第4話

 カルラ・デュイットの仕事、それはスカラが下すことの出来ない権限の行使だ。

 交通機関の自動運転から企業のデータ端末、更には子供が使う電子教材の中と、世界中に存在するありとあらゆる電子機器に己の根を張ったスカラシステムだが、彼女がこうして手当たり次第の端末にアクセス出来るのは一つだけ大きな制約を持っているからだ。

 それが、彼女には『決定権』が与えられていない事。

 どれだけ其れが間違いであろうと、どれだけ其れが非効率であろうと、その様子を見て彼女は直接手を下す事は出来ず、ただ一言『提案』を述べる事しか出来ない。

 故に人々は其の口五月蠅いシステムを道具として使いこなす事が出来、スカラ自身も人を自分の道具では無く、絶対的な主として認識する事が出来るのだ。

 人よりも優れた嗅覚を用い飼い主に危機が迫ってくる事を教える番犬と、その犬が繋がれた様を見て、自ら逃げるべきか武器を手に取るべきかを判断する飼い主。

 その関係を例えるのなら、大昔の人と飼い犬の関係に似ている。

 犬はあくまでも飼い主に危機を教えるまでが仕事であり、飼い主の手を引きその場所から逃げ出す事も、そして首に繋がれた紐を解き、自ら外敵に立ち向かう権限も与えられてはいない。

 しかしそうとはいえ、飼い犬が主を守る際自ら走り飼い主の服を噛み、その場からの待避を促す必要がある時もある。

 そんな事態に対処する為、スカラはある機関の開設を求めた。

 それが、PRT(公共治安部隊)と呼ばれる存在であり、その基幹の幹部の一人がカルラだった。

 犬自らが飼い主の手を引けないのなら、飼い主とは別の人間の手を借りて行動を起こす。

 人を傷つける可能性がある限り機械が動けないのなら、その最終判断を人間に一任し、己はただその人物の行動を支援する。

 それがスカラにとってのPRTの存在意義だった。

 「何が狙いかは判りませんが、車の自動制御を解除するとはなかなか面白い事をしますね」

 目の前を走る車の後ろ姿を見つめながら、カルラは相変わらず優美な口調で呟き、咳払いをする。

 彼の声だけを聞く分には家のソファーに座り、映画でも眺めているかの様だ。

 だが実際には、部屋着では無く分厚い装甲板によって形成された鎧を纏い、バベルへと続く一本道を高速で走行する車両の中で紡がれたその声は、装甲服のバイザーの影響で若干くぐもっていた。

 空気抵抗を減らす為砲弾型に設計されたPRTの専用車両。

 その中にはケイルと同じ服を着た部下が数名並び、各々上官であるカルラの指示を待っており、バイザー越しに壁を伺うと、ARによって車両の脇を走るドロイドの姿も表示される。

 あくまでも車両の外に設置されたカメラの映像をバイザー越しの視界に合成しているだけなのだが、窓の無いこの車両においてこれは貴重な視界確保の手段だった。

 数機のドロイドに囲まれながら走る専用車両とその先頭を走り抜ける一台の汎用車両、それは互いに距離を縮めすぎず、かと言え決して開くことも無く微妙な距離を保ったまま走り続けていた。

 「進路の封鎖が完了しました」

 「どのくらいで着きますかね?」

 「およそ15分後に到着予定です、追加のドロイドも間もなく目標地点に到着する見込みです」

 巨大な鉄塊を最小限削り、かろうじで人の姿だと判断出来る程度に見立てた様な装甲服、その中でスカラと短いやり取りをすると、進路の地図と細々とした詳細データを視界に映し出し、カルラは呟く。

 整備室で受けた出動要請、それは直ぐに誤報であると伝えられたのだが、その後少しだけ間を空け、新しい出動要請が出されたのだ。

 それがケイル・リットラード宅の調査、詳細は全くもって不明だが、スカラが完全オフラインになっている彼の室内で、異常な電力が検知されたとなれば彼等が要請されるのは道理ではある。

 そして、その家に向かっている最中、今度は彼の家のあった方向から、猛烈な速度で走る車両が見つかったのだ。

 それだけならスカラ単体に任せる事が可能な事案だったが、そこでその車両の中に銃器があると判った以上、彼等は任務を一時中断、危険行為を続ける車両の拘束へと任務を切り替えたのだ。

 「旧道を通られると厄介ですね……」

 彼の言葉通り、現在走行中の道は今はあまり使われなくなった古い道であり、それ故に細々としたターミナルなどが少ない。

 故に、ターミナルを塞ぎ、目標の車を足止めするにしても必要以上に時間を食う、この一騒動を起こした犯人もその事に見当を付けていたのだろう。

 敵ながらあっぱれと言いたい所だが、そんな相手を捕まえることが仕事の彼にとって、それは悩ましい自体だった。

 「目標の速やかな沈静化が目的ではありますが、これは不可抗ですね。

 そうです、ドロイドを使ってあの車両を止める事は?」

 「走行中の車両にドロイドを接近させる事は危険行為です、その為私にはドロイドを使ってあの車両を止める事は不可能です」

 予想通りのスカラの返答を聞き、カルラは別の案を提示する。

 「それじゃこの車両を近づけては? 私が直接飛び移ってみます」

 「許諾出来ません、あの車両は手動で操縦されています。

 もしもトラブルが起きた際、目標車両はこの車両と接触する恐れがあります」

 車に乗っている存在が人間な為、ドロイドを使って無理矢理車を停止させることが出来ない。

 かと言え直接PRTであるカルラがその行為を代理するにしても、今度は彼が乗る車を目標へ近づける事が危険。

 スカラが封鎖した区画まで目標車両が向かったとして、犯人が道が封鎖されている事に気付かず車を走らせていた場合、それも大惨事へと繋がる可能性がある為、出来れば事は15分以内に片付けたい。

 スカラが持つ『人を守る』使命故、板挟みになった現状を打破するべく、カルラは相変わらず何処か余裕を感じさせる声色で鼻を鳴らすと、思考を走らせる。

 そして、丸太の様に太い両腕で器用に腕組みをすると、カルラはある考えを思い立ってから口を開く。

 「車両のハッチを開けてください」

 彼の声に応じ車両のフロントハッチが開き、映像では無い外の景色が目前に展開される。

 高速で走っているが故に吹き荒れる猛烈な風の中、カルラは部下に対して待機を命じると、追加で『よく見てなさい』と告げて前を向き直る。

 「車両を限界まで目標に近づけてください」

 カルラの命令に答え車両が少しだけ加速、ほんの数メートルだが車両間の距離が縮まる。

 すると、カルラは次に妙な命令を投げる。

 「車両間にドロイドを、ええ……そうです、あともう少し右です……はい、そこで止めてください」

 オレンジ色に染まったドロイドが二台の間、中間地点に入ったのを確認すると、腰を少しだけ曲げ、カルラは部下に告げる。

 「良いですか、私達はスカラにとっての不可能を行う代理人です。

 つまり、私達の仕事には『無理をする』も含まれています」

 「カルラ様、それはどの様な意味でしょう?」

 バイザー越しに眼を白黒させる部下の代わりに、さっと響くスカラの声を聞くと、カルラは口端を吊り上げ、予め用意していた文句を吐く。

 「つまり、こういう事です」

 刹那、カルラが身に纏っていた装甲服が甲高い音を響かせ、急速加速。

 足に組み込まれたタイヤを高速回転させて進むそれは、ドロイドの物と同じ技術なのだが、ドロイドよりも遙かに大柄な装甲服が加速する様は異様だった。

 元々縦長の車両の中を一瞬にして駆け抜けると、その縁でカルラは両足で床を蹴る。

 大型のアクチュエーターによって強化された蹴りは車体を大きく揺らし、同じ力で本人の体を投石機の様に跳ね上げさせる。

 その進行方向は目標の車両なのだが、幾らすさまじい脚力を持っていようと、強い風と重たい装甲服の自重によって目標半ばの位置で失速、高速で駆け抜ける地面へと落ちていく。

