第3話

 自分だけの作業部屋がこれほどまでに息苦しい空間になるなど、今まで思ってもいなかった。

 平穏無事な日常を切に願った結果、自ら進んで機械に飼い慣らされる選択肢を選んだ現代社会において、自分の望んだ環境は酷く原始的で単純な物だった。

 躾のされていない飼い犬が、首輪を外された刹那どこかへと走り去る様。

 悪さを働いた子供が、親の目から隠れる様。

 ケイル・リットラードは、この世界の飼い主であり親であり、そして神と呼んでも間違いでは無い存在であるスカラに干渉されない環境を望んだ。

 四六時中人々を監視し、見守り、そして奉仕するスカラシステムの目が届かない物陰としてケイルが望んだ自分だけのガレージ。

 その空間はケイルにとっての宝であり、心の拠り所だった――筈なのだが。

 「おめでとう二人とも、これで残るは最後のスパイスだけだよ」

 重苦しい空気が淀んだその空間において、鈴を転がす様な彼女の声はとても明るく響き渡る。

 状況を褒め称え、そして課題がもう少しで完了する事を告げるその一言は何処までも明るいのだが、その一言を聞いたケイルとリグラスは互いに目を伏せ、短い溜息を吐く。

 そして、上機嫌なエレナの表情を伺うと、なるべく彼女を刺激しない様に問いかける。

 「本当にやる気なのか?」

 何かの拍子に気が変われば良い、そう思って紡がれた問いかけに対してエレナは淡々と答えた。

 「当たり前でしょ、その為に私はあなた達に協力をお願いしたんだから」

 その口調はやはり軽い。

 瞳を閉じて聞く分には不要品の処分を頼んでいる様にも聞き取れるその一言だが、目を開き、エレナが握りしめた物を見ればそれが口調とは裏腹に酷く重たい物だと判るだろう。

 「そうだよな……」

 彼女の掌に握られた小さな塊、樹脂と金属を主材に作られた小さなその機械は、疑う余地も無く拳銃だった。

 引き金を引くだけで瞬時に対象の命を奪う絶対的な凶器、この世界において唯一人を傷つける為に作られたその道具の先端は、今もケイルの方を向いたままだ。

 「ほらほら、早く次のスパイスの製造に取りかからないと、時間は余り残されていないよ?」

 「だったらせめてその銃を下げてくれるとうれしいんだがな」

 「だーめ」

 相変わらず人なつっこい言葉で要求を取り下げたエレナは、先程精製が終わったばかりの4つめのスパイスが詰まったボトルを持ち上げ、簡易スキャナとおぼしき機械で組成チェクを行う。

 「関心関心、これだけの精製度なら間違い無く機能してくれるね」

 「機能って、人殺しの道具としてか?」

 満足気なエレナの独り言に対して、ケイルから少しだけ離れた場所に居たリグラスが噛みつく。

 匙一杯の皮肉がまぶされた真実を、エレナは無言で聞き流して開いている方の手で虚空を指し示す。

 エレナが持ち込んでいた簡易プロジェクタが起動し、部屋の中心が四角く切り取られて厚さの無いモニターが浮き出る。

 目を凝らせばその先が見えるホログラムには、最後のスパイスの構造式と精製手順が記載されていた。

 「安心して、少なくともあなた達二人を傷つける気は無いから」

 「だったら尚のことその銃を仕舞ってくれるとありがたいんだがな」

 「其れとこれとは別の話」

 そんなあくまでも軽いペースで紡がれる脅し文句を背景に、一同は作業を進めて行く。

 『あなたの為』を口実に続けられるスカラの監視は嫌いだった、だからこそケイルは自身の持つ権限を使い、狭くとも自分の持つ『スカラに監視される』権限を破棄できる空間を作った。

 だが、その結果どうなったか?

 答えは簡単だ、感情を持たない機械による監視から明確な悪意を持つ人間による監視下の生活へと変化した。

 今現在自分へと向けられる銃口の気配に震えながら、ケイルは作業を進めていく。

 エレナが要求する物質、其れを作るには特別な機械を組み立てる必要があった為、最初の一つを作る際はそれなりに時間を要したが、二つ目以降の製作はこれまでに作った機材を使い回せるため、今現在手を付けている課題の制作もそう時間がかかる物では無い。

 それが脅されながらとなれば、尚の事作業時間の短縮は可能である。

 (あと2時間か……)

 口には出さず、ケイルは映し出されたホログラムの表示を読み上げる。

 開かれたパネルから幾つものケーブルを生やした其れは、本来ポータル用の電子回路組み立てに使っていたプリンタなのだが、リグラスが突貫工事で組んだプログラムに従い鈍い音を奏でながら指定された物質の精製を開始し、視界の隅ではリグラスが項垂れる様に座り込む様子が見て取れた。

 「今更の質問なんだが、お前はこれを使って何をする気なんだ?」

 嫌味に思える程安定稼働を続けるそれを見て、もうここまで来てはどうしようも無いと判断したケイルは、今まで聞きそびれていた質問を投げる。

 エレナが作ろうとしている其れは、彼女の言葉を借りれば有機爆薬と呼ばれる物であり、戦争や争いを淘汰すべく一つになったこの世界において、無用の長物なのは間違い無い。

 仮にの話として、この爆薬を平和利用するとしても、そんな選択肢はスカラに相談したとしても見つからないだろう。

 では、そんな爆薬を一体何に使う気なのか?

 「そんな事言う訳無いよ、手内をばらしちゃったら計画が失敗しちゃうんだし?」

 エレナは今更と言った具合で告げる。

 「何時何処でそいつを使うかと聞いたんじゃ無い――」

 ケイルの一言に、エレナは鳩が豆鉄砲を食らった様な顔を作って首を傾げた。

 「――俺が聞きたいのは、これを爆発させた結果として、世界がどうなる事を望んでいるのかって事だ」

 ケイルが投げた質問は、エレナの出した答えの先にある物だった。

 人の行動には何かしらの目的がある。

 食事をする行為は、娯楽の為以前に己の生存の為。

 出かける際服を身に纏うのは、ファッションの為以前に外気温に適応する為。

 『行動』をする為に『手段』は存在するが、『手段』は『目的』の為にある。

 誰しもが行動を取る事を好むが、その行動を取りたいと思う選択肢は目的があって初めて成り立つ物だ。

 「わざわざ有機爆薬なんてものスカラの目をかいくぐって作り、上手いことどこかで爆発させたとして、あんたは何を望んでいるんだ?

 それだけのリスクを背負ってまで何を望んでいる」

 この爆薬の利用方法は人を傷つける、もしくは何かを破壊する、それは間違い無いのだが、それだけの事をするにはとてつもなく大きなリスクを背負う事は間違い無く、そのリスクに見合う結果の予想がケイルには付かなかった。

 「ずっと気になってたんだよ、今まで人を殺したりした連中は大勢居る。

 そしてその全てが、個人的な恨みや利益を求めた結果の行動だ。

 家庭を壊された、女を奪われた、金が手に入る、自分が犯した罪の証拠を隠したかった……だれもが理由があって罪を犯す、倫理的な考えを無視すりゃ、そのどれもが筋の通った物だ。

 だがな、お前のやりたい事だけは見当が付かないんだ。

 怨恨なら爆弾を使うまでも無い、かといって、何か物を壊したいにしても、そんな使い勝手の悪い道具を、しかもこんな面倒な手段で作る理由が判らないんだ」

 罪を犯す事に恐怖を感じなかったとしても、理由も無く罪を犯す理由が無い。

 ケイルの頭の中にはその疑問だけが残っていたのだ。

 「やることはやった、全部あんたの望み通りだ。

 だから教えてくれ、あんたは何を望んでいる?」

 短い溜息の後、ケイルは答えを催促する。

 音の反響すら無い室内で、機械だけが黙々と動く音が響き、ふと零れたエレナの溜息がその帳を裂く。

 そして、彼女はケイルに向き直ると、口を開いた。

 「私は世界を良くしたいだけ」

 その答えはあまりにも稚拙で、そして的外れだった。

 大勢の人間を殺せる凶器を用いて、彼女は世界を良くしたいと願っている。

 ちぐはぐな彼女の回答に、今まで黙っていたリグラスが噛みついた。

 「世界を良くする? 爆弾で?

 物を壊して、人を殺してか? それで世界が良くなると君は本当に考えているのか?」

 その言葉に対し、エレナは一点の迷いも無い表情で返答する。

 「ええ、それで世界が良くなるのなら私は躊躇無く人を巻き込む。

 それでも被害は最低限にしたかった、だからあなた達には何も知らないで利用された可愛そうな被害者、って役を用意してた筈なのにね。

 でもここまで来た限りは其れも上手くいかないよね」

 つまり、ここで抵抗をしたら自分達の命に対しても容赦しない、そういう事だろう。

 折りたたまれた脅し文句に喉を鳴らしたリグラスはさっと口を噤み、逆にケイルは口を開いた。

 「普通に考えれば馬鹿げた話だと思うが、試作中のポータルを使い俺の部屋に忍び込む賭をした奴にその言葉は余計か……

 どうやったかは別として、こんな不安定な機械を使ったんだ、下手すりゃここにやってくる前に挽肉になった可能性だってあった筈だ。

 作った本人だから判る、俺なら絶対にこんな物使いたくないね、仮によっぽどの使命を抱えてたとしてもだ……だが、あんたはそんなリスクを恐れなかった」

 ケイルは傍らに鎮座していたポータルを手の甲で叩いてみせる。

 「それは褒め言葉かな?

