第10条 異世界は今日も雨だった-長崎にあらずー

 リートが言ったとおり、本当に雨が降ってきた。しっとりとした空気に、花が揺れてきれい。灰色の雲が流れてきて、雨のにおい。私は五感で異世界を感じる。

 ふう~っ。深呼吸したら、おなかが鳴ったけど気にしない。

 それにしても、うちの近くはあんまり土や草がないから、こういうの珍しい。癒やされるな~。


「晴耕雨読もいいかも」

 ぼそりとつぶやくと、コローがにゃっと聞き返す。

「聖子?ウトック?メス猫か?」

 いや、ぜんぜん違うし。このバステト、天然なのかな。コローはにゃんと鳴いた。

「違うよ、晴耕雨読!晴れた日は畑仕事をして、雨の日は読書をするってことよ」

「げ、おまえ本なんか読むのかよ。『愚かな賢者』のくせに生意気な!」

 私はなにも言わずにコローの美しい被毛をぐいっとひっぱった。猫は痛がって暴れる。

「どーせあんたが読む本なんて、グラビアかエロ本でしょー!そんなもんこっちにあるか知らないけどさっ」

「違う!俺様が読むのはカンノーショーセツだ!」

 私はあきれた。なお悪いわ!ていうか、そんな過激なもん、異世界にも――シュトラにもあったんだ。

「おまえな、カンノーはいいぜ?メス猫にもってもてでウハウハなんだぜ?旅に出ていてメス猫に出会えないときでも、これを読めば俺様の魅力が増すってもんだ。やっぱ『ハーレムの逆』だな」

 いや、それは男の世界なのでは・・・・・・。そのとき、雨を避けようと額に手をかざしたリートが、目を細めてにこっと笑った。そして、さらっと信じられない発言をした。

「いえいえ、やっぱり『いい夫婦の日の不倫』ですよ、コロー」

 ちょっと待って――!!リート、あなたも官能小説読んでんの!?

「え・・・・・・ドン引き」

「カンノーショーセツは、こちらでは伝統文学なのですよ。それに、古シュトラ語の研究になりますし、なかなか面白いですよ。僕もコローに古シュトラ語を教えるテキストに使いましたしね。ナナ、あなたの世界にもありますか?」

「え、うん・・・・・・まあ。てか、私が別の世界から来たってわかるんだ」

「『愚かな賢者』は、世界を救うためにもうひとつの世界、理想郷である世界から来ると言われています。ですから、あなたは僕たちと違う世界から来たのだと思ったのです。それに、この古い岩殿から人が出てくるなんて、普通は考えられないですし」

「そ、そっか。ところで、古シュトラ語ってなに?」

「話せば長くなりますが、要は古代シュトラの民が使っていた言葉です。今は死語なのですが、僕はそれを専門に研究している学者なのです」

「すごっ!教授みたい」

「キョージュ?」

「あ、うん、師匠の称号よ」

「なるほど。では僕もあるキョージュからこの『六法全書』を託されているということです。これは、法治国家だった古代シュトラの理想的な言語の辞書なのです。昔は法律を記していたらしいのですが、今は辞書として使われています。この不法国家の現代シュトラでは、法律書なんてありませんからね。すべては王の専制で決められ、人々の命は不当に奪われ・・・・・・僕もつらいことをいろいろと経験しました」

 リートは、チョコレート色の瞳を揺らした。ちょっとしずくがかかって泣いているように見える。

「そうなんだね。昔の方が理想郷かあ。私の世界では、今が法治国家だけどね」

「やはり、あなたは理想郷から来たのですね。もっといろいろと教えてください」

「わかった。私もシュトラのこと知りたい!私が持ってる辞書は、法律用語をひもとくものだけど、不法国家のシュトラでは外典と呼ばれているの?」

「そうです。これは古代に散逸したもので、『六法全書』の対となる存在です。ないはずですよ、異世界から出てくるとは。いったい誰が・・・・・・。それに、この外典は古代シュトラの伝説によると、『ゆがめられた言葉、失われた言葉を取り戻す』作用があると言われています。僕たちの旅の目的の一つは、この『失われた言葉』を取り戻すことにあります」

 雨はだんだんとひどくなってきた。コローがぶるっと震えて雨水をはじきとばす。

「おい、話は後にしようぜ。ぬれて寒い!」

「そうですね、とにかく今は雨宿りできるところを探しましょう。コローは僕のふところへ」

 コローは、リートが開いたコートのふところに収まった。私たちは、先を急ぐことにした。


 カンノーショーセツが伝統文学で、専制君主の不法国家・・・・・・どんな世界よと思いながら。


(10おわり)

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