第100話 4

「クレアー! 起きてー! 朝ごはんだよー!」


 早朝の寒さが身に沁みる。春になり日中は暖かな陽気に包まれるが、まだまだ朝のうちは寒くてもう一枚羽織るくらいが丁度いい。


 ユウが二人分の食器を食卓に置いていると、少し眠そうな表情のクレアがやって来た。しかし、食卓の上の料理の匂いを嗅ぐと、その目は普段と同じようにパッチリと開く。


「おはよう、ユウ。今日も美味しそうね」


 ふわふわのパンとカリカリに焼いたベーコン。炒り卵には香辛料を振り、豆のスープは昨晩の残りを温め直したものだ。


 二人は席に着き、いただきますと手を合わせる。


「今日の哨戒はどこだっけ?」


「西区よ。ほら、小麦畑のある」


「あ、そっか。あの辺はたまに魔物が出るからなぁ」


 ユウはパンの欠片を口に放り込む。そんな彼を見ながらクレアはしっかりしてよね、という視線を送る。





 都市国家連合とオーバルディア帝国の戦争が終結してそろそろ一年が経とうとしていた。


 ユウ達、ホワイトスワン部隊が帝都イースディアへと決戦を仕掛けたあの日、第十三代皇帝ジョナサン゠アル゠ラント゠オハラ゠オーバルディアが没した。帝国内でも屈指の戦争強硬派だった彼の影響力は大きく、当時までに至る軍備増強や他国への武力行使は殆ど皇帝の意向によるものが大きかった。


 しかし、逆に言えば皇帝を失った強硬派は脆く、あっという間に穏健派へと政治的主導権を握られてしまった。さらに言えば皇帝の実子、現在の第十四代オーバルディア皇帝は政治的、軍事的才覚が無いと専らの噂で、むしろ芸術だとか文化的造詣に深い人物と言われている。その為、今のオーバルディア帝国はかつての軍事的大国というよりも、芸術の都といった印象が強くなってきている。


 また、都市国家連合も帝国との戦争が終結した折に解体され、元のそれぞれ独立した都市国家として運営されている。連合軍も各都市国家へと戦力を割り振られ、今では治安維持と近隣の魔物退治という本来の職務を全うしているはずだ。






 そんな中、ユウとクレアは都市国家アルトスへと戻り、守備隊の一員として勤務する事となった。元々異邦人であるユウの戸籍は存在しておらず、そのままではまともな職にありつけないと分かった。さらに言えば、その卓越した理力甲冑の操縦技能を買われた形でもあり、日々アルトスの街周辺を理力甲冑で哨戒している。


 そして今ではきちんと戸籍を発行してもらい、アルトスの街にこじんまりとした家を構えてクレアと二人で住んでいるのだった。



「そういえば、ヨハンとネーナから手紙が届いてたわよ?」


「えっ、本当? 今頃どこにいるのかな、あの二人」


 クレアは壁に掛けられた状差しの中から一通の手紙を抜き取るとユウに差し出す。


「…………へぇ、今は大陸の東部か。あの辺はまだ行ったこと無いなぁ。クレアは?」


「私も無いわね。あっちは質のいい漁港があちこちにあるって話よ」


「うん、手紙にもそう書いてある。あはは、ネーナが生魚食べ過ぎて食あたりしたって」


「……え? 魚をナマで食べるの?」


「あれ、刺身とか知らない? こう、新鮮な魚を丁寧に捌いて、その切り身を醤油とかで食べるんだよ」


「いやいや、ナマで魚を食べるとかアリエナイから。絶対そんなのお腹壊すわよ」


「え~、美味しいのになぁ……そうだ、今度良い魚が市場にあったら刺身にしてみようか。あ、でも醤油ってこっちの世界にあったっけ?」


「駄目。絶対にダメ。ちゃんと火を通さないと怒るわよ!」




 ヨハンとネーナはあれからアムリア大陸のあちこちを旅していた。ネーナは念願の世界を見て回る旅というが、実際の所はからの逃避行というのが実際だ。


 追手の正体は分かっている。それは、ネーナの実家の使用人たちだった。


 ネーナは大貴族である実家に離縁状を叩きつけ、紆余曲折あってホワイトスワン部隊に合流していたのだが、彼女の父親は一人娘であるネーナをなんとか家に戻そうと画策していたらしい。戦後になってからはその動きが活発になり、半ば誘拐に近い形でネーナを連れ帰そうとしたところ、ヨハンが運良く(悪く?)撃退したのがこの旅の始まりだった。


