第100話 3

 森の中を蹄の音が木霊する。


 三頭の馬が踏み締められた地面を疾駆していた。森は薄暗くあまり手入れされていないように見えるが、一直線に続くこの道だけは下草も殆ど生えていない。定期的に人が通行している証拠だ。


「急げ、もたもたするでない!」


 先頭を走る馬上、そこにはオーバルディア皇帝その人が跨っていた。手綱を握る手には力が込もり、必死の形相は普段の冷静さを微塵も感じさせない。馬に乗るような服装ではないため、時折馬から振り落とされそうになるのをどうにか堪えているような有様だ。


(連合の兵士どもはこの場所を知らん筈……しかし一刻も早く、アレらを連れてここから逃げなければ!)


 この森はそう広くなく、皇帝と護衛の一行が目指す場所はもうすぐだった。


「見えた! 急いでアレらを広場に集めろ!」


「はっ!」


 一行は馬の速度を緩めつつ目的地へと到着した。そこは鎮護の森、中央付近にあるニホン人らが住まう集落だった。馬から降り、急いで集落の住人を呼び寄せようとした護衛の兵士がふと立ち止まり耳を澄ます。


「へ、陛下! 後ろ……!」


 護衛の一人が恐怖に慄いた声を出す。そちらの方を見るまでもなく、皇帝の耳には規則正しい地鳴りのような音が届いていた。


「追いつかれた……?! しかしどうしてこの場所が……!」


 森の木々をなぎ倒し、二機の理力甲冑がその威容を現した。アルヴァリス・ノヴァとレフィオーネだ。


「そこまでだ!」


 アルヴァリス・ノヴァの手の平からクリスが飛び降りる。あちこちの傷が痛むのか着地の際に少しふらついてしまったが、すぐになんでも無いというような表情を作る。


「クリス・シンプソン……! 貴様、何故ここへ?!」


「フン、貴様の考える事などお見通しだ。大方、ニホン人らとその技術、知識を持って逃げようとしているのだろう?」


 図星だったようで、皇帝はギシリと歯ぎしりしたままクリスを睨みつける。すぐさま護衛の二人が皇帝とクリスの間に割って入った。腰の剣を抜き放ち、いつでも斬りかかれるよう構える。


「クリスさん!」


 と、跪かせた機体から飛び降りたユウが駆けてくる。クレアも自機から降りて、少し離れた場所から小銃をチラつかせて護衛を牽制する。銃口こそ向いていないが、引き金には指が掛けられておりいつでも撃てるぞという意思表示だ。


「ユウ、下がっていろ……すぐに片付ける!」


 そう言うなり、彼は地面を蹴る。全身の打撲と切り傷で痛む身体にも関わらず素早い動きで護衛の一人に組み付き腹部を強打、相手を一撃で気絶させて剣を奪い取る。


「こ、このォ!」


 もう一人の護衛がクリスに斬りかかろうとした瞬間、一発の銃声と共に手にしていた剣が急に弾かれたようにその場へと落ちた。ユウが振り返ると、クレアが小銃で剣だけを撃ち抜いたのだ。


「援護、一応感謝しておこう。この程度の雑魚には必要なかったがな」


 おろおろする護衛へとおもむろに近づいたクリスは、剣の柄で先ほど同様に相手の鳩尾を殴りつけ気絶させた。クレアは何なのよコイツと言いたげな顔をするが、空気を読んで口には出さない。


「さて、オーバルディア皇帝陛下……これで邪魔者はいなくなりましたな」


「どうして、どうしてだ! 貴様は栄えある帝国軍兵士の一人、それが何故連合軍の味方をするのだ!」


「それは先程にも申し上げたはずだが? 貴様の私利私欲を止める為、そしてニホン人を解放する為だ」


 毅然と言い放つクリス。その態度に業を煮やした皇帝はより一層と表情が険しくなる。


「皇帝陛下……クリスさんの言う通りです。貴方が自分の目的の為だけに多くの日本人を拘束しているというのなら、一刻も早く離してあげてください」


 今度はユウの方をジロリと睨みつける。彼のこめかみには青筋が浮かび上がっており、顔もかなり紅くなっていた。


「何故分からない! 国の繁栄を願い、民草に最大限の幸福を与える、その為には清濁併せ呑む必要があるのだ! このニホン人どもが持つ技術は計り知れない力がある! そう、力だ! 貴様らが駆る理力甲冑も、その一つ……誰かが適切に管理せねばあっという間にこのアムリア大陸全土は火の海になるのだぞ!」


「まだ言うのか……貴様の言っていることは詭弁だ」


「……陛下の言いたい事は理解できます。でも、それでもこんなやり方は間違っていますし、その先にあるのは破滅です!」


「ふん、何を白々しい……! ユウと言ったな、貴様こそ何故戦うのだ? どうして我が帝国へと歯向かう? いや、分かっている。大方、連合の腑抜けどもにたぶらかされておるのだろう? どうだ、今からでも我が方へと味方すれば悪いようにはせんぞ?!」


