人柄も重なって。
人々は一丸となってユキを見守り、また、心から愛していた。
まるで家族の一員として迎え入れるように。
シロが食堂の扉を開ける。
すると中から食欲がそそられる美味しそうな香りがユキを包むように漂ってきた。
「わはー」
思わず笑顔になり感嘆の声が漏れる。
食堂に一人椅子に腰かけていた大和が自分の隣の椅子を引き、座れと促すように人差し指で指しながらユキを呼んだ。
ユキはぱたぱたと小走りで移動して大和の隣の席へ腰かける。小柄なユキの身長に対して椅子が高く足が床につかない。ユキがぷらぷらと両足を揺らす。
ユキの着席を見届けた後、シロは夕食の支度を手伝うために隣接した台所へと向かった。
白いテーブルクロスが広げ掛けられた大きな長方形のダイニングテーブルの上には人数分の食器が用意されている。
皿にはサラダやパン、シチューが盛られ、シチューからは出来たてを主張するように熱と香りが立ち上っている。
ユキがきらきらと瞳を輝かせながら料理を覗き込んでいると、サツキが台所から姿を見せた。その後ろから、大皿を慎重に運びながらシロが続く。
「ユキ、さっぱりしたか?」
「ん、さっぱりだ!神父さま、お風呂貸してくれてありがと!」
「礼ならシロに言ってやれ。わしはなにもしてない。風呂も着替えの用意もしたのはシロじゃからな」
「シロ、ありがとうだ」
「いえ」
「ふふん、うちのシロは優秀なのじゃ!」
自慢げに胸を張るサツキの横を通り、シロがユキの前に大皿を置いた。
皿には一口サイズにカットされた様々な果物が許容量を超えて山なりに盛られている。しかしそれらは皮を剥くのに苦戦したのか表面が凸凹していたり、切り分けに苦戦したのか歪な切り形をしているものばかりだった。
「白夜がユキにデザートを用意したいと張り切ってな」
「白夜が?」
「ユキが怪我した事を随分と気にしておるようでな。奴なりにお前を元気づけたいのだろう」
「俺、元気だけど」
「本人に言ってやれ。アイツは自分が側にいながら怪我させてしまったと言っておったよ」
「確かに俺も聞いた…けど、俺が怪我したのって別に白夜のせいじゃないと思うんだ…」
「わしは現場を見ていないからなにも言えん。ただ、お前がいなくなったと聞いて、血相変えて真っ先に飛び出して行ったのはアイツじゃ。後々自警団と合流して同行する事にしたそうじゃが…いやはや、あの時の白夜は人殺しの目をしておったよ」
サツキが苦笑しながらユキの向かい側の席へと腰かける。
シロがガラスポットでそれぞれのグラスに飲み物を注いでいると、台所から慌ただしい足音が聞こえてきた。
扉が大きな音を立てて勢いよく開く。駆け込んで来たのは白夜だ。
「シロさん!私がカットした果物をもしかして出してしまってはいませんか!あれはユキさんへお出しするには歪で恥ずかしい代物だというのに!」
「シロがそんな勝手な真似するか阿呆。わしが出すように言ったんじゃ」
「な、何故…!」
「歪でも良いじゃろ、大事なのは気持ちじゃ」
「い、いえ、ですが…」
「っつーかうちにある果物使っといて不格好になってしまったから出さないとか我儘は聞かん」
「うぅ…」
ユキは眉尻を下げ消沈している白夜と果物を交互に見た後、一口サイズにカットされた果物を一つ口に放り込んだ。
「!」
皿の中には様々な種類の果物が入り混じっていて、それらがなんの果物なのか一見しただけでは判断がつかなかった。どうやらユキが選んだのは甘くてほんのり酸味を感じさせる林檎だったようで、固くて瑞々しい食感が口の中に広がる。
ユキの行動に驚いた白夜が口を開けたままわなわなと身を震わせる。
「ユ、ユキさ…」
「うん、おいしい」
「!」
「ありがと白夜」
「!!」
「形が歪になったからって味が落ちる訳じゃないし、充分食べやすいよ。いーじゃんこれで」
「ユキさん…っ」
白夜が瞳を潤ませる。
その表情には嬉しさが滲み出ていて、やりとりを傍観していた大和は単純な奴だな、という言葉を呑み込み代わりに溜息をついた。