 っていうか、良く私がポータルを使ってこの部屋に侵入したと判ったね」

 「褒めてねえよ」

 口ではそう言ったが、先程の言葉は彼女がそれだけの使命を果たすため、己の命すら天秤にかけた勇気を賞賛している自分に苛立ちを覚える。

 エレナと名乗るこの女は兎に角不透明で、目を凝らして観察をしても不明な点が山ほど見つかる。

 最初はその不透明さが魅力でもあったが、いざその特徴が凶器に化けた今となっては、ころころと表情を変え、何処までも感情の奥底が見えない彼女が恐ろしく見える。

 「つか俺だって馬鹿じゃ無い、あんたがどんな絡繰りで俺のIDを盗んだのかは知らないが、少なくとも俺のIDを使った所で区画間の移動履歴はスカラに蓄積される、なによりあんたはあの時、ポータルの誤作動の直後に現れたんだからな。

 どこかに置いているポータルと、あんたが盗み取った俺の権限を利用して俺のポータルにアクセスした、そう考えるのが当然だろ」

 「……約半分は正解かな」

 半分は正解、それはIDの件か、それともポータルの件を示してか、あるいはそれ以外の何かに対してか。

 主軸の見えない褒め言葉を紡ぐ彼女は、いたずらが成功して喜ぶ子供の如く笑ってみせる。

 どの予想が正解だったにせよ、ポータルの設計図を盗みスカラの監視を誤魔化して其れを組み立てて起動する事も複製は不可能とされるIDを複製し、自分の物としてケイルの権限を行使した事にせよ、そのどちらも手段の見当が全く付かず、自分で言っておきながら疑問が爆発的に増える感覚に目眩を感じた。

 「半分ねぇ」

 ここで謎の答えを求める選択肢も頭を掠めたが、どうせ器用に嘯かれるのが目に見えていたケイルは、独り言を呟き頭の中の疑問を有耶無耶にする。

 どうせ疑問を持ったところで、今更遅い。

 この手の疑問は最初にエレナが現れた時に向けるべきであり、今更掘り返す事行為そのものが間違いだったのだ、そう無理矢理にも納得したケイルの元へ、今度はエレナが質問を投げる。

 「それじゃ私からも質問良いかな?

 私は誰にもばれない方法として、この有機爆薬の設計図を作った筈。

 なのにどうして二人はこれが爆薬の材料だとわかったの?」

 彼女なりにも疑問に感じていたのだろう。

 それは無理も無い、構造式を見ても、完成した全ての材料を手に取ったとしても、決して爆弾とは判る筈の無いそれらは、仮にスカラの元で解析をさせたとしても、スカラはその正体に気付く訳が無い。

 絶対にスカラに悟られない様、この世界における神の目すら欺くべく設計されたそれらの気付く由も無く、ケイルとしては寧ろそれだけの物をどうやって開発したのかと聞きたい位だった。

 「説明する義理は無い筈だけどね」

 「説明しない義理だって無いでしょ?」

 指さす代わりに銃口をリグラスへと向けたエレナは軽い口調で告げ、椅子へと腰掛ける。

 何も予定の無い休日、その昼過ぎに交される談笑の様な声。

 例え武器を持っていたとしても、結局は2対1、更に隙を突いてスカラの支援を呼ぶことに成功すれば更に比率は崩れ、エレナは全く抵抗が出来なくなる筈であり、彼女としては一刻も目を離せない事態の筈なのだがその口調は何処までも軽い。

 おそらく、彼女が自分の勝利を確信しているのだろう。

 「隠したところで俺達に得は無いか――」

 助けを求めるリグラスの視線を感じ、代わりにケイルは説明を始めた。

 「リグラスが開発してる次世代型シミュレータのおかげさ。

 推論エンジンなんて大層な呼ばれ方してるそれを使って、あんたの求めた課題から導き出される未来を探したんだ。

 まぁ、性能が高い反面、演算にアホみたいに時間がかかるからな、結果が出るまで随分と待たされた訳だが……」

 何て事の無い事実。

 この出来事を隠していた所で、エレナに対しては何の切り札にもならないと思っていたのだが、エレナが見せた反応は予想とは大きく違った。

 「推論エンジン……『フィロソフィアシステム』!?」

 「なんでその名前を?」

 知るわけも無い単語を紡いだエレナは、立ちくらみを覚えた様に目を見開き、額に手を当てた彼女の表情から一気に血色が抜けていく。

 「フィロソフィアシステム、次世代型シミュレータ、可逆性量子演算ネスト、フレームネームAA-A2LAS、開発コードネーム『テレグノシス』――」

 ぶつぶつと呟き続けるエレナ、その様子にケイルは面食らうが、それ以上に驚いていたのはリグラスだった。

 彼女が先程から呟くそれらの単語は、ケイルすら知る由の無い単語であり、リグラス自身がフィロソフィアの開発において使っている専門用語だった。

 そんな言葉を何故彼女が知っているのか、混乱で頭痛すら覚えるリグラスに対してエレナは詰め寄ると、その肩を掴んで血の気の引いた顔で問いかける。

 「フィロソフィアはまだ未完成の筈、使える訳――」

 「待て! 何で開発チームでも無い君がそこまで知ってる?」

 被せる様に噛みついたリグラスの声を、エレナは強引に押し飛ばして問い直す。

 「答えて! あれはまだ使えない筈でしょ!?」

 ほっておいたら噛みつきかねない勢いで問うエレナの形相に押されてか、リグラスは諦念した様に答える。

 「別に完成してなくても、試運転位は出来るさ……」

 未完成だろうと試運転位なら可能、それは当然の答えの筈だった。

 しかし、そんなリグラスの声に応えたのは、やはり方向の違う声だった。

 「今はまだ試運転すら出来ない筈でしょ! そんな事絶対に有り得ないよ!」

 あたかも、これから起きる未来全てを見越していたかの様な口調で声を荒げるエレナ。

 彼女は興奮が収まらないのか、開いている方の手でリグラスの肩を掴むと激しく揺すり、そして何かが外れたかの様に目を見開き、動きを止める。

 「今はその段階までフィロソフィアは作られていな――! もしかして……」

 エレナは部屋の片隅に並べられていた有機爆薬を見て、息を飲む。

 「私がこれを作らせたから……その影響で……」

 「おい、さっきから何を――」

 独りよがりな妄想を続けぶつぶつと何か呟くエレナはケイルの声を無視して妄想に耽る、そして――

 「……履歴は全てスカラに……!! 大変!」

 突然大声を上げたエレナを余所に、突然部屋の中心に鎮座していたポータルが轟音を立てる。

 何故彼女が大声を上げたのかその理由は定かでは無かったが、少なくとも彼女が上げた声と起動したポータルには繋がりがある様だ。

 目を大きく見開き、何かから怯える様に後ずさるエレナを余所に、ポータルはより一層大きな音を奏で、全身の毛を逆立てる様な静電気を纏う。

 「ケイル!」

 「判ってる……なんでこいつが動くんだ?……」

 悲鳴じみたリグラスの声に答えつつ、ケイルはポータルを見つめる。

 部屋の中心に置かれたポータルの輪の中で、突如青白い光が爆ぜては消え、そしてまた爆ぜ、徐々にその周期が狭まっていく。

 小気味よく響いていた小さな破裂音は徐々に輪郭を潰し、互いに繋がり羽虫が羽ばたく様な一つの音へと変化していく。

 音の変化に合わせ、青白い光は明滅を止め安定した一つの光となると、その輪郭を広げポータルの縁ぎりぎりまで広がり一枚の壁の様に化ける。

 危なげなく展開されていく平面、その動きを見る分に、ポータルは正確な統御の元安定稼働を続けている様だが、そもそもケイルはこの筐体を起動させた記憶が無い。

 「誰がこいつを起動させた」

 力場の展開によって風が拭き乱れる部屋の中、ケイルは一歩ポータルから離れると、虚空で手を振りポータルの操作パネルを呼び出す。

 幾ら安定起動していようと、この筐体は所詮試作品であり安全性に大きな問題がある筈であり、そんな物がスカラの支援も受けれないこの環境下で起動する、それは自殺行為と言っても過言では無い。