「何を……! 僕は騙されてなんかいません! 僕は、僕の意志で戦っています!」




「ちっ、流石にこうも五月蠅いと気付かれるか……」


 クリスの視線の先、そこにはこちらを民家の物陰から窺う者たちが。彼らはここに住まうニホン人らだった。


「こ、皇帝陛下……! これは一体どうしたことですか……?」


「今日は訪問される日ではは無かった筈ですよね?」


「だ、大丈夫ですか?! 人が倒れている!」


 多くの人々が集まりだし、俄に辺りは騒がしくなる。そしてユウは彼らの顔つきを見てどこか懐かしさを感じたのだった。


「本当に……日本人なんだ……」


「おいユウ。これは不味い流れになるぞ……」


 クリスの言うとおり、彼らからすればユウ達は皇帝陛下を害する不届き者にしか見えないだろう。やはりというかニホン人は皇帝に悪感情を抱いてはいないようで、遠くからでも心配する声が聞こえる。


「クレア、どうする……? この人たちを巻き込むわけにはいかないよ」


「かと言って、このまま皇帝を見逃すことも出来ないわ……!」


 三人は手の内ようが無くなった、そう思っていると森の方から妙な音が聞こえだした。何かが高速回転する高い音と、地面を踏みしめる音。


「ユウ〜! クレア〜! ようやく追いついたデス!」


 そこに現れたのは、なんとユウのバイクに乗った先生だった。小型理力エンジンは快調に駆動し、二つのタイヤが少しデコボコした道を踏破してくる。


「せ、先生?! なんで僕のバイクに?!」


「というかよくここが分かったわね……それよりスワンのみんなは無事なの?」


 多少ぎこちない操作でバイクを停めると、先生はぎりぎり片足を地面に着けながらどうにか降車する。


「フッフッフッ、こんな事もあろうかと密かに練習してたデス。ちなみにこの場所はスワンの理力探知機で見つけたデスよ。森の中に不自然な理力反応……怪しい上にオマエ達がそっちの方向に走っていくデスからね」


 と、先生は満足げに胸を張る。


「それからスワンのみんなは大丈夫デス。スワンは動かなくなってしまったのであそこに放棄、脱出したみんなはスバル達のファルシオーネ部隊に回収してもらったデス」


「そう、良かったわ……」


「いや先生、人のバイク勝手に乗らないでくださいよ……」


「非常時に何ケチいこと言ってるデスか、ユウ。私はこれでもオマエ達の事を心配してデスね……それより、とうとう皇帝を追い詰めたんデスね?!」


 先生は皇帝の方をチラリと見て大体の状況を察する。


「そんなんですが、ここは昔、漂流してきた日本人たちの子孫の人が住む村だったみたいで……」




「やい皇帝、ジョナサン・オハラ! オマエのやっている悪事は全部お見通しデス!」


「な、何を……急に現れておいて何なんだ!」


 ビシリと人差し指を皇帝に突きつける先生。その物言いに周囲のニホン人らは動揺しだす。


「オマエはオーバルディア帝国の、ひいてはこの大陸の為を思ってここにいる日本人らが持つという様々な技術を隠匿、独占したと言ったデスね?!」


「それがどうした! 彼らが保有する技術はどれも軍事転用可能なものばかりだ! それを無秩序に世へ放ってみろ、それこそ戦乱の時代となる!」


「オマエの言うことには一理あるデス。私達、技術者は新しい理論、技術を生み出す度にそれらを戦争や人殺しの道具に使われてきたデスから。もちろん、私の理力エンジンもその一つデス」


「……そうか、貴様が例の……!」


「ある意味、究極の二択デス。新しい技術が生まれなければ新たな兵器は作られない、しかしそれでは人類の歴史は停滞したままデスよ。そして我々技術者や科学者がそれらの苦悩に苛まれながらも研究や開発を止めないのは何故だが分かるデスか?」


 そこで先生は一息つく。視線の先は皇帝だけでなく、多くのニホン人らにも向けられているようだ。


「それは……よりよい未来を願っているからデスよ」


「未来……だと?!」


「新しい技術は確かに兵器や戦争に使われるかもしれないデス。でも、それ以上に沢山の便利を生み出すんデスよ。色んな場所へ行き来したり、空を自由に飛んだり……昨日よりも良い明日になるように願ってるんデス。それを秘匿、隠蔽するのは私達のその願いを踏みにじるも同じデス!」


「黙れ黙れ! より良い未来だと?! そんなものは儂の方がよほど考えておるわ! 貴様ら凡百の人間が考えるよりずっと深く、ずっと憂いておる!」


「……皇帝という人間が人の上に立つ人間だというのは理解できるデス。でも、結局武力で事を成した人間は武力で全てを喪うデス。これは歴史の中で何度も繰り返された出来事、もう一つの世界について良く知っているオマエなら、そんな事は分かり切っている筈デスよ」


 その言葉を紡ぐ先生の横顔はどこか儚げだ。




「だからこそ、新たな技術と武力を私が管理しようというのだ! 例えそれがどんなに困難であろうとも、このオーバルディア帝国は新たな力を得て大陸を、いや、このに覇を唱えることも夢じゃない! その時、我が帝国民にどれだけの利益と幸福が与えられると思っているのだ!」


 皇帝の語る言葉に、ユウはどこか空虚なものを感じる。おそらく、大きくは間違っていないのだろう。先生も言ったように、新しい技術は人々の生活を豊かにすると同時に、争いを生み出すこともある。それを制し、巨大な国へと発展させていくことも人類の歴史からすれば大筋で間違ってはいない。


 だがしかし。


「この男の言っている事は所詮、上しか見ない人間の戯言だ。人々の暮らしとは言葉の上、理想の上にあるものではなく、