第2話

 「っていうか……何で僕まで巻き込まれてるのかなー」

 ぶつぶつと紡がれる文句を余所にケイルは持っていた資料の中身を読み取り、虚空に映し出されたキャンパスにざっくりとした概要図を書き込んでいく。

 場所はケイルの自宅、更にその奥深くにある彼専用の作業部屋だ。

 外界から隔絶されスカラの支援すら届かないその空間は、空き巣か何かが侵入したかの如く常に荒らされ、目も当てられない状態になっている。

 だがこの情報は、この部屋がケイル一人の為だけに用意され、彼が執拗に他者の侵入を拒んでいるとなれば、この惨状はごくごく自然な物へとなる。

 「っていうか相変わらず部屋汚いねぇー」

 「うるせえ、どうせ汚れるんだよ」

 「まぁそうだけどさー」

 しかし、部屋が凄惨である事をそう納得したとして、次に別の疑問が湧く、それこそが先程からぶつくさと文句垂れる人物、リグラスの存在だ。

 仕事終わり、いつもは短くとりとめの無い会話の後に分かれる相手だが、ここ暫く彼は決まって仕事帰りにケイルの家に寄り、こうして同じ作業場で仕事とは全く関係の無い作業に勤しんでいた。

 「そもそもさ、どうしてこんなもの作らないといけない訳?」

 そう告げたリグラスの手の中、そこには蜂の巣状の構造式と細々とした文字の羅列が書き込まれたノートがあった。

 急速に数を減らしつつあるその紙媒体に刻まれた図形は、二人が今現在作ろうとしている物質の構造式であり、それこそがリグラスがこの空間に招かれた理由である。

 「姫様が言うんだからしょうが無いだろ」

 そう皮肉たっぷりにケイルは告げ、今しがたガラクタの山を崩壊させた主へと視線を投げる。

 元々不要になった機材を積み上げては放置し、また新たな不要品を積んでは放置してを繰り返した結果、人の背丈よりも高い奇抜なアートへと化けていた其れは、つい先ほどまでは微妙なバランスで保たれていた。

 しかし先ほど発動した『うっかり』スキルに巻き込まれ、今は部屋の中を空爆跡地の様な姿へと変える為にそのポテンシャルを十二分に発揮している。

 崩壊の激しさを物語る様に壮大に撒き散らされた埃の煙幕が薄まり、やっと最低限の視野が確保され始めたその一角には、顔中埃まみれの女の姿があった。

 「あれ? それって私の事!?」

 金髪碧眼、美しくはあるが童顔なその顔は、何処か人形じみた雰囲気を持ってはいるのだが、その言動や行動は酷く人間味に溢れており、それが彼女の持つエネルギッシュな雰囲気をより一層強い物へとしていた。

 彼女の名前はエレナ、数日前突然姿を現し今の現状を作り出した張本人である。

 「『女王』の次は『姫』ねぇ、ケイルさんは罪な男ですねぇー」

 女王、それはつまりスカラシステムを指しているのだろう、リグラスはエレナの横顔をにやにやと見つめたまま、小さな声でジョークを飛ばす。

 「それはどういう意味だ? ん?」

 「おっと怖い怖い、僕は作業に戻りまーす」

 声を半トーン落として紡がれた脅し文句に対し、大袈裟な仕草で驚いてみせると、リグラスは持っていたノートへと視線を落とし、作業場の奥に用意された資材置き場へと足を進めた。

 「ねぇ! それって私の事?」

 頭の上にケーブルの束を乗せたまま、エレナは再度疑問符を投げた。

 「姫様って奴か?」

 「そうそう! 私の事をそう呼んだの?」

 キラキラと宝石の様に良く光る瞳でエレナは再度質問を投げ、ケイルはそれに対してさもめんどくさそうに肯定をする。

 「いやった!!――きゃあああ!」

 その反応がよっぽどうれしかったのだろう、あくまでも皮肉として使われた筈の呼び名にを耳に入れた途端彼女の顔はにぃっとほぐれ、元気よく両手を挙げて歓喜する。

 その時、彼女の服の裾に引っかかっていた線が引かれ、かろうじで崩落を免れていたガラクタの一部が雪崩を起こし、彼女を飲み込みながらけたたましい音を響かせる。

 高く積む以上、安全性を考慮してあまり重たい物はその一角には積まれていなかったとはいえ、これだけ量が多ければなかなか厄介だ。

 現に標高を犠牲に広い表面積を得たその山の中腹、そこからは墓から蘇るゾンビの如く、エレナの右手が真上に向かって伸び、早く助けてくれと言わんばかりの様子でぴくぴくと動いている。

 「ったく……何やってんだよ」

 「うう……」

 壮大に溜息をつきながらも、ケイルはその腕を掴むと力を込めて引っ張り上げる。

 根菜類の収穫の様にずるりとガラクタの中から姿を見せたエレナは、二三度咳き込んだ後、床に両腕を付いてアヒル座りをする。

 実のところこの女は、A-4という信じられない階級の人間であると判った訳だが、幾らその特権を行使する様を見せつけられた後とは言え、やはり二つ返事で納得出来ないのが事実である。

 この女に関してこれまでに判った事だが、どうにもこのエレナという人物は、人一倍感情の起伏が大きく、常人なら無視する程些細な事象に関しても、こうして大袈裟に喜んでみせ、次の瞬間にはそれ故に何か失敗をしてばかりと、それが彼女の階級を怪しいものにしている理由だった。

 そんな、ブレーキが付いていないスポーツカーの様な非常に危なっかしい彼女の行動を見ていると、ふと懐かしい顔を思い出していた。

 連絡を取ろうと思えばいつでも取れる、だからこそ殊更連絡を取ろうとも思えず、結果もう何年も音信不通の関係になってしまったその相手の事を頭から押しのけると、自分の考えを誤魔化す為ケイルは口を開く。

 「他と違ってこの部屋は危険が沢山あるって言ったろ? ったく……まぁいい、兎に角最終確認だが、あのノートに書かれている物全部作れたら、あんたの言ってるプロジェクトに参加させてもらえるんだよな?」

 リグラスが先ほど持っていったノート、そこにはいくつかの『課題』のレシピが書き込まれていた。

 先日、突如姿を現したエレナ。

 彼女は突然現れ、そしてノートに書かれた課題を解く様に命じ、その少し後に課題が解けた場合の見返りも提示した。

 それが、彼女が持つプロジェクトへの参加資格だった。

 「『F計画』の事?」

 すぅっと目を細め、ケイルが自身の用意した餌に食いついた事に満足してみせたエレナは、指を一本立てて頷く。

 その計画こそ、彼女がこの部屋に進入した理由の全てであり、この計画に参加出来るかのテストとして、今回の課題が用意されたのだ。

 「勿論、5つのスパイス全てを、スカラに検知されずに作れたら試験は合格だよ。

 計画の概要を全て教えてあげるし、上は喜んであなたたち二人を招く筈」

 5つのスパイス、其れは先のノートに書かれていた物質であり、用途不明なそれらの化合物をスカラに検知されずに精製させる事、それが彼女の提示した課題である。

 とはいえ、精製する物質が謎の物とは言え、作業工程をスカラに検知させないことは簡単な事ではある。

 ただ一言『見るな』そうスカラに命じれば、人間に対して絶対的服従を強制されたスカラは大人しく従う他無くなり、彼女の支援と共に支配を隠す事も可能になる。

 しかし、其れこそがこの課題における最大の難解点だった。

 「にしても、スカラの支援が受けられないのはしんどいな」

 何をするにも協力を仰いでいたスカラシステム、彼女の支援に頼り切っていたケイルにとって、スカラの支援が受けられない状況と言うのは予想以上に難易度が高い物ではあったが、同時に、それが非常に合理的な課題であると納得もしていた。

 「スカラの支援に頼ってばかりじゃ、スカラを超える事なんて出来ないでしょ?」

 胸の内を見透かしたかの様なエレナの言葉に、小さく頷くケイル。

 何時までも補助輪を付けていては、自転車に一人で乗る事なんて出来ない。

 其れと同じく、スカラの支援を受けたままではスカラを超える事、即ちF計画の根幹でもある、スカラシステムを超える全く新しいシステムの構築は不可能という考えなのだろう。

 「確かにな……」

 そんな大それた計画なのにかかわらず、試験のやり方が酷くお粗末な気がするのは事実ではあったが、A-4ランクの人物がそんなとんでもない嘘を吐く為に権限を行使してケイル宅に侵入したとも思えず、行使された権限が彼女の階級がA-4以上である事を証明していた。

 「兎に角、私自身も、あなたたち二人が試験をパスしてくれないと困っちゃうんだけどね」

 実の所、これはエレナ自身の『人選能力』を計る課題でもあり、ケイルとリグラスは、彼女にとってはただの試験対象ではなく、仲間でもあった。

 一見すれば突然ケイルの家に断りも無く侵入し、スカラの支援を切った事は異様な自体とも思えるが『スカラに気付かれずに、協力者を選び課題を達成する』そんな目的の為、彼女が活動をしていたとなれば、その行動原理にさしたる綻びは見えない。

 「つかよ……前々から気になってたんだが」

 頭に付いた埃を払い落としつつ、よろよろと立ち上がろうとするエレナに対し、ケイルは今まで聞きそびれていた疑問を言葉にした。

 「何?」

 「それについてなんだが」

 中腰の姿勢で疑問符を浮かべるエレナの胸元を、ケイルの指が指し示す。

 「!! 悪かったね! 小さ――!」

 「そっちじゃねえよ!!」

 全く見当外れな方向の勘違いをし、一人声を荒げる彼女に対して喚くと、ケイルは彼女の胸元で揺れるネックレスを再度指し示す。

 ワイシャツにネクタイ、そして妙に丈のある白いジャケットと、色気に欠ける彼女の服装において、その存在は唯一、女らしいファッションアイテムと言えた。

 親指の爪ほどの大きさの正八面体のそれは、部屋の照明を吸収して淡いターコイズブルーに輝いていた。

 リグラスはそれは何かの宝石か、もしくは安い樹脂の類いだと判断したみたいだが、ケイルは其れが本来宝飾品として使われる物では無い事に気がついていた。

 「それ、もしかして共振体か?」

 「流石ケイル・リットラード!」

 さもうれしかったのか、エレナは身を乗り出してケイルの言葉に食いつく。

 その反応からして、それがケイルが良く知る物質、共振体で作られた物であることは明かになったが、同時に別の疑問が顔を覗かせた。

 「また随分懐かしい物を……っつかよ、そんな物何処で手に入れたよ? 共振体の通信利用計画は、とうの昔に潰れたし、第一当時作られた試作品だって殆ど残ってない筈だけどな?