 「早く止めて!!」

 「言われなくてもな!」

 悲鳴じみたエレナの声に反射的に答えつつ、自身の身の安全を守る為にもポータルの強制終了コマンドを打とうとして硬直する。

 「ケイル! 早くしないと最悪この部屋が――」

 表示された映像を見て硬直する姿を見かねてか、再度声を荒げるリグラスの声を受け流すと、ケイルは真っ青な顔色で告げる。

 「動いてない……」

 「何が?」

 「だから動いてないんだ、このポータルは!」

 「そんな訳――」

 この期に及んでそんな悪ふざけをするとは思えなかったが、それにしても理解不能なケイルの言葉の意味は、リグラスの目前でも開かれた立体映像によって明らかになった。

 「……ポータルは起動コマンドを受信していない……そんな事ある訳」

 目の前で稼働を続けているポータルと、操作パネルに表示されている『停止中』の表示を見比べ、言葉を失うリグラス。

 そして、それとは別に文字通り顔面蒼白の状態で部屋の中を走り、何かを探し始めるエレナ。

 彼女の反応からして、エレナは今起きている状況に気づいている。

 そして、彼女はこれから起きる出来事にも見当が付いており、半狂乱気味で怯えている。

 ならば、逃げ出すのは今が最適だろう、そうは思ったものの今起きている事態の真相が気になり、ケイルの足は言う事を聞いてくれない。

 「早くポータルを止めて!!」

 部屋の奥にあったガラクタの中から、強化樹脂製の細く長い配管を引っ張り出したエレナの声を無視し、ポータルは新しい変化を遂げた。

 輪の中心で展開されていた光の壁、それは次の瞬間一際大きく光り、そして輝くのを止めた。

 「……嘘でしょ……」

 ポータルの中心、そこには水面に写った影の如く、輪郭を不定形に揺らす映像が映し出されていた。

 「起動した……だと?」

 いや、それは映像などでは無く、実際に存在する空間だ。

 どれだけの距離離れているのか、それは不明だが、少なくとも今居る場所から遠く離れた空間が、文字通り切り取られこちらの空間と繋げられているのだ。

 ポータルを起動した主が何物かは不明だ、だがその存在はこのポータルの先に居ると見て間違いが無いだろう。

 「ケイル……あれ」

 「……判ってる」

 揺れ動くポータルの先、そこでは何か人型の物が動き、こちらへと迫ってきていた。

 その影の主はポータルを通じてこの部屋に入るつもりなのだろう、影はゆっくりと大きくなり、オレンジ色の体がポータルの直前で折り曲げられ、背の低い門を潜る要領でこちら側へと足を踏み入れる。

 水面から抜け出す様、揺れ動く平面から滑り出てきたその姿を見て、ケイルとリグラスは息を飲む。

 何故ならその影が人間では無く、警戒色に染まったスカラのドロイドだったからだ。

 「何でお前が……」

 「安心してくださいケイル様、私はあなたを助けに来ただけです」

 ケイルを安心させるためか、元々感情すら持たない筈のその機械は柔和な声でそう紡ぎ、昆虫を思わせる複眼でケイルを見つめる。

 「っあああああ!!」

 その瞬間だった、エレナは突如床を蹴ると、持っていた配管でドロイドの顔面を殴打する。

 全身の筋肉と強化樹脂の強度を合わせて繰り出されたその一撃は非常に鋭い、普通の人間なら骨が折れ運が良くて重傷、最悪は命を落としていてもおかしくない筈だ。

 だが、生憎相手は最新技術を押し固めて作られた機械だ、オレンジ色の筐体に触れた配管はあっけなく砕け、無数の破片を花吹雪の様に舞わせるだけで終わる。

 「エレナ様、私はあなたに即時投降を提案します」

 スカラが操るドロイドは、驚く様子も無くいつもの調子でそう告げると、追加の一撃を繰り出そうとしたエレナの腕から残った配管を奪い、遠くへ放り投げる。

 その際、バランスを崩したエレナはつんのめり、そのまま床を転がった。

 「っく!」

 「再度提案します、あなたは即時投降をするべきです」

 淡々と紡がれる『提案』と銘打たれた『脅し』の一文。

 そのデコレーションに彩られたドロイドの行動を見て、ケイルは言葉を無くした。

 「――何故なら、これ以上の抵抗は、私に武器使用の許諾を与える事になるからです」

 一切の無駄の無い動きでドロイドが構えたそれは、ドロイドと同じ色に染まった拳銃だった。





 世界一の規模を持ち、世界一優れた人工の頭脳を抱えた超高層ビル『バベル』からケイルが住まう『ヴァルハラ』を結んだ先にある集合ビルの中に拠点を据えるPRT支部、そこの所長であるカルラ・デュイットにとって、朝のひとときは細やかな楽しみの時間だった。

 朝の射撃訓練を終え部下大まかなを飛ばし、その後にやってくる細々としたデスクワークの群れ、それら対面するまでの間に生まれた時間の間隙。

 その僅かな時間、彼は訓練時に纏っていた装甲服が並ぶ整備室の中、簡易的に置かれていたベンチに腰掛け一杯のコーヒーを啜る。

 場所が場所なだけに、この空間は広さこそあっても人の影は殆ど無く、動く物と言えば頭上を走るレールから吊り下げられた装甲服と、それらに群がる6本腕の産業用ドロイド、そしてそれらとは別にせわしなく歩き回り、肉眼で装備に異常が無いかを確かめる数名の整備員だけだ。

 ガンメタを基調に整えられた無機質な部屋の中、脆弱な人間を守る為に生み出された甲殻類を思わせる装甲服は太い金具で吊り下げられており、それは見ようによっては解体途中の家畜の様にも見える。

 強化樹脂とセラミック、そして金属の複合板によって形成された真っ白な人の鋳型は開口部を大きく空け、ユーザーを守る使命を待ちながらゆっくりとレールの下を走り、その脇、強化アクリル越しに作業を伺うカルラの目前を通り抜けていく。

 「カルラ様は何故この場所が好きなのでしょうか?」

 目の前の装甲服から視線を動かし、持っていたカップへと視線を戻した刹那、不意にそんな声が降り注ぐ。

 若い女の声を模した合成音声、それは疑う余地も無くスカラの物だった。

 「説明が必要かな?」

 スカラは質問に質問を返すと静かにカップを口に付け、その中に入っていたコーヒーを一口だけ啜ってから顔をしかめる。

 あまり自分に対して話しかける事の無いスカラだったが、流石に毎日毎日、この面白みも景観にも欠けたこの空間で飽きもせずコーヒーを啜るカルラに対し、彼女が疑問を感じたのは当然と言えば当然ではある。

 「肯定です、私は説明を求めます。

 このビルには8箇所の休憩スペースが用意されており、カルラ様のオフィスから徒歩7分の所にその一つが用意されています、其れなのにも関わらずあなたは今現在に至るまで、通算2112回この場所で飲食を行っています。

 私にはその理由が分りません」

 彼女の言う通り、カルラが居座るオフィスからほど近い所に飲食や休憩をする為に用意された区画は用意されており、暇つぶしをするにしても、そこで済ますのが最も楽ではある。

 仮に景観が良い場所を選ぶにしたとしてもわざわざ整備室へと足を運び、毎日毎日変化の無い光景を眺めながら一服をするのはおかしな話であると彼女は判断したのだろう。

 だが、理屈だけ、理論だけでは説明出来ないのが人間の行動である。

 「理由が判らないのなら其れがあなたの限界ですよ」

 嘯いてみせたカルラの一言に、スカラは音声を詰まらせる。

 彼女が人間なら頭に疑問符を浮かべ間の抜けた声を漏らすのだろうが、こうして時間を空けて演算を始める辺りも含め、やはり彼女は機械である。

 「概ね肯定します。

 私は今現在もアップデートを重ねているプログラムに過ぎず、選りすぐれた存在になるためにも多くの情報が必要です。

 故に再度提案します、私に意図をお聞かせください」

 自分の能力不足を恥じるでもなく淡々と答えてみせたスカラに対し、カルラはコーヒーを更に飲んでから告げる。

 「私達PRTは人々の安全と秩序を守る為に存在していますよね?」

 「肯定です」

 「とは言え、実際に問題を発見し、私達へ指示を飛ばすのはあなたですよね?」

 「肯定です」

 「妙だとは思いません? あなたはこの世界全ての動きを把握し、悪を見つける事が出来る、それなのに実際に制裁を下すのは人間という恐ろしく劣った存在です。

 擬体を使えばより素早く、より正確にトラブルを収集できるのにも関わらず、わざわざ脆弱な人間を現場へと送り込む」

 目の前で新しい装甲服が揺れ、そのままレールにそって流れていく。

 「その為に私は装甲服の着用を提案しています」

 「たしかにその通りです、あの装甲服があれば人は機械とも正面からやり合える力も、そして頑強さも得られる。

 しかしそもそも、人間を使わなきゃあんなコストのかかる道具使う必要もありませんよね?」

 脆弱な人間を守るべく開発された装甲服は、その名前の通り使用者を守る事が最重要課題として開発された物だが、実際の所は唯の装甲服だけでは無くパワードスーツとしての機能も持ってる。