 だがその刹那、彼は更に蹴りを繰り出して空中で跳ねた。

 普通なら地面に接触して大幅に減速する筈だった彼の体を支えたのは、先程カルラが移動させたドロイドの一つだった。

 彼は予め予想された着地点に居たドロイドの体を足蹴にし、再度加速を試みたのだ。

 鋭い蹴りを受け、バランスを崩したドロイドはそのまま転倒、地面をすさまじい速度で転がりながらPRT車両の下に飲み込まれ、耳障りな破壊音だけを響かせて姿を消した。

 一方ドロイドの犠牲を出して加速したカルラは、そのまま前方を走る車両の天井に着地、天井を左手でプレゼント箱の外装を引きはがすかの如く引きはがすと、右腕で銃を構え、その車両の中でハンドルを握っていた人物に対して静かに告げる。

 「抵抗はご自由に」

 本当に形ばかりな提案、其れを聞いて絶対的な負けを認めたのか、やっと減速を始めた車両に乗っていたのは、リグラス・ノイマン唯一人だった。






 話はこれから数時間前に遡る。

 「そもそも、協力するもなにも、どうやってそんな爆弾でスカラの本体を壊すつもりなんだ?」

 稼働中の機械を覗き込み、その中で完成の時を待つスパイスの具合を確認したケイルは、根本の問題を尋ねた。

 エレナは未来からやって来た人間だ、タイムマシンを開発したのは自分自身だ、そしてスカラが今後人間にとっての驚異となる、どれをとっても信じられない事実ではあったが、それらを飲み込んだ上でやはり解けない疑問をつまみ上げて見せたケイルに対し、エレナは少しだけ表情を苦くして答える。

 「確かにこれだけの爆薬の量じゃスカラ本体を完全に壊すことは出来ないよね、っていうか、そもそも直接この爆弾をスカラに取り付ける事自体が不可能。

 でも、スカラに直接爆弾を取り付けなくても、たったこれだけの量の爆薬でスカラシステムを完全破壊する方法はあるの。

 ただ、それを実行する策がこうなったのは予想外だったけど……」

 故障したポータルを一瞥し、眼を伏せるエレナ。

 その様子からして、彼女はポータルを使ってバベル内に侵入し、その『方法』とやらを実行するつもりだったのだろう。

 しかし、移動手段を封じられた結果、その策も通じないとなっては話は別である。

 だがそれは、彼女をバベル内に招く事さえ出来れば、スカラを確実に破壊できるという意味でもあった。

 「参考までになんだけどさ、どうやってスカラを破壊しようと思ってたの?」

 今まで黙っていたリグラスは問う。

 「壊すのはスカラだけじゃなくて、バベル全体だよ」

 そんな大言壮語とそれに対して掲げられる一同の呆れ声の後、エレナは詳細を述べる。

 「スカラシステムもだけど、それと同じ様にバベルそのものも日々進化してるのは知ってるでしょ?

 そして変化をするって事は、その場所が元々何かしらの問題を抱えていたって事、だから、私達はその弱点を突いてバベルそのものを倒壊させる方法を考えたの」

 『あのときああしていれば』それは生きていれば誰もが思う事だ、人は未来にしか向かえず、過去に遡る事は出来無い。

 だからこそ、人は現在から過去を思い返し、一つの選択を変える事で可能になる違う未来を夢見る。

 其れと同じくして、エレナは未来のスカラが見いだした現在のバベルの弱点を持ち込んだという事だろう。

 「確かに現時点のバベルは強固な建物、だから唯この爆弾を爆発させるだけではバベルを倒壊させる事は絶対に不可能。

 だけど、『共振』を利用すればそれは可能になるの。

 巨大な建造物であるバベル、その固有振動数に合わせて正確に複数の爆発を起こすと、最初はごく僅かだったバベル全体の揺れは大きくなって、自分の揺れに耐えきれなくなって崩壊する。

 私達は未来のスカラが提示したバベルの補強計画を元に、その為に必要な爆弾の量と設置場所、そして爆発のタイミングを導き出したの」

 それは、彼女がわざわざ多大なリスクを冒してまでこの時代にやって来た理由でもあった。

 バベルもスカラも進化し、より一層破壊が困難になる。

 だからこそ、セキュリティが緩い過去に遡り、未来から持ち込んだ知識を武器にスカラを破壊する。

 「私は二人みたいに優れた能力は持っていない、だけど、私は未来の情報を持ってる」

 すうっと眼を細めて紡がれたその意思に、ケイルは同じ様な表情を作ってから口を開く。

 「つまり、今必要なのは爆薬をバベル内に持ち込む手段か。

 それなら簡単だ、俺たちが直接持ち込めば良いだけの話だ、どうせ有機爆薬はスキャンには引っかからないのだろ?」

 エレナは直ぐにその提案を却下した。

 「其れは無理、さっきの騒ぎでスカラも何か感づいた筈、其れなのに何食わない顔で訳の分らない荷物持ったあなた達を、バベル内で好きに歩かせるとは思えない」

 「じゃあポータルを修理して使う手は?」

 被せ気味でリグラスが提示した案を、エレナは直ぐに却下した。

 「さっきのこれ忘れたの?」

 エレナが顎で指し示したのは、床に転がるドロイドだった。

 「もう判ってると思うけど、今の時代じゃ認められていない武器を持ってやって来たこれは未来のスカラの一部。

 これがやって来た関係状、どうしても大事なポータルを破壊せざるを得なくなったからね」

 「それは判ってるさ、そうじゃなくて今から修理して使えばって事」

 「修理にどれだけ時間がかかると思ってるの? 騒いでいる間にPRTが派遣されて此処に押しかけて来るよ」

 「それは判ってるけどやってみなけりゃ判らないでしょ」

 そうは呟いてみたが、リグラス自身自分の言っている事に無理があることは承知なのだろう、静かに鎮座したままのポータルを見て、修理と再起動にかかる時間をざっくりと計算した後、大きく溜息を吐いて黙り込む。

 「修理するにしても、時間稼ぎが必要か……」

 ……と、ケイルは呟く。

 「そうじゃなきゃ、何か他の手を使って有機爆薬を運ぶ必要があるけど……」

 尻すぼみになっていくエレナの一言、彼女の様子からして他の案は無いのだろう。

 喉を鳴らせて考えると、ケイルは選択肢を広げるために情報の整理を求めた。

 「爆弾と俺のIDの他に、何か使える物は?」

 「一つはこれ、Ver.11.25のホログラム投影機。

 こっちの時代で使われている投影機よりもずっと高精細のホログラムを作れるから、バベルに入り込んだ時に使えると思ったけど、時間稼ぎにはならない。

 結局どれだけ精度が高くても実体が無い映像だからね、押しかけるドロイドやPRTを押さえ込める力も時間稼ぎをする効果も無いよ」

 そう紡ぎ、服の中から掌大の装置を取り出し、更にその奥に隠されていたもう一つの道具を取り出してエレナは告げた。

 「あと使えそうな物と言えばこれだけかな」

 エレナが取りだしたのは、コイン大の記憶媒体だった。

 こちらの時代に合わせて旧規格を選んだからか、矢鱈と古びた媒体ではあったが機能面では問題がなさそうである。

 その小さな記憶媒体、その中に詰まっているデータを耳にすると、ケイルは手首の匂いを嗅ぐ様に鼻を押し当てると、眼を細めてから考える。

 「考えろ考えろ考えろ……時間稼ぎ……PRT……移動……」

 ぶつぶつと必要な情報を呟きながら、様々な角度から情報を整理し、そしてケイルは目を光らせて顔を上げた。

 「かなり無理があるかもだが、一つだけいい手があるかもしれない。

 多分、お前達もスカラすらも思いつかない斬新な手がな」

 そんな大袈裟な前置きの後、自分の立てた計画の詳細を延べ始めるのだった。






 「こんな物を良くもまぁ手に入れたものですね……」

 リグラスが懐に忍ばせていた其れを取り上げたカルラは告げた。

 装甲服に覆われ、幾分大きくなった手の上に転がっているのは、間違い無く拳銃だった。

 装甲服越しでも扱いやすい様、グリップとトリガーは若干誇張されたその拳銃は、薄汚れた外観には似合わず、その銃は何処の異常が無く良く整備された状態だった。

 「NSR-17、一体どんな手品を使えばこんな大層な物を手に入れる事が出来たのかこっちが聞きたいですよ、といいますか。

 あとでちゃんと聞かせて貰いますよ、リグラス・ノイマンさん」

 装甲服のバイザーを上げ大きな溜息交じりに釘を打ったカルラは、素早い手つきで銃把に組み込まれていた小型のコンソールを操作、マガジンの側に組み込まれていたバッテリーを取り外す。

 これで弾丸は入っていようと、電気式の銃は発砲が出来ない事をカルラは良く知っていた。

 何故なら、彼が取り上げたこの銃は、今現在彼等が支給されているそれと全く同じ企画の物だったからだ。

 「しかしまぁこれは随分と使い込まれてますね、NSR-17が正式配備されたのは去年の筈でしたが……まぁいいでしょう。

 少なくとも、あなた達は私達PRTしか扱えない筈のこれらの武器を証拠も残さず盗み出せる、それだけの技術はあると言う事ですね。

 しかしよく分らない事があります、何故これをわざわざ隠れ家から持ち出したので?