 「それは勿論あ……!」

 「『あ』?」

 「――じゃなくて、パパに貰ったの。

 私のパパ、元々はあなたと同じで共振体の開発に携わってて人だからね」

 何と言い間違えそうになったのかは不明だが、直ぐに言葉を修正すると、エレナはつらつらと共振体を手に入れたいきさつを述べていく。

 実際、当時共振体の開発自体は一大プロジェクトであり、その中でたまたまケイルが極端に若手だっただけで、計画自体には老若男女問わず大勢の人が関わっていた。

 そして、計画が頓挫した今現在でも、当時のサンプルがケイルの自宅に飾られている事から判る通り、他にもいくつかのサンプルを私物として持ち帰った人間も少なくなかった。

 となれば、計画に参加していた人物が試作品のネックレスを持ち帰り、その後にエレナへと譲渡する事はごく自然な事ではあるのだが、こういう時世界はつくづく狭いと思わざるを得ない。

 「ここで共振体の名前を聞くとは……世界は狭いもんだな」

 「良くも悪くもね」

 溜息混じりに吐いた皮肉にかけられた問答、それを聞いたケイルは、彼女とよく似た言葉回しをする旧友の顔を脳裏に浮かべた。

 「あの女とよく似た事を言うなお前は」

 「あの女?」

 自分でも無意識のうちに口から零れた語句に、エレナは好奇心を刺激されたのか首を傾げて詳細説明を催促するが、面倒な話になると思ったケイルは、さっと手を振り会話を途切れさせる。

 「甘くて酸っぱい初恋の話かなー?」

 だが、そんなやり取りを遠目に見ていたリグラスが、ケーブルの束を抱えたままひょっこりと顔を出し、茶々を入れる。

 「うるせえ! そんなんじゃねえよ。

 なんつうかな、昔学生やってた時に、良く連んでた女が、あんたとよく似た事を口にしてたってだけの話さ。

 ことある毎に『世界は狭い、其れは悪い事だけど、良い事でもある』ってな」

 リグラスに杭を打ち、エレナには回答を飛ばしたケイルは、突かれるとどんどんややこしくなりそうな会話を打ち切るべく、端的に事実だけを伝える。

 だが、こういう時素直に解放してくれないのが、リグラス・ノイマンと言う同僚の悪い癖である。

 「綺麗な髪の女だったんだよねー? あれれ? 目の前に居るエレナも随分と綺麗な髪色を――! うわっと!」

 ロングヘアに見立てているのだろう、頭にケーブルを乗っけて流暢に語り始めたリグラスに対し、ケイルはその辺に落ちていた空き箱をぶん投げると、力任せに黙らせる。

 しかし、実のところ、彼が口にした情報は事実であり、小麦色に輝くエレナの髪の毛は、ケイルの知るその人物の髪質と非常によく似ていた。

 「これは私の、唯一の自慢なの」

 そう口にし、彼女はほんの少しだけはにかんでみせる。

 自分で口にしておきながら、その一言はやや気恥ずかしい物だったのだろう、胸の内を誤魔化す様に絹糸の様な前髪を手袋に包まれた手櫛で解く。

 「さ! 無駄話はおしまい! 作業作業! 時間は待ってはくれないよ!」

 ぱんぱんと小気味よく両腕を鳴らし、彼女はその場に居る一同に対し、作業開始の合図を飛ばす。

 「……へいへい」

 ケイルは気だるげに返事をして見せた後、表示されたままだった映像へと視線を戻し、書きかけの図形の続きに手をかける。

 「にしても、よく似てるな――」

 エレナの意識が自分では無く、部屋の片隅に積まれたガラクタへと向いたのを見計らい、ケイルは真っ白なジャケットに包まれた、小柄な後ろ姿を見つめる。

 彼女は自分で崩したガラクタを片付けようとしてるらしく、床に散らばったそれらを抱えては部屋の一端に積み上げてはいるのだが、ロクにバランスも考えずに積まれているため、ガラクタは再度雪崩を起こし、埃と騒音トッピングを作業部屋へと追加し、その中心で短く悲鳴を上げた後、ケラケラと真夏の日差しの様に笑う。

 そんな姿を見ていると、感慨深くなるのを覚えた。

 「――ニーナに」

 不器用でそそっかしい、だけど明るさだけは人並み以上、そんな性格もまた、先に述べた旧友とよく似ており。

 その名を口にした途端、心残りな別れ方をしたその人物の事を無性に懐かしくも思えた。

 ニーナ・コンモート、その名を最後に口にしたのは何時だろうか?

 ふとそんな事を考えながらも、ケイルは呆れて物も言えないとばかりにエレナの下へと歩み寄ると、彼女の元へ左手を差し出す。

 「ったく、何やってんだが……」

 「お手伝い!」

 「だったらお前は座っとけ、座って作業しろよ!」

 短く突っ込みを入れながらも差し出されたケイルの左手を、エレナは『右手』で掴み立ち上がる。

 自分の手の甲を手袋越しに包まれる感触を感じながら、ケイルは何故彼女が左手では無く右手で掴んだのかと疑問に持ったが、そんな事些細な事だと適当にその疑問を投げ捨て、人騒がせな依頼主をガラクタの山から救出するのだった。






 「ケイル様から、疲労の蓄積が確認されました。

 どうかなさいましたか?」

 本業に勤しんでいる最中、ついにスカラに感づかれた訳だが、それもその筈だ。

 スカラに気付かれない様に作業すると言う事は、本業に穴を空ける訳にはいかないと言う事、つまり、エレナが現れてから毎日、ケイルとリグラスは仕事以外の時間を使って課題を解かなくてはならないと言う意味である。

 リグラスに関しては、家が別な為に作業に参加するのは仕事終わりの数時間のみだが、自宅兼作業部屋に住居を構えるケイルと、その家の中で居候をするエレナは仕事が始まるまでの朝の時間も有効活用しようと、いつも早起きをしては作業に勤しむ。

 その結果、仕事と夜の作業で溜まった疲労はいつもよりも短い睡眠時間では消費できず、少しずつ、暖かい部屋の窓に結露が出来、そして水滴となって落下する様に、ケイルが先程零した欠伸という形で顕現した。

 そんな判りやすい意思表示を、世界一優れたコンピュータである彼女は見逃す筈が無く、案の定突かれたのは次の瞬間だった。

 「ん? 気のせいだろ」

 大袈裟に手を振って誤魔化すが、初めからスカラは手札を揃えていたのだろう、追撃は直ぐに放たれた。

 「ケイル様、あまりその様な嘘は良くありませんよ。

 ケイル様のバイタルおよび声質から、基準を上回る疲労値が検知されているのです。

 私は全ての人類を支援する義務があります、その義務の達成の為にケイル様の疲労の原因について、説明を求めます」

 人の体調管理こそスカラが第一に抱える使命だ。

 その使命を果たすために放たれる彼女の口調は、僅かではあるが、いつもよりも棘を感じた。

 「まぁちと趣味で色々と夜更かしをな、まぁあんたが心配する様な事じゃねえよ」

 遠くから放たれるリグラスの眼差しを感じながら、ケイルは曖昧な返事を飛ばすのだが雑に埋められた跡程掘り返すのが楽なのと同じく、ケイルの吐いた適当な言い訳もまた容易に掘り返される。

 「私にとってケイル様の体調管理は最重要案件であり、ケイル様に負荷をかける要因の排除は重要な行為です。

 ケイル様答えてください、あなたが行っている趣味とは何でしょうか? そしてその行動のそう早期解決に私の支援を利用してください」

 スカラにとって、人の健康は重要な事だ。その為に彼女は例えケイルが自分の趣味に時間を割き体に負荷をかけていたとしても、その行動を止めようとはせず、彼が満足した形で作業を終える未来を望む。

 それは、彼女が人の身体面での健康だけでなく、精神面での健康も重要視しているからだ。

 故に、下手にケイルの行動を咎め、抑圧する行為はケイルのストレスの増加に繋がると考える彼女は、無理にケイルの行動を止めようとはせず、寧ろその逆の行動を取りたがる。

 「自宅の作業場にて、ケイル様はどの様な行動を? そしてその上で私に支援できる事はありませんか?」

 そもそもそんな権限を彼女は持っていないとは言え、それは彼女がケイルの行動を止め無い訳だが、だからといえ彼女がこうしてケイルの私生活に割り込む事は、エレナの課題の失敗を意味する。

 「だから――」

 慌ててスカラの言葉の腰を折ろうとしたケイルは、上手い言い訳が見つからず口をぱくぱくさせながら、上手い回答が浮かばないことに焦りを覚える。

 その仕草を見てスカラは更に追い打ちをかける、そう思われた刹那の時、今まで黙っていたリグラスが口を開いた。

 「スカラが干渉しない事、それが一番ケイルの為になる支援だと思うけどねー」

 椅子に深く腰掛け、空中に表示される数式を組み替えながら、リグラスは脳天気に告げた。

 「私が干渉をしない事がケイル様の支援に?」

 「そ! 君の干渉が嫌だからって、わざわざ家に個人の作業場まで構えて、しかもその中にはローテクも良いところの道具しか置いてなくて。

 挙げ句の果てには、作業場だけで無く家の中全てをスカラの管理ドメインから除外しちゃう変な人間だよ?」

 「それは俺を褒めてるのか貶してるのかどっちだ?」

 合間を縫って紡がれるケイルの小言を余所に、リグラスは言葉を繋いだ。

 「普通はスカラの支援がある方が、何かと効率は上がる筈。

 でも、ケイルはスカラの支援が無くとも、こうして仕事をこなしているんだ。

 それってさ、言い方を変えれば、『ある程度スカラの支援から外れている方が、彼の能力を引き出せる』って事じゃ無いかな?」

 冷静に考えずとも無理のある理屈ではあるのだが、珍しい事にスカラは黙り込んで考え……もとい演算をすると、スピーカーを声帯代わりに声を紡いだ。

 「つまり、ケイル様にとって、不便であるという刺激こそが、彼の作業効率を向上させると?」

 「まぁそう言うこと、重たい物持つには体を鍛えなきゃいけないでしょ?