 災害救助用に組み込まれた大量のアクチュエーターを使えば、相手がどんな存在だろうと力負けする事は無い。

 だがそれだけ力の要る作業があったとして、人間はドロイドに対して命令を投げれば済むだけの話であり、わざわざ人間に対してそれだけの力を与える必要など無いのだ。

 「では何故装甲服が存在するのか? 危険な場所には人間を送り込む必要は無い、武器の使用だって、わざわざ人間に持たせなくともあなたの方がよっぽど上手く扱うことが出来る」

 「肯定です、私には感情はありません。

 その為『情に流され判断を誤る』などといった事態は起こりえません」

 「そう、あなたは感情を持たないからこそ、正確な判断を下すことが可能だ。

 理屈だけで考え、素早く選択肢を選ぶ。

 その先で最終判断を下すのは何時だって人間さ、『天気が良いので公園に行くのは如何でしょう?』『よし公園に行こう』、『この道は右に曲がった方が近道ですよ?』『よし、右に曲がろう』、『犯人は危険です、なので銃を使うべきですよ?』『よし、それじゃ銃を使おう』ってな具合に。

 あなたが行うのはあくまでも『提案』であって『決定』では無い」

 声色を変えながら例題を述べてみせたカルラは、ほんの少しだけ吊り目気味なブルーの瞳を細めると、カップを置くとベンチから立ち上がった。

 「肯定です、私には決定権は与えられていません。

 その為、最終判断は全て人が下しています」

 スカラの答えは望んだ結果だったのだろう。

 カルラは両腕を開いてみせると、流されていく装甲服をバックに口を開く。

 「何時だって最終判断を下すのは人間です。

 人間はあなたと違い感情がある、そして直感と言う概念がある、だから機械よりも優れた判断力を持っているのですよ」

 「肯定です、ですがカルラ様が行っている行為と、先程の説明の関連性が私には理解出来ません」

 やはりスカラは素直に頷いてみせ、そして同じ疑問符を掘り返す。

 カルラとしてはとっくに説明が終わったと思っていた話題、それを再度突きつけられ目を丸くすると、思い出した様に嘯いてみせた。

 「それが理解出来る時、それはあなたが『選択権』だけで無く『決定権』を手に入れた瞬間でしょうね」

 「それは一体どの様な意味でしょうか?」

 「自分で考えては? ダイアログ終了です」

 会話が面倒くさくなり始めたのか、カルラは会話をブツ切りにして溜息を一つ吐く。

 「人の感情を理解出来ない存在が、武器を扱える訳ありません」

 装甲服に設けられた銃のホルダーを見つめ、カルラは小言を一つ吐くと再度ベンチに腰掛けカップに手を伸ばす。

 再び静けさと遠くから響く作業音を取り戻した室内で、カルラはそれらの音と無機質な部屋の中作業員がせわしなく歩き回る姿を肴に、カップの中身を口へと含む。

 その時、不意に目前に表示された真っ赤な文字を見て口の中身を吹き出す。

 「っ!?」

 虚空に表示されたそのホログラムは、騒がしいアラームとに合わせて明滅しながら『Emergency(緊急)』の文字を表示させていた。

 「こんな時間に早速呼び出しですか?」

 元々PRTの出動要請は急ではあるのだが、流石につい先程話したばかりの相手から呼び出しとなっては嫌気も感じる。

 とはいえ、文句ばかりも言ってはいられないと、虚空で手を振り即時出動可能な部下のリストを表示させながらスカラへと話しかけた。

 「状況の報告を」

 「了解しました。

 場所はヴァルハラE15区画に――再度確認が取れました。

 先程のアラートは誤報です、繰り返します、先程のアラートは誤報です」

 途中まで読み上げた情報を白紙に戻したスカラは念を押すかの如く繰り返し告げ、僅かな間を空けてから謝罪の一文を提示して音声を自ら切った。

 彼女らしいと言えば彼女らしい機械的な対処ではあったが、カルラは一つだけ大きな疑問符を抱えていた。

 「あのスカラが誤報?……こんな事今まで一度も……」

 その疑問符に答えられる人物が居るとすれば、それは先程スカラが読み上げようとした区画に居る人間だけであり、生憎な事にカルラにはその人物の見当すら付かないでいた。






 「繰り返し提案します、あなたは即時投降をするべきです、これは最終通告です。

 あなたは今すぐに投降をするべきです」

 提案という羊の皮を被った脅し文句。

 幾ら言葉を飾っていようと、向けられたその銃口は絶対的な力関係を誇示する。

 ガラクタの山に背中を預け、片膝を突いたまま動きを止めたエレナが羊なら、今この部屋に現れたスカラは狼だ。

 確かに羊は角を持ってはいる、だが其の武器が凶器として機能するのは相手が同等の存在である時だけだ。

 幾ら武器を持っていようと所詮は羊、根本から基本能力が違う狼相手に、その武器は全く役に立たない。

 ましてや、唯でさえ強い狼が、武器を持っていたとなれば尚の事だ。

 「やった! スカラが助けに来てくれた」

 どうやってこの部屋の事情を知ったのか、そしてなぜわざわざポータルを使ったのかは謎ではあるが、少なくともこの部屋に現れたスカラの存在は二人にとって福音そのものだ。

 自分の身の安全が保証されたと言っても過言じゃなくなったからか、興奮気味にリグラスがそんな声を漏らした。

 「私はあなたには屈しない」

 そんなリグラスの声とは対称的に、エレナは苦虫を噛み潰した様な表情で告げ、立ち上がる。

 こんな状況下において彼女の勝算はゼロと言っても過言では無い、ならば今は素直に投降する以外有り得ない筈なのだが、それでお彼女はスカラの提案を否定して見せた。

 それ程までに彼女を突き動かす物は何なのか?

 エレナが自ら放つその疑問符に反応する様、ドロイドは銃口をエレナに向けたまま通告をする。

 「次にあなたが私の提案を拒んだ場合、その一言は武器使用の最終認証として機能します。

 エレナ様、良くお考えください。

 それはつまり、次に私の提案を拒んだその瞬間にあなたはこの銃で撃たれると言う意味です」

 一歩、ゆっくりと歩みを進めスカラは銃をエレナに近づける。

 この部屋に緊張が走るのと同じか、あるいはそれ以上の速度で疑問符が増殖を始め、ケイルは目眩すら覚えた。

 何故エレナは有機爆薬を作ろうとした? 何故彼女はケイルのIDを使える? 何故スカラはこの部屋の状況を知る事が出来た? 何故PRTはやってこない? エレナを突き動かす思いは何か? 何故? どうやって?