 区画を横断するだけでこの銃の存在はスキャナに見つかり、私達がこうして追いかけてくるとは思わなかったのですか?」

 その問いに、両腕を縛られたままのリグラスは答えない。

 まさかPRTに追われる事が予想外だった訳では無いだろうが、何も口にせずだんまりを続けるリグラスを見ると、あながちそれは大袈裟な間違いでも無さそうだ。

 彼は何かしらの手段でPRTを退ける手段を持っていた、だがそれが失敗してしまった。

 おそらくはそんな所だろうか、どちらにせよ、何も口にしないと言うことは何かしらの隠し事をして、更に時間稼ぎをしているという意味でもある。

 「まぁ意味も無く時間稼ぎをしたところで、あなたの処遇に大した変化は無いので……まてよ? あなたは始めからそのつもりで?」

 ふとした思いつきで紡がれた仮説、其れを耳にしたリグラスの瞼が、ほんの少しだけ揺れる。

 普通なら気付かない程度のごく僅かな動きだったが、その一瞬でカルラは彼の考えを読み取り、思考を走らせた。

 「何が狙いです?

 わざわざ盗み出したこんなにも貴重な道具一つを囮に使ってまで、あなたは何をする気で?

 私達の目を少しだけ逸らす為にこんな身も蓋もない事をしたのは何故です?」

 そうは口にしておきながらも、カルラは一つの仮説が組み上がるのを感じていた。

 「まさか、あの家に何か関係でも?」

 それは図星だったのだろう、リグラスの指がぴくりと振れる。

 違法な速度で道を暴走していたこの車両を急遽取り押さえてこうしてはいるが、元々彼等PRTはリグラスを取り押さえる為に派遣された訳では無かった。

 彼等は元々ヴァルハラにある一つの家、正確にはケイル・リットラードと呼ばれるエンジニアの家で発生した異常電力の調査と、それに伴った人的を含む被害の調査、その筈だった。

 だが、突然リグラスがこの様な行動をしたが為に作戦を変更、こうして無駄な時間を食った訳だが、こんな繋がりの見えない二つの事象も、『時間稼ぎ』の語句を織り交ぜれば綺麗に一つにまとまる。

 リグラスは間違い無く、ケイル宅へPRTがやってくるのを拒むために一連の事件を起こしたのだ。

 何故彼がそこまでしてPRTの足止めをしたのかは不明であり、無理矢理話させようにも彼が直ぐに口を開くとは思えない。

 だが、たったひとつの明かな事実にだけ目を向け、カルラは口を開いた。

 「少なくとも、此処で起きてることがどうでも良くなる程、あなた達は厄介な事を企んでいる、そうですね?」

 リグラスはやはり答えない、だがその沈黙こそが答えだった。

 「聞こえましたねスカラ」

 簡単な拘束をリグラスにかけたカルラは直ぐ脇に停止していた車両に乗り込み、部下2人にこの場へと残る様に指示を投げた。

 そして、現場に残された部下と、ドロイド2機を背後にカルラを乗せた車両は走り始める。

 砲弾型の特殊車両、それは猛烈な速度でバイパスを走り抜け、ある地点へと向かう、その行き先はもう説明するまでも無く、ケイルの自宅だった。






 自慢気に紡がれたケイルの一言を耳にした一同は、一瞬だけは驚きの表情を浮かべた物の直ぐにその表情を曇らせ、訝しむ様な物へと変化させる。

 「とっておきの作戦って言ってもさ、この状況判ってる?

 スカラは眼を光らせ僕達を観察し、今現在はPRTだって出動してるかも知れない。

 そんな状態でこの部屋から抜け出てバベル内に爆弾を仕掛けるんだよ? そんな事できっこないよ」

 ごもっともなリグラスの言葉に、ケイルは少しだけ興奮した様子で応じた。

 「そう、普通は出来ない。

 でもな、俺たちにはこれがあるだろ?」

 そう呟き、彼が指さした先にあったのは、今は完全に沈黙したままのポータルだった。

 だが、肝心のポータルは今現在故障中であり、故に一同は別の作戦を考えようとしていたのだ、其れなのにもかかわらず再度同じ作戦を引っ張り上げたケイルに対し、リグラスは呆れた様子で噛みつく。

 「だから、ポータルが故障してる限り何の意味も持たないし、ポータルを修理するにも時間が足りないって話をしてるでしょ」

 「ああそうだ、だから時間稼ぎをするんだよ」

 「だーかーらー! その時間稼ぎをしたとしても、ポータルが再度利用可能になるにはもっと時間が必要って話してるよねケイル! 焦って真面に考えられなくなったの?」

 堂々巡りを始めた会話の鼻っ面を蹴り上げたリグラスだが、それでも怒る様子も無くにやけたままの同僚の表情を見て首を傾げる。

 「だからこそだよ、リグラス、お前はポータルの修理が終わるまでの間、どんな方法でも良いからPRTを足止めしてくれれば良いんだ」

 「早く修理する方法でも見つかったって事? それなら私も修理手伝う!」

 会話の方向性が判らないでいたエレナはそんな事を口にするが、ケイルはそんな彼女の顔を指さして告げた。

 「いいや、お前は別の事をしててくれ。

 ポータルの修理も、お前をポータル越しに送り込むのも、全部俺がやる、良いな」

 「ちょっと勝手に話を進めないでよケイル、先ずは作戦を全部説明してくれよ」

 「作戦はちと奇抜だが、まずその上で大事なのはリグラス、お前の役目だ。

 手段は問わない、どんな方法でも構わないからPRTの注意を逸らす方法ってのはあるか?」

 一方的に会話を進めようとするケイルに嫌気を覚えながらも、リグラスはドロイドが持ち込んだ拳銃を手に取り口を開く。

 「未来のスカラは疑体が破壊される可能性を考慮して、この時代でも使われている規格の筐体と武器を此処に持ち込んだみたいだね。

 つまり、この銃はこちらの時代でもスキャンに引っかかる筈だ。

 だから、僕がこれをもってゲートを潜るだけでPRTは追ってくる筈だから、あとは適当な乗り物を用意すれば多少の時間稼ぎは出来る筈」

 不満気な彼の言葉にケイルは重ねた。

 「乗り物の確保は出来るか? 出来れば車が良いんだが……」

 「公共車両のプログラムを乗っ取るのが一番手っ取り早いけど、其れをするには車両のセキュリティホール見つける時間が必要だね。

 最も、それだけの時間PRTが待っててくれたらの話だけど」

 再度紡がれた不可能である通知だったが、そんな彼の言葉にエレナが口を挟む。

 「これを使えばその心配は必要無いよ」

 彼女は懐から記憶媒体を取り出すと、少しだけ得意気に口端を吊り上げる。

 「なら作戦は可能だな、それじゃ作戦の全部の工程を説明するからお前等良く聞けよ――」

 流石ニーナの娘だ、そう思わせるエレナの何気ない仕草に笑ってみせたケイルは、成功率が極めて低いであろう作戦の全体像を口にするのだった。






 「思っていたよりも早かったな」

 ケイルが作戦を口にしてから十数分後、彼の作業場には数名のPRTとドロイドが詰めかけ、ポータルを背後に両腕を挙げたままのケイルを取り囲んでいた。

 彼の部屋の前に設けられていた扉は、今は装甲服を纏ったカルラによって引きちぎられ、無残な姿で傍らに転がっており、時間稼ぎの為に扉のコンソールを破壊した事自体、さしたる意味が無かった事を無言で語っていた。

 「私達の目的はあくまでも秩序と人命の保護ですからね、多少の妨害があれど行動は早いですよ?」

 念の為、用心としてバイザーこそは下ろしていなかったが、そう呟いたカルラの声は何処か勝ち誇っており、妙な余裕すら感じさせていた。

 彼は部下にジェスチャーで待機を命じると、1歩踏み出してから自己紹介をする。

 「私の名前はカルラ・デュイット、私は己の権限と危機管理法に則り、今からあなたを拘束します。

 よろしいですね?」

 それはあくまでも形式上の発言であり、無言のままケイルを押さえ込んでも構わなかったのだが、彼なりの流儀なのか、定番過ぎて今ではあまり口にする人の居ない一言を呟いたカルラは装甲服に備わったパネルを開くと、拘束用のチョーカーを取り出す。

 「おいおい、困った時は力任せってか?