 体を鍛えるには負荷をかける、それがケイルにとってはスカラの支援が無い状態。

 トレーニングの後の筋肉痛が、言わば今さっきケイルがした欠伸。

 つまり、彼の行動について必要以上に干渉する事は、彼の能力を下げる事に繋がるって事」

 いつの間にか論点がすり替わっているのだが、不思議な事にスカラは彼の口上を丸呑みにすると、そのまま短く同意の意思を示した後沈黙する。

 「さて、仕事しないとねー」

 けろりと笑ってから作業を再開したリグラスを遠目に見て、ケイルは深く溜息を吐いた。

 ケイルよりも年下で、飄々とした言葉回しをする為に彼は何かと頼りなく見られがちだが、そんな印象とは裏腹に、彼はスカラを欺くと言う能力に関しては並外れた才能を発揮する。

 システム回りに関しての専門家である彼曰く、それはちょっとコツを掴めば出来る簡単な事らしいのだが、今まさに起きた様しつこい言及を有耶無耶にし、更にはケイルの家で起きている事すら誤魔化す行為、唯一つ『コツがある』の一言で収めるにはいささか無理があると常々思う。

 「なぁリグラス、一つ聞いて良いか?」

 「なにー?」

 ポータルを挟んだ位置関係で、疑問を投げた。

 「前々から思ってたんだが、どうしてあんたはポータルの設計にも手を出しているんだ?」

 「何それ、もしかして僕の事が邪魔だと言いたいの?」

 「ちげーよ。

 そんなんじゃ無くて、単に気になったんだ。

 お前の仕事は本来、フィロソフィアの制作だけだろ?

 それなのに、そんなお前くらいしか出来ない仕事は片手間に、どうして俺のサポートに回ってるのかって思ったんだよ。

 そもそも、Aランクのプロジェクトを片手間で行ってる地点でおかしいだろ」

 先に述べた通り、リグラスの専門はプログラミングであり、本来彼が行うべき仕事は、次世代型のシミュレーターである『フィロソフィア』の製作の筈なのだが、彼はそんな大役を小脇に抱え、ケイルの仲間としてポータルの製作に勤しんでいる。

 当たり前の様に自身と共に作業をしていたが為に意識はしていなかったが、冷静に考えれば、其れはおかしな自体でもあった。

 「……あー、確かに回りからはそう見えるかもねー」

 ボリボリと頬を掻いた後、リグラスは右手を振り、製作途中のフィロソフィアを表示させる。

 「なんていうかさ、こっちの仕事は僕にとっては趣味なんだよねー」

 「じゃあ尚更そっちに力入れろよ」

 じっとりと冷めた目線を送るケイルに臆した様子も無く、リグラスは言葉を続けた。

 「正確には、この世界で最も優れた頭脳を持つ彼女を少しでも賢く、人間らしくする事が僕の趣味。

 だから、その一環でもあるフィロソフィアの製作も僕の趣味なんだ」

 「ぶっちゃけその性癖は理解出来ねえけどよ、少なくともそれなら尚更フィロソフィアの製作を後回しにする理由がわかんねえんだけどな」

 呟いた小言の返事は、直ぐに返された。

 「だからだよ! 趣味ってのはながらでやるからこそ効率が上がる物なの、好きなことを仕事にしたら辛くなるでしょ?

 だから、全然興味の無い事を本職にして適当にこなして。

 溜まった分のストレスを趣味にぶつける、それが僕の仕事の流儀」

 「人のプロジェクトを『全然興味無い』ってな……」

 さりげなく侮辱された事に眉根を寄せながらも、なんとなくリグラスの理屈を飲み込んだケイルは、虚空に表示されたままだった映像を見つめる。

 複雑な文字列と記号、そして毛細血管の様に張り巡らされた細かな線の集合体はリグラスが制作しているフィロソフィアシステムの一部分、正確には『推論エンジン』と呼ばれる試作プログラムであり、将来的にこの『推論エンジンは』スカラの一部に組み込まれる事が計画されている。

 「仕事じゃ無いからこそ本気が出せるか……まぁその理屈は理解出来なくもねえけどよ……」

 短く紡がれた彼の言葉に呼応する様に、将来スカラに組み込まれるであろうそのエンジンが揺らぎ、次の瞬間には初めから無かったかの様に霧散していた。






 「つかよ、どうして共振体のネックレスをあんたは持ってるんだ?」

 作業の合間に設けた短い休憩時間、その間隙を縫ってケイルはそんな質問をエレナに投げた。

 「んー? パパから貰ったって言わなかったかな?」

 「そうじゃなくて、貰ったってのは聞いたんだが、どういういきさつで貰ったのかを聞いてるんだよ」

 作業場の汚れた床から衣服を守る為に敷かれていたクッションの上、エレナはアヒル座りのままネックレスを持ち上げ、首を傾げる。

 「そういう事か……なんて言えば良いのかな-。

 ここに来る前に、パパからこれを持って行きなさいって突然言われたんだよね」

 「突然って、それじゃ最近の事か?」

 「そ! なんか役にたつからって突然ね」

 彼女の首から下がっていたネックレス、其れは今日もいつもと同じ定位置で輝いていた。

 「成る程な……」

 短く溜息を吐くと、ケイルは廃材を元に作られた機材へと視線を向ける。

 スカラに悟られてはいけない、その理由の為に自由に機材を揃える事が出来なかった訳だが、だからといって課題を解く為の機材が用意出来ない訳では無い。

 元々この空間には様々な機械のパーツが転がっており、それらに使われているパーツを流用する事で、課題達成に必要な機材を作る事が可能だった。

 勿論これから先は、この機械の制御プログラムを組みあげたり、彼女がスパイスと称する課題の材料を集めたりなど課題は山積しているが、ここまで来れば今ほどは悩む必要も無いだろう。

 現に、今現在エレナが抱える樹脂製の容器の中には先程この機材を使って精製された粉末が詰まっており、其れをエレナは満足げに眺めては感動した様子で吐息を漏らしていた。

 とはいえ、スカラの支援を使えば三日もあれば達成出来る課題に、ここまで時間がかかっている事を鑑みれば、今自分達が行っている行為がいかに非効率的な事であるのか嫌でも判る。

 それは車を走らせればものの数分で到達出来る距離にある向かう必要の一切無い場所へ、わざわざ歩いて行くのと同じかそれ以上に無意味な行動ではあるのだが、何故か、ケイルは自身の気持ちが高揚して居るのに気付いていた。

 それは本来自分一人だけの作業場に良く知る仲間が居るからか、それとも本業とは全く関係の無いエレナの課題を行っているからかは不明だ。

 だが理由が前者なら、それはリグラスが昼間に口にした内容なのだろうと一人納得すると、作業を再開するために腰を上げる。

 エレナが持ち込んだ課題、即ち彼女がスパイスと呼ぶ物質は全部で五つ。

 それはどれもが一筋縄では作れない物ではあるが、だからと言え精製が決して困難な物では無い。

 現に、その課題の内一つは先ほど精製が終わったばかりではあった。

 しかし、いざその一つを作った所で、僅かながら疑問が湧くのもまた事実だ。

 「そもそもだけどさー、いざ作ってから聞くのもあれだけど、其れって何をするための粉なの?」

 今更ながらの事象を尋ねるリグラスへ、エレナはあまりにも素っ気なく答える。

 「何も出来ないよ」

 「……はい?」

 「だから、何も出来ないよ」

 あまりにも素っ気ないそんな事実にリグラスは面食らうが、そんな二人のやり取りを見ながらケイルは無言で納得する。

 彼女が口にした通り、あのスパイスと呼ばれる物質にはこれといった利用法は無く、更に言えば毒性の類いも一切無い筈だ。

 何故なら、彼女が持ち込んだ課題はこれらの物質を高純度で精製する技術を競う物だからだ。

 数学の勉強に計算式を用いたとしても、計算式から生まれる答えに何の利用価値も無いのと同じ様に、このスパイスにも、答え合わせ以外の利用方法が無いのは当然だからだ。

 「えー、まじかー」

 「まじでーす!」

 何故か一人悲しそうに肩を落とすリグラスを余所に、エレナはけらけらと明るく笑うと持っていたスパイスを片隅に置き、作業台の片隅に置いていたノートに手を伸ばすのだった。






 「……寝れん」

 その日の深夜、疲労の割に妙に影の薄い睡魔を見失ったケイルは、ベッドから起き上がると虚空で手を振る。

 すると、真っ暗な寝室の一部が四角く切り取られ、見慣れた平面の世界が表示され、彼のパソコンが起動した事を告げた。

 「使い道無いとは言ってもな」

 ケイルは再度手を振ると、パソコンをスタンドアローン(単独稼働)に切り替え、簡易シミュレータを起動させる。

 普段はスカラシステムの一部として機能するこの手の端末ではあるが、意図的にスカラとの接続を切り単独稼働させる事も可能ではある。

 勿論、スカラとの接続を切ることは処理能力の低下やシミュレータの精度低下にも繋がる訳だが、課題が課題なだけに其れは致し方無い話だ。

 「……」

 ケイルはベッドの側に置かれていたメモを手に取ると、そこに書かれていた構造式をシミュレータに書き込んでいき、その物質の特徴について問いかける。

 「さて……どう出るかな」

 画面が切り替わり、演算中の文字が表示された画面を見つめ、ケイルは短く溜息を吐く。

 ケイル自身肯定をしてはいたが、あの物質に本当に全く利用法が無いのかと言われたら、まっすぐに首を振れないのが事実だった。

 どんな物質にしても、それぞれ特徴があり着眼点を変えることでその有用性が見いだせる場合があり、エレナが課題として用意したこの物質にしても何かしらの特徴があり、よく調べれば何かしらの有用性が見いだせる可能性もあった。

 しかし……

 『――融点:257.2℃ 沸点:342.2℃ 燃焼性:無し 硬度:2.4  酸化性:無し 毒性:無し 質量:319.090066/モル 重原子数:――』

 だらだらと箇条書きで表示されるそれらの情報を見つめ、ケイルは喉を鳴らす。

 「人畜無害を通り越して本当に空気みたいだな……」

 改めて表示された情報を見れば見る程、自分が作れと命じられたその物質に特性らしい特性が無いことが露わになってゆき、努力がそのまま無駄になった様な気がして哀れにすら思えてきた彼は右肩下がりになったモチベーションを隠すため、大きく溜息を吐いてから映像を消す。