 そんな疑問符が拘束で交錯する思考の中、ケイルの脳裏で一つ大きな疑問符が弾けた、それは――

 「取り込み中の所悪いんだが、一つ質問良いか?」

 「続けてください」

 いつも通りの口調でスカラは答える。

 「お前は本当にスカラなのか?」

 「肯定です」

 質問する方が馬鹿げている問いにスカラは素早く答え、その定型文を頼りにケイルは更に質問を重ねた。

 「だったら、どうして銃を持ってるんだ?」

 ケイルが見据える先、そこはドロイドの体では無くドロイドが右腕で構えている拳銃だった。

 「武器の所持、そして使用が認められているのはこの世界で唯一PRTだけの筈だよな?」

 人の為に存在し、人を守る為だけに活動する存在であるスカラ。

 彼女はこの世界において最も多くの権限を持つ存在になっているのは事実だが、それでも絶対に認められていない権限があった。

 それが『武器の使用』だ。

 人間を傷つけて良いのは同じ人間だけ、そしてスカラも所詮は人間の扱う道具に過ぎず、そんな道具が如何なる場合においても、人間を傷つけて良い訳では無い。

 故にスカラには武器使用の権限が初めから備わっておらず、代わりにPRTがスカラの指示の下悪人に制裁を下す。

 多くの人間が機械に飼われる事を望んでも、機械に支配されたい訳では無い、そんな断固たる意思がスカラから武器を取り上げていた筈だ。

 その筈なのだが……

 「現状において、ケイル様には理由を知る権利があり――」

 淡々と紡がれた一言に、ケイルは不信感を露わにして喚く。

 「答えろ! 何でお前が武器を持ってる!」

 「そのダイアログは却下します」

 一方的に切り捨てるとスカラは拳銃の最終安全装置を解除、銃身に赤いラインが走ると同時に、発砲可能を現すアラートが響く。

 「ケイルさん、私と取引しない?」

 次の瞬間にでも弾丸が放たれる、そんな危機的状況下でエレナは震えながらも何処か確信を得た様な声で問いかける。

 「あのスカラが隠してる事私は全部知っているの、どう? 良い取引だと思わない?」

 「何……言ってるんだ?」

 「そのまんまの意味、あのドロイドからたった一度私を守ってくれれば、スカラが隠している秘密全部教えてあげる」

 海の水を思わせるエレナの瞳、それは焦りの色を滲ませてはいたが一切の曇りは無かった。

 彼女は脂汗を流したままそう告げ、ケイルは唾を飲み込む。

 「おいケイル!」

 流石に危険だと判断したのだろう、悲鳴じみた声でリグラスが怒鳴る中ケイルは深く深呼吸をしてからエレナとドロイド、両方の顔を見比べた。

 「別に私は人を傷つけろと言ってるわけじゃ無いの、あの『機械』から私を守って、そう言ってるだけ。

 勿論あのドロイドはあなたを傷つける真似は絶対にしないから大丈夫、あなたは何一つ損をしない取引でしょ?」

 「ケイル様、その女の声に耳を傾けてはいけません」

 両方の言い分を聞き、じっくりと反芻する。

 今まで嘘を吐き、二人を散々騙してきたエレナと。

 何故か真実を語ろうとしないスカラ。

 二つの影の中間地点で立っていたケイルは、その射線上に体を滑り込ませると、警戒色に染まったままのドロイドへ向き直る。

 「ケイル様、そこは危険です。

 直ちに射線から離れてください」

 短いアラートと共に警告をするドロイドの声を無視し、ケイルは口を開いた。

 「あー、馬鹿だ俺、何やってんだろ」

 右手で顔を隠す様に押さえ、項垂れてみせたケイルの様子にエレナが零した安堵の吐息が返事をし、続いてスカラが放つ警戒音が響き渡る。

 「なぁ、フライングで一つだけ教えてくれ、そしたらこのドロイドを俺はポータルの向こうまで追いやってやる」

 両腕を大きく開き自分の体でエレナを隠すと、ケイルは一歩足を踏み込む。

 「お前さ、なんで武器を持ってるくせに、このドロイドに銃では無くあんなパイプで喧嘩売ったんだ?」

 床に転がる樹脂の欠片と、抜かれないままエレナの懐に収まる拳銃、それらを見やり少しだけ強い声色で告げる。

 「最初は『撃たない』だけかと思ってたけど、実際は『撃てない』が正解なんだろ?」

 その言葉は図星だったのだろう、無言で頷く気配を感じ取ると、ケイルは口端を吊り上げ狡猾な笑みを作り、更に一歩踏み出すとドロイドが持つ銃につかみかかる。

 「ケイル様、それは危険です」

 「つまりこれは本物の拳銃って事だろ? 危ない? そうだよな、本物は危ない。

 そんな銃の側に俺が居ては、真面にエレナを狙うことだって出来ないだろ? 違うか?」

 さっと銃を引こうとしたドロイドの手にもつかみかかると、体重の殆どをドロイドへと移し、ケイルは矢継ぎ早に言葉を繋いでいく。

 「さあ撃てよ! 撃てないんだろ? エレナは撃てたとしても俺を撃つことは出来ない、つまりあんたは俺を守ろうとしてるって事だ!」

 獣の様に吠え、ケイルは銃口へと顔を……正確には自身の眼球を近づける。

 「さぁ守ってみろよ! このままだと俺はあんたの擬体で傷ついちまう。

 どうしたスカラ! 大切な俺が傷ついても良いのか?」

 のしかかる様な姿勢になったケイルは更に足を踏み込むと、目の前にあるオレンジ色の筐体へと体重をかけた。

 たかだか一人分だとは言え、足の裏を床に貼り付けている訳では無いドロイドは一瞬よろめき、一歩後退して重心を取り直した。

 たった一歩の動き、それは確かにごく僅かだ。

 だが、ケイルはその一歩でドロイドを遙か彼方へと動かすことが出来ると知っていた。

 「ケイル様、起動中のポータルへ近づくのは危険です」

 ケイルの読み通り、このスカラにはエレナを傷つける権限は与えられているみたいだが、少なくともケイルを傷つける権限は無いのだろう。

 連続して響く警告音を聞きながら、ケイルはドロイドの背後へと視線を飛ばす。

 「これ以上は行かせないか、そうだよな、生身の俺がこのポータルを潜ったら怪我するかもしれないよな」

 ドロイドの半身、人間で言えば左足と背中に該当する部分は、今現在ポータルから展開された平面の中に埋まっていた。

 「半分だ、あんたは今半分あちら側に居る」

 ポータルはその名前の通り、空間を繋ぐ門だ。

 遠く離れた別の空間、そこへと通じる門に体の半分を埋めたドロイドは、正確には体の半分を遠く離れた別の空間に繋げているという意味でもある。

 「ここで一つ質問だ、扉を潜ってる最中、その扉を閉めたらどうなる?」

 「何やってるのケイル!」

 流石に居ても立ってもいられなくなったのか、リグラスが駆け寄って来るが、ケイルはお構いなしに話を進めていく。

 「普通の扉なら挟まれ、扉は上手く閉まらない。

 それが普通の答えだ、だがそれがこのポータルだったらどうなるだろうな?」

 混乱が混乱を呼び、スカラとケイル、どちらの味方に付けば良いのか判らず困惑するリグラスは、ケイルが次に何をする気か理解して唾を飲み込む。

 「ケイル様、それは危険な考えです」

 同じ考えに至ったのだろう、焦りこそ感じないが、どこか緊迫した口調で紡がれる合成音声にケイルは吠えた。

 「じゃあ質問に答えろ! 洗いざらいな!」

 「許諾出来ません」

 予想通りの回答をするスカラと、それに対して乾いた溜息を吐いたケイル。

 そして、その様子を静かに見守るエレナと、混乱したまま立ち往生をするリグラス。

 僅かな沈黙が垣間見えた刹那、ケイルは告げた。

 「リグラス、ポータルの電源を切れ」

 「何言ってるの!」

 「良いから切れ! どういう絡繰りか知らねえがこのポータルは完全に俺の制御を受け付けない、だったら電源ケーブル引っこ抜くしかねえだろ!」

 「そう言う事じゃ無くて――」

 「早くしろ!!」

 状況を打破する為か、ドロイドが力を込めて動き始めたのを感じ取ったケイルは、必死で怒鳴る。

 先程はあくまでもドロイドが力を抜いていたから良かったが、一度本気になった機械相手に生身で叶う訳が無い。

 ゆっくりとだが確実にポータルからこちら側へと進入を試みるドロイドは、ケイルの腕を掴むと引きはがしにかかる。

 人間の腕と比べると文字通り骨だけにしか見えない細い腕だが、その力は人のそれとは比べものにならないその腕に、ケイルは右腕を掴まれた。

 もう限界だ、そう思った刹那、背後から伸びた足がドロイドの顔面に直撃する。

 後ろから助走を付けて跳び蹴りを繰り出したのだろう、90度角度を変えて片足立ちをするエレナの口端は、心なしか吊り上がっていた。

 人間の力とは言え、全体重をかけての一撃なら多少の時間は稼げるだろう、そんな考えと彼女の身体能力によって繰り出された策だったが、それは駄算だった。

 「きゃっ!!」

 スカラの狙いはあくまでもエレナであり、幾ら攻撃をしていようが、自分の狙う相手が自ら飛び込んでくる。

 そんな状況を逃すほどスカラは甘くは無い。

 顔面に打ち込まれた靴底が体から離れるごく僅かな間隙、その瞬間にドロイドはケイルの腕から手を離すと、素早く腕を動かし代わりにエレナの足首を掴んだ。

 下半身を固定された為に自由がきかなくなったエレナは、床へと上半身を打ち付け短い悲鳴を上げるが、そんな事お構いなしにドロイドはポータルの中へと自ら歩み始めた。

 「止めろ!」

 「許諾出来ません」

 スカラはポータルの向こう側へとエレナを運び出すつもりなのだろう。

 迷いの無い動きでポータルの向こうへと足を進めるドロイドに命令を投げるが、帰って来る答えはやはり同じだ。

 「ぐ……離せ! 離せ!!」

 足首を掴む義手を激しく殴りつけるがどれだけやっても効果などある訳が無い。

 だが、それでも必死に殴り続けるエレナの右拳は傷つき、血が滲み始める。

 「リグラス!!」

 「でも……」

 「良いからやれ!! こいつはスカラじゃない!!」

 未だに答えが出せず混乱するリグラスに活を入れながら、ケイルはエレナのジャケットを掴むと全力で引っ張る。

 「幾ら緊急時だとしても、スカラが人間に危害を加える訳無いだろ! 少しは自分で考えろ!!」

 その一言で決心がついたのか、リグラスは目の色を変えるとポータルから伸びるケーブルの接続部へと視線を動かし、そこへと駆ける。

 「どうなっても知らないよ!!」

 「感情持たねえ機械が二つぶっ壊れるだけだ!!」

 リグラスはポータルの側に置かれていた工具を手に取ると、其れをポータルのコネクタ部分へとたたき込む。

 完成品ならそうはならない筈だが、流石に作りかけとなると強度に大きな問題が生じる。

 コネクタ部分は根元から折れ、放電による火花を散らした後そのままちぎれ飛んだ。

 電力を失ったポータルは中心部、空間のつなぎ目を明滅させた後、甲高い音を響かせて沈黙、同時に円の中心に広がっていた平面は消失、その先にあるのは見慣れた作業場となった。