 PRTも随分と乱暴なんだな」

 「おや、先程の言葉をお忘れで?

 私達の存在意義は人命の保護も含まれていますが、それ以上に秩序の保護が最優先事項ですよ」

 「俺の保護は二の次にするとして、あんた自身も人間だろ? 保護しなくて良いのか?」

 ケイルは両腕を見える様に上げたまま、顎でカルラの足元を示した。

 まるで足元に地雷でも埋めてある、そう言ってる様な仕草に僅かだがPRTの人間が唾を飲み込む声が聞こえた気がした。

 勿論ケイルの発言はあくまでもハッタリに過ぎないのだが、強気なケイルの言葉に反応してドロイドが身構える。

 何かしらの策をケイルが講じた際、いち早くカルラを守る為だろうが、そんなスカラの気遣いを無視し、更に1歩踏み出したカルラは告げる。

 「その為に私達はこの服を着ているのですよ?

 世界一安全と言っても過言では無いこの状態で、何を恐れろと?」

 その言葉は確かに事実だった。

 PRTが使用する装甲服、それはあくまでも使用者の保護を最重要課題としてあげられた装備だ、故に大口径の銃弾で撃たれようが高所から叩き落そうが、並大抵の事では傷すら付かない強靱な装甲を破ろうなど、考える方が愚かですらある。

 それでも、例えガラス板越しだったとしてもボールが飛んでくれば屈むのと同じく、大抵の人は無事だと判っていても恐怖心を覚える筈なのだが、カルラは一切動じた様子は見せない。

 寧ろ『やれるもんならやってみろ』そう言ってるとも取れるカルラの態度に、今度はケイルがたじろいでしまう。

 PRTで部下を指揮するだけの事はある、ケイルとは全く違う適性を持ったその男は、更に1歩踏み出しケイルの首にチョーカーを近づける。

 「抵抗はご自由に」

 お得意の一言を吐いたカルラに対し、ケイルは眼を伏せて応じる。

 抵抗の意思が全く見受けられない彼の様子に、カルラは少しだけ疑問を感じてから紡いだ。

 「C-3の人間が自分の階級を捨ててまで何をしていたのです? これだけ能力のあるあなたなら自分の行為がいかに無駄な行為であるか知っていますよね?」

 「確かにな……だが、無駄になるとしてもやる必要があるんだよ」

 全くもって意味がわからないケイルの一言に、カルラは疑問符を浮かべた。

 「まぁ、それは追々聞くとしましょう」

 頭の中で何重にもなって渦巻く疑問を一旦棚に置くと、今度こそケイルの行動を制限するべくチョーカーを近づけるカルラ。

 あと数㎝、それだけチョーカーを近づけるだけでケイルが体の自由が効かなくなる刹那の時、不意に部屋の中に緊急用のホログラムが表示された。

 事態が収束するかに見えた刹那、突如現れた新たな障害に面食らった一同を余所に、淡々とスカラの合成音声が響く。

 「緊急事態が発生しました、アウトライン本社ビル内において、危険行為を行う人物が検知されました。

 繰り返します、アウトライン本社ビ――」

 端的に述べられた近状報告、それはケイルの行動の意味を示唆していた。

 「まさか……ポータルを使って仲間を送り込んだと?」

 ケイルの背後で沈黙するポータル。

 それは今は電源が落とされてはいるが、カルラ達一行がこの部屋になだれ込む直前、ポータルが稼働していたらどうなるか、その可能性を掘り返して焦りを覚えるカルラ。

 「答えなさいケイル・リットラード、あなたは今何をしたのです!」

 「さあね、俺に聞かれても困るさ」

 そう嘯いてみせたケイルに嫌気を覚えると、カルラは自分用にコンソールを表示させて状況を整理する。

 「ポータルの稼働は検知されていなかった筈では?」

 「肯定です」

 「じゃあ何が起きたと?」

 「不明です、ですが私のセンサーが本社ビル内で武器を持って行動を続ける人物の姿を検知しています」

 焦ってるわけでは無いのだろうが、若干早口で紡がれるスカラの声を耳にしてケイルは口端を吊り上げて笑う。

 この様子からして、全て彼の計画の内の出来事だったのだろう、逆に完全に揚げ足を取られたカルラは、腹立たしげに口を開いた。

 「答えて貰おうか」

 「俺に聞かれても困るな」

 さも自信ありげに紡がれたケイルの返事は、やはり予想通りの物ではあった。

 明らかに当事者の立場に居ながら、さも自分は赤の他人だと言わんばかりのケイルの態度にしびれを切らしたカルラだが、答えを催促する代わりに深く深呼吸をして考えを整理する。

 相手が挑発的な態度をするという事、それはつまりケイルがカルラの判断力を奪い、自分の思惑通りに事を進めようとしている証拠だ、ならば此処で彼の言葉に踊らされ、冷静さを欠く行為すらも彼の作戦の内なのだ。

 互いに主張をぶつけ合う幾つかの考えを押しとどめると、カルラは口を開いた。

 「話しているだけ無駄ですね」

 今重要なのはどうやって彼が人を送り込んだのか、あるいはどうやってポータルの使用履歴を削除したのかでは無い。

 二重の囮を使ってまでバベル内に侵入した人物が何者で、そして何を計画しているかなのだ。

 その答えを尋ねた所でやはりケイルが答えないのなら、此処で無理矢理口を割らせる必要は無い、今すぐに自身がこの場から飛び出し、バベル内に居る相手を取り押さえれば済む話だ。

 「悪いですが、抵抗はさせません」

 考えを切り替えたカルラは短くそう告げると、持っていたチョーカーをケイルの喉に取り付ける。

 刹那、チョーカーから流れる電気によって一瞬震えると、ケイルは首から下の神経を麻痺させ、そのまま糸が切れた人形の様に崩れ座禅の様な姿勢で硬直する。

 起立している姿勢から体の自由を奪われたのにもかかわらず、ケイルが頭を打たなかったのは直ぐ側に居たドロイドが彼の体を支えたおかげだ。

 「ケイル・リットラードのバイタルを確認――全バイタル正常、異常ありません」

 淡々と告げられるスカラの報告を聞くと、カルラはその装甲服故の巨体で踵返すと、部下に手招きをして歩き出す。

 「その男の面倒は任せます」

 PRT本部へ増援の依頼を投げバベル内の捜索をさせる手も考えたが、位置的に自分達がこのまま向かう方が何かと効率が良い、そんな考えから最低限の安全措置としてこの部屋の仕事全てをスカラに丸投げし、己は部下を引き連れバベルへと向かうと決める。

 ぞろぞろと金魚の糞の様に自分に続く部下の気配に意識を向けつつも、部屋を出る直前、カルラはドロイドに抱きかかえられたままのケイルの顔を見る。

 バイザー越しに伺うケイルの表情は、チョーカーによる影響で不明瞭だが、何処か笑っている気がした。

 この男は一体何を狙っている?

 そしてどんな手を使ってこの一件を引き起こした?