 再び暗くなった室内で天井を見上げ、ぼんやりとした光を放つ天井を見つめて再度大きな溜息を吐く。

 『この世界は何一つ不自由の無い世界である』

 そう発言をしたとしてその声に異論を唱える人は誰一人として居ないだろう、それはその筈だ、この世界は私利私欲という感情を持たないスカラシステムが管理し、自分の利益を全て無視した上で人間だけが得をする世界を構築した。

 人の繋がりがある限り絶対に生まれてくる『損な役回り』、それらを全て機械に押し当て、美味しい所だけを人間がむさぼるこの世界大きな争いは生まれず、隣り合わせになった人間同士の間で生まれるいざこざですら、スカラは速やかに処理をする。

 故にこの世界は完成しており、システムその物に対して改善の余地は無いと言っても過言では無い――筈なのだが、エレナは自身が持ち込んだF計画はそこに一石を投じる物だった。

 「スカラを超えるシステム……か」

 考えれば考える程疑問だけが増えるエレナの言葉を思い返しつつ、トイレへと向かうべく、ベッドから腰を浮かせる。

 何にしても、答えはそのうち与えられるだろう。

 曖昧な根拠を脳裏に浮かべ、ケイルは寝室の扉を開けトイレへと足を進める。

 ケイルの家は今居る寝室、そして作業場にリビング、そしてダイニングと大雑把に四つの部屋に分かれており、寝室は家の中でも一番奥に配置されている、トイレやシャワー室がある一角に向かうには、エレナが今現在勝手に自室として占領しているダイニングの前を通る必要があった。

 自分一人なら何も気にせずに電気を付ける所だが、エレナが居る限りはそうもいかないだろう。

 ケイルは不明瞭な視界を頼りに足を進め、エレナが寝ているソファーの前を通り過ぎ、不意に足を止める。

 「……?」

 何か聞こえた気がして立ち止まったケイルだが、それはエレナが漏らした寝言だと判断し、再度足を進めようとして――

 「……パパ――」

 そんな一言がケイルの耳を突き、思わず振り返ってから左手を抱きしめる姿勢のまま眠るエレナを見つめる。

 「――大丈夫だよ――」

 不明瞭な寝言を紡ぐエレナを見て、彼女の左手を包む手袋を一瞥する。

 微妙にサイズの合わない大きな手袋と例のネックレスを、エレナは肌身離さず身につけている。

 その様子からして、おそらくその手袋は彼女が父親から譲り受けた物であり、大切な宝物なのだろう。

 彼女が父親思いな人間なのか、それとも親離れが出来ていないだけかは不明だが、胎児の様に丸まる彼女の姿を見て、ケイルは普段の彼女がいかに自分を作り演技をしているのかを知り、胸の奥が痛くなるのを覚えるのだった。





 ケイルが物心ついた頃、既にスカラは世界の全てを支配し、そして管理していた。

 故にケイル自身彼女がもたらす恩恵の元、何一つ不自由する事無く生活をして居た訳だが、ある日を境に彼の生活水準は更に高い物へと変化した。

 優れてはいても無限では無いスカラの恩恵は、そのままばらまくだけでは平等に与える事が出来ず、どうしても支援の質にムラが生じてしまう。

 そこでスカラはこの世界の人間を25の階級に分け、階級が上がるにつれてその恩恵の質を上げていくという階級社会を復活させた。

 恵みを生み出すであろう優れた人間には他の人間よりも良い生活を保障し、支援を受けた人間は、受けられる優待に見合った成果を支払う。

 楽な反面彼女の支援を受けられない唯の人間か、あるいは、重い責任を背負う代わりに余剰なまでの支援と権利を得られる優れた人間か。

 その分別を行うべく世界中の人間は適性検査を受け、己が進むべき道や世界、そして階級を決定づけられる。

 「おめでとうございます、ケイル様。

 あなたは本日より私のダイレクトサポートの対象となりました」

 例に漏れずケイルも同じ検査を受け、回りが良くある評価を受けていく中、ケイルが耳にした一言はそんな合成音声だった。

 直接自分に話しかける事が無かったその声を耳にして目を丸くしたままのケイルは、子供ながらにその言葉の意味を反芻し、曖昧だった自分の記憶を頼りに状況整理をした。

 そもそも、スカラシステムと直接対話が出来るのは上から数えて15の階級だけ。

 即ち、A~Cランクまでの人間だけが彼女から名前を呼ばれる権利を持って居る訳だが、その情報を再度掘り返しても、自身に起きている状況が理解出来ない。

 (自分がCランク以上……?)

 買いかぶりにも程がある、そんな訳無い。

思ってもいなかったそんな情報を手にしておきながら、ケイルは目を瞬かせると、自身の側で同じ様に目を開け、感動なのか驚きなのか判らない表情のまま固まる両親と目を合わせ、糊の効き過ぎたシャツの様に固い声で小さく問いかける。

 「僕が、対象? 本当なんですか?」

 文字通りおそるおそる、そう問いかけるケイルに対し、声の主であるスカラは、当たり前だと言わんばかりの口調で返事を返す。

 「ケイル様、私の判断に間違いはあり得ません。

 ですから繰り返します、ケイル様は本日より、私のダイレクトサポートの対象となりました」

 興奮のせいで高まる胸の鼓動を無理矢理押さえつけ、当時十代始めだったケイルは、確認の為に質問を投げる。

 「あの、教えてください、僕の、僕の階級は?」

 その声に対し、スカラはまず最初に『私に敬語は必要無い』と告げた後、言葉の続きを紡いだ。

 「ケイル様、あなたの階級はB-5。

 つまり、あなたには私を道具として使うに足る人間なのです」

 Cランクですら買いかぶりだと思ったのにかかわらず、彼女はそれどころかケイルの事をBランクであると告げた。

 そんな事ある筈が無い、これはきっと夢であり、朝目を覚まして『本当だったら良かったのに』そう散々愚痴を吐くのだろう。

 「僕がBランク……?」

 そう、これは夢だ、きっと自分の妄想が生み出した残念すぎる夢なのだ。

 ならば早急に目を覚まし、これ以上できすぎた妄想に胸を膨らませてはいけない。

 子供ながらにそんな考えに至ったケイルは、自分と同じ様に目を丸くしたままの両親を余所に、拳を作ると思いっきり自分の頬を殴りつける。

 「……っぐ!……痛……」

 「ケイル様、自傷行動はお控えください」

 自分ながら子供じみた反応だ、そう思いながらも、自分の身に起きているのは夢では無く現実であると再確認したケイルに対し、スカラは淡々と、あくまでも機械的に話しかけるのだった。






 ケイルにとっては天にも昇る様な気分になった印象だけが残る適性検査だった訳だが、大多数の人間はD~Eランクの評価を受け、例にも漏れず『良くある結果だ』と呟くか、予想以上に低い結果に肩を落としながらも、スカラが下した結果をしぶしぶ受けるのが当たり前の話だった訳だ。

 そんな中、唯一人だけ自分が受けた『E-4』という滅多に見ない格下のランクを受けながらも、当時のケイル以上に喜び、歓喜の声を上げた人物が居た。

 それがニーナ・コンモートである。

 住んでいた区画が近い事、そして通っていた学校が同じだった事、そして歳が同じだった事。

 その他多数の理由が重なった結果、ケイルの幼なじみとなっていた彼女は、唖然としたままスカラと対話をするケイルの横で、鼓膜が破けそうな程大声で叫ぶ。

 そして、全身の体重を乗せたタックルをケイルにぶちかますと、状況が理解出来ずに床の上で目を丸くするケイルに跨がり目を宝石の様に輝かせたまま口を開く。

 「ケイル! 私E-4なの!」

 幾ら幼くとも、それがどれだけ酷い結果なのか判る。

 頭が良い訳でも、修業態度が良い訳でも、特別な技能を身につけている訳でも無い彼女が優れた結果を受けるとは思ってはいなかったが、それでもこれだけ酷い結果を受けたのは予想外だった。

 それでも、ニーナは絹細工の様に綺麗な髪をケイル垂らしたまま、満面の笑みを作る。

 (何故彼女はそれほどまでに喜んでいる?)

 元々彼女は何を考えているのか判らない事はあり、山の天気以上に気まぐれな所は、ある意味では彼女らしさを形成する特徴ではある、だがそれでも、一般的な常識位は持ち合わせている彼女が、突きつけられた階級を理解出来ない訳でも無い筈だ。

 それなら何故?

 自分受けた評価から目を逸らす為の現実逃避か、もしくはそれに類する別の行動か。

 ころころと色彩の変化する彼女の瞳が描き出す、とびっきりの笑顔を作るニーナを押しのけると、ケイルは床から起き上がり呆れた様子で口を開く。

 「お前さ、自分の状況が判ってるのかよ……」

 口を突いて飛び出た本音、其れを耳にしたニーナは、ケイルが予想していたそれとは全く違う表情を、具体的には心底哀れむ感情を小さな顔に描き、言葉を返した。

 「知ってるよ、下から二番目でしょ?」

 「じゃあ何でだよ!……」

 「何でって?」

 小動物の様に首を傾げ、彼女は問う。

 青空を見上げて何故晴れじゃ無きゃいけないのか? そう問う様に彼女は、ごく当たり前の事としてそんな質問をする。

 「なんでそんなので喜んでられるんだよ……」

 ケイルの一言を聞き、それでもニーナは澄ました顔で返した。

 「だって、自由なんだよ?」

 「自由ってあのな! その分殆ど最低限な権利しか無いんだぞ! それなのにどうしてそんなにへらへら笑ってられるんだよ!」

 「自由じゃ無いのに権利なんて必要無いもん!」

 「自由があっても権利が無きゃ何も出来ないだろ!」

 「権利権利って! それじゃケイルは何がやりたいの!」

 「知らないよ! そんなの僕が知ってるわけ無いじゃん! スカラに聞いてよ!」

 彼女の強がりに付き合う方が馬鹿らしい、そうとすら思えてきたケイルの肩を強く叩くと、再度床へと押し倒してからニーナは告げる。

 「馬鹿!!」

 「其れは僕の台詞だ!」

 「ケイルの馬鹿! 分からず屋!」

 そうだ、彼女はこういった時決まって暴力に走る。

 同世代の男の子よりもずっと強い腕っ節で、彼女は良く相手をひっぱたいており、この時彼女が右手を挙げたのも、おそらくこれまで何度も繰り返されてきた幼い暴力を振るう為だ。