 突如空間の繋がりを切られた為に、体を半分ポータルへと埋めていたドロイドの体の半分はそのまま別の空間へと切り離され、鏡の様な断面を作った残りのパーツだけが作業場の床へと散乱する。

 「やったか……?」

 「高価な機械を二つも壊した、ああもう最悪だ……」

 床を転がるドロイドの腕を拾い上げ、真っ青になった顔で震えるリグラスは、親に悪さを見抜かれた子供の様で、逆にケイルはそんな彼に対し、何処か興奮しきった様子で問いかける。

 そんなちぐはぐの会話に対し、エレナが短く折りたたまれた言葉で答えた。

 「壊してない方がもっと最悪」

 切断されたドロイドの右腕を足首から外し、立ち上がったエレナはついさっきまでドロイドを形成していたそれらを漁ると、中からめぼしいパーツを拾い上げる。

 「お前の目的は何なんだ! どうしてポータルは動いた? それに何故スカラは――」

 「最初の質問の答えは『世界を救う為』それ以外の質問をする前に私の話を聞いて」

 一呼吸おいて一斉に湧き出したケイルの言葉に対し、食い気味な口調で答えたエレナだが、流石にそれだけの言葉で押さえ込めるはずも無く、ケイルは追加で湧いた疑問符を一緒くたにぶつけた。

 「世界を救うだ? あの爆弾で? そもそもあの爆弾はどうやって設計した? 使えない拳銃は何だ? そもそもあのドロイドはどうして武器を持ってた! スカラは武器を扱えない筈だ、そもそもあんたは一体何者――」

 「判ってるから先ずは私の話を聞いてって言ってるでしょ!! 人の都合なんて考えずに一方的に質問や命令ばかりして! あなたって昔からそうだったのね!!」

 彼女としてもその罵声は口を突いて飛び出した物だったのだろう、エレナはふと我に返り自分でも驚いた様に目を瞬かせると、自分と同じ表情をするケイルとリグラス、その二人に向き直ってから口を開く。

 「兎に角今は時間が無いの、だから私は手短に話をしたいのに、そう騒いでたら全然話が進まないでしょ……」

 気まずい沈黙を即席の言葉で誤魔化した後、彼女は説明を始めた。

 「私の名前はエレナ、そして私の母の名前はニーナ。

 旧姓は『コンモート』、そう、あなたの知る人物、ニーナ・コンモートの子供、それが私なの」

 「……はぁ!?」

 突拍子が無いにしても程がある彼女の言葉に、ケイルは、そして同じくリグラスも場違いな程間が抜けた声で答えた。

 それもその筈だ、ニーナとケイルが最後に顔を合わしたのは4年前、其れまでの間、ニーナに子供が居る話など聞いたことが無く、仮にそうだとしても、年の差3歳の親子などどう考えても有り得ない話だ。

 では、エレナが言った言葉の意味は何なのか、そんな疑問を投げようとした矢先、エレナは次の謎を吹きかける。

 「そして、有機爆薬を設計し、私をここに送り込んだのは『ケイル・リットラード』って言うエンジニア。

 つまりそういう事」

 「……は?」

 彼女なりに勝手に納得されてはいるが、その言葉の意味が全く理解出来ずに目を白黒させるケイルの代わりに、リグラスが口を開いた。

 「つまり、ケイルと同姓同名の名前の奴が君のボスって事? それともケイルは実は二重人格で、知らぬ間にテロリストの手引きをしていたって事?」

 限りなく低いが、可能性が0では無い予想を二つあげたリグラスの質問にエレナはあまりにも予想外な回答で答えた。

 「どっちも外れ。

 正解は、『私は未来からやって来た』」

 「……」

 突飛なんて物では無いエレナの回答に、二人は互いに視線を交した後、言葉も無くエレナの表情を伺う。

 悪戯好きなエレナの事だ、彼女なら次の瞬間壮大に吹き出し『其れは嘘』と追加の文句を吐くと思っていたのだが、生憎な事にこの時のエレナは、一切表情を変えず、一切の曇りの無い表情で再度同じ語句を述べた。

 「だから、私は未来からやって来たの」






 人が必要としたから作られ、人の為だけに動き、好き勝手に人に操られる。

 それらの点を鑑みても、スカラと呼ばれるその存在は結局の所機械であり、家電や工具と大差が無い。

 機械は人間の能力を補うため、あるいは人間の行動を代行する為に存在する為の存在であり、どれだけ高性能であろうとそれらは全て道具の域を抜け出す事が出来ない。

 では、何がスカラを特別な存在にしたのか?

 その答えは、彼女が何の為に存在しているのかにある。

 「『思考の代行』、大袈裟な言い方だけど、其れが一番判りやすい彼女の存在意義なのかな」

 床に散乱した擬体をつま先で転がし、その中から頭部を形成していたパーツを拾い上げたエレナは告げる。

 スカラが特別である理由。

 それはエレナの説明通り、スカラは人間の頭脳を補うためのコンピュータであり、同時に人間がするべき『思考』を代行する道具だ。

 余計な事を考えずとも予測される中で最も優れた正解を探し出し、無意味な迷いを断ち切り、事ある毎に立ち止まっていた人々の目の前から細々とした障害を取り除く。

 その結果、人はいち早く本来の力を発揮すべき場所へと足を踏み入れる事が出来、その時に生じた時間的余裕が文明の更なる飛躍を生み出す。

 それは、歩くよりも車で目的地へと向かった方が、より目的地での活動時間を稼げるのと同じ理屈だ。

 『無意味な時間のロスが減るのなら、それに越したことは無い』それは誰もが等しく思うだろう。

 「便利な物に慣れちゃうと、人って横着な生き物だから元に戻ろうとしなくなるんだよね」

 人間で言えば顎の下から耳の後ろにかけて切断された人工の頭蓋骨を手に、エレナは達観した様子で独り言の様に紡ぐ。

 「それでも、ちょっと楽になる程度なら、人が道具に頼るのは良い事だとは思う……でもね、その内人は余計に欲を出しちゃうの。

 『もっと便利に』ってね、そうなったらどうなると思う?」

 考えるまでも無い、その答えは至極簡単だ。

 「今より優れた物を生み出す、そうして世界は成長したじゃないか」

 本人としても無意識の内に口を突いて飛び出した考えだったのだろう、全く同意見を持っていたケイルもまた、慌てて口を閉じるリグラスに目配せをして軽く頷く。

 「その通り、世界はどんどん成長してるよね。

 作っては壊して、壊したらまた作って。 飽きもせずに少しずつ、より効率的な道具を生み出しては依存して、それだけでは満足出来なくなってもっと効率を追い求めて」

 人は欲の強い生き物だ。

 一度楽を覚えると、其れをただ享受するだけでは無く、更に楽な選択肢を追い求める。

 例えば歩くだけしか無かった人間が、馬に乗る事を覚え、馬車を覚え、そして自動車を作り飛行機を作り、そして……ポータルを作った。

 「単に乗り物とかさ……そういうものだけならどれだけ効率を求めても良いと思う、でもね、いつの間にか人は人として駄目なことにも欲を覚えたの。

 それがスカラの改良、より人が何も考えなくて良い世界を作ろうとしちゃったの」

 思考の代行を行うスカラシステム。

 もしそんな彼女の性能が跳ね上がったら、世界はどうなるだろうか?

 本来自分で考えるべき選択すら全て彼女が代行し、人は何も考えず、ただスカラの出す指示だけに従い、家畜の様に飼い慣らされる世界。

 それは確かに幸せかもしれない。

 無駄を嫌う機械がやることだ、確かに争いやいざこざは起きないかもしれない。

 何より、誰一人として傷つく事も、悲しむ事も有り得ないかもしれない、だが……果たしてそれは幸せと呼べるのだろうか?

 家畜ならまだしも、植木鉢から芽を出す植物の様に、思考の全てを捨て、唯水を与えられる事だけに人生を捧げるそんな存在になった場合、そこに幸福は存在するのだろうか?

