rumor

 その日、ネット上に奇妙な噂が流れた。


「口裂け女が高速のパーキングエリアに出るらしい」

「は?」

「www」

「出てどうすんだよ」

「深夜に誰もいないような寂れたPA出ようとすると、窓ガラス叩かれるんだと」

「私、キレイって?」

「アクセル全開で逃げるわw」

「www」

「いや、100メートル3秒だからな?」

「時 速 1 2 0 ㎞」

「逃げれるだろ、車なら。ギリ」

「お前らはまだ口裂け女の本気を知らない」

「群馬出身だっけ?」

「www」

「おいさっきから草しか生やしてねえやつ」

「とにかく、今パーキングエリアはやばいんだって」




 口裂け女は困惑していた。

 高速道路の、パーキングエリア?


「いや、行ったことないし……」


 そもそも行き方が分からない。

 ああいう場所って、歩いて行けるものなのか?

 車に乗らないと行けないのでは?


 普段は街中の、それも人通りの少ない住宅街や通学路などに出没するのが彼女のテンプレートである。

 仕事は決まって夕暮れ時で、陽が沈んでからはあまり噂されることもない。

 深夜の、それも高速道路で噂されたことなどあるわけがなかった。


 まあ、そうは言っても、だ。


「行かなきゃだめだよねぇ、やっぱり」


 怪異とはすなわち、実在しない噂話だ。

 その存在の基盤を人々の口伝えに依存している以上、『高速道路に出る』と噂されれば出ないといけない・・・・・・・・


 口裂け女は仕方なく、寂れたパーキングエリアを探して根を下ろした。

 そこに来る途中で通り過ぎたインターチェンジや高速道路では、今まで見たこともないようなスピードで車やオートバイが目の前を通り過ぎ、びかびかと光るライトは眩しくて身が竦みそうであった。

 人気のないだだっ広いだけの駐車場は夜闇が降りると一層もの寂しく、心細い気持ちを懸命に奮い立たせ、口裂け女は獲物を待ったのだった。


「でも、考えようによってはチャンスよね。ここならみんな車かバイクに乗ってるんだから、私の無駄な俊足を活かすことも出来るかもしれないわ」


 しかし、その目論見はあえなく外れることになった。



 


 こん。こん。


「ねえ、私きれ……あ」


 こちらを見もせずに発進していった黒い車を、口裂け女は呆然と見送った。

 窓ガラスをノックした手が空しく宙を叩く。


「また駄目だった……」


 思わず下がった両肩に重くのしかかる疲労を感じながら、口裂け女はここ数回のトライを思い返した。

 そもそも車の通りが稀なこのパーキングエリアであるが、偶に通りかかった車やバイクに声をかけてみても、誰一人彼女に反応するものがいなかったのである。


 見えていない。


「私、ホントに噂されてるのかな……」


 怪異とは即ち、実在しない噂話だ。

 噂話の中にこそ存在出来る彼らは、逆に言えば話を知らないものにとっては存在しないことと同じ。

 つまり、『高速道路のパーキングエリアには口裂け女が出る』と思っているものにしか、彼女は目撃され得ないのである。

 そして今のところ、そんなドライバーは皆無なのであった。


「ううん……。場所が悪いのかなぁ。寂れたパーキングエリアなんていくつもあるしなぁ。……もう。噂するならもう少しディティールを凝りなさいよね。中途半端な情報が一番困るのよ…………あ、また来た」


 ぶつぶつと誰にも聞こえない独語を漏らす彼女の目に、一台のバイクが留まる。

 それは全身を黒のライダースーツに包み、フルフェイスのメットをかぶった、大柄な男であった。

 バイクに詳しくない口裂け女にはそれが何ccの排気量かなど知るべくもなかったが、とにかく巨大なバイクであることは確かであった。

 彼は自分の噂話を知っているだろうか。


「……ふう。ま、どうせダメ元よね」


 散々完無視を決め込まれたせいですっかりナイーブになっていた心を奮い立たせ、口裂け女は誰も通らない道路でもきちんと左右の確認をしているドライバーに近づき、その肩を叩いた。

 すると。


「え?」


 男が、振り向いた。


(見えてる! この人、私が見えてるわ!)


 その日初めてもらえたそのリアクションに小躍りしそうになるのを必死に抑え、口裂け女はそのフルフェイスのメットを覗き込んだ。

 視線が何処にあるかが分からないとちょっとやり辛い。

 だが、ここでトチるわけにはいかないのだ。

(落ち着いて、いつも通りにやれば大丈夫!)


「ねえ、私、きれい?」


(よし。噛まないで言えたわ。明かりは、……大丈夫。ちゃんと私の顔も見えてるはず)


 男は戸惑いを隠せない様子で、恐る恐るその問いに答える。


「え、……ええっと、……はい。キレイだと、思います」


(あら。意外と丁寧な口調)

 そんなことを考えながら、口裂け女は情感たっぷりに、口元のマスクを外して見せた。


「こ れ で も ?」


 その、瞬間。


「ぎゃあああああああ!!!!」


 男は悲鳴と轟音を上げ、フルスロットルで飛び出した。

 見る見るその背中が小さくなっていく。


(来たああああ! なんて素晴らしいリアクション! これよ、この時を待ってたのよ! ……って、ちょ、結構速いわね。いいわ。今こそ、この散々噂されまくった俊足を見せる時!!)


 口裂け女は慌てて手に持った鋏を握り締めると、両足の親指に力を込め、アスファルトを蹴った。


 ごう。


 飛び出した体を風圧が打つ。

 一歩ごとに加速していく己の体を知覚する。

 腕を振り、足を振った。

 目の前を走るライダーの背中が近づいてくる。

 その、フルフェイスのメットに包まれた頭が。


「待 ち な さ……………え?」



 ぽろっと落ちた。



「きゃあああああああああ!!!!!」

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