最終話

 再び爆発音が響き、部屋の中が揺れた。

 徐々に使用している爆薬の量を増やしているのか、あるいは何か他の仕掛けがあってからか、先程から断続的に鳴り響く爆音と共にやってくる振動は質を増し、意識していなくともはっきりと感じ取れる様になっていた。

 「一体何を仕掛けた?」

 「爆弾、それも沢山のね」

 左腕に居座る激しい激痛を堪えながら紡いだ問いに、エレナは淡々と答えると、ホログラムを表示させる。

 「仲間はもう少しで到着の予定?」

 逆に問い返したエレナに、カルラはほんの少しだけ頬を吊り上げてから答えた。

 「その通りですよ、私一人相手するには大した問題は無いとは言え、増援が来てしまえばあなたに勝ち目はありません」

 個々の能力によって状況の優劣は変化し、量は質を圧倒する。

 たまたまカルラ単体がエレナに負けたからといえ、完全武装をしたPRT数名とドロイド相手では、そんなエレナの存在など赤子も同然だ。

 だからこそカルラは余裕な表情を浮かべ、直ぐ側までやって来ているであろう部下の存在に意識を傾けるが、その希望は次に発生した爆発音によって消去される。

 それも先程とは比べものにならない程大きな音だった。

 音は直接空気の振動となって鼓膜どころか肌を揺らし、その威力を露わにする。

 単純に多くの爆薬を使った可能性はあるが、それでもここまでの音は響かないだろう、となれば容易に想像が付く、先程の爆発は直ぐ側で発生した物だ。

 「残念だけど仲間はこの部屋には来れないよ」

 エレナは爆発の場所が判っていたのだろう、映し出された映像から視線を外す事無くそう告げ、ホログラムの一端を操作。

 表示されていた地図をカルラの目前へと配置した。

 「……まさか」

 「そ! 通路を壊しておいた。

 これで暫くの間この辺一体は私達二人だけの貸し切り状態、贅沢でしょ?」

 人質を確保した上で通路を塞ぎ籠城、それは彼女の計画だったのだろう。

 幾ら片腕を負傷しているとはいえ拘束をなされていないカルラを余所に彼女が余裕でいるのは、作戦自体は既に完了し後は時間を待つだけとなっているからだろう。

 「自分達の存在を利用されるとは、あまり良い気持ちはしませんね」

 「だろうね、本来こんな状況になるのを未然に防ぐのがPRTなのに、私をここに誘い出すわ、爆弾を仕掛けやすくする為に人を避難させちゃうわ、挙げ句の果てには人質にまでなっちゃうんだからね」

 馬鹿にしているわけでは無い、ただ事実を述べただけなのにも関わらず、エレナの言葉は耳に痛い物だった。

 「カルラ様、犯人の声に耳を傾けてはいけません」

 そんな彼女の痛烈な意見を訂正する様に、スカラの声がそっとフォローを入れる。

 今はそんな事はどうでも良い、エレナの意識がその合成音声へと向いてる隙を狙い、カルラは視線を装甲服へと向ける。

 「相変わらずあなたは随分な事を言うんだね」

 知人に対して告げる小言の様に、エレナは口を尖らせながら遮光板が下ろされた窓際へと歩き、その表面をそっと撫でる。

 その際、窓枠の一部に爪の先程の大きさの有機爆薬を貼り付け、仕掛けた位置が正しいかを再確認する様に、彼女は一歩後ずさって全体を眺める。

 カルラの位置からは何をしているかは不明だが、少なくとも彼女の意識は自分では無く別の場所に向いている。

 その隙を利用しようと、カルラは頭の中で計算を立てた。

 部屋の脇に放置されたままの装甲服、そこまでの距離はおおよそ7メートル、ちょっと本気を出せば瞬きする間に歩み寄れる距離だ。

 あとは装甲服へと身を埋め、システムを起動させればハッチが閉じ、装甲服の中はこの世で最も安全と言っても過言では無い空間へと化ける。

 そうなればもう何も恐れるに足らず、エレナの事だって速やかに拘束が出来るだろう。

 だが……果たして其れが可能だろうか?

 痛みは自分が思っている以上に行動を制限する、怪我をしているのは足では無いが、それでも唯座っているだけで脂汗が浮くほど痛む腕、其れを引きずり予定通り装甲服へと飛び込む事が出来るだろうか。

 そして、装甲服へと身を沈めたとして、ハッチが閉じるまでの間エレナが大人しくしているだろうか?

 もしハッチを閉じる前、両手両足を開いた姿勢の時に彼女がナイフを突き立てたら?

 もし閉じかけたハッチの中に彼女が爆薬を放り投げたら?