 「この時代のスカラシステムの持つ最大の弱点、それは人間の様に曖昧な考えや、憶測や推論を出来ない事。

 だからスカラには提案をする権限しか与えられていなくて、最終判断をする事は出来なかったの。

 でも考えてみて? 人間が唯一スカラに勝っていたその能力を、スカラに奪われてしまったらどうなると思う?」

 スカラによる遠隔操作のみに特化した構造故、元々中身の殆どが詰まっていなかった人工の頭蓋骨、その中から形ばかりの小さなCPUを取り出し、エレナは問いかける。

 スカラの命令の下、何も考えず彼女の手足として動き、そのまま何の疑問も葛藤も抱かぬまま生涯を終える。

 世界がスカラに依存しきってしまった場合、人間もまたこのドロイド同じになるだろう。

 「操り人形の出来上がりか……」

 「その通り、だって何も考えないで生きる方が楽だもんね、私だってそう思うよ。

 でも、私が生まれた時代では、もうそんな事誰も気にも留めなくなっていたの」

 高度すぎる技術は個々の能力を著しく削る。

 車での移動に慣れきった人は、僅かな距離の移動にすら苦痛を感じ。

 清潔な衣服を着ての生活が当たり前になると、人は少し服が汗ばんだだけでストレスを覚える。

 それらと同じく、自分で考え無くとも直ぐに答えを用意してくれる存在が直ぐ側に居るが為に、人は些細な疑問はおろか、目の前に公然と佇む疑問すら自力で解こうとしなくなる。

 「それは流石に無理がある作り話だろ。

 スカラシステムの持つ存在意義、それは『人間に尽くす』だ。

 良く躾のされた飼い犬みてえに、スカラは人の事だけを考えて動くんだ、そんな物がわざわざ大勢の人間を自分の道具にするか?」

 突拍子が無いなんて物じゃ無い、憶測に推論を重ね、更に溢れんばかりの戯言でデコレーションされたエレナの言葉に対し、ケイルは噛みついていた。

 そんなケイルの言葉に対し、最初は眼を丸くして驚いてみせた彼女は、血の滲む右腕を真っ白なジャケットで覆い、口を開いた。

 「スカラのやってる事はあくまでも人の為、だからこそ厄介なの。

 さっきあなたも言った通り、スカラは『人間に尽くす』為に存在している、つまりさ、彼女にとっては、人に何かをしてあげられたら其れで満足なの、その結果として人がどう思っていたとしてもね。

 彼女は一切人間に対して苦痛を提供してはいない、あくまでも人にとって楽な道だけを提供している、だから彼女は一切悪意を持ってはいないの。

 勿論今の時代じゃ、それだけ人を納得させるだけの演算を行う事は出来なかった。

 誰もが喜ぶ未来を探す能力が無かったから、彼女はあくまでも自分の発言を提案に止め、最終的な判断を人間に丸投げしていた、あれが実用化されるまではね」

 エレナが捨てたドロイドのパーツが床で跳ね重たい音を響かせた後、エレナは言葉を繋いだ。

 「人間の直感を真似て作られたシミュレータ、その力を得た事で、彼女はもう最終判断を人に丸投げしなくても良くなったの。

 迷いすら消えて、正確により良い未来を導き出す事が出来る様になった彼女は、本当の意味で神様なのかも。

 そのシミュレータの名前、もう判るよね」

 エレナの謎かけ、それにいち早く気付いたのはリグラスだった。

 彼は突然飛んできた流れ弾に面食らうと、おそるおそる口を開き、これまでにも何度も紡いできた名称を口にする。

 「『フィロソフィアシステム』……の事?」

 「正解、遅かれ早かれとは言え、スカラにあれだけの力を与えたのはあなたなの」

 「いや……待ってくれ! そんな事――」

 「あなたの夢は、『スカラをより人間に近づける』そうだったよね?」

 リグラスの言い訳を腰から折り、刹那に紡がれたエレナの言葉にリグラスは眼を丸くする。

 「なんでその事知ってるんだよ……」

 「だって未来のあなたがそう話したからね」

 「ちょっと待ってよ! そもそも僕はその話を信じた覚えは無いよ。

 未来から来た? タイムトラベラー? こんな夢戯言あり得るわけ無いでしょ、ねぇ、僕は本当の事が知りたいの、いい加減作り話は止めてよ!」

 元々あまり感情を露わにしないリグラスだったが、流石にエレナの態度が気にくわなかったのだろう、露骨に嫌悪感を現し吠えるリグラスは、追撃の手助けを求めてケイルへ視線を投げ口を開く。

 「君だってそうだろ? この女に何か言ってくれ――! ……ケイル?」

 そんな彼は、顎に手を当てたまま何か考えに耽るケイルを見て思わず眼を丸くしていた。

 「まさか、未来からやって来たって話、信じてるんじゃ無いよね?」

 その問いに答えたのは、否定の意思を示さず考えに耽るケイルの横顔だった。

 「流石ケイル・リットラード、もう絡繰りに気付いたのかな?」

 「信じたつもりじゃ無い、だが共振体の開発をしていた時、もしかしたらと考えた事はあったんだ……」

 「何言ってるの?」

 何処か納得した様子で紡がれたケイルの独り言に対し、思わず大声をあげたリグラスを掌で制すと、ケイルは続ける。

 「共振体は物理的な距離の一切合切を無視して、それぞれが一定の周波数で全く同じタイミングで振動する。

 普通電波にしろ、光にしてもタイムラグが生じるのにもかかわらず、共振体だけはそんな誤差すら生まずにそれぞれを同時に扱えるのが特徴だ。

 だからこそ、端末間の稼働誤差が一切許されないポータルのパーツとしても使われている。

 それで思ったんだ、何かしらの物が動く際必ず重力の影響を受け、それがタイムラグを生み出す訳だが、共振体に作用するΣ波に関してはタイムラグが生じない、つまりΣ線は重力の影響を一切受けていないって事だ」

 ケイルの憶測はあながち外れでも無かったのか、エレナは何も言わず、少しだけ眉を吊り上げてから腕組みをする。

 「時間を移動するには、光と同等かそれ以上の速度を得る必要がある。

 その理屈はお前も判るだろ?」

 「そりゃ……でもそれとこれとがどう――」

 「勿論そんな事無理だ、質量を持つ物は絶対に重力の影響を受け、光の速度に達する事が出来無い。

 だが、それは言い方を変えれば重力の影響を受けなければ、光りの速度に追いつく事が出来るという意味だ、つまりだ。

 共振体は時間を超える力があるかもしれないって事だよ」

 大昔、自分でも夢戯言だと思いながら考えていた一つの仮説。

 其れを再度記憶の中から掘り返し、再度組みあげてはみたが、自分でも幼稚すぎる考えだと内心では思っていた。

 おそらく、こんな事突然自分が言われたのなら、腹を抱えて笑い転げるだろう、いや、自分で口にしていても恥ずかしくてしょうがなくなり、顔を真っ赤にするだろう。

 勿論これは、目の前に真顔で頷くエレナが居なければの話ではあるが。

 「その通り、さっきの見ても判ったかもだけど。

 共振体の持つ力を上手く制御できれば、タイムトラベルだって可能なの」

 笑うでも無く、決してケイルを馬鹿にするでもなくそんな言葉で肯定してみせたエレナは、言葉を繋いだ。

 「それは今のあり方すら変えるとんでもない力、過去に干渉出来るって事は現在を好き勝手に変える事が出来る訳だからね。

 でも、その発明があなたの運命を変えたの」

 「待て待て、何の事を言って――」

 「ポータルが完成した時、スカラシステムはポータルが生み出すであろう変化の全てをシミュレートしたの、そしてその結果、彼女はあなたがタイムマシンを生み出す未来を見つけた」

 やはり恥じるでもなくエレナは告げた。

 作り話だと前置きがあったとしても、真顔で言うにはあまりにも突飛な話をする彼女の言葉、それを聞くとなればこっちまで恥ずかしくなりそうなものだが、ケイル自身何か心当たりがあるのか、彼女の言葉をすんなりと飲み込む。

 「つまり、未来の俺が進化したスカラの下タイムマシンを使ってあんたをこの時代に送り込んだと?」

 「それは違う」

 突飛な意見に対し、エレナは意外にも首を振って否定した後、今度は続けて肯定を述べた。

 「いいえ、半分は外れ、半分は正解ってのが正しいね」

 「半分?」

 リグラスに続いて疑問符を浮かべたケイルに、エレナは短い深呼吸の後告げた。

 「私をここに送り込んだのは未来のあなた、それは間違い無い事。

 後で説明するけど、私があなたのIDを扱えるのはそれが関係しているね。

 そして半分の間違いってのは、タイムマシンの開発にスカラの支援があったって事。

 タイムマシンを生み出す未来を知ったスカラは、あなたを支援するのでは無く、あなたをミズガルズに送る選択を取ったの」

 上手く噛み合わない情報に眉根を寄せたケイルは、彼女の言葉が何を意味しているのかを考えるが、やはり繋がりが見えない、二つの事象の間にはなにかあるのだ。

 空白を埋めるパズルのピースの様な、二つの間隙を埋める理由が……

 「あなたも知ってる通り、ミズガルズには私の母、ニーナが居るでしょ?

 スカラはあなたを母と会わせる選択を取ったの」

 「……? 何故わざわざそんな事を?」

 やはり噛み合わない情報に、目を丸くするケイルとは別にリグラスが疑問を投げる。

 「そもそもニーナはケイルの能力を下げる可能性があった人でしょ? だからケイルが彼女の影響を受けない様にする為、ニーナをミズガルズに送った筈。

 それなのに何故わざわざ今度はケイルの方をニーナに近づけるの?