 そう思ったケイルは、自分の意見を言う事を中断して目を閉じ、頬に来るであろう激痛に構える。

 だが……

 「ケイルの……馬鹿……」

 そんな声だけが頬を叩く。

 疑問に思ったケイルはゆっくりと瞼を開き、手を上げたまま涙を流すニーナと、彼女の小さな腕を掴む、オレンジ色のドロイドの姿を確認する。

 「ニーナ・コンモート、あなたはケイル様を傷つける権限がありません」

 説明するまでも無い、そのドロイドは間違い無くスカラが制御する端末だ。

 彼女はニーナの手を離すと、小さな駆動音だけを奏でてケイルへと手を伸ばす。

 「ケイル様、何処か痛むところはありませんか?」

 おそるおそる差し伸べられた人工の腕を握るケイルへ、ニーナとは全く違う態度でスカラはそんな質問を投げる。

 そんな様子を見て、ニーナは呻く様に呟く。

 「ケイルの馬鹿……どうしてあんな機械が良いの」

 その一声はスカラの耳にも届いていた筈だ。

 だが、彼女はその質問には答えずケイルにだけ告げた。

 「私は全ての事象において、ケイル様に支援を施す準備が出来て――」

 「ダイアログ終了!」

 そう強制終了を意味する単語を叫ぶニーナだが、やはりスカラは彼女の声を無視していた。






 それから数年後、ケイルは自身の能力を買われ、アウトライン社からのスカウトを受け、自身にとって初めてのプロジェクトである共振体の研究に参加した。

 初めての一大プロジェクトであったが為に混乱する事も沢山あったが、それでも順調に仕事が進み始め、計画が大詰めとなっていた。

 そんな時、何の前触れも無くニーナは彼の職場へと顔を出した事があった。

 元々他人と群れるのが得意では無かったケイルは、職場の食堂では無く、バベルの麓に設置された小さな公園で食事を済ませることが多く、この時も彼はいつものベンチに腰掛け、分厚いサンドイッチを囓りながらホログラムへと視線を飛ばしていた。

 「どお? 仕事の方は順調?」

 彼がながめていたホログラムの奥から顔を出したニーナは、呆れて物が言えないとばかりの表情を作るケイルに対して、再度同じ質問を投げる。

 「順調?」

 「まぁ、ぼちぼちな……」

 もそもそと囓っていたパンから口を離すと、荷物が満載だったベンチを少しだけ片付け、彼女の為のスペースを確保する。

 「つか、お前の方はどうしたよ、仕事」

 「辞めたよ」

 「辞めた!? 今度はどうして」

 面食らって視線を戻したケイルだが、その視線の先あったのは相変わらずのニーナの其れだった。

 「まぁ色々あってねー、何て言えばいいのかな……あ、一枚貰うね!」

 「おい! ちょとそれは俺の分!」

 ケイルの意見などまるで無視した様子で彼のサンドイッチを奪うと、隣に腰掛けたニーナはサンドイッチにかぶりつく。

 「んー! おいしいこれ! やっぱ上位階級はいいの食べてるね」

 「そこの売店に売ってたやつだぞ……」

 「うっそ、買って帰らなきゃ」

 行儀悪くサンドイッチ咥えたまま、ありきたりな感想を告げた彼女は首を傾げ、頭の上に疑問符を浮かべる。

 「あれ? 何の話してたんだっけ?」

 「だから、仕事だよ仕事! 辞めたって本当か?」

 「あー! そうそう! 辞めたよ仕事!」

 一切動じず、寧ろ何処か誇らしげに告げた彼女は、食欲旺盛な犬の様にがつがつとサンドイッチを平らげると、頬に付いたソースをハンカチでぬぐってから続けた。

 「あの仕事さー、なんか肌に合わなくてさ、だからきっぱり辞めたの!」

 「おいおい、これで何度目だよ……」

 実の所、彼女が仕事を辞めたのはこれが初めての事では無い。

 今までにも、自分の階級で就ける仕事には手当たり次第手を付けていた彼女だが、バイキング形式の料理を食べる様に、一口二口囓ると、直ぐにその仕事に対して適当な理由を付け、職を変えてしまう。

 今回の仕事に関しても、始めてから3ヶ月と言う短期間の修業期間だった訳だが、これは寧ろ良く続いた方である。

 「そういうケイルはまだ最初の仕事のまま?」

 「当たり前だろ、っつか、適性診断で決められた仕事を続けるのが一番楽だって事くらい、お前だってしてるだろ」

 「確かにそれは楽かもしれないけどさ……」

 紡がれた小言に対し、ニーナは苦虫を噛んだ様な表情を作ると、ぼそりと愚痴を吐く。

 「其れ……つまらないじゃん……」

 「ん? なんか言ったか?」

 「……なにもー」

 肝心な部分が聞こえなかったケイルの声をそっと突っぱねると、彼女はおもむろに左掌を掲げる。

 「見て見て! ついに来たよ!」

 彼女が見せたその手には『E-5』という文字が刻まれていた。

 「おいおまえそれって……!」

 E-5、それはケイル自身も初めて見る階級だった。

 通常最初がどれだけ低い階級だろうと、定期的に行う適性検査の結果、大抵の人は階級が徐々に上がっていくのが常であり、降格する事は滅多に起きない。

 だが、ニーナの手に刻まれたそれは、彼女が最初に持っていた階級よりも下、この世界においても最下位に位置する物だった。

 重罪を繰り返すでもすれば簡単だが、其れをせずにこの階級までランクを落とす行為はある意味並大抵の事では無く、出来たところでわざわざ好き好んでやる事でも無い。

 だが、ニーナは何処かうれしそうに掌の文字を誇示した。

 「本物なのか?」

 「本物だよー」

 ニーナは虚空で二三度手を振り、空中に己の階級を示してみせる。

 「初めて見たぞE-5なんて……」

 ここまでされたら疑う余地も無く、ケイルは彼女の言葉を受け入れてから大きな溜息を吐く。

 本当は色々言いたい事がったのだが、頭の中で湧いた単語を口に出さなかったのは、その際湧いた感情が一周回って呆れへと変換された結果だろう。

 「つかよ、少しは階級上げる努力しろよお前も。

 余計な苦労なんてしたくないだろ?」

 階級が上がればスカラの支援は手厚くなる、そうなれば余計な不安も減り、金銭面に限らず生活の質は上がる。

 それがケイルの考えであり、世界中全ての人間が感じていた事の筈だった。

 しかし、ニーナだけは反応が違った。

 「苦労はしないかもだけど、苦労しない事って楽しいの?」

 楽と楽しいは似てはいるが、確かに違う物だ。

 「私は楽よりも楽しいが良いかな」

 「あのな、どうやりゃ不便が楽しいになる――」

 追い打ちの様に紡がれたニーナの言葉に、ケイルは異論をぶつけようとして、反射的に黙りこむ。

 誰が見ても自分の生活は満たされている、そう言い切れる自信があった。

 金銭的にも、社会的にも、環境的にも満たされる階級、その中心であぐらをかき、スカラが頭を撫で『よしよし良い子だね』と褒められ続ける日常。

 それは兎に角楽ではある、だが、声を大にして『この人生は楽しい』そう言えるかと問われ、直ぐに返事を返せない気がした。

 「つまり……お前はわざと階級を落としたのか?」

 「あ! ばれた?」

 あざとく舌出して笑うニーナと、其れを見てサンドイッチを取り落とすケイル。

 その間を沈黙が抜け、不意にスカラの声が響いた。

 「ケイル様、休憩の時間が間もなく終了します」

 「ああ、判ってる……っつかニーナ。

 今日はわざわざそんな事を言いにここまで?」

 姿は見えないが何を考えてるかは判るスカラと、姿は見えるが何を考えてるのか不明なニーナ、双方に言葉を返したケイルは、落とした昼食をゴミ箱へと放り投げて立ち上がる。

 「それだけじゃ無いよー」

 「だよな、んじゃ手短に話してくれ、休憩時間がもう終わっちまう」

 耳に付けた端末を軽く叩き、小言の多いスカラの存在をアピールしてみせる彼に投げられた言葉は、予想していない物だった。

 「私、明後日からミズガルズに行くの」

 「何であんな所に?」

 ミズガルズと言えばここユグドラシルやヴァルハラから遠く離れた区画であり、空路で6時間、陸路を使おう物なら休み抜きで向かったとしても2日以上はかかる距離にある。

 ヴァルハラと同じく居住区として機能するミズガルズの脇には、今となっては珍しい地下資源採掘用のコンビナートが腰を据えており、その二つの建造物を挟まれる様に細々とした企業が肩を並べているとは聞いてはいたが、ケイル自身その場所がどの様な所なのかは見当がつかなかった。

 「観光か?」

 これといって観光名所も無い場所の筈だが、ニーナに限ってはそんな所ですら喜んで足を踏み入れそうな話であり、今しがた彼が口にした皮肉ですら彼女が仕事を持っていない事実と組み合わせれば、十分な可能性を意味する。