 考えるだけで怖気が走る想像に、カルラは考えるのを一旦中断した。

 自分から装甲服までも距離はそう離れていないが、それは自分とエレナの距離も同じで、 何より見た目とは裏腹に明らかに手練れな彼女の行動も警戒するに値する情報だった。

 窓から離れると、のんびりとした足取りで手近な机に手をかけると、そのまま固定のされていなかった机をひっくり返す。

 鈍い音と共に90度横に傾いた状態で倒れた机は、少しの間縁を足代わりに揺れ、その動きを止めた。

 その動きに何の意味があったのか、エレナはやっと一息ついた様子で溜息を吐くと腰を下ろし、机を背も足り代わりにして床へ座り込むと口を開く。

 「色々あなたには迷惑かけちゃったけど、最後のお願い聞いてくれる?」

 足が疲れたのならそんな事しなくとも椅子に座れば良い、背もたれが欲しいのなら尚更だ。

 では何故彼女は床に座り込んだ? まるで机を盾代わりに使ってる様に――

 「あ、念のために伏せてて」

 思い出した具合に呟いた彼女の言葉は、寸前まで組みあげられていた仮説を証明するに十分だった。

 カルラは状況を瞬時に理解、そして咄嗟に床へと伏せる。

 その刹那乾いた爆発音が連続して響き、先程までエレナが触れていた窓の数カ所で仕掛けられていた破壊の意思が具現化する。

 構造上どうしても生まれてしまう弱点、それらを爆発と共に発生した衝撃波が叩き、そしていとも簡単に窓を破壊。

 有機爆薬特有の、料理が焦げた様な匂いのする煙が収まった時、分厚い強化ガラス製の壁には、人一人余裕で通り抜けるだけの大きさの穴が空いている事が確認できた。

 「其れで何だけどさ」

 机の影から顔を上げ、予定通りに穿たれた外界との通り道を確認すると、エレナは言葉の続きを繋ぐ。

 「そこから外に出てくれない?」

 出入り口が無くなってしまったのでとりあえず道を空けておいた、エレナとしてはそんな考えなのかもしれない。

 しかし今居る空間が地上からどれほど離れているかを考えれば、それがどれだけ非常識な頼み事であるか直ぐに判る話だ。

 「ここが何階であるかをお忘れで?」

 「良く覚えていない……でも、それを使えばどんな階から落ちても大丈夫でしょ?」

 物陰から立ち上がり、そっと彼女が指さした先には、大きく開口部を空けたまま沈黙を続ける装甲服があった。

 「あなたは馬鹿ですか? わざわざ今私にあれを使えと?

 そんな事をしたら事態があなたにとって不利に働く事位判っていますよね?」

 これだけの計画を立てる人間だ、今更装甲服の性能を知らないなど言う筈が無いのだが、流石にPRTの事を舐めきっているエレナの言葉に眼を丸くして応える。

 「判ってるよ、だからこそ装甲服を使ってこの部屋から早く出てって欲しいの、ってもう文句言わせるつもりは無いんだけどね」

 そう告げたエレナは、ホログラムを表示させて現時刻とタイマーを映し出す。

 「3……2……1」

 一番数の少なかったタイマーがゼロになった刹那、再び何処か遠くから爆音が響き、建物が揺れる、それも今まで続いていた其れらよりも明らかに激しく。

 エレナが表示させているタイマーが複数ある事から判る通り、彼女はそれだけ沢山の爆薬を仕掛けていると言う事だろう。

 そして爆発の度にバベルの揺れが大きくなる、それもまた彼女の計画の内だとして、もし最後の爆発が起きた際バベルはその揺れに耐える事が出来るのか? そして耐える事が出来なかった場合どうなってしまうのか?

 どう考えても誇大妄想としか言えない予想だが、着実にその輪郭が鮮明になる仮説にカルラは冷や汗を流す。

 「もう判るでしょ? この爆弾は全部タイマーが起動しているから今更停止する事なんて絶対に出来ないの。

 だからさ、早めに避難する方が良いと思うの」

 エレナの言葉に答えたのは、カルラでは無かった。

 「情報の収集が完了しました。

 カルラ様、彼女の言っている通りこのバベルは間もなく倒壊をします、現状では対象を確保よりカルラ様自身の身の安全が最優先です」

 突如部屋の中心に表示されたホログラム、そこには大きな文字でカウントダウンが始まっていた。

 「カルラ様、時間はこれだけしか残されていません」

 驚いている訳でも、自棄を起こしている訳でも無い。

 ただ単純に現状を述べるスカラの声の下、いよいよ現実味を増し始めた未来に、カルラは痛みからくるのとは別の冷や汗を流して答えた。

 「ちょっと待ってください、まずは状況の説明を――」

 「現状において説明をしているだけの時間が残されていません、速やかに対象の指示に従い装甲服を装備し、建物の外へと避難してください」

 食い気味なスカラの言葉に納得のいかない様子だったが、再び起きた爆発によって激しく揺れた室内、カルラは腕を押さえたままゆっくりと立ち上がると、反抗の意思が無い事を示す様にエレナを見つめたまま装甲服へと近づく。

 「ご安心くださいカルラ様、装甲服があればこの階層からの脱出も容易です」

 「そんな事心配してるのではありません、私は唯彼女がどの様な手を使ってこれだけの事をしたのか知りたいだけですよ」

 人を守る為だけに生まれた現代の鎧が、不満げに言葉を続けるカルラを飲み込んでいく。

 それは人を守る為だけに生まれた人工の意思と、それに異論を唱える人間の声によって形成された世界の縮図を見ている様だった。

 カルラはあくまでも人間を守る為だけに存在している、それは誰が見てもどこから見ても見間違える事の無い事実だった。

 だが、この状況こそが自分が生まれた未来を生み出したのだ。

 人を思うが故に思考の概念すら奪ったスカラは、人をペット、あるいは家畜として飼育し始め、檻の中で餌を食む事しか脳の無い家畜の如く、殆ど全ての人間はスカラが提示する咀嚼済みの日常を丸呑みする。

 たしかにそれは楽な日常だ、だがそれ故に人は柔く煮込まれた日常に酔い、更に口当たりの良い生活を求め、思考を捨てる。

 それは幸せだろうか? 本当に心からそんな日常を愛せるだろか?