 そんなの、ケイルの能力を意図して下げる様な――!? まさか……」

 言いかけて合点がいったのか、言葉を詰まらせるリグラスに、エレナは頷く。

 「そのまさかが正解、スカラはケイルの能力を下げる、いいえ、ケイルの階級を落としてダイレクトサポートの権限を外す事にしたの。

 自分の支援がなければタイムマシンが作られることは無い、ってスカラは判断したみたいね」

 「それは何でだ?」

 「考えてみてよ、スカラの能力が届くのはあくまでも未来だけ。

 未来を知る事は出来ても、スカラには過去を変える力なんて無いの。

 それなのに、もし過去を変える技術が生まれてしまったら、世界はどうなると思う?

 自分の知らないところでどんどん過去が改変され、その結果スカラシステムそのものが機能しなくなった世界になる可能性があると判ったら、彼女はどうすると思う?」

 「スカラの存在理由はたった一つ『人を幸福にする』だ。

 だから彼女は自分事を大切な存在だと認識しているよね、だって自分の存在が人の幸せに繋がると彼女は思っているからね」

 彼なりの憶測か、それとも補足か。

 腕組みをして紡がれたリグラスの一言に、再度エレナは頷くと言葉を噛み砕く。

 「スカラシステムは自分の死を恐れた。

 でも、自分にはケイルに『タイムマシンを作ったら駄目』なんて言う権限は無い、そうなれば、強要するでもなくあなたが自らタイムマシンの開発を止める選択を取る様に仕向ける必要が生まれた。

 これで判るかな?」

 生唾を飲むケイルに納得したのか、彼女は話を進める。

 「結果、彼女の思惑通りあなたの階級はどんどん下がり、私の知る限りだとD-1まで落ちてめでたく天才ケイル・リットラードは少しだけ優れた凡人に成り下がりましたと。

 その結果、タイムマシン開発の可能性は永久に潰えました……と思ったんだけど、そんなに単純じゃ無いのもケイル・リットラードの凄いところ。

 ある日、あなたは自分が何故ミズガルズに送られたのかを考え、そしてさっきの可能性に気が付いて、大事な旧友であるリグラス・ノイマンを呼び出しましたと」

 『ビシリ』と擬音が振られそうな程大袈裟な仕草でリグラスを指さしたエレナは、更に言葉を繋ぐ。

 「その後、あなた達二人と私の母は互いに協力して、ある組織を作った、その組織の名前が『インタレクト』」

 エレナは背中を見せ、そこに書いてあった文字を再度見せつけてから踊る様に振り返る。

 「思考する事すら時代遅れだなんて笑われる時代、自らそんな考えに至った存在が居るなんてスカラも思わなかったんだろうね。

 器用にスカラの監視を縫い、ポータルを基盤にタイムマシンと、あなた達もご存じの有機爆薬を作り、ある計画を立てた。

 それが、スカラを壊し大勢の人間を利便性から解放する事」

 気軽に、ただ休日は少し離れた場所へ買い物へ行こう。

 そう告げるかの如く紡がれた突飛な一言、其れを聞いた二人は互いに目を合わせ、そしてあっけにとられた表情で口を開く。

 「あのな……他にも方法が……っつか、スカラを壊す? そんな事出来る訳無いだろ、スカラシステムがある場所はバベルの最上階、この世界で一番安全な場所にあるんだぞ?

 そんな所にどうやってたどり着く気だ? 爆弾作れた所で『スカラの本体を見たい』っつたところで『はいそうですか』とあの場所へ行ける訳じゃ無いんだ」

 「そんな事は知ってるよ、でもスカラシステムは自由に運べる大きさの設備じゃ無いからね、逃げる事は出来ないでしょ?」

 相手が逃げないからといえ、自分がその相手を倒せる訳では無い。

 水中から出ることの出来ない魚は、空の上からこちらを見下ろす星に触れる事すら出来ない。

 エレナが言っている事はまさにこれと同じ事なのだ。

 どこに居ると判っており、その姿が見えていようが手が届かない所に居る相手を引き擦り下ろす事など不可能で、仮に放り投げる為の石があったとしても、空高くを浮く星にその礫を届かせる術など無い。

 それと同じで、例え有機爆薬という優れた爆薬を持っていようと、スカラの本体がある区画が人の踏み入れられない区画にある以上、爆薬を仕掛ける事自体が不可能になのだ。

 「『そんな事絶対に不可能だ』って顔をしてるね」

 リグラスの感情を読み取ったのか、エレナはリグラスに向き直り少しだけ笑って見せる。

 「当たり前だろ、そんなの絶対に不可能に決まってるじゃないか」

 「でも、この作戦を決めたのは君なんだけどね」

 エレナの言葉を信じるのなら、スカラを破壊する術が既にあるという事であり、その作戦を組みあげたのは未来のリグラスであるとの事だ。

 そんな事やはり信じられる訳無い。

 だがもし仮にその作戦があるのなら其れはどんな物か、ケイルは好奇心に負け言葉の続きを急かしたのだが、彼女は一呼吸だけ間を空けると、嘯いてみせた。

 「私の言った事、全部信じてくれるのなら作戦を教えてあげる」

 彼女の言葉を信じるという事、それは彼女の計画に協力するという意味だ。

 可能性としてゼロでは無いだけであり、常識的に考えればとんだ妄想に過ぎない筈の彼女の口上を鵜呑みにし、自らもその罪に荷担するという事。

 それにはあまりにも情報が少なすぎる。

 何故か浮き足立っていた思考を押さえ込み、添う告げようとした矢先、リグラスはケイルよりも先に疑問符を投げた。

 「言ってる事を信じるには情報が少なすぎるよ。

 もっと他に、君が言ってることが妄想では無いと証明する情報は無いの?」

 いつも子供じみた印象を放っていたリグラスだが、この時ばかりは妙に落ち着いて見えた。

 「そうだね、それじゃどうして私がケイルのIDを使えるか聞きたい?」

 「……それが証明になるの?」

 すっと眼を細めて紡がれた疑問符に、エレナは静かに頷いて答えると口を開いた。

 「私達のIDは、個人が持つ遺伝子がパスコードとして機能しているけど、知っての通り人の遺伝子は皆違うし、他人の髪の毛とかを鍵にするにしても、パーツだけじゃスカラはそれを人間として認識しないからね、絶対にIDへアクセスをさせてはくれない、だから他人が個人のIDを盗み取る事は出来ないよね。

 だから私があなたのIDを使う事は絶対に出来ないけれど、未来のあなたなら其れが可能。

 だって時代は違っても持っている遺伝子情報は全く同じだからね」

 それはつまりどういう意味か?

 考えるよりも早く、エレナは口を開いた。

 「だから私は私の時代の、ケイル・リットラードを連れてきたの」

 そう告げたエレナは、今まで一度も外す事の無かった左手の手袋に手をかける。

 彼女の体型には合わない一回り以上大きな手袋、それは単に親のお下がりか何かを使っていただけかと思ったのだが、それは違った。

 そもそも、その手袋が彼女の手のサイズに合っていない、そう思っていた事自体が間違いだったのだ。

 手袋を外し、エレナが掲げた左掌、それは、彼女の右掌よりも一回り大きく、そして年老いていた。

 「ケイル、これはあなたの手なの」

 「……んな、馬鹿な」

 エレナの手首には生々しいケロイドが刻まれ、その先には溶接か何かでとってつけたかの様に年老いた男の手が続いている。

 一体どうやったのかは不明だが、少なくともその手を移植するなど生半可な考えでやる行為では無い。

 だが、彼女の言葉通り、その手がケイル自身の腕だった場合、スカラを騙し、ケイルの権限を行使する事も可能な筈だ。

 「未来のあなたの階級はD1、でも遺伝子情報は歳をとっても関係無く機能する。

 だからこの時代に持ち込めば、とっても便利な鍵として機能するでしょ?」

 ケイルはおそるおそる手を伸ばしてエレナの左腕を掴むと、じっと間近で観察をし、そして背筋に氷水を流される様な感覚を覚えた。

 年老いてはいるが、その手に刻まれた細かな皺に痣、体毛の生え方から爪の形、全部を含め、其れはケイルにとっては自分の顔よりも見慣れた手だった。

 疑い様のないその事実を目の当たりにしたケイルは、吐き気すら通り越した感覚に目眩を覚え、後ろ向きに倒れる様にして座り込む。

 「納得した?」

 エレナの問いに、ケイルは言葉も無く頷き、その様子を見たリグラスもまた、何も言わずに納得をする。

 そして……

 「それじゃ約束通り、私の計画に参加して貰うよ」

 エレナは床に落ちていたハリボテの拳銃を拾い上げると、決して弾丸が飛び出す事の無い銃口を二人に向けた後そう告げる。

 何の意味も無い脅し、だがその脅しを目の当たりにして、ケイルとリグラスは重々しく頷き返すのだった。


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