 そもそも資料によればこの男の階級はB-3、自分よりも階級が上で何一つ不自由しない環境にいる彼は、一体何故こんな犯罪に手を染めた?

 最後に、何故彼はこんなにも余裕の表情で居られる?

 一瞬の間に湧き溢れたそれらの疑問に眉根を寄せながらも、カルラは『現場に行けば判る』という即席の回答で疑問に蓋をする。

 どのみち今はそれどころでは無い、今すぐに現場に向かう事が大事なのだ。

 そんな彼の判断が正解だったのか失敗だったのか、それはこれから暫くの後予想外な形で発覚するのだった。






 「これほど訳の判らない事態というのも珍しいですね」

 場所はアウトライン本社ビル、その上層に位置するロビーの中だ。

 部下数名を引き連れ、情報にあった場所へとやってきたカルラは、面白いほどに何も起きていない部屋の現状に眉根を寄せる。

 情報が入った地点の安全措置として社員の避難は完了しており、普段なら大勢の人間がせわしなく行き来しているロビー内は、だだっ広い空間だけを広げ沈黙していた。

 あまりにも動きが無いが故、一枚の壁画の様にも見える部屋の光景を見て、カルラは手にしていた情報を再度確認する。

 「データログによれば、この部屋の中に犯人が居るのでは?」

 その声に、カルラと同じ装備で身を固めた部下は両掌を天井へと向けて首を捻る。

 それは、自身等もカルラと同じ疑問を抱えているという証明だろう、急いでやって来たは良いが、何一つ問題の無い部屋の中、真っ白な装甲に身を包んだ一同は疑問に頭を悩ませる。

 カルラ自身、己がPRTに入ってから様々な事件を相手にしたことがある。

 武器を持つ行為自体難解なこの世界において、スカラの眼を短時間でもかいくぐり犯罪を犯すなど至難の業だ、その為、カルラが処理した事件の全てが、どれもが特殊な物であり難解な物も数知れずあった。

 だが、こんな事だけは今まで無かった。

 世界の全てを把握し、絶対的な判断力で提案を述べるスカラの提案は神の啓示にも等しい、故に彼女は今まで一度たりとも間違え、つまり誤報をした事が無かった筈だ。

 その筈なのだがこのロビーの中にはある筈の物が無かった、犯人と名付けられた要因が。

 「犯人は何処に?」

 再度簡易スキャンを部屋一角にかけてはみるが、帰ってきた返答は『異常無し』という物だった。

 その表示を肯定するためか、予めロビー内に仕込まれていたドロイドが壁の中から現れ、こちらへと歩み寄りながら告げる。

 「この一角において、あなた達を除いては人の姿が検知されませんでした」

 目の前でオレンジの警戒色を維持したままのドロイドは続ける。

 「勿論、目視による検索はまだ行っていません。

 ですが、私の検索を回避して、このビルの中に先程の犯人が侵入している可能性は大変低いです」

 「ではあなたの情報が間違いだったと?」

 「否定です、私が情報収集を誤るなど、絶対に有り得ない事です」

 さっと訂正されるスカラの文句に、カルラは予想外だと口端を吊り上げ、小さく笑う。

 「では、犯人はこの区画から避難した人間に紛れて逃げ出したと?」

 「否定です、この区画からの職員の避難は完了していますが、その際の簡易チェックにおいて犯人は検知されてません」

 「では逃げてないと……そうなると、犯人はこの中で身を潜めていると?」

 スカラ自身もカルラと同じ結論を考えていたのだろう、演算の為と思われる僅かな間の後、彼女は合成音声を用いて告げた。

 「現時点においてその可能性が最も高い物であると推測されます」

 「成る程……他に何か言いたい事はあります?」

 「発言の意図が判りません」

 「ですから、犯人はどうやって姿を隠しているのかに見当が付いているのかと聞いているのです」

 予想外な返事に肩すかしを食らったカルラは、ほんの少しだけ声質を変えてから問うが、その返事はやはり予想外な物であった。

 「不明です」

 分厚い装甲服の下、バイザー越しにカルラは眼を丸くした後、先程スカラが行ったのと全く同じ反応を示す。

 「発言の意図が判らないのですが」

 本来なら慌てふためく状況なのだが、あまりにも予想外な故に何処かコメディーチックな一人と一台のやり取りを見ていた部下からは驚きの声が漏れるのだった。






 スカラが得ることが出来た情報があまりにも不十分だったとは言え、犯人に関しての情報が全く無い訳では無い。

 まず一つ目は、犯人は爆薬の類いを持ち、このアウトラインの中に潜んでいる事。

 そしてもう一つは、その犯人はどの様な形であれ、何かしらの方法でスカラのセンサーから逃れる術を持っている事だ。

 前者の理由だけなら、スカラの持つドロイドで探し出す事が可能ではあるが、後者の理由を考えると其れは賢明な判断とは言えない。

 ヴァルハラの様な居住区画の場合、居住者のプライベート保護の為に簡易スキャナの数は少なく、家の中など一部の区画においては、完全な情報遮断区画を設ける事が可能だ。

 故に、下手気に動きさえしなければ、スカラのスキャンから逃れ、上手くやり過ごす手段も無きにしも非ずだが、こういった公共区画の場合其れは上手くいかない。

 ましてや、此処の様なアウトライン本社の中となると、彼女の監視の目はより一層鋭くなり、『物陰に隠れてスキャンから逃れる』などといった手段は一切通じなくなる。

 しかしそんな状況においても犯人が隠れているとなると、考えられる手段はただ一つに限られるのだ。

 それはつまり、犯人は何かしらの方法でスカラのセンサーを誤魔化す術を持っている可能性だ。

 何かしらの素材を身に纏い簡易スキャナのチェックをすり抜ける、あるいはセンサーの読み取った情報を逐一削除し、あたかもそこに存在しない様に振る舞う。

 考えられる手段としてはそのどちらかになるが、少なくともどちらの方法を試していたとしても、そんな手段を取られてはスカラは手も足も出ない状況となる。

 そこで、彼女は現場に押しかけたPRTに対して肉眼による捜索を命じた。

 幾ら科学が進みスカラが成長したとはいえ、結局の所彼女は機械であり人工物だが、人間はあくまでも原始的な生き物だ。

 一見する分には劣っている様に見えるその特徴だが、言い方を変えれば人は機械の眼とは違う物の見方が可能であり、この状況を打破出来る可能性があるとも言えた。

 元々スカラの意見に対して噛みつく考えすら持っていなかったカルラは、その指示を直ぐに聞き入れ、部下に指示を飛ばした。

 それから十分後の出来事だ、真っ白な装甲服を纏ったPRTの一人がアウトライン内の倉庫に足を踏み入れたのは。

 少し前まで金魚の糞の様にカルラの後ろに張り付いて歩いていたその人物は、部屋の中に誰も居ないかを確かめる様に辺りを見返すと、開きっぱなしになっていた自動扉を閉め、手に持っていた端末を扉のコンソールに近づけ、慣れた手つきで操作をする。

 「さてと……」

 その声は事が上手くいってることを確認してなのか、ぼそりと漏れた一言に答える様に端末が短い電子音を奏で、部屋の中が完全にオフラインとなった事を伝える。

 公共施設内のセンサーを切る事は不可能な筈なのだが、そんな事をいとも簡単にこなしたその人物は、相変わらず不必要な程厳つい腕で胸元を叩く。

 その刹那、その服が歪む。

 それは比喩や抽象でも無く、文字通りの意味としてだ。

 先程まで現物だと誰もが思っていた装甲服は、実は良く出来たホログラムであり現実には存在しない、その事実を肯定する様に服の輪郭がぼやけ、拡散し、そして曖昧な光りの帯となった後崩れ、そのホログラムを纏っていた人物の胸元へと、正確にそこに下げられていた小型の投射装置へと吸い込まれていく。

 「まさか、囮を使って私を此処に送った……それまで嘘の情報だなんて誰も思わないよね」

 PRTの服装から二回り以上小柄になったそのシルエット、それはPRTが血眼になって探していた人物、エレナの物だった。






 バベル内商業フロアの一角、本来は破棄が決定した試作品の一時保管スペースとして利用されている部屋の中で、エレナは服の下に隠し持っていたパウチを数種類取り出すと、それらを別途取りだした袋に決まった手順で入れ、慣れた手つきで練り合わせていく。