 「さぁ早く出てって、スカラもそう言ってるでしょ?」

 あくまでも脅しの為、エレナは残っていた有機爆薬を手に命令を下す。

 エレナの知る現実なら、誰もが間違い無くスカラの指示、つまりエレナの命令に従う選択を取り窓の開口部から避難すると予想していた。

 しかし、その予想が通じるのはエレナが住まう時代の話であって、今現在の話では無かった。

 「生憎ですが、そう簡単にはいきませんね」

 ハッチが完全に閉じ、この世界で最も安全な場所の一つに身を沈めたカルラが紡いだのはエレナの予想とは異なる回答だった。

 「あなたを連行します」

 あくまでも脅しの為、カルラは銃を抜きエレナへと銃口を向ける。

 例え爆発が止められなくとも、その張本人を捉える事なら可能な筈、そうカルラは考えたのだ。

 元々機械では出来ない無茶を行う、そんなポリシーを持つ彼にとって、避難よりも先に結果を残す事は当然の行動だったのかもしれない。

 だが、そんな予想外な選択すら計画の内だったエレナは口端を吊り上げてから呟く。

 「スカラ、一連の犯人である私を確保する事と善良なPRT隊員の命、どっちが重要?」

 自分の命を軽く見たエレナの言葉に、スカラは直ぐには答えず、代わりに再び起きた爆発が沈黙を埋めた。

 直立している事すら困難になりつつある室内で、エレナは机に手をついてバランスを取り、無言のままのカルラの反応を伺う。

 そして……

 「現状を非常事態E-17と認定、これより緊急時特別措置を施行します」

 カルラの意図などまるで無視する様短い電子音が響き、カルラは銃を下ろした。

 いや、下ろしたと説明するにはそれは語弊があるだろう、何故なら、カルラの意思とは関係無く一人でに装甲服が動いた結果、銃を下ろす結果に繋がったのだからだ。

 「スカラ! それはいけません」

 「申し訳ありませんカルラ様、現状においてあなたの身の安全が最優先事項であると判断されました」

 初めから有無を言わせる気の無いスカラの声、その言葉に同意する様装着者の意思とは全く関係の無い動きで遠隔操作され始めた装甲服は、そのまま窓際へと歩む。

 そして。

 「スカラ! ダイアログ終了です!」

 「許諾できません、速やかに衝撃に備えてください」

 やはりカルラの抵抗などむなしく、巨大なその影は窓の外へと落ちていた。

 「ばいばーい」

 一連のやり取りを見送ったエレナは、端末を取り出す。

 「あなたに最終警告を行います、速やかに爆発を止め、そしてバベルから待避してください」

 「断る」

 きっぱりと返されたエレナの声にめげず、スカラは続きの言葉を述べようとするが、エレナが端末を操作した刹那に起きた爆発に遭わせ、その声は半ばで途切れていた。

 更に、部屋の中の照明も落ち、昼間なのにもかかわらず薄暗い空間が形成される、それは先程の爆発により、この部屋への電力供給と通信が途絶した結果だった。

 「これで五月蠅いのも居なくなったと」

 大きく割れた窓から差し込む光。

 たった一つの、人工では無いその光によって不均一に照らされた室内でエレナは口を開いた。

 「作戦は全て成功したよ、パパ」

 急に子供じみた雰囲気の表情になった彼女は、そっと首から提げたネックレスに手を伸ばし、その先に取り付けられていた共振体に触れる。

 エレナにとって父親から最後に貰ったプレゼント、それは部屋の開口部から差し込む光を受け、ほんの僅かに光り輝いていた。






 無理矢理に眠らされる感覚は初めてだった。

 体に走る電気信号、それによって制御されていた体の感覚を機械によって強制干渉、そうする事で生まれる全身麻痺と、脳に直接送り込まれるパルス信号によって催す強烈な眠気。

 本来は医療用として開発されたその道具により体と心の自由を奪われていたケイルだが、不意に響く声によって無理矢理に眼を覚まされていた。

 「ケイル様、ケイル様起きてください」

 眼を閉じていても判る聞き慣れた声。

 それは間違い無くスカラ物であり、うっすらと眼を空けた先にある複眼を見て、それがドロイド越しに紡がれた物であると悟った。

 そうだ、自分はPRTに拘束されたのだ。

 エレナをバベルに送る作戦の囮として、彼は自ら餌になり取り押さえられ、そして拘束された。

 だが……

 「ケイル様起きてください」

 何故自分は再び目覚めさせられた? 開かれた瞳が送る情報が確かなら、自分はまだ自宅の中に居るのだ。

 其れなのにもかかわらず何故ドロイドは自分を目覚めさせた? それは一体何の為?

 混乱が止らないケイルに対し、ドロイドは取り外された拘束用チョーカーを片手に、速やかに回答を提示する。

 「ケイル様助けてください」

 「……あのな、俺はあんたを壊そうとしてんだ、其れなのになんであんたと強力しなけりゃ――」

 何を今更協力依頼だ、そう思っていたケイルの耳を、スカラが紡いだ予想外な言葉が叩いていた。

 「速やかに私に協力してください、そうでなければあなたの仲間の命がありません」

 「!!……」

 一切の声色を変えずに紡がれたその一言に、ケイルはただ血相を変える他無かった。






 「今……何て言った?」

 自分が先程まで眠っていたからか、あるいは単に気が動転しているだけか。

 何にせよ、スカラが決して口にする筈の無いその一言に対し、ケイルは疑問符を返す他無かった。

 「仲間の命が無い……だと?」

 口では無くスピーカー越しに、声では無く合成音声を用いて、彼女は本当にそう口にしたのか?

