第14条 「トラウム」にて~異世界の「異世界」~
--私は、別の世界にいる。
シュトラ?ちがう?どこなの?
「リート?コロー?」
呼んでも誰の返答もない。私はさまよう。どこに行けばいいのか、何をすればいいのかわからないままに。
ちりっと耳が痛む。耳飾りに手をやると、少しあたたかくなっていた。
何かに反応している。
――呼ばれている?誰かに会わないといけない?
「誰?」
目の前に、いつのまにか人影がちらつく。ぼんやりとしたその影は、次第に濃くなっていく。
「誰じゃ」
それは、きれいな女の人だった。黒いしっとりした髪は長くて、背中にさらさらとかかっている。髪先は繊細なまでに細くて、その身体も華奢だ。翠の黒髪とはまさにこのことだと思う。揺れる瞳も漆黒で、少し驚いたように見開くその様も色っぽい。いくつくらいだろう。若そうに見えて、老成したそのたたずまいは、どこか美しく威厳のあった「キソクさん」に相通じるものがあった。
「あの・・・・・・ここ、どこですか」
彼女は、何も言わずに衣擦れの音をさせて近寄ると、私の額から耳飾り、そして頬を、細い指でなぞる。
「よく・・・・・・よくがんばったな。つらかっただろうに、よく生き抜いたな」
そして、私をぎゅっと抱きしめた。ふんわりといい香りがする。柑橘のようなさわやかな香り。そして、ずっと昔から知っていたような、懐かしい香り。彼女の黒い髪の毛が波打っている。胸の鼓動が聞こえる。
生きて・・・・・・いる。私、生きている。
「あの・・・・・・あなたは」
彼女は身を離して、乱れた髪を手櫛で直した。
「我は・・・・・・ミリアム。この世界の主」
また異世界に飛ばされた?勘弁してよ。
「えっと、シュトラは?『まほろば』は?」
「大丈夫じゃ、安心せよ。ここは夢の世界、『トラウム』。我の世界におまえが迷い込んだだけのこと。きちんと帰してやろう」
ミリアムと名乗った女性は、静かに笑った。私は、その笑みを見ているだけで落ち着いた。
これまで感じたことのない安らぎ。シュトラで感じた不安を吹き飛ばしてくれるような、優しい微笑み。
うっすらと笑うだけで、ひとはこんなにも幸せになれるのなら・・・・・・このひとは、不法国家「シュトラ」にふさわしいひとだ。
「ミリアムさん、私はナナです」
「ナナ。その耳飾りの持ち主が来ることは、我にもわかっていた。待っていた。ずっとな」
耳飾りは、ちりちりと熱を放つ。ミリアムさんの言葉のひとかけらごとに反応して、感情をこぼしているみたい。
「見よ、我にも真珠の耳飾りがこの耳にある」
ミリアムさんは、黒い髪から白い耳をのぞかせて、確かに私のものに似ている耳飾りを見せてくれた。ただ違うのは、ミリアムさんのものはいびつな形の真珠がひとつ飾られていたこと。
「ほんとだ・・・・・・。不思議。今までこれと似たものを見たことはなかったのに」
「これは・・・・・・我らの宝じゃ。おまえも、我の宝珠。故に重ねて言う。よく生き抜いたな」
私の目から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。今まで、誰にも見せたことのない弱い自分を、初対面のミリアムさんにだけはさらけ出せた・・・・・・。
「ありがとう、ございます・・・・・・」
「よい。次は月の満ちたときにまた会おう」
「待って!!私・・・・・・あなたに、また会えますか?本当に、会えますか?」
会いたかった。どうしても、この女性にひかれていた。素性も知れないこの人に・・・・・・。
「会える。必ず会える。じゃが・・・・・・」
ミリアムさんは、眉をひそめて、静かにつぶやいた。
「リート・レーゲルとバステトには気をつけよ。世界に仇なす者たちじゃ。あやつらがいる限り、我らは夢の世界でしか会えぬ。よいな。気をつけるのじゃぞ」
彼女が人差し指で私の耳飾りに触れると、私はふんわりと空に浮いた。
「待って!あなたは何者なの!?私は、世界を救う勇者じゃないの!?」
私の叫びは、虚空に消えた・・・・・・。
ミリアムさんが、なにかを伝えたそうに唇を動かしたというのに・・・・・・。
――「・・・・・・ト。リート!」
コローが声を張り上げて鳴く声で目が覚めた。私は、テントの中の布団にくるまっていた。天幕の間から陽光が漏れてきれい。
夢だったのか・・・・・・きれいなひとだった。
「おい!リート!大丈夫か!」
私ははっとした。コローが叫んでいる。地面に何かがたたきつけられる。天幕の隙間から、じんわりと血がにじんできた。
「レモンの香り・・・・・・あの香り・・・・・・」
とぎれとぎれの言葉を聞いたか聞かないかのうちに、私の頭が働いた。
そうだ、レモンの香り。ミリアムさんの香りだ!
リートは、コローはいったい何を知っているの?ミリアムさんとの関係は?そして、この血は?
私は身支度もそこそこに、朝露が光ってまぶしい戸外へ飛び出していた。
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