走れ、裂き子さん

lager

walker

 蒸し暑い夜であった。

 街灯に集まる虫たちが光の中に不規則な影をばらまき、ちりちりとその身を焦がす音が聞こえるような、丑三つ時の住宅街。


 コンクリートの塀が途切れ途切れに続くその道を、二つの影が歩いていた。

 一人は長身の女。

 季節外れの赤いコートを身に纏い、髪は黒々と長く腰元まで伸びている。

 かつかつと、白いヒールがアスファルトを鳴らすリズムに合わせて、右手に持った大振りの鋏をくるくると回して弄んでいる。


 隣を歩くのは、女の胸元までの背丈の少女。

 女の黒髪とは対照的に、目にも鮮やかな金色の髪を緩やかに波打たせ、頭にはブルーのリボンがついた真白い帽子。

 フリルのたっぷりとあしらわれたワンピースが、その軽やかな歩調に合わせて夢のように揺れる。


「ねえ、聞いてる?」

 黒髪の女は少しくぐもった声で――女は顔の下半分を白いマスクで隠している――隣を歩く少女に問いかけた。

 

「え、なにを?」

 くるん、と愛らしい表情で女を見上げた少女の横で、女は前を向いたまま言った。


「だから、どう考えても設定過剰だと思うのよ」

「はい?」

「私ってさ、ほら。よく言われるじゃない。足が速いってさ」

「そうね。……ええっと、100メートル3秒だっけ?」

「うん」


 時速120㎞である。

 足が速いとかそういうレベルではない。


「そりゃね、そういう風に噂されればそうなるわよ、怪異だもの」

「そうね。私なんか、瞬間移動もお手の物よ」

「あんたは良いわよね、スマホなんか持っちゃってさ」

「そうなの。ねえ見て? 最近LI〇E始めたんだ。このスタンプ、超可愛くない?」

「私、ポプテピって何がいいのかよく分かんないわ」


 すたすたと、てくてくと、女と少女は夜の街を歩いていく。


「ほら見て、『あなた』まで打つと、勝手に『の後ろにいるの』まで表示してくれるんだよ。超便利~」

「いや、あんたの自慢はどうでもいいのよ。私の話聞いて」

「え~。何だっけ、設定過剰? 何でよ、いいじゃん。ボルトも真っ青だよ」

「その真っ青の顔を赤く染め上げるのが何より楽し……じゃなくて! だから、足速い設定にするのはいいんだけど! それを活かす場所がないって言ってるの!」

「ええ?」


 女は一つ深い溜息を零すと、手に持った鋏をしゃきしゃきと鳴らして語り始めた。


「だからさあ、私って基本、待ち伏せ型の怪異でしょ? 私から話かけるとか、話しかけられるのを待つとかバリエーションはあるけどさ。獲物が目の前にいる状態からがスタートなわけよ」

「うん」

「でね? 言うわけじゃない、例の決め台詞を。で、お決まりのやり取りを挟んでマスクを取る、と。そしたら獲物は逃げようとするわよね?」

「ふんふん」

「で、そこをグサっとやるわけよ」

「うん…………んん?」

「時速120㎞で走る場面、ある?」

「…………ない……ね」


「でしょ? ターゲットって大体徒歩じゃん。じゃあ逃げようとした瞬間捕まえられるわよ。何で逃げるの待つ必要があるわけ? 逃げる獲物をじわじわ追い詰める系の怪異にするんならそれでもいいけどさ、それなら猶更そんなスピード要らないでしょ!? 逆に怖くなくない!?」

「そう……だねぇ。因みに、今までそうやって獲物を追いかけたことは?」

「ない」

「だよねぇ」


「なんていうかさぁ、私たちなんて、人間が噂してなんぼみたいなトコあるじゃない? 最近赤マントなんて見なくなっちゃったしさ」

「テケテケもねえ。ちょっと前まで映画でもてはやされてたのにね」

「文句言うのもお門違いだってのは分かるんだけどさ、せめてもうちょいプロットをよく練ってから噂してほしいっていうか」

「編集者?」

「ま、あんたにこんなこと愚痴ったってしょうがないわよね。ちょっと言ってみたかっただけ」

「ふーん」


 少女は女の顔を伺い見るが、言うだけ言って少しは気が晴れたのか、その足取りはいくらか軽くなっていた。

 やがて大きな児童公園の前まで来ると、女はぴたりと足を止めた。


「私、明日はこっちで仕事する予定なんだ」

「あ、そうなんだ。じゃあまた明日の晩ね」

「話聞いてくれてありがとね、メリー」

「いいってことよ、さっきー」

「さっきーって言わないで。切り裂きジャックみたいになっちゃうから」

「いしし。じゃね」

「うん、おやすみ」


 それきり女と少女は分かれ、それぞれ一人、夜の道を歩いて行った。


 二人の会話を聞いたものは、いなかった。

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