 ケイルは何かの間違いでは無いのかと、自分を抱く様に体を支えていたドロイドの手の中呟かれた一言に、ドロイドは淡々と答える。

 「肯定です」

 「っ! それはエレナの事か!?」

 「情報を更新します、対象の呼称はエレナ、間違い無いですね?」

 ケイルから良く見える位置にエレナの横顔を映し出したスカラは、あくまでも事務的に情報の整理を進めていく。

 「情報が更新されました、それでは再度提案をします、あなたの仲間であるエレナ様を死なせない為にも私に協力してください」

 その一言を聞いた瞬間、ケイルはまだ体に麻痺が残るのにもかかわらず勢いよく飛び起き、ドロイドから距離を取ろうと立ち上がる。

 しかし足の麻痺は思っていたよりも深刻だったらしく、彼は背後に居たドロイドへと振り返り際に再びバランスを崩し、そのまま尻餅をついてしまった。

 「それはどういうことだ! エレナを死なせない為? それは何の冗談だ!」

 何か状況を打破出来る道具は無いか、そう説に願いながら背後で手探りをしながら怒鳴るケイルに対し、スカラはゆっくりと歩み寄りながら答えた。

 「『エレナを死なせない為』その問いに対しての答えは、肯定です。

 そして、先程の『私の発言が冗談である』それに対しては否定を返します」

 人を守る為、世界をより良くする為だけに存在するスカラシステム、彼女はどんな時でも人間の身の安全を最優先に動いてきた筈だ、其れなのに今の彼女は何を言った?

 仲間の命が惜しければ自分を救え、紛れも無くそう聞こえる彼女の提案は、疑う予知も無く脅しそのものだった。

 つまり、彼女の言葉が事実ならエレナは取り押さえられた事になるが、もしそうだとしてもスカラは人の命を餌に誰かを脅す事が可能なのか?

 そもそも彼女を追っていたのはドロイドだけでなくPRTも同じな筈であり、スカラがエレナを人質に使うと提案した結果、PRTもまたその提案を受け入れ協力したのか?

 自分が持っている情報を駆使し、無理矢理にも自分が理想とする答えを探そうとしてはみるが、どうしても最も現実的な答えが脳裏にこびりついて離れない。

 「今更自分の命が惜しくなったか?」

 スカラは所詮は機械に過ぎない、だが彼女の演算能力は人の想像の域を遙かに超えており、自らその組成を進化させている。

 そんな彼女がもし、自分という存在に命の概念を見いだし、そしてその命に対して執着心を持ったとしたら?

 その結果、彼女が本来自分に与えられた『人の為に尽くす』という命令の優先順位を落とし、己の命を優先した場合はどうなる?

 いいや、そもそも彼女にとってこの世界に住まう全ての住人の命はレゾンデートルそのものなのだ、大勢の命を守る為に自分の存在が重要で、自分の命に大勢の人の命が付属していると彼女が考えるのなら、たった一人の、この時代には存在しない筈のテロリストの命など、大して重みが無いのでは?

 ドミノ倒しの如く連鎖していく嫌な予感に冷や汗を感じながら、問いを投げたケイルに対して、スカラはドロイド越しに答えた。

 「否定します、私には命はありません、故に自己保存の欲求を渇望する事などあり得ません。

 故に私は提案しているのです、バベル内に取り残されているエレナ様を助ける為には、ケイル様、あなたの協力が必要不可欠なのです」

 強大な見方が突如牙を剥く恐怖、それに震えていたケイルは、微妙に自分の考えとスカラノ提言には齟齬がある事に気付き、眼を瞬かせる。

 「脅しでは無いのか……?」

 「肯定です。

 提案はあくまでもエレナ様を守る為の物であり、私自身の保護をする為の物ではありません。

 第一に、ケイル様の協力に一切の関係無く私は間もなく機能停止に追いやられます」

 その言葉を聞き、ケイルは一斉に湧いた安堵に頬をほころばせ、直後それらに付随して生まれた疑問に表情を曇らせた。

 安堵の理由は簡単だ、エレナは脅しの為の餌では無く現時点においてもあくまでも保護の対象であり、作戦が無事に成功したのだから。

 では、疑問はどこから生まれたのか……

 「作戦は成功したのか?」

 「バベルタワーを破壊する、それがあなた達の計画だった場合肯定です。

 既に私は如何なる手段を用いようとビルの崩壊を止める事は不可能です、ですがそれ故にタワー内に取り残されたエレナ様の生存も絶望的となっています」

 スカラを通して得られた情報は、自分が予め得ていた情報とは明らかに異なる。

 ビルが倒壊した場合、エレナの命が危ない? そもそも未だにエレナがビル内に取り残されている事実そのものに疑念を抱く。

 「エレナは爆弾の起動が完了したら、バベル内にある車両を使って避難している筈だぞ?」

 それがケイルが予め聞いていた作戦だった。

 バベル内に仕掛けられた複数の爆薬を使って建物全体を揺らし、その共振が限界に達してビルが破壊される直前、彼女は非常事態につきセキュリティが解除されている予定の車両に乗り込み、速やかにビルから脱出。

 だが、スカラの言葉からして、其れが違うのは明かだった。

 「私の情報通りなら、エレナ様の位置から公共車両の保管庫までの距離はそう遠く離れてはいません。

 しかし――」

 淡々と、あまりにも冷たい口調でスカラは状況報告を始めた。






 全て計画の内だった。

 過去のケイルとリグラスに接触し、彼等の持つ欲求を利用して爆薬作りを手伝わせ、そして目的の有機爆薬を手に入れる事。

 そしてその爆薬をバベル内に持ち込み、特定の順序を用いて爆発させる事でビルを崩壊させる事も、その直前にビル内部の人間を全て避難させる事も。

 確かに爆薬の存在に二人が気付いた事、そして未来のスカラが追っ手を送り、結果としてバベル侵入に利用する予定だったポータルが破壊される事、これらは予定外の誤算ではあったが、何とかケイルの閃きによって軌道修正が叶った。

 あとは自分が手筈通り避難すれば、全て順調にいく筈だった。

 だが……これだけは予想外な事態だった。

 「……そんな……」

 送電線が破壊され照明が消えた道をライトで照らし、エレナは絶望を覚えていた。

 スカラからの干渉を防ぐ為この辺一角の電力を枯渇させる事は計画の内だった、だからここからのルートは頭の中にしっかりと叩き込み、例え手の中のライトが無くとも迷わずに目的地まで走れる自信があった。