夕食を食べ終えた後、大和はサツキにユキを一晩泊めてもらえないかと持ち掛けた。
サツキは快く承諾する。
返事を聞いた後大和は一人早々に教会を出た。夜、街を見回るが大和の日課だったからだ。
暫く食堂で寛いだ後、眠気を感じたユキはその場にいる全員におやすみと告げ退席した。
階段を上り、部屋へ続く廊下を進みながらあくびを一つする。
「お疲れですね、ユキさん」
ユキの傍らを白夜が歩く。
二階を歩く自分に着いて来るように歩く白夜が気になり、ユキが尋ねる。
「白夜も教会に泊まってくのか?」
「はい。ユキさんが泊まる部屋の隣を使っても良いと神父様から窺っております」
「ふーん。家はここから遠いのか?」
「いいえ、そんな事はありません。ただ、ユキさんをここに一人残して帰るのはあまりに心配で」
「…いや、心配してくれる気持ちは有難いけど、別に大丈夫なんだけど…」
「私の自己満足です。なにかあれば頼ってくださいね。私にとって貴方は、大切な恩人なのです」
「おんじん?」
「はい。私がこの街に流れ着いて右も左も分からす、頼れる人もなく、具体的な将来像を描けず、流されるまま生きて、ただ立ちすくんでいるだけだった時、声を掛けてくれたのがユキさんでした」
「……んぬ…………えーっと」
「覚えていなくって当然です。きっと、ユキさんにとっては道行く人と挨拶を交わす気軽さで、私に接してくれていた。それが、私にとってとても大きかっただけの話です。街を歩けば貴方の話が耳に届きました。きっと、天使様の話題は一種の娯楽なんですね。ユキさんが健やかに、元気に過ごしている事を知れる度私は嬉しかった。私も、健やかに在れるようにと、頑張ろうという気持ちまで生まれていました」
「…覚えてなくってごめんね」
「いいえ、いいえ。ユキさんが笑って生きていてくれる事実で、私が勝手に救われていただけです」
白夜が幸せそうに微笑む。
「だから今日、ユキさんが誘拐されたと聞いて、いてもたってもいられなくって」
「今日はほんとにありがとな」
「当然の事をしたまでです。ユキさんには、怪我を負わせてしまいましたが…」
「またその話か…過ぎた事をいつまでもメソメソ言うなよ。俺の心配してくれてるってのは十分分かったけど、俺は気にしてないの。この通り、もう元気!」
ユキが両腕を上下にぱたぱたと振ると、白夜がくすりと笑った。
「俺の事より、お前は身体、大丈夫なのか?屋上から落ちた時、俺を庇ってくれたんだろ?」
「ユキさんが地面と激突しなくて済んだのだから私は大丈夫です」
「…んっと、つまり大丈夫って事だな?」
「はい」
「白夜はおかしな言い回しをするな」
「そうでしょうか…ユキさんと面と向かって言葉を交わす事が出来て、浮かれているのかもしれません。素敵な思い出を有難う御座います」
「なんだそれ。話す機会なんてこれからいくらでもあるだろ」
「ぇ」
「ん?」
「いても良いのでしょうか。私は、これから、ユキさんの傍に」
「…いや、それはお前の勝手じゃない…?俺はお前の事なにも知らないけど、何か事情があって俺と関わるのが不都合とかだったなら」
「不都合なんてありません!」
柔らかな表情をしていた白夜が余裕のない表情へと一変し、言葉を強めた。
突然の大声に驚いたユキの反応を見て、白夜は慌てて頭を下げる。
「す、すみません、つい大声を出してしまいました」
「いいけど…」
「不都合なんて、ありえません。これまでは間接的にユキさんが健在だと知れるだけで充分でしたが、こうしてもう一度会えて、関われる事が出来て、私は今、とても、とても嬉しいのです。関わりたいです、これからも」
「それはどうも…俺は白夜のすきにしたらいいと思うぞ…」
白夜の熱意に押されながらユキが思う事を口にすると、白夜は今にも泣きそうに瞳を潤ませながらユキを見る。
「はい、ありがとうございます、ユキさん。本当はずっと、私は貴方と、こうして話がしたかったのです」