 結局、それ以降は二人であちこちの国や地域を回っている。手紙でしか彼らの近況は分からないが、文面からは楽しくやっているようだった。


「……ネーナのお父さんね、私は一度だけあった事あるのよ」


「え? そうなの? 物凄い偉い人じゃないの?」


「戦後処理の話し合いでね、たまたま私が呼ばれた会議でね。会議が終わったあと、ネーナについて根掘り葉掘り質問されたのよ……」


 クレアのうんざりした表情から相当に面倒だったことが伝わってくる。


「怪我や病気はしなかったか、ちゃんとご飯は食べてるか、勉学は疎かになってないか、とか……あと、変な虫はついてないかって聞かれた時はなんて答えようかと焦っちゃったわよ」


「ああ……それは……」


 ユウとクレアは二人して苦笑いする。


「どっちにしろ、ヨハンは苦労するわね……」


「でも、そうなると……いつかヨハンは貴族の家に婿入りするのかな?」


「ちょっ、やめてよ! 絶対に似合わないわ!」


 クレアは何かを妙な想像をしたらしく、笑いを堪えられないでいる。ユウも自分で言っててビシッと貴族らしい豪勢な服に着られているヨハンの姿を想像してしまう。


「おっと、そろそろこんな時間か。早く片付けないと遅れちゃう」


「え、もう? 急いで食べるからちょっと待って!」


 慌てて残りを口に放り込むクレア。そんな彼女を見て、急に微笑む。


「……何よ、ニヤニヤして」


「いや、その……クレアと一緒にいられて幸せだなぁ、って」


「何言ってるのよ……バカ」





 * * *





 ホワイトスワンの仲間たちはそれぞれ別々に自分たちの場所へと戻っていった。


 リディアとレオは故郷の町に戻り、本来の目的である独立運動を続けている。今までのレジスタンスのような非合法な活動ではなく、真っ当な手段と広報活動を地道に繰り返すちゃんとした組織だ。


「レオ、新しい伝票は全部こっちに回して。それから仕入れの方はどう? 順調そう?」


「そうだな、予定の八割は確保出来そうだ。残りは交渉次第……といったところだ」


「分かったわ、そっちはアタシから話してみる」


 二人の故郷は帝国の隠れた圧政によって経済や物流が停止寸前だったこともあり、その立て直しを図るためにも小さな輸入代行会社を作ったとの事だ。帝国や各都市国家から様々な物品の取引をしているらしく、そのおかげで町はいくらか賑わいを取り戻したと手紙に書かれていた。


 実は彼女、リディアはホワイトスワンに乗っているあいだ、部隊の実質的な経理を担当していたらしく、計算や金勘定に強くなっていた。それどころか、仕入れや卸値などに人一倍敏感な嗅覚のようなものを鍛えたらしく、これまでの取引で大きな損害は出したことが無いのが自慢だと言っていた。




 シン・サクマはドウェインとの戦闘で大きな怪我を負ったものの、どうにか生き延びることが出来た。一時は危険な状態だったそうだが、今では松葉杖で歩ける程度まで治っている。


「くぁ〜……こうも身体を動かさないと鈍っちまってしょうがねぇ……」


 とても半死半生だった怪我人とは思えない回復速度で軍医も驚いていたらしい。しかし、怪我の後遺症が心配されるため、今後は理力甲冑に乗れない可能性が高いともユウは聞いていた。