 予め計量を済ませ後は混ぜるだけにしていた人畜無害なそれらは、決められた手順で配合された結果瞬く間にその組成を変化させていく。

 そして、最後に残っていたパウチの封を切ると、エレナは其れをよく練り込み、手の中にあった粘土状の其れを爆薬へと変化させた。

 「……っと」

 そして、エレナは再び懐へと手を伸ばすと、そこにあった爪の先程の大きさのチップを手に取り、袋の中へ投げ込んでから一息吐いた。

 あとは彼女が先程のチップへと端末越しに信号を送るだけで、粘土状のそれは爆発を引き起こす。

 特別な方法を講じない限り爆発しないとは言え、出来れば手に持つことすら恐ろしい爆薬を手にエレナは部屋の中を見渡す、そして目的の通風口へと眼を止めると足を進める。

 通風口自体は人一人くぐれる程度の大きさではあったが、通風口の口は柵が設けられている為に手を差し込むのが精一杯ではある。

 だが、それだけあればエレナには十分だった。

 彼女は隙間から有機爆薬を通風口へと投げ込むと、部屋の壁に設けられていた時計を確認し、直ぐにホログラムによって形成された装甲服を身に纏い部屋を飛び出した。






 ケイルの同僚であり、友人であるリグラス・ノイマン。

 普段から良くケイルと手を組み仕事をしている事が多い為、何かと二人の専門は同じだと勘違いされがちだが、実際の所、同じエンジニアとしてひとくくりにされがちな彼等二人の専門は少しだけ異なり、ハードウェアの開発を専門としているケイルに対し、リグラスの専門はソフトウェア開発が専門だ。

 己が作ったハードウェアに命を吹き込む相棒、それがリグラスであり、ケイル自身そんな彼の仕事を直ぐ隣で見てきた。

 故に、ケイルはリグラスのエンジニアの腕を良く知ってる。

 「最初に種を明かすと、今回の計画は二重ブラフ(はったり)だ。

 つまり、お前が車を乗っ取る行為は陽動に過ぎないが、その陽動に紛れて俺がポータルを使うことすら陽動。

 本丸はその二つの陽動に紛れて行うエレナの行動が肝だ」

 「……? ごめんケイル、説明があまりにも適当過ぎる」

 「右に同じく!」

 半眼で呆れるリグラスと、好奇心に目を丸くするエレナ二人の返事を聞き届け、ケイルは説明を続けた。

 「とりあえず説明を聞いてくれ。

 まずリグラス、お前の仕事は公共の車を乗っ取ってこの銃を片手に暴れ回り、ある程度時間を稼いだらPRTに取り押さえられる事だ。

 そして次に俺の仕事だが、お前の行動がブラフだと知ったPRTが此処に押しかける前に、こいつを修理して起動させ、エレナをバベルへと送る」

 未来からやって来たスカラ、彼女が持ってきた銃をつま先で蹴って示すと、次に部屋の中心に鎮座していたポータルの縁を叩く。

 「ケイル、もう何度目になるか判らないけどさ、ポータルの修理は一日二日で出来る程簡単じゃ無いよね。

 そんなんでどうやってエレナを――」

 「だから説明を聞けと言ってるだろ」

 もったいぶりが過ぎるケイルの言葉に嫌気が差したリグラスを制すと、短い咳払いの後ケイルは説明を始めた。

 「俺は最初に言っただろ、これは二重ブラフだと。

 つまり、重要なのは俺がポータルを修理しエレナを送り込んだ事では無くて、俺がポータルを修理したと思わせる事が重要なんだ。

 そして仮にそうなった場合、次にPRTはどんな行動を取ると思うか?」

 「其れは簡単だね。

 まず私を捕まえようとPRTをバベルに派け――!」

 ケイルの意図が読めたのか、判りやすい表情で驚いてみせたエレナと、何処か苛立った様子を見せるリグラスの両方へと説明の続きを投げる。

 「そう、重要なのはPRTをバベルに派遣させる事だ。

 もしそのPRTの中にエレナを紛れ込ませる事が出来たら、後はどうなるか判るな?」

 「スカラは自分からエレナを懐に招き入れることに……でもまってよ! そんなの直ぐにばれるに決まってるでしょ、第一装甲服すら無いんだよ?」

 喚くリグラスの横で不意に光の粒が生まれ、互いに噛み合い、そして一つの形を描き出す。

 「外見だけならこれで十分?」

 潔癖な程清潔感に溢れた真っ白な装甲板、それらが互いに噛み合う事で形成された歪な人型、使用者への安心感と相手に対する視覚的威圧感にも長けた現代版のガーゴイルとも呼べる人型、その姿は二人も良く知った物だった。

 「一応ホログラムのライブラリにこの時代の装甲服も読み込んではいるけど」

 エレナの言葉通り、それは実際の装甲服ではなく、エレナが胸元に下げたホログラム投射装置による虚像に過ぎにない。

 だが、未来から持ち込んだと言うだけあり、そのホログラムは顔を寄せて見たところで何処にも映像のほつれは無く、実際に触れて確かめない限り絶対に本物との見分けなど付かないだろう。

 「確かに凄いけどさ、結局これは見た目だけでしょ?」

 皿一杯の驚きを同量かそれ以上の落胆で台無しにしたリグラスの言葉通り、エレナが身に纏っているのは所詮ホログラムに過ぎない。

 故に、実際に装甲服の様な力は全く無く、銃弾や爆発などの衝撃から……何よりスカラの眼からエレナの存在を守れる訳では無い。

 「確かにこれだけじゃスカラの眼は騙せない、だからここからが色々と策を使う」

 そう言うと、ケイルはエレナが机の上に置いていたままの記憶媒体に手を伸ばし、そのデータを持っていた端末に差し込み、ホログラムとして部屋の中に映し出す。

 そこに表示された無数の文字列、それはエレナが未来からこちらの時代へと持ち込んだとあるデータの塊だった。

 「スカラは常に自分自身のプログラムをシュミレーターにかけ、システムの中にあるほつれやセキュリティーホール常に探し、そしてその箇所を常に修復して自分自身をより強い物へと進化させている。

 だからこそ、スカラの弱点は実質無いと言っても過言では無く、普通の方法で奴の弱点を探そうったって、運良く見つけた次の瞬間にはその弱点は埋められている」

 それはこの部屋に居る全ての人間が知る事実だ。

 スカラシステムを例えるなら、それはブロックを組み合わせて作ったプールが妥当だろう。

 シンプルな構造のパーツを幾重にも重ねて作られたそれは、一見する分には堅牢そのものかもしれないが、パーツを組み合わせている以上そこには確実につなぎ目が存在している。

 そしてつなぎ目が存在している以上、そこへ小さなくさびを打ち込むだけで簡単につなぎ目は裂け、中の水をあふれ出しかねない。

 だからこそスカラはその小さな隙間を隠すべく、スカラは新たなパーツを重ねる訳だが、それもまたパーツの組み合わせによって作られている以上、形は違えど確実につなぎ目が存在しているのだ。

 ではどうするか?