◇
翌朝。
寝ぼけ眼を擦りながらユキが部屋を出ると、まるでユキが扉を開くのを待っていたかのように目の前に白夜がいた。ユキの顔を見るなり表情が明るくなる。
「おはようございます、ユキさん」
「…おはよ」
「シロさんがもう朝食を用意してくれていて、いつでも召し上がれるそうですよ。行きましょう」
ユキを先導するように白夜が歩き出したので、その後ろに続きながら、ユキが浮かんだ疑問をぎこちなく口にする。
「…あのさ」
「はい、なんでしょう?」
「いつからそこにいたんだ…?」
「ユキさんが床にはいってからですよ。おやすみの間何かあってはいけないと思い、番をしていました」
「それはつまり一晩中って事?」
「はい」
「一睡もせず?」
「はい」
「それって眠くない?」
「お気遣いくださり有難う御座います。大丈夫ですよ、私がしたいと思った事をしているだけです。ユキさんの身が安全だと思えば眠気なんて感じません」
ユキの問いかけに対して白夜は晴れやかに答える。
そんな白夜とは対照的に、ユキの表情は固まっていく。
これまでユキに―天使様に対して、盲目的に尽くそうとする人間はいた。
だから昨日身を挺して自分を護ろうとした白夜にユキは疑問を抱かなかった。よくある事だったから。
彼らには天使様への強い信仰心があったが、しかし白夜は違う。
白夜はユキを天使様とは呼ばない。
天使様にではなく、打算なく、ユキ個人を見ている。
物好きな奴だな。
ユキはそんな感想を抱いた。
階段を降りたところで、ユキと白夜はサツキに出くわした。
「神父さま、おはよ!」
「おはようございます」
「おはよう二人共。よく眠れたか?」
「うん!」
「どうせ白夜は一晩中寝ないでユキの部屋の前で番をしておったのじゃろ」
「神父さま、何でわかったんだ?」
「半分冗談だったのに当たってしまったか…コイツはいつもユキの話になると冷静さを欠いていたからのう…。ユキ、白夜を悪く思わないでやってくれ。お前にとって気持ち悪く感じる行動も多々あるかと思うが、コイツはお前の身を案じているだけなのじゃ」
「ユキさんが気持ち悪く感じるような行動をとったりなんかしませんよ」
「この通り一生懸命で周りが見えないだけなのじゃ」
納得いかないと言いたげな表情を浮かべる白夜を横目に、ユキは苦笑いを浮かべた。
「ユキ様」
無機質な声でユキに呼びかけたのは、いつの間にかサツキのすぐ横まで来ていたシロだった。サツキが一歩横に移動すると、シロがユキの前へと静かに歩み寄る。
「あ、シロ、おはよ」
「おはようございます。昨日預かった洋服を縫い直し終えました。どうぞ」
シロが淡々と言いながら、丁寧に畳まれたユキの上着を両手で差し出した。
ユキは受け取り、その場で服を広げて観る。裏、表と確認すると、昨日銃弾で服に開いた穴は全て綺麗に塞がっていた。
「わあ!ありがと!」
「さすがシロじゃ」
サツキがシロの頭を撫で回す。神父に撫でられるまま頭を揺らすシロの無表情は変わらない。
「じゃあユキ、今から着替えて来い。それから朝食にしよう」
「うん」
部屋に戻ったユキが素早く着替えを済ませ食堂へ向かうと、テーブルには朝食が用意されていた。
トーストとサラダ、そして昨日の夕食で白夜が手掛けたデザートが皿に盛られ並んでいる。
どうやら昨夜テーブルに出された分が全てではなかったらしい。
白夜は伏し目がちに中々うまく切れなくって、切り過ぎてしまいました…と呟いた。
「白夜はシロに料理を習ったらどうじゃ?わしが作るよりはるかにうまいもん作るから、もうわしが手料理で出る幕がない程じゃぞ。このサラダなんかうちの家庭菜園で育てた野菜を使ってシロが作ったサラダなんじゃがまじ絶品」
「シロさん!是非今度宜しくお願いいたします!」
シロが目だけで白夜を見てからサツキの方を見る。
サツキが笑顔で頷くと、はい、とシロが短く答えた。白夜は深く頭を下げた。