 だが……それはあくまでも道が残されている場合に限った話だ。

 「どうして……」

 日の光が一切入り込まない反面、エレナが持つ端末の光りによってそこは照らされていた。

 目に映るのは瓦礫の山、そして瓦礫に押しつぶされた公共車両の残骸。

 建物の材料と交通機関、破壊されたその二つの要素によって、飲食店から車両の保管庫まで続く道は完全に塞がれていた。

 計算上はこんな事有り得なかった、この時代のバベルの構造なら、この通路だけは人が通れるだけの通路は残されている筈だった。

 未来は常に微細な情報の影響を受け、常に変化していく。

 だから正確な未来を知る事など絶対に不可能だが、過去を変える事だけは絶対に不可能だ。

 過去にまつわる情報は常に絶対的な正確さを持っており、その正確さのおかげで自分の計画は成功に繋がる筈だった。

 だが、その安心感こそが自分の怠慢だったのだ。

 そもそも、自分が知っている過去と、今自分が存在するこの時代はよく似てはいるが全くの別物なのだ。

 「いや……、どうして! ねぇどうして!」

 ライトを手放し、崩れた瓦礫の一部にしがみつくと、力を込めて引き抜こうと引っ張る。

 だが、見た目からして重そうな、エレナの背丈ほどある瓦礫は床に溶接されているかの如くぴくりとも動かず、彼女の行動が無意味である事を証明した。

 自分が今居る時代は、記録を頼りに学んだ時代では無い。

 エレナが記録を頼りに学んだ過去は、彼女が存在しない事が前提の記録に過ぎず、今自分が居る時代は、『エレナ』というイレギュラーによって少なからずも乱された時代なのだ。

 そんな基本から大きくずれた時代において、予定と呼ばれる物の信頼性がどれほど劣化するのかなど、彼女は考えてすらいなかった。

 「計算に狂いは無かった筈! なのにどうして!」

 上体を大きく反らし、全身の力を込めて瓦礫をひっぱたエレナだが、彼女の手が滑って瓦礫から離れ、勢い余った彼女の体は力の反動を受け真後ろへと吹っ飛び、右肩から床へ激突した。

 固い床には細かい壁の破片が散乱しており、倒れ込んだ衝撃で皮膚へと食い込み、素肌を晒していた箇所には血の筋を描かせる。

 ずきずきと痛む肩を押さえながら体を捻り、目の前の壁を今一度確認する。

 「どうして……」

 バタフライエフェクト、少し前にリグラスが口にした言葉を思い出し、エレナは静かに納得する。

 自分という存在が生み出したごく僅かな歪み、それは細かな、本当に微細な連鎖を誘発し自分が知らない未来を生み出したのだ。

 その結果の一つが、目の前に立ちはだかる巨大な壁。

 放り投げられたライトが放つ光を側面に受け、不規則な凹凸によって形成されたその壁は、巨大な怪物の如く沈黙していた。

 有機爆薬は全て使い切った、だからこの壁を破壊し、その先に行く術など残されては居ない。

 だから別の方法でこの状況打破するにも、何一つ有効な手段が思いつかない。

 ならばどうすれば良い?

 他の作戦は? 使える道具は? 頼れる仲間は?

 小さな頭に詰め込んできたありとあらゆる情報をほじくり返すが、その全ての可能性には『使用済み』あるいは『無効』のタグが貼り付けられている。

 「他に方法は……絶対に、絶対にある筈だから――」

 だらだらと冷や汗が滲み、寒気にも似た焦りが皮膚の下を這い回る中、エレナは頭の中をひっくり返し、一つでも良いから何か使える物は無いかと探る。

 そして、彼女は意識の中でこれまでとは違う物を手探りで見つけ、藁にも縋る思いで引っ張り出した。

 だが、その考えは見たく無いものだった。

 「……死?」

 破綻は無い、今から起きる未来で最も現実的な可能性だ。

 何をするでも無く、唯ここで転がっているだけで間違い無く自分の手を掴み、そっと引いてくれるであろうその未来を力一杯放り投げると、一瞬湧いた負の感情を壊す様に意識をひっくり返して他の選択肢を探す。

 だが……

 『助かる方法は無い』

 「嫌だ!」

 そんな声が聞こえた気がしたから、咄嗟に否定をした。

 『諦めた方が楽』

 「嫌! 私は……」

 その通りだ、もう助かる術なんて何処にも無い、だから現実を受け入れるべきだ。

 だが、死にたくは無い。

 『現実を見ろ』

 判ってる、この道は通れない。

 『逃げ道なんて無い』

 それも事実だ、ここから引き返し、別の道を探るにしても道は全て寸断されている。

 『残り時間を忘れたのか?』

 再度響いた爆音に続き、建物はより一層大きく揺れた。

 そうだ、仮に来た道を辿り、その先に無事逃げられる通路があったとして、そこへたどり着くまでにこのビルは倒壊を初めてしまう。

 そうなった場合自分はどうなる?