 「観光って言うか……仕事?」

 「仕事ってな……あんな場所に住むでもないに……」

 何気なくそんな言葉を口にした刹那、もしかしたらという可能性に息を飲むケイル。

 そんな彼の予想は、悪い意味で的中した。

 「そだよ、私、明後日からミズガルズの人」

 「はぁ!?」

 「だから、今日はケイルにお別れを言いに来たの」

 『何を変な事を言ってるんだ』そう口にしようとして、彼女の目が嘘を吐いていない時の其れであると確認すると、ケイルは口を噤み生唾を飲み込む。

 「なんでこんな急に、つか仕事探しにミズガルズに行くなんて――」

 「仕事はこっちでも沢山あるよ、でもこっちじゃ駄目だって言われたからね」

 小指で頬を軽く掻き、ニーナは小さく告げる。

 「駄目って……誰に?」

 重ね重ね紡がれる疑問符に答える様、彼女は指でケイルの方を指す。

 「俺? 言ってねえよそんな事」

 「ケイルじゃ無いよ」

 ひどく素朴な、それ故に芯を突いた彼女の否定を聞き、彼女が何を指さしているのかに気付いた。

 「……スカラの事か」

 ケイルの耳、そこにはスカラの子機である端末が装着されていた。

 当たり前にそこにあるが故に存在を忘れていたその端末に意識を向けた後、ケイルは目を瞬かせて問う。

 「何故彼女がそんな事を、俺の行動を制限するならともかく、E-5の行動に口出しする義務は無い筈だろ?」

 スカラは基本、階級の低い人間には口出しをしない。

 それは、スカラにとって見込みの無い人間は、わざわざ支援した所で利益をもたらさない存在であるからだ。

 故に彼女は特別危険が無い限り、低階級の人間には話しかけず行動の制限も行わない、だがそんなスカラは、今現在ニーナの行動に口出しをしたと言うことになる。

 それは何故か? 答えは直ぐに耳に出来た。

 「E-5にはね、でもB-4の人の才能の邪魔をするってなったら話は別」

 「つまり、お前の存在が俺にとって悪影響になると?」

 僅かに肌寒さすら覚える環境なのにも関わらず、何故か汗が噴き出すのを覚えたケイルは、僅かに震える声で紡ぐ。

 「その通りですケイル様、ニーナ・コンモートはケイル様にとって悪影響を与える存在であると結論が出ました、その為、私は彼女に対し接近禁止を提案したのです」

 恐ろしい考えを、スカラはあっさりと肯定してみせた。






 「って話さ、つまらねえだろ?」

 数年前の記憶を語りきったケイルは、精製機の中に入っていた二つ目のスパイスを取り出すと、樹脂製の容器に詰めながらそう話を切る。

 「つまらなく無いと思うけど」

 「第三者としてはな、当事者としてはろくでもない話さ」

 「そうじゃなくて、最低な話だって言いたいの」

 ケイルの言葉に噛みつく様に、エレナはそう告げて立ち上がる。

 「最低だよそんなの……機械が人の繋がりまで切るなんて……」

 「まぁおかげでトラブルとは無縁な生活が出来てる訳だけどねー」

 ぶつぶつと不満を漏らすエレナに対し、椅子に腰掛けたまま次の課題を解いていたリグラスは声を投げ、そんな二人のやり取りを見送ってからケイルは大きく溜息を吐く。

 「まぁ過ぎた話だ、そんな事より、これで課題の二つ目は完成だな」

 持っていたスパイスをエレナに差し出し、ケイルは少しだけ得意げに鼻を鳴らす。

 「ありがとう! これで課題の二つ目も完了だね!」

 「思ったより簡単な内容で助かったよー、これ以上厄介だとどうなってた事やら……」

 大袈裟に両手を広げてみせるリグラスを余所に、エレナはスパイスの完成というニュースで埋もれかけていた話題を再度掘り返す。

 「それで、ニーナさんとはそれからどうだったの?」

 「どうって……まぁ連絡まで取るなとは言われた訳じゃ無いからな。 あっちに奴が行ってからも時々電話位はしてたんだが……どうにも話題が尽きちまってな、もう長い事連絡取ってない」

 何気なく通話記録を確認し、ニーナの名前が書かれた履歴が予想以上に下の場所に埋もれていることを知って苦笑いを浮かべたケイルは、その脇に書かれた日付に目を通してから映像を切る。

 「連絡してみれば?」

 「その内な、つっても、もう4年以上連絡取ってない相手に電話するってのもちと気が引けるんだが」

 曖昧に話題を逸らすケイルの反応が不満だったのか、エレナは頬を膨らませるとケイルの背中を軽く蹴る。

 「痛っ! お前なぁ」

 「そんなのじゃモテないよ!」

 「モテなくて良いんだよ! ……っつかそんな所も含めて、お前はあの女に似てるな」

 大袈裟に痛がった後、不満を顔一杯に描いたケイルは、真っ白なジャケットに包まれたエレナを見て、感傷を覚える。

 猪突猛進で、考えるよりも体が動く。

 そんな犬の様な彼女の行動も含め、エレナはニーナとよく似ていた。

 「そんなに似てるの?」

 「まぁな」

 「ふーん……」

 飼い主の足元を回る猫の様に、くるりとケイルの回りを一周してみせたエレナは、相変わらずころころと変化の激しい瞳でケイルの顔をしげしげと見つめる。

 不意に何か思いついたのか、エレナは真っ白な歯を口元から覗かせると、ちょっとした疑問を投げかけた。

 「その人って今何歳なの?」

 「俺と同い年だから……26……いや、俺よりも誕生日が後だから今は25だな」

 最後に会った時は彼女の年齢は19だった筈であり、実際に口に出して年齢を言うと、どれだけの時間が経過したのか嫌でも身に染みる。

 そんな、曖昧な記憶を頼りに呟いたケイルとは別に、エレナは別の感情を覚えたのか、遠い所を見つめてからぼそりと呟く。

 「3つしか離れて無いんだ……」

 「どうかしたか?」

 「ううん、何でも無いよ」

 ひとくくりにしていた髪を揺らして曖昧な反応を見せたエレナは、ケイルが趣味で飾っていたアナログ時計を指さす。

 「あ! もうこんな時間だね。 今日の作業はこの位にしとく?」

 口ではあくまでも提案だが実際には今すぐに作業を止める気なのだろう、彼女は持っていたスパイスを部屋の隅に設置していた棚に置くと、身に纏っていたジャケットを脱いで二三度はためかせて汚れを落とす。

 その時、彼女の首で揺れていた共振体のネックレスが小さく揺れ、部屋の照明を吸い込んで僅かに輝いた。

 「前々から思ってたんだけどさー、その服の模様って何なの?」

 エレナにとってトレードマークとも呼べるそのジャケットを指さし、一人黙々と何か別の作業に勤しんでいたリグラスが口を開く。

 彼の指摘通り、エレナのジャケットの背中部分には、真っ赤な塗料で何かのマークが書かれていた。

 ケイルもその服に描かれた、明らかに手作業で付けられたとおぼしき模様は気になっていたのだが、つい尋ねる切っ掛けを失っていた。

 その為、予備動作も無くこういった話題を振るリグラスの行動は、この場合においては非常に有用な物でもあり、反射的に目を細めてケイルもその答えに耳を傾ける。

 「? ああこれ、これはまぁ、パパと作った工作みたいなものかな」

 「『intellect(インタレクト)』……ねぇ……」

 「……! よく読めたね!?」

 エレナ自身、ロゴのベースになっている文字列をケイルが読み解いた事がよほど驚き立ったらしく、目を丸くしたままそう紡ぐと、ジャケットに袖を通す。

 「あ、当たりなのね」

 「これ書いた人かすっごい癖字の人だからねぇ、まさか読める人がいるとは思わなかったよ、さっすがケイル・リットラード」

 彼女の言う通り、手書きで書かれたその文字列の書き手はかなりの癖字の持ち主らしく、第三者には読みにくい物らしいが、不思議と自分の使うそれとよく似た文字であったが為、ケイルにとっては指して複雑でも無い文字ではある。

 「なんだよその言い草は……」

 しかし、だからと言って癖字の事をこうも褒められると『お前も負けず劣らずの癖字の持ち主だ』と遠回しに言われているみたいで、どうにも気分が悪いのもまた事実だ。

 「なーんにも!」

 「お前は……まぁいいけどよ」

 嘯く彼女に対して、反論を加えようとはしたものの、彼女の背中が開かれた扉の奥へと消えたため、ケイルは口を噤みその後を追いかける。

 「お熱いねぇ……お二人とも」

 「何がだ? ん?」

 そんなやり取りを静かに見ていたリグラスは呟き、そんな冗談に律儀に噛みついたケイルは、ふと振り返り口を開いた。

 「つか、お前も作業止めろよ、どうせ続きは明日からだ」

 いつも何かとやる気を見せない彼の事だ、こうやって振れば直ぐに作業を中断すると思ったのだが、珍しいことに小さく手を広げる。

 「まぁそうなんだけどねー、ちょっと気になる事があるからそれだけやってみる」

 「手伝いは要るか?」

 「大丈夫だよー、っていうか君たち二人がいちゃついている間に終わるから気にせずー」

 「だから、どうしてそうなるんだ? ん?」

 最近何度も使うそのネタに噛みついた後、ケイルは大袈裟に笑ってみせた後、早めに作業を終わらせる様に勧めて部屋を後にすると、扉を閉じる。

 「さて……」

 部屋に二人が戻ってくる気配が無いのを確認すると、リグラスは部屋の隅の棚へと歩み寄り、そこにあったスパイス二つと、エレナの持ち込んだメモ書きの元へと歩み寄る。

 そして、小さく咳払いをすると虚空で数回手を振り、己の端末に入っているプログラムを起動させた。

 「能力を確かめさせて貰うよ」

 そんな彼の言葉に合わせる様に映し出されたオレンジ色のホログラム、其れはリグラスが今現在開発しているシミュレーター、『フィロソフィアシステム』だった。

 





 ポータル特有の非常に高い起動音の後銀色に輝く輪の中、目が眩む程真っ白な光が生まれ、その円形の額縁の中で平面を形成する。

 光は作業場に居たケイルの顔を輪郭すら判別不能な程照らし、そして直ぐに収まる。

 「起動完了……とりあえず……」

 光が収まったポータルの中、その先にはこの部屋とよく似てはいるが違う部屋の景色が映し出されており、ポータルを通してその先にある部屋の空気や匂いまで伝わる事をその情報に当てはめれば、其れが唯の映像では無く実際にある空間である事が判るだろう。

 ここで足を踏み出せば、100メートル程離れた隣の作業場へたった一歩の足取りで移動出来ると知っているケイルは、ポータルがつなぎ合わせたその『門』を一瞥し、そして表示させたままにしていた電子コンソールの数値を舐める様に観察する。

 「安定してるみたいだな」

 「リアクターコイルの安定稼働を確認、PPD値並びにDWE値及びBS値全て規程内、固有振動数も安定しています。

 以上の事から、ポータルが安定稼働状態に入ったと推測されます」

 センサー越しに情報を読み取ったスカラのお墨付きを受け、得意げに鼻を鳴らしたケイルは得意気に口を開き、直ぐ脇で非常時に備えて待機していたドロイドに話しかける。

 「凄くないかこれ?」

 「否定、驚くに値しません。

 ケイル様ならこれが可能であると知っていました」

 ドロイドは行動色である青色のまま淡々と答える。

 「相変わらずお世辞は上手いな」

 「再度否定します、これは私の演算の結果を告げたまでです」

 「あんたは相変わらず頭でっかちだな……まぁいい。

 スカラ、とりあえず一端ポータルを停止してくれ」

 相変わらず冗談の通じないスカラに対して小言を吐くと、ケイルは目の前のポータルが再び停止体制に入り始めた事を確認し、直ぐ側で計測器を操作していたリグラスに話しかける。