 その方法は簡単だ、スカラは己が持つ圧倒的な演算能力を武器に、それらのジョイントを常に探しては塞ぎ、それによって生じたつなぎ目をまた新たなパーツで塞ぐを繰り返し、終わることの無い粗探しをする事で弱点を克服している。

 電子的に再現された新陳代謝を行う事で守られるスカラシステムの防壁、それを破壊する事など考えるだけで時間の無駄だと言える。

 「まさか……彼女を騙す気?」

 流石に察しがついたのだろう、リグラスは写されている映像を目の当たりに、小さく呟く。

 「流石に完全に奴を乗っ取る事は不可能だろうが、それ位ならこれを使えば出来るだろ?」

 何処か挑発的なケイルの言葉に、リグラスは曖昧に頷き、表示されているデータを己の端末へと取り込むと、心なしか気取った表情を返す。

 先程から表示されているデータ、それはエレナが未来から持ち込んだ物なのだが、その詳細はスカラのアップデート履歴である。

 スカラを騙す事、それは彼女の持つシステムの弱点を探す事だが、彼女が常に進化している以上、彼女が次にどんな進化をするか予知するでもしない限り不可能だ。

 しかし、仮に彼女が次に行うであろう進化、つまりアップデートの予定が判るのならそれは大して難しい問題では無くなる。

 「スカラにスカラをハッキングさせるって事ね」

 「いや、それは流石に大袈裟な言い方だな。

 どちらかと言えばお前が俺たちにやった事と同じだ」

 未来の情報を使い天才を騙した女、そしてその情報にまんまと踊らされた男、二人の会話の腰を折る様リグラスは少しだけ神妙な面持ちで口を開いた。

 「楽しそうな所申し訳無いんだけどさ、一つ問題があるよ」

 ケイルは彼が何の話題を触れようとしているのか判っているのだろう、静かに頷く彼とは別に、エレナは頭に疑問符を浮かべて応じる。

 「エレナは言ったよね? 自分の存在がフィロソフィアシステムの完成を早めてしまったって」

 それは二人が有機爆薬の存在に気が付いた時の話だ。

 エレナの持つ情報では、まだこの時代ではフィロソフィアシステムは試運転すら出来ない段階だったと言う。

 しかし、エレナがこの時代に干渉し、そして有機爆薬を作るという課題を提示した結果、リグラスはフィロソフィアシステムを本来よりも早く完成へと近づけてしまった。

 その結果、フィロソフィアの利用履歴に有機爆薬のデータが残され、その情報を元に未来のスカラはエレナが干渉した日時を把握、ドロイドを送り込みエレナを連れ帰ろうとする結果へと繋がった。

 一見する分にはごく僅かな変化、だが膨大な時間をその情報へと加えると、自体は予想外な物へと変化する。

 それは、俗にバタフライエフェクトと呼ばれる物である。

 「これと同じ事がまた起きるかも知れないよ?」

 「判ってるよ、でもバベルを壊す事に比べたら大した変化じゃ――」

 「僕が言ってるのはそう言う事じゃなくて、スカラのアップデートに影響があるかも知れないって事。

 彼女を騙すなら一度にしないと、一度嘘を吐かれたと気付いたら彼女は必ず対策を講じる筈、そしてそうなった以上このデータは全部使い物にならなくなるって意味」

 人を騙すのは簡単だが、一度騙された人間は嘘を吐いた人間の声になど耳を傾けなくなる、それは道理ではあった。

 ホログラムを再度指し示す彼に、ケイルが答えた。

 「確かにその通りだ、だから計画は彼女が自分が騙されたと気付くまでの間に行う。

 つまり、この作戦はリグラスが車を盗みPRTに掴まってから、長くても60分以内に完結させる必要があるって事だ」

 スカラのアップデート周期を元に大雑把に割り出したタイムリミット、そのあまりの短さに、エレナとリグラスは共に唾を飲み込むのだった。






 バベルの外壁に表示された時計を読み、エレナは残り時間を数え、同時に焦りを覚える。

 最後の爆薬を仕掛けるべくエレナが足を踏み入れたのは、先日ケイルとリグラスが利用した飲食店の一角だった。

 本来なら予約客がごった返し、椅子に座ることすら困難になる筈のその室内は今は誰一人として人影が無く、利用者を失った無数の椅子が墓標の様に立ち並んでいる。

 部屋の片面には巨大な窓が設置されており、そこからバベルの中からは滅多に見る事の無い外界の景色が広がっていた。

 そんな大空を切り取った様な景色をバッグに、エレナは息を切らしたまま端末を取り出し時間を確認する。

 リグラスが取り押さえられたとの連絡が入ってからもうすぐ一時間になる、リグラスの計算が正しければ、スカラはリグラスの犯行手口を元に自分の弱点に気付く頃合いである。

 そしてその時こそ、エレナがPRTに紛れ此処に忍び込んだとばれる瞬間だ。

 「……ちょっと厄介かも……」

 ある物を待ちながら聞き耳を立てていたエレナは、次の瞬間目の色を変えると一気に駆け出す。

 「っ!!」

 それもその筈だ、エレナが耳にしたのは装甲服に仕込まれたタイヤが放つ、独特な駆動音だったからだ。

 蚊の羽音を何十にも重ねた様な甲高い回転音、その音が次第に大きくなるのを感じつつ、エレナは隠れる場所を探して視線を泳がせ、そして半開きになっていた戸棚を見つけると、その中へと体をねじ込んだ。

 結論から述べるなら、バベル内を探査していたPRTから身を隠す為の行動としてならばそれは明らかに打算だった。

 戸棚は外見の割にとても広い空間を有しており、人の一人や二人余裕で受け入れられる程度のスペースがあったが、それはあくまでもこの棚が使われていなかったらの話である。

 戸棚の中に入っていた数々の予備の備品、それらは予想外なエレナの来客に驚き、互いにぶつかり合い不愉快な悲鳴を上げていた。

 その音はこちらへと迫っていたPRTにも聞こえたのだろう、店舗入り口を通り過ぎた直後にその音は再び大きくなり、今度は店の中へと入ってくる。

 「……」

 濃密になる追っ手の気配を感じつつ、必死に薄暗い戸棚の中で気配を消すエレナだったが、次の瞬間差し込む光りにその顔を映し出される。

 「……ど……どうも」

 あまりにも間の抜けた返事を返したエレナは、開かれた扉からこちらを伺うPRT隊員と眼を合わした。

 勿論眼を合わすというのは物の例えではあるが、大型獣が放つそれとよく似た威圧感放つ装甲服のバイザーに睨まれたエレナは、蛙の様に眼を丸くして動きを止める。

 そのPRT隊員も流石にエレナがこんな反応を示すとは思ってもいなかったのだろう、微妙な沈黙を横たえ、暫くの間エレナと向き合っていたがしびれを切らした様に、その巨体とは似つかぬ優美な声で問いかけた。

 「こんなところで何をしているので?」

 その外見とは裏腹に紡がれた紳士的な問い、それにエレナは眼をドングリ眼のまま答えた。

 「え……えっと、その、警報が入ったから……」

 「入ったから何です?」

 時間稼ぎをする様にもごもごと答えるエレナを急かす様、PRTは質問を重ねた。

 「怖い人が居るんですよね?」

 「ええ、ですから私達が捜索しています、それでですが? あなたは何故こんな所に居るのかと聞いているのですよ」

 明らかに相手はエレナを怪しんでいた。

 装甲服越しであるが為に相手の表情は見えないが、そっと視線を動かすと、視線の隅で装甲服の主が右腕で銃を握っているのが確認できる。

 「そう……だから、その……私隠れてました」

 間が抜け切ったその回答だが、流石にこんな回答をする人間が犯人では無いと悟ってかPRT隊員は少しだけ笑ってみせると、銃を装甲服にしまい込み、代わりに何も握られていない腕を差し出す。

 「棚の中はスキャンが届きませんしね、通報があってからずっと隠れていたのならあなたの事をスカラが知らないのも当然です。

 スカラ、聞こえますね、今から取り残された人の避難補助を行います」

 独り言を紡ぎながら何か納得した相手は、バイザーを開いてから口を開いた。

 「あなたの避難のお手伝いをしましょう、さあ手を握って」

 自動で折り畳まれたメットから現れた顔は、ケイルを取り押さえた人物、カルラ・デュイットの物だった。

 彼はエレナに対して向けていた警戒心を解き、代わりに普通の何倍もある大きな腕を差し出した。

 これは好機ではあった、リグラスが行ったハッキングのおかげで、エレナのIDは一時的にだがPRT隊員の物として認識されているのだ。

 おかげで彼女はスカラが行うスキャンをパスし、その結果としてスカラの判断の元で動くPRTからも警戒されずに済んでいるのだ。

 だが、このままこの戸棚の中から出てしまうと身元がばれるのも時間の問題であり、そうで無くともスカラがハッキングに気付き掌を返すまでもうあまり時間が残されていない。

 そう知っていたエレナは簡単な嘘を吐いた。

 「それが……奥に引っかかっちゃって動けないんです」

 「……」

 場違いな程間の抜けた沈黙、その後にカルラは『あなたは馬鹿ですか?』と告げ、エレナの前に並ぶ備品をどかそうとして動きを止める。

 装甲服の外装は非常に分厚く、結果として手足などの末端のパーツですら巨大になる傾向がある。

 そしてその傾向故に、装甲服を纏った状態だとあまり器用に細かな作業が出来ないのだ。

 「少々お待ちを、一旦装甲服を脱ぎます」

 それはカルラ自身も自覚があったのだろう。

 戸棚の奥に居るエレナを引っ張り出すため、装甲服で荷物をどかそう物なら戸棚ごと破壊しかねないと判断したかれは、地響きにも似た足音を響かせながら背後へと歩くと装甲服を操作。