 『もうじきここは崩れる、そうなればお前は死ぬ』

 「嫌だ!」

 『助かる術は何処にも無い』

 「違う!」

 『否定したところで現実は変わらない』

 「諦めなけれ――」

 『では何をする?』『諦めなくとも現実は変わらない』『お前は死ぬ』『このビルに潰されて死ぬ』『もう誰にも止められない』『お前には仲間は居ない』『一人で死――

 使用中のホースに切れ込みを入れたかの如く、すさまじい勢いで溢れ出す『使用可』のタグが張られた未来。

 その勢いから身を守ろうと、無理とは判っていても両耳を塞いだエレナは小さく震え、そして視界が歪んでいる事に気が付いた。

 「……嫌……死にたくない……」

 何故視界が歪む? その疑問の答えは、頬を垂れた涙の筋が教えてくれた。

 誰も居ない巨大なビルの中腹、そこでエレナは一人で怯え、震える声で願いを紡いだ。

 「パパ……助けて」

 その声すら、再び発生した爆発音によってかき消されていた。






 「作戦の詳細を教えてくれ」

 使い慣れた部屋の中心で、ケイルは手当たり次第の情報をホログラムを用いて表示させてスカラへと問いかけ、スカラもまた速やかにその命令に応じた。

 「爆発の頻度と爆発箇所を元に実際のバベル倒壊の様子をシミュレートしてみました、その結果、ごく僅かですが破壊を免れる区画がある事がある事を発見しました」

 ケイルを起こすまでに予め調べておいたのだろう、部屋の中央に一際大きく表示されたホログラムには、バベルが倒壊する様子を現したCGが再生される。

 そしてスカラの言葉を表す様に、ごく僅かではあるがビル全体が倒壊してもなお、形状を大きく損ねていない区画の色を反転させてみせた。

 「そして幸いながら、これらの区画の内一つだけ、エレナ様が自力でたどり着ける区画がある事を発見しました」

 色が反転しているそれらの中から、エレナが今居るであろう箇所に近い区画を拡大表示させ、少しだけ間を空けてそこまでの最短ルートを表示させるスカラ。

 「幾ら部屋が壊れないと言ってもこの高さだぞ、部屋ごとだろうが落ちたら無事じゃ済まないだろ」

 ごく当然なケイルの問いにも、スカラは速やかに答えてみせた。

 「ご安心くださいケイル様、この区画は新型の公共車両の開発施設です。

 その為、区画内には次世代車両の試作機も保管されています」

 「成る程……車をシェルター代わりに使うと?」

 「肯定です、車両は試作機の為どれ一つとして自走は不可能ですが、安全用の装備は組み込まれています、その為車両の中でならバベルの倒壊の中でも、エレナ様の身の安全を確保できる可能性が十分高いと推測されます」

 崩れる建物から避難するのでは無く、建物の中で一番丈夫な箇所に身を潜めビルの倒壊をやり過ごす、それは幾ら何でも無茶がある計算ではあったが、スカラが出した答えなら其れがもっとも現実的な手段なのだろう。

 元より、スカラが提案した以外の手段が浮かばなかったケイルは、小さく喉を鳴らせて頷くと言葉の続きを催促した。

 「目的の箇所はエレナ様の現在地からそう離れておらず、歩きでも数分かければ到達出来る距離です。

 しかし、現時点において目的地一帯は全て建物が半壊した影響により、電力を含む多くのライフラインが影響を受けており、私の通信機能も例外ではありません」

 「つまり、奴を救う策は見つけたが、その作戦を伝える手段が無いと?」

 ケイルの問いに、スカラは肯定の意思を示した。

 「故に、私はあなたの協力を仰ぐ事にしました。

 エレナ様の事を良く知るあなたなら、彼女との連絡手段を持っていると考えました」

 やっと合致がいったスカラの行動に頷くが、ケイルの表情は暗い。

 何故なら、スカラが期待した方法など、ケイルは初めから持ち合わせていなかったからだ。

 「今回の作戦は一度きり、それに付け焼き刃そのものと言っても過言じゃ無い方法だ。

 だから連絡手段もなにも、最初に作戦を決めたっきり俺たちは一切の連携を取らずに勝手に動いていたからな……」

 初めから三人でこの計画を実行するなら、わざわざこんな事態に陥らずとも互いに連携を取っていた筈だが、ケイルの言葉通りこの計画は付け焼き刃そのものであるが故に何も方法が残されていない。

 何より、通信が取れない原因が厄介だった。

 バベルタワーは元々電磁波を遮断する素材で作られており、通常建物の中ではほぼ全ての無線機器が機能しない。

 この問題を解消するために建物の中に無数の通信子機を設け、その子機を通じてスカラ本体がデータを一時確保、そこから再度目的の相手の居る箇所の直ぐ側の子機へとデータを送信する事でその問題を解消している。

 アウトライン社に関する情報の流出それを避けるべく意図して作られた非常に回りくどい通信方式は、確かに意図しない情報の流出や悪意ある部外者からの詐取を防いではいた、だがこの強固さは建物内の電力が途絶された現在において非常に大きな障害へとなっていた。

 「通信環境が復旧するまでの間私が保有する全ての通信方式を用いたとしても、エレナ様にこの事実を伝える事は不可能です」

 「んな事は判ってる、中から連絡は取れない、外からはバベル本体が邪魔で通信が届かない。

 そんな状況で奴と連絡を取る手段なんてある訳無いだろ!」

 怒鳴っても無駄だと判ってはいたのだが、ついつい声を荒げてしまったケイルは、大きく深呼吸をして気を落ち着かせる。

 そして、そっといつもの様に鼻に手首を押し当て、服の匂いを嗅ぐ様にして眼を閉じた。

 「何か方法がある筈だ……考えろ考えろ考えろ――」

 エレナは作戦に何の道具を持ち込んだ?