そんなやりとりを眺めながらユキは朝食を口に運ぶ。
サツキが絶賛する通りシロが用意した朝食はどれも美味で、ユキの表情は自然と綻んだ。
美味しそうに朝食を頬張る姿を見て白夜も微笑む。
朝食を食べ終え暫く談笑を交わしていると、洗い物を終えたシロが鞄を下げ食堂に戻って来た。
サツキの傍に寄り、いってきます、と声を掛けている。
「シロは何処かへ出掛けるのか?」
「ああ、市場へな。ちょいとおつかいを頼んだのじゃ」
「だったら俺も着いてくよ、荷物持ちがいるだろ!」
ユキが拳で胸を叩く。
自立した大人が集まる自警団の傍で育った影響なのか、ユキは歳の近いシロに対してお兄さんとして振る舞おうとする節があった。ユキはシロよりも幼いが、ユキにとって些事に過ぎない。
「では、私も二人に同行します」
「駄目じゃ」
即座に却下され、白夜は面食らう。
「何故!」
「何故って、お前昨日仕事放ってユキの助けに向かったじゃろ」
「え…あ、はい」
「いつまでもお前の配達が届かず困ったという声が今朝耳に届いたぞ」
「ですが、昨日は」
「ユキを言い訳にするつもりか?」
「そ、そんなつもりはありません!」
「人命救助を優先するべきだという気持ちは分かる。が、それは仕事を放っても良い理由にはならん。おまけにお前は雇い主に連絡を一言も入れておらんじゃろ。っつーか今の今まで忘れておったじゃろ」
「…はい」
「お前は二人と買い物に出てる暇なんてない。今すぐにでも雇い主に頭を下げに行って来るべきじゃ」
「俺も、俺が心配だからって、仕事放って同席されても困る…」
ユキに呆れ声で言われ眉尻を下げた白夜は、小さく分かりましたと頷いた。
◇
ユキとシロは市場に着いた。
大通りの両脇にテントを張り、幾つもの露店がどこまでも続いている。
露天市場が開かれている間大通りは歩行者専用になる。通りは大勢の人々で賑わっていた。
シロはサツキに渡されたメモを確認しながら目的の品物を黙々と購入して行く。
その後ろを、買い物袋を下げたユキがきょろきょろと辺りを見回しながら続く。露店に並ぶ商品は食材や日用品、衣料品やアクセサリー等多種多様で、眺めるだけでも楽しい。
「シロ、飴細工があるぞ!綺麗だなー」
「買われますか?なにか欲しいものがあれば買っても良いと、サツキが余分に通過を持たせてくれています」
「そうなのか?じゃあシロの分と二つ買おう!」
「私は結構です」
「ん。甘いもの苦手だっけ?」
「いえ」
「シロって物欲ないよな」
「そうでしょうか」
「折角買って良いって言われてるんだからもっと欲しがろ!おねーさん、二つ頂戴!」
ユキが金魚を模った飴細工をシロに手渡す。彩色が施された飴細工は透明感があり光沢を放っている。シロはまじまじと棒の先に取り付いた飴細工を見つめる。
「美味しいぞ」
「これは、食べ物ですか」
「もしかして食べた事ないのか?」
「これまでに見掛ける事はありましたが、装飾品の類だと思っていました」
「そうなのか、それは勿体ない!はやく食べてみなよ」
促され、シロは飴細工を一口舐めた。ユキがシロの顔を覗き込む。
「どお?」
「甘いですね」
「そりゃ、砂糖だもんな」
シロは相変わらず感情を読み取れない無表情で、ユキにはシロが飴細工の味を気に入ったのかどうかすら分からなかったが、黙々と飴細工を口にするシロを見て口元を緩ませた。
市場を進んでいると、人だかりが出来ている場所がある事にユキが気づいた。広場がある所だ。
その人混みの中によく見知った人物の姿を見つけてユキが駆け寄る。
「大和!」
気さくに声を掛けると、大和が勢いよく振り向く。その表情は険しく青ざめていた。
「来るな!」
大和が怒鳴る。
驚き足を止めたユキだったが、人混みの奥が視界に映り込む。
季節の花々が咲き誇る花壇の中串刺しにされ突き立てられていたのは、複数の人間の死体だった。
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