 すると、装甲服の胸の辺りを中心に亀裂が入り、それが体の末端へと波及していく。

 脱皮の最中の甲殻類の如く、体の中心から裂け始めた装甲服の中からカルラの全身が露わになり、完全に装甲服が開かれたのを確認すると、カルラは鋳型の様に自分の体にフィットしていた残りの装甲服から体を引きはがし、己の足で踏み出した。

 「さて、それじゃ先ずは荷物をどかして……?」

 身軽になったカルラが目の当たりにしたのは、エレナの姿だけが消えた戸棚の中身だった。

 「動かないでね」

 首筋に冷たい感触が走るのを感じ、カルラは自分が置かれている状況を悟った。

 「わざわざ装甲服を脱がせるために茶番を演じたので?」

 「騙すことには成功したんだから、茶番ではないでしょ?」

 カルラの首に押し当てられたのは、食事の際に利用するナイフだった。

 それは戸棚の中に元々入っていた物だろう、店のロゴが刻まれたそれが押し当てられる感覚に、カルラは苦虫を噛み潰した様な顔で応じる。

 所詮これはカトラリーセット一部に過ぎない、だからこそ大した切れ味は殆ど無く、装甲服を身に纏ったPRTにとっては凶器ですら無い。

 だが、生憎彼は今現在装甲服を身に纏っておらず、ましてやナイフが首に押し当てられた状況なのだ。

 こんな状況に置かれた以上、後ほんの少しエレナがナイフを突き立てるだけでカルラは命の危機へと直面する。

 そんなカルラが置かれた危機的状況を察してか。

 あるいはシステムのアップデートを終える事が出来たからか、突然部屋の中にアラートが響き渡り、続いてスカラの声が流れ込む。

 「状況が更新されました。

 カルラ様、その人物は危険です」

 一拍遅れたスカラの警告、それは何処か馬鹿げても聞こえた。

 危険だと告げるくせにその根拠は提示されず、ましてや次第が発覚してから事後処理的な一言、まるで子供がよく分らない物を拒み、大声で喚きながらだだをこねる様なスカラの対応ではあったが、それは納得ではあった。

 スカラ自身、エレナの使っていたIDが偽造された物であるとまでは悟ったみたいだが、エレナはこの時代には存在しない筈の人物だ。

 知らないことなど無いとまで言われる筈のカルラにとって、状況が全く読めない相手に対して、ただ『危険』だと唱える他無かったのだ。

 「先程から誤作動が多いみたいですね、スカラ」

 「カルラ様、ドロイドと他の隊員が到着するまで後8分と14秒の時間が必要です。

 どうか其れまで、その人物を刺激しないでください」

 カルラの質問に答えなかったのはその回答が今は重要では無いと判断してか、あるいはその問いに見合っただけの答えが見つけ出せなかったからか、カルラは正確な時間と共に的確な対応を提唱する。

 「とは言われましても……」

 深く溜息を吐き、呆れた様子で項垂れてみせたカルラは、僅かに前のめりになった姿勢から一気に背筋と右肘へと力を込め、全力で肘を背後へと繰り出した。

 後ろから抱きつく様な姿勢でカルラにナイフを突きつけていたエレナは、その不意を突いた一撃を脇腹に食らい短い悲鳴を上げる。

 その際に生まれた新たな隙、そこを目がけカルラは振り返り際に左手を伸ばし、ナイフが握られていた腕を掴むと、ナイフと一緒にエレナを背中に抱え込み、そのまま一本背負いの要領で投げた。

 「ぐぅっ!」

 元々の体格差故エレナの体は面白い程簡単に床から離れ、そのまま上下さかさまな姿勢で並んでいたテーブルへと衝突。

 賑やかと言うにはいささか物騒な音と共に、彼女の体は倒れたテーブルの中隠れる。

 「あなたの読み通り、私達PRTは装甲服の性能に依存しすぎている傾向があります。

 ですが、生身での格闘訓練を全く受けていない訳では無いのですよ?」

 僅かに乱れた呼吸を直しつつ紡がれたカルラの勝利宣言、それにエレナは答えず、代わりに床へと落下した花瓶だけがもの悲しく返事をした。

 「……おや? もうおしまいですか?」

 挑発的なカルラの一言に、今度こそエレナは答えた。

 彼女は自分の体にのしかかっていた椅子を掴むと立ち上がり、カルラへとぶん投げる。

 近距離での勝負に勝てないのならと、苦しみ紛れの策の様な攻撃に、カルラは一瞬こそ驚いてみせたが、それは文字通り一瞬の事で、相変わらず端正な顔立ちに僅かな落胆の表情だけ浮かべると、さっと其れを蹴り落とす。

 そして、その椅子による攻撃と共に飛びかかってきてるであろうエレナへの対策を講じようとして、一瞬動きを止めた。

 飛来していた椅子、その奥に隠れていると思った彼女の姿は無く、代わりにあったのは何も無い床だけだった。

 「?……」

 だがそんな疑問符を直ぐに訂正すると、カルラは上体を逸らし意表を突いて右から迫っていたエレナへと向き直ってから、左手による一撃を加えた。

 がむしゃらではあるが多少駆け引きの概念のあるエレナの行動、それはカルラにとって予想外な物ではあったが、それは大して警戒に値しない事だ。

 素早く繰り出した己の左拳を、エレナは回避かあるいはいなす事で処理すると踏んでいた。

 ならば、その直後にがら空きになった彼女の腹部へ、右手による一撃を加えればよいと踏んでいたカルラは、口端を少しだけ吊り上げて笑う。

 だが、そんな彼の予想はあっけなく逸れた。

 「……っふ!!」

 短い呼吸の後、エレナは左手を伸ばしたのだ――カルラの拳に対して。

 彼女はカルラの左拳をそのまま握ると今度は右腕に力を込め、腰のひねりを加えながら全力でカルラの肘を横なぶりに殴った。

 幾ら小柄な女の一撃とは言え、全身の体重を加えた一撃を、しかもそれを伸びきった関節へと加えられた為、耳障りな音と共にカルラの肘が本来では有り得ない方向へとねじ曲がった。

 「ぐぅ!! おまえ――」

 流石に抗戦は不可能だと、顔面を真っ青にして膝を突いたカルラは、濁流の如く襲いかかる激痛に顔を歪めながら問うた。

 「――何……者だ」

 その質問に、エレナは場違いな程明るく笑ってから答えた。

 「私の名前はエレナ。

 犯行の目的も聞きたい? それなら答えてあげる、私はこのビルを破壊する事が目的」

 エレナはそう言いながら懐から端末を取り出すと、何の躊躇も無くスイッチを押した。

 刹那、遠く離れてはいるが、間違い無くビルの内部から響いたと思われる爆発音が二人の鼓膜と、そして建物自体も少しだけ揺らした。

 「そしてあなた呼び込んだ目的は簡単。

 私一人で居るとスカラが邪魔に入るでしょ? だからあなたには人質になってもらおうと考えたの」

 初めから彼女の策略だった。

 そう気付いたカルラは、玉の様な汗を顔面に浮かべ、降参だとばかりに項垂れる。

 犯人は何かしらの手段を講じて爆薬を手に入れ、このビルに仕掛けたのだろう。

 だが、先程の爆発程度ではこのビルは破壊できない、そう思っていたカルラの耳を再度爆発音が響く。

 「抵抗しなければあなたの命は保証するよ」

 何処か子供じみたエレナの脅しを余所に、建物は先程よりも僅かにだが大きく揺れた気がした。




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