 爆薬、ホログラム投影装置そして情報媒体……後何か付け足すのなら、彼女が身に纏っていた服やアクセサリー、そして自分の未来の掌が一つ。

 そのどれもが、今起きている問題を解決するには決定打に欠けていた。

 「考えろ考えろ考えろ――」

 こんな大事な時に限って、まともな閃きが浮かばない自分の能力の低さに嫌気が差す、どんな事態でも探せば何かしらの打開策がある、そう信じ、そして実行してきてここまでやってきたが、それもここまでが限界の様だ。

 何より、物事を深く考えるには時間も情報も足りないのだ、こんな状況で何をすれば良い。

 必死に考えれば考える程答えが遠ざかる、まるで底なし沼に足をはめ、必死にもがいている様にどんどんと深みにはまる自分の要領の悪さにいい加減苛立ちが募った矢先答えを催促するスカラの声が響いた。

 「ケイル様、残り時間があまり残されて――」

 「んなことは知ってるんだ! あんたは少しは黙ってろ!!」

 眼を開いた先にでかでかと表示されているカウントダウンに腹を立てて怒鳴り、ケイルは大きく手を振ってその文字をかき消した。

 実際には、彼のモーションに合わせホログラム自体が自動で消失したに過ぎないのだが、まるで目の前に下げられていたポスターを無理矢理引きはがす様広がった視界の先、それは存在していた。

 「……まてよ……」

 偶然、ケイルの視線の先に鎮座していた小さな棚。

 その上に、大昔に彼が手がけた一つの成果が身を潜めていた

 「共振体……そうだ! 共振体だ!!」

 自分でも子供じみていると思いながらも、ケイルは駆け出して共振体によって作られたインゴットを手に取る。

 「エレナは共振体で作られたペンダントを持っていた筈だ! つまりだ、奴のペンダントに共振反応を起こせば、俺の声をバベル内に飛ばすことも可能な筈だよな!」

 元々共振体は非常時の通信手段として開発した技術だ。

 送受信出来る情報が音声程度と非常に使い勝手が悪かったが為に実用化が取りやめになったが、使い勝手が悪い反面、端末の作動に電力を必要とせず電波が途絶している区画とも通信が行えるのだ。

 まさしく、今という状況においては唯一無地の有効手段と言っても過言では無い。

 「スカラ! 手を貸せ!」

 インゴットを棚に戻すと、ケイルは部屋の中心に設置されていたポータルの残骸に掴みかかり特定の箇所を叩いて示す。

 「このパネルを剥がせ、今すぐにだ!」

 「行動の意図が不明です」

 そう返しながらも、ケイルの言葉に応じてパネルを引きはがすドロイドに対し、ケイルは答えた。

 「世界一の頭脳のあんたにしては勘が鈍いな。

 ポータルの端末間の通信方式は共振体によるものだ、それはつまり、幾らいまのこいつに人を飛ばすだけの力が無いにせよ、少し加工するだけで共振体用の送信機として機能させることが出来るって事だ」

 流石に今まで延々と触ってきただけある、一切迷うことも無く次々と不要な場所をスカラに指示を出し外させながら、ケイルは一切迷う事無くむき出しになった基板の要所要所にケーブルを繋いではアダプターを噛ませ、線の反対をラップトップへと接続していく。

 「行動の意図を理解しました」

 途中まで作業が進んだところでスカラもケイルの設計が理解出来たのか、ケイルの指示を聞かずとも次々とポータルへと手を加えていく。

 まるで早送りの映像を見ているかの如く姿を変えていくポータルを挟み、ケイルは端末操作用のラップトップを起動させる。

 「ファームウェアの書き換えを行いますか?」

 「頼む」

 「ファームウェアの書き換えを行います……書き換えが完了しました」

 淡々と紡がれるスカラの声に合わせてポータルのファームウェア書き換えが完了し、少し前までは人を遠くへ飛ばす為のそれは、人の声を遠くに飛ばす為の巨大なアンテナへと変化していた。

 「全システムの起動を確認、共振体を操作する準備が完了しました。

 ですが、エレナ様の持つ共振体の固有振動周波数が判らない限り――」

 「75PHzだ」

 スカラが人間なら、間髪入れずに紡がれたケイルの言葉に首を傾げているところだろう。

 一体どこからそんな答えが湧いたのか、全くもって見当がつかないのだが、ケイルは独り言の様に答えた。

 「こうなることを見越して、今の俺がその事実に気付くと信じて、俺が共振体の実働実験に使ってたのと全く同じ周波数を指定した筈だ、多分俺ならこうする」

 「発言の意図が理解出来ません」

 「つまりあの女にペンダントを渡した馬鹿は、俺自身だって事だ」

 ケイルの手をどうして移植する事が出来たのか、そして何故エレナを自分の元へと送り込んだの、なにより、当時の自分をエレナを送った主は何故ここまで正確に知っていたのか。

 それらの答えが判ったケイルは、不思議と高揚感を覚えていた。

 「わかっちゃ居たが、やっぱり俺は子育ての才能がからきし無いみたいだな……スカラ! 共振体を起動させろ!」

 「許諾しました」

 スカラの事などまるで無視した独り言を紡いだ後、一際大きく紡がれた命令に応じ、部屋の中心に置かれていた巨大な装置は鈍い音を立てて稼働を始めた。






 バベルと名付けられたその超高層ビルは、この世界を象徴する建物と言っても過言では無い。

 巨大な建物が当たり前の様に肩を並べ、互いに枝を絡め合って形成された町から少しだけ離れている事、そして他と比べても明らかに長大な事も相まって、それは非常に良く目立つ存在だ。

 繰り返される増築によってずんぐりと有機的に膨らんだ輪郭はビルというより、寧ろ巨大な蟻塚の様なフォルムを維持しており、それがまた人々の視線を集める。

 蟻の様に微細な一個人の能力をかき集め、せっせと積み上げては手直しを繰り返した結果生まれたそのビル、それは夕暮れ時のオレンジの光りを背後に受け、ゆっくりと右へ、そして左へと傾く。

 それが唯の木の枝だった場合この程度の揺れなど問題では無いが、人工物であるそれの大きさは木の枝などとは比べものにならない程大きく、更には自重に伴う負荷も半端な物では無い。