 「また一つ課題を乗り越えたな」

 正直、回りの目が無ければ飛び跳ねたい気分だった、しかし、自分の意思とは無関係に暴れようとする膝をなだめながら、後ろを振り返ったケイルはそのまま動きを止める。

 「……」

 椅子に腰掛けたままポータルの起動を見てた筈のリグラスは、何故か無言だった。

 「どうした? 何か変な結果でも出たか?」

 「……」

 元々口達者なイメージがあった彼が一言も返事を返さない事を不振に思ったケイルは、目を細めてから再度質問を投げた

 「おいリグラス」

 「……! ん? 何?」

 再度投げかけられた一言で、リグラスは自分の意識がごく僅かだが停止していた事に気付き、慌てて返事をしてみせた。

 最近エレナからの課題にも参加して居るため、どうにも睡眠不足が続き体が重くはあったのだが、今日という日の眠気は特別だった。

 「寝不足か? まぁ俺もだが……」

 疲れの原因が連日続く深夜の作業のせいだと勘違いしているケイルは、小さく笑ってみせると、虚空を指さし、そこに表示された文字列を証拠に今日の作業の終了を示す。

 「疲れたならちゃんと休め、って言いたい所だが、俺はスカラみたいに優しくないから言わせて貰うぞ。

 これからが本番だ」

 誕生日前の子供の様に目を輝かせるケイルは、何処か不健康に見える瞳で笑みを作ってみせると、スカラに対して帰りの車の手配をする指示を飛ばす。

 「んー、まぁ頑張るけどねー」

 その場の空気に合わせるためとはいえ、自身が思っていた事とは真逆の意見を口にした彼は、さっと目を伏せて昨日の出来事を脳内で振り返る。

 エレナのスパイス、そしてフィロソフィアシステム。

 これら二つの要素からはじき出された結果、其れを思い返したリグラスは、その事実を今ここで告げるべきかを考える。

 「まだ眠いのか?」

 いいや違う、自分は眠たい訳では無い、寧ろ昨日の夜からロクに寝れていないのにもかかわらず、目は完全に醒めきっているのだ。

 「ケイル、話が――」

 伝えるべきか一瞬迷った後、彼はとっさに今居る場所がバベル内である事を思い出し、慌てて語尾を変化させる。

 「いや、ちょっと後で話したい事があるからさ、良いかな?」

 スカラの言及を恐れつつも、幸いにも彼女が黙ったままである事に僅かに安心したリグラスを余所に、相変わらず上機嫌なケイルはこれといった違和感も感じずに返事をしていた。






 ケイルとリグラスは通勤の際はそれぞれ別の車両を利用していたのだが、最近始まったケイル宅での『工作』の関係上、帰り道は一台の車だけを手配し、一緒にバベルを後にする日々が続いていた。

 今日もいつも通りそんな帰路が始まると思った矢先、リグラスが不意に声を上げた。

 「スカラ、ちょっとお願いがあるんだけど」

 「はい、何でしょうか?」

 耳に当てた端末に話しかけるリグラスを見てケイルは疑問符を浮かべるが、そんな彼を余所にリグラスは言葉を重ねる。

 「僕とケイルの端末全てをオフラインモードに切り替えて、後この車両から半径100メートル以内の端末へのアクセスも禁止、車両は完全遮音で」

 「私に聞かれたくない話でもするのでしょうか?」

 あくまでも安全性などを考慮した反応なのだろうが、淡々と質問を投げるスカラの声は、何処か不機嫌に聞こえた。

 「まぁそんな所だねー。でも悪い事するわけじゃ無いから心配しなくて大丈夫」

 状況が読めず頭に疑問符を浮かべたままのケイルを余所に、リグラスは一方的にスカラに命令を投げると、虚空に全端末がオフラインになった事を告げる表示を見て大きな溜息を吐く。

 「……密会でもする気か?」

 発車せずに留まったままの車内で、ケイルは冗談めいた質問を投げる。

 だが、そんな彼の言葉に短く頷くと、リグラスは車の窓と車載カメラの前に適当なメモ書きをテープで貼り付けると、小さく咳払いをしてから座席に座り直す。

 「おいリグラ――」

 「話の前に、先ずはこれを見て」

 そう告げたリグラスは、虚空で手を振り、一つの映像と数字の羅列を表示させる。

 「これは……」

 映し出された映像に刻まれた情報から、それが何なのかを知ったケイルは小さく鼻を鳴らし思案を始める。

 「唯の効果試験のデータでは無いんだろ?」

 「勿論、効果試験するだけお粗末な性能だし、そもそも今時この手も物を開発する必要も無いよね」

 軽い口調ではあるが、その声はいつもよりも随分と重たい。

 ケイルは深く溜息を吐いた後、リグラスが続けようとしていた言葉の続きを紡ぐ。

 「そうなりゃ、こんな物作る奴なんて頭のおかしいテロリスト位に成る訳だが……そもそも何処で見つけたんだ『爆薬のレシピ』なんて?」

 リグラスの声が重かったのはそこだろう、彼が持ち寄ったデータ、その中に書かれていたのは爆薬の性能について書かれた物だった。

 「第一、こんなもの設計したところで、実際に爆薬作る材料なんて手に入れる方法が判らないけどな」

 彼の言う通り、少し技術系の知識を持っている人間なら、いくらでも爆弾の設計をする事は可能だ。

 だが、設計を出来た所で、実際に爆弾を作るには大きな問題がある、それもまた、スカラシステムの存在である。

 世界中のデータを一括管理する彼女は、金銭面の管理だけでなく、電気や水素などのエネルギー資源に続き、鉱物などといった資源の流通量を世界中に設置されたスキャナを通して把握している。

 仮に小さじ一杯の砂鉄を別の区画に移動したとして、その搬出履歴は正確にスカラの元へと蓄積される。

 例外として、食料や酸素などといった『個人によって消費量に変化が生まれる物』のチェックは緩くなってはいるが、逆に燃焼性の高い物質や腐食性のある物質など、危険性のある物の移送に関してスカラは、必要以上に目を光らせている。

 面白半分で耳かき一杯の黒色火薬を認証区画から出そう物なら、警戒色に染まったドロイドに取り囲まれる昨今、実際に『爆弾』として使える爆薬を作る事など、材料調達の地点で考えるだけ無謀な話になるのだ。

 「作る材料が手に入らない、手に入った所で今度は持ち運ぶ事が出来ない爆弾なんて、使い道すら浮かばないよねー」

 いまいち方向性の見えない話題を掘り進めるリグラスの顔を横目に、ケイルは紡ぐ。

 「悪さするにしても、俺なら家にある工具の安全装置をぶっ壊す選択肢を採るけどな。

 工具ならライセンス持ってりゃ誰だって持てるし、スカラに一言伝えれば持ち運ぶことも可能だからな、それに幾らスカラでも安全装置の有無までは判んねえだろ?

 まぁそれするにしても、アホみたいに組まれた安全装置を外す手間は必要だが……」

 実際、リグラスが自宅の作業場で使っている工具の内、いくつかは所持と使用にライセンスを必要とする物もあり、安全装置を取り外したそれらの工具を用いた傷害事件なども起きてはいた。

 武器として使える程強力な工具となるとそれだけ安全装置もきつくなる訳だが、それでも爆弾の材料を手に入れる事を考えれば幾分現実的な選択でもある。

 「普通の考えだとそうなるよねー」

 わざわざそう告げるという事は、ケイルとは別の考えがある証拠だろう。

 「つまりこれからするのは普通の話じゃないと?」

 「勿論普通じゃ無い、だからこそ僕はこの話をスカラかPRT(公共治安部隊)に相談するべきだと思ったんだけど、その前に事が事だけにケイルに相談するのが先かなって思ってね」

 何処か子供じみている彼の風貌に似合わない、重く深い溜息の後リグラスはそう前振りをして、本題を切り出した。






 「あ! 二人ともお帰り」

 スカラから見つかってはいけない、そんなルールがあるが故に彼女は一日中ケイルの家に籠もり、極力電化製品の類いも起動せずに生活をしている。

 その影響か、ケイルが帰宅するに合わせて一気に跳ね上がるエレナのテンションは、犬や親の帰りを待つ子供のそれとよく似ている。

 相変わらずの白いジャケットの裾をはためかせ、作業場のドアを開いてぱたぱたと足音を響かせながら駆け寄ったエレナは、持っていたメモを開き突き出す。

 「それじゃ4つ目の課題、今からする? それとも先にご飯を――」

 「その前に話がある」

 最近エレナが事ある度に紡いでいたその口上を途中で食うと、少しだけ冷めた目線で作業場を示す。

 何か考えがあっての事か、ケイルは詳しく話す気は無いらしく、ただ視線だけで作業場に行けと伝える。

 その様子に戸惑いを見せたエレナは、おそるおそるといった具合でリグラスへと縋る様な目配せをするが、初めから何か話し合いをしていたのだろう、彼は何も言わずにそっぽを向くと、作業場の扉を開く。

 「何の話?」

 「下で話す、兎に角こっちだ」

 趣旨を尋ねるその声を突っぱねたケイルは作業場の戸を潜り、その後を不安に染まった表情のまま、エレナが付いていく。

 そして、最後にリグラスがその後に続くと部屋の扉を閉め、さっと虚空で手を振りホログラムを表示させる。

 「スカラシステム、非常用を除き全てオフラインだね」

 「……」

 念のための確認を終えたリグラスに頷くと、深い溜息の後ケイルは部屋の奥置かれていた3つのスパイスに手を乗せ、ゆっくりと口を開いた。

 「念のための確認だが、この部屋の中だけは非常用を除きスカラの干渉が一切入らない事は知ってるな?