「シンさんはこれからどうするんです? その、理力甲冑に乗れなかったら……」


「ん〜……さぁな。その時考えるよ……と言いたいところだが」


 シンは痛む腕を無理して握り拳を作る。以前よりもやせ衰えてはいるが、荒々しい拳だった。


「まずはあのオッサンよりももっと強くならなくちゃあな。その為には筋トレと稽古! 他には考えられねぇな、きっと!」


 ニシシ、と笑うその表情はどこまでも清々しく。


「もちろんオマエにも勝つからな? 覚悟してろよ?」


「覚悟だなんて……返り討ちにしてあげますよ!」


「お、少しは言うようになったなぁ?」


 この人ならば、怪我をする前よりも強くなりそうだと思うユウであった。






 また、スバル・ナガタはユウと同じくケラートの街の守備隊に配属を希望した。以前と少し違うのは、ファルシオーネ部隊を率いている事から、量産が進んでいるファルシオーネ専属の操縦士を訓練する教導隊の真似事をしていることだ。


 先生が開発し、設計した単独飛行可能な理力甲冑ファルシオーネはその軍事的優位性が高く、各都市国家に一定数の配備を進めているところだ。


「実家の道場を継ぐのが嫌でこの世界に流れ着いたのに、結局似たような事をしているのは因果というやつでしょうかね」


「でも、スバルさんはやりたくて今の仕事をしているんじゃないですか? 誰かに押し付けられるのと自発的にやるのは全然違いますよ」


「そうですね、私も最近はそう思えるようになりました。それに、人にものを教えるというのは何だか性に合っているようで……今度、街に新しい学校か作られるらしいんですが、教師を目指そうかと思いまして」


「へぇ、良いじゃないですか! スバルさんは丁寧に指導するからピッタリだと思いますよ」


「ふふ、ありがとうございます。でもその為には私自身が勉強しなくてはならなくて……ユウ君、こっちに来る前は受験生だったんでしょう? 時間がある時でいいので私に教えてくれません?」


「い、いやぁ……受験生だったのは二年も前の事で……」


「いや、冗談ですよ。大丈夫、自分で頑張りますから」


 微妙にスバルの目が本気だったような気がするユウ。それに彼ならばファルシオーネ改に乗ってケラートからアルトスまで文字通りひとっ飛びだ。


「なんだかんだいって、私達もこの異世界に馴染んでしまいましたねぇ……」


 感慨深く語る彼の目は遠くを、遥か遠くを見ているようだった。





 また、鎮護の森に軟禁されていたあのニホン人らのその後について、ユウ達はついぞ知らされることは無かった。もともと、帝国の暗部ともいえる事柄であり、かつこの世界では機密となり得る未知の技術を保有しているからだ。


 だが、その後の帝国の動きを見るに、悪いようには扱っていないだろう。クレアらが事の顛末を連合軍上層部に報告してあることを帝国側が察知していないわけがなく、外交筋からも探りを入れている以上、迂闊に手出しは出来ないからだ。


 あの時、ユウはニホン人たちに対して、連合へと亡命しないかと尋ねた。しかし彼らは首を縦に振ることは無かった。


「どうして……貴方達は帝国に軟禁され、不当に扱われてきたんじゃないんですか?」


「お若い貴方には理解できないかもしれませんが……私達の祖先がこの地に流れ着いたとき、この国の初代皇帝となったお方が救ってくださったのです。それ以来、我々は命の恩人である帝国と、初代皇帝様に忠誠を誓っているのですよ」


 ユウには最後までその忠誠というものを頭では理解できなかったが、なんとなく心では分かる気がした。おそらく、見知らぬ土地に迷い込み、右も左もしれぬ心細い状況では、手を差し伸べてくれた初代皇帝がどれほど頼もしく見えただろうか。どれだけ心強かっただろうか。


 その事を自分自身に置き換えてみると、子孫の代になっても帝国という国に忠誠を誓うというのはあるかもしれないと感じたのだ。




 彼らの事を救うというのは、傲慢なのかもしれない。そもそも、助けを必要としていないのだから。


 ユウは月日が経った今でもそう思うのであった。










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