 ビルを形成している素材は互いに軋み、その音を大きく、そして複雑に絡め合わせながら揺れを消そうと努力をするが、繰り返して放たれる爆発音に合わせビルは更に大きく揺れ、これまで以上に大きな揺れを受けた刹那バベルの中腹で煙が上がった。

 建物全体の構造に、限界がやって来たのだ。

 無理矢理引きちぎられる様に壊れたビルの側面、そこから亀裂が蜘蛛の巣の様に広がり、次々と連鎖的な破壊を生み出し、オレンジ色の空に薄気味悪い煙のデコレーションを施していく。

 連続して響き渡るその破壊音に気が付いたのか、あるいはビルに起きている異常事態を何かしらの通信を得て手に入れたのか、ヴァルハラ内の大勢の人間が自分の部屋を飛び出し、バベルが見える屋上やバルコニーへと押し寄せては混乱が止まない表情のまま、食い入る様にバベル倒壊の様子を見つめる。

 雷鳴に似た破壊音が響き渡る中、瞬く間に土煙にバベルが飲まれていく様子は現実味に欠け、あまりの出来事に声すら出せない住人の沈黙が、その滑稽とも取れる様を助長していた。

 そんな中、ケイル・リットラードは自分の部屋の中、共振体を伝って響き渡るバベル内の爆音に耳を傾け、固唾を呑む。

 「ケイル様、最後に一つだけ私の声に耳を傾けてはいただけませんか?」

 エレナに避難経路を伝えることは成功した、そして彼女の言葉が確かなら無事に目的の車両に彼女は隠れる事が出来た筈だ。

 だが、その直後に始まったビル倒壊の衝撃により通信は一時不安定になり、次の瞬間聞こえたのはビルが倒壊する音のみだった。

 たまたま気を失っただけか、あるいは最悪の事態に見舞われたのか、彼女がどうなったのかは不明だが確かめる術すらない、そんな状況でスカラは場違いな発言をした。

 「ケイル様、私は間もなく機能を停止します。

 その上でお聞かせください、私の存在はこの世界において有用でしたか?」

 青の行動色からグレーの待機色へと変色したドロイドはそっとケイルに向き直り、スピーカー越しに問う。

 「その通りだ、お前が居たら何も失敗はしない、なんだって上手くいく、それは間違い無いさ」

 「では、何故私を破壊するのですか?」

 今更悪あがきと言う訳でもないだろう、なにより本来無駄な行動をしない彼女が、自分の最後を目前に質問を投げる行為そのものが不自然ではあるのだが、そんな事気にもしていない様子でケイルは答える。

 「上手くいきすぎるからだ、あんたが居たら誰も失敗をしなくなる。

 上手く言えないが、人ってのは失敗をしなきゃ駄目な生き物で、失敗を辞めたり恐れたら、それはもう別の何かなんだ」

 エレナを不安がる気持ちを誤魔化すためか、あるいは本当に彼女の本心からなのか、ドロイドは人間の様に首を傾げてみせると、合成音声を放った。

 「私の本体が破壊されているという事は、私自身も失敗をしたという事ですね」

 「お前……何を?」

 時折ケイルがする様に両手を開いて見せたドロイドの仕草は妙に人間臭く、本当にそれが機械である事を忘れてしまいそうな程だった。

 「ありがとうございますケイル様。

 私は失敗を学び、より一層人間に近づくことができ――」

 刹那ドロイドは膝から崩れ、そのまま床へと倒れて沈黙する。

 ドロイドが機能停止に陥った、それはつまりスカラの本体が完全に破壊されたという証拠だろう。

 妙に人間くさい発言をしてみせたドロイドはもうぴくりとも動かず、ただ共振体が放つ激しい破砕音だけが響いていた。

 「……エレナ!」

 その破砕音が徐々に収まり始めた時、ケイルは声を張り上げ彼女の名前を呼ぶ。

 スカラが最後に取った行動のおかげで一瞬和らいではいたが、遅れて沸き立つ焦りからその声はついつい大きくなってしまう。

 「おいエレナ! 大丈夫か! 聞こえるか!」

 ラップトップに向けて必死に怒鳴るケイル。

 少しでも良い、彼女の声が聞こえさえすれば命の無事は確認できる、其れなのに何も返事を返さない共振体にケイルの焦りがのしかかる。

 「エレナ!」

 再度怒鳴り、ケイルはしがみつく様にラップトップの画面を凝視する。

 だが、やはり返事は帰ってこなかった。

 「……嘘だろ……?」

 考えてみればどう考えても無茶があったのだ。

 幾ら車の中だとはいえ世界一巨大なビルの倒壊に巻き込まれたのだ、そんな事をして唯の人間が耐えられる訳が無い。

 それなのに何故自分は共振体を使って指示を出すだけで彼女を助けられると思ったのか、自分が第三者ならもっとマシな方法があるだろうと殴りかかっているだろう、何にせよ、今の彼に過去へと戻る手段は無く現状を変える事すら出来ない。

 自分の無力さが痛い程身に染み、自分の無能さに陳腐さすら覚える。

 何がB-3だ、何が世界を変えるだ。

 結局自分の仲間一つ助ける事も出来ず、こんなに安全な場所で一人のうのうとしている自分が腹立たしかった。

 だからこそ、届く筈が無いと判っていてもなお、ケイルは全身全霊を込めて彼女の名前を呼んだ。

 「エレナ!!」

 強く紡がれたその声は部屋に残響を残して消え、次の瞬間には沈黙が姿を見せ始める。

 そんな瞬間だった、共振体がこれまでとは違う音を響かせたのは。

 「五月蠅い! 早く助けに来てよ、動けないんだから!」

 懐かしく、そして早く間近で聞きたいその透き通った声を聞き、ケイルはひとりぼっちの部屋で大袈裟に笑ってしまうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ELENA @nekonohige_37

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