 つまり、この空間で俺が何をしても、どんな事を口にしても、スカラのデータベースには一切記録されない訳であり、この部屋に居る全員も同じ状況に置かれている訳だ。

 だからこそ、ここでどれだけ物騒な会話をしていたとしても一切合切無かった事になる、その上で正直な事を聞かせてくれ」

 スパイスの一つを手に取り、ケイルは問いかける。

 「これは何の材料だ?」

 「何の材料でも無いよ、最初に言ったでしょ?」

 状況によっては聞かなかった事にする、そんな意味合いの前振りの後に続いた疑問符に対し、エレナは当たり前の様に嘘を吐いた。

 今思えば何故気付かなかったと怒りすら覚えるほど、白々しい返事に苛立ちながらも、ケイルは感情を抑え込んで言葉を繋げる。

 「ああ確かにな、簡易スキャンをしたところで、飾り以外に使い道の無い物だという結果は出た。

 だが、本当はそれだけじゃ無いんだろ?」

 「何言ってるの? そんなこ――」

 「ふざけるな!!」

 再度誤魔化そうとしたエレナに対し鋭い一喝を浴びせたケイルは、持っていたそれを叩きつける様に机に置き、自身の感情をなだめる為に深呼吸をしてから、突然の事に目を見開くエレナに対して告げた。

 「試験の材料だ? 課題だ? だからこれは安全?

 本当はそんなの全部嘘だって事判ってんだよエレナ、だから正直に答えてくれ。

 わざわざこの部屋で尋ねてんのは、内容によっては俺はあんたをPRTに突き出さないでいるって意味だ。

 だからいい加減本当の事を話してくれ、何が狙いだ? 何の為にこんな物を作りたがる?」

 腹を割って紡がれるケイルの言葉にリグラスも無言で同意をし、間に挟まれたままのエレナは、腰が抜けたかの様にぺたりと座り込むと、そのまま俯き顔を手で覆う。

 そして、暗く、覇気の感じられない声で告げた。

 「どうして気付いちゃうかな……『有機爆薬』の事に」

 彼女が口にした『有機爆薬』その名前が、今ケイルの手の中にあるスパイスの、正確にはそのスパイスを材料として作られる道具の正式な名称なのだろう。

 「俺たち二人を利用したのが間違い、いや、リグラスを利用したのが間違いだったんだろうな」

 誇るでも無くケイルは告げ、今まで気付けなかった自分を恥じる様に深く溜息を吐く。

 物理的にも、そして電子的にも隔絶された作業場の中に沈黙が広がると、ぬかるみの様に思考の足を引っ張始める。

 質量すら感じさせる程濃密な沈黙を破る様、今まで黙っていたリグラスが口を開いた。

 「有機爆薬、それがあれの正式名称なんだね。

 正直、あんな特殊な物を考え出す人間が居るとは思ってもいなかったよ、これこそが本当の天才って奴なのかな?

 確かにスカラのチェックは厳しい、だから爆弾なんて物作った所で別の区画に運んだ途端直ぐに見つかってしまう。

 だから、あえてスカラの知らない組成の爆薬を開発し、更にはそれぞれを無害になるレベルまで分解、そして精製。

 確かにそうすれば彼女の目を誤魔化す事は可能だよ、こうやって分割された状態なら、スカラのチェッカーの前を堂々と通り抜ける事だって出来るよね」

 声も無く、エレナは小さく頷いてみせた。

 リグラスが自ら作り出したシミュレーター『フィロソフィア』、その性能チェックとして半ば興味半分で行った、エレナのスパイスの組成チェック。

 その結果、判った事が今告げた事実だった。

 エレナ自身が行った通り、それらのスパイスは全て人畜無害の安全な物だ、だがそれらを決まった手順、そして正確な混合比でのみ混ぜ合わせた場合、それは恐ろしい爆薬へと化ける。

 意味不明な図形の書かれたパズルのピースを組み合わせ、一枚の美しい絵画が生まれる如く、そのスパイスを組み合わせる事で生まれる、純粋な破壊の意思。

 その一端に気付いてしまった限り、PRTに突き出すのが正解である事も判ってはいた。

 だが、これは何か特別な理由がある筈だ、そんな期待を捨てきれずにいたケイルは、不確かなそれに縋る様に、無言のままのエレナに問う。

 「あんたが俺たちに協力を仰いだのは、実際に有機爆薬の実物を作りたかったからだろ?

 実際に爆薬を作り、自身の能力を証明したかったのか? それとも考えついた計画が机上の空論で無いと現物を使って証明したかったのか?

 本当の事を教えてくれ、エレナ」

 爆薬を作った実際の理由は、そんな生優しい物では無く、もっと血なまぐさい復讐心である可能性の方が高い事位知ってはいた。

 だが、ニーナとよく似た笑い方をする彼女が、どうしても悪人に見えなかったケイルは都合の良い可能性にかけていた。

 『方法は間違ってはいたが、彼女に人を傷つける意思は無い』という甘ったるい希望、其れを確かめる様に、再度ケイルは問う。

 「何の為にこれが必要なんだ? 答えてくれ、エレナ」

 二呼吸程の僅かな時間の間隙、その全休符を挟んだ後、エレナはゆっくりと口を開く。

 「『本当の事』? そんなの知ってるくせに」

 相変わらず表情は窺えないが、エレナの声には感情が込められておらず、氷の様に冷たかった。

 「何を期待してるのか知らないけどさ、私に希望を持ちすぎじゃない?

 知っての通り私は爆弾を作っていた、それもこれだけの量のね。

 こんな物作りたがる人間が真面な人だと思う? 平和利用の為に何百人も一度に殺せちゃう位の爆弾を作ると思う?」

 話の中心を避けた発言だが、自白としてなら十二分に機能する其れを耳にしたケイルは、諦めた様に深く溜息を吐くと、右手を振って部屋のネットワークをオンラインに切り替えようとして、そのまま硬直する。

 「それだけの重罪を犯そうとしてる人間が、生半可な覚悟でここに居ると思う?」

 何故なら、ケイルの目前に拳銃が突きつけられていたからだ。

 「死にたくなければ無駄な抵抗はしないでね?」

 素早い動作で懐から引き抜かれた拳銃を構えたエレナは、一切悪びれる様子無くそう脅し、後ずさろうとしたリグラスにも目配せをする。

 「おいおい嘘だろ……どうやって武器を持ち込んだ」

 リグラスはあまりの展開に場違いな疑問符を浮かべ、困惑と恐怖の入り乱れた表情を作る。

 人を傷つける為に生まれた道具である銃、その所持は世界中ほぼ全ての人間が認められてはおらず、例外的に銃器の許諾が認められた存在であるPRTですら、その使用条件はごく限られていた筈だ。

 その筈なのに、エレナは銃を持っていた。

 当たり前の様に、手帳か何かを持ち歩く要領で彼女は銃を隠し持っていたのだ。

 「俺の家から出ないのはその為か、確かに家を出なけりゃ、武器を持っていたとしてもスカラの簡易チェックに引っかかる事も無いよな」

 「それも一理あるけどね」

 銃のトリガーに指をかけたエレナは軽く肯定すると、再度注意を投げる。

 「無駄な抵抗はしたら駄目だよ? 力でねじ伏せようとか、PRTやスカラに助けを求めたりとか、やるだけ無駄だからね?」

 警告を告げた後に彼女が取った行動は、あまりにも予想外なものだった。

 彼女は開いていた方の手を振って手動でスカラを呼び出すと、焦る様子も無く口を開いていた。

 「スカラ、非常用回線オフライン」

 普段は使われない予備回線で部屋に接続したスカラに対し、当たり前の様に命令を投げるエレナ。

 彼女はスカラに対して、この部屋に組まれた非常用回線を切ることを命じたみたいだが、この部屋の管理人はケイルだ、その彼が求めない限りこの部屋の最終セキュリティをオフにする事など出来ない。

 そんな当然の考えは、次の瞬間打ち砕かれていた。

 「ケイル様、其れはあなたの身の安全に関わる命令です」

 「……な!?」

 エレナの命令に対し、スカラは当然とばかりに答えていた。

 「ちょっと待てスカ――!」

 スカラが、何故エレナを自身と間違えたのかは不明だが、慌ててその事を伝えようとした矢先、再度近づけられた銃口に黙らざるを得なくなったケイルは、無言で成り行きを見守る。

 「大丈夫、私の身は安全だからセキュリティを全カットお願い」

 「かしこまりました、最終確認としてパスコードの提示を求めます」

 スカラはユーザーの生体データを元に個人を特定する、だからこそID等を個人が持ち歩いて居なくとも、全ての人間を正確に見分ける事が可能だ。

 故に、エレナをケイルだと見間違える事など絶対に起きない筈だった。

 だが、今現在スカラはエレナの存在を誤認しているのだ、一体何をやればそんな事が可能なのか、必死になって考えるが答えは見つからず、とっさに目配せした先のリグラスも、目を丸くしたまま首を横に振るだけだ。

 しかし、どういう絡繰りを使ったにせよ、緊急用のパスコードを知らない人間が家のセキュリティをオフにする事など出来ず、そのパスコードは自分以外誰も知るよしも無い事が幸いだった。

 「俺を脅してコードを聞き取る気か?」

 少なくとも時間稼ぎ位にはなる、そう判断したケイルは、状況を打破する糸口を見つけて僅かながら安堵を浮かべる。

 だが……

 「『Local code 1141aae Exist』……」

 何の意味も持たない、適当な言葉の羅列。

 その組み合わせによって作られ、作った本人ですら忘れかけていたパスコードを、エレナは淡々と告げる。

 「パスコードを確認しました、これよりこの室内を完全な情報隔離状態へと切り替えます。

 スカラシステムは、ケイル様がいち早く私の支援を求めることを心より望みます」

 コマンドを受理したスカラは、最後にそんな一言だけを残し、完全に接続を絶っていた。

 「なんでそのコードを知ってるんだ……」

 「さぁ、どうしてでしょう?」

 エレナは八重歯を光らせ、明るく答えてみせる。

 「お前は……一体何者なんだ……?」

 相変わらず子供じみたエレナの笑顔とは裏腹に、ケイルの頬を冷や汗が伝い、血の気が一気に引いていく。

 頭の中を覗かれている様な気持ち悪さと銃口を突きつけられた恐怖心、それらの感情に足が竦むのを覚えたケイルに彼女は一歩だけ歩み寄ると、何時の日か聞いた事のある一言を告げる。

 「私の名前はエレナ。

 ケイル・リットラードさん、あなたにとっておきのお願い事をしたいの」

 初めて会った日に彼女が口にした謳い文句、それを告げる彼女の表情もまた、初めて会った時と一切の違いが無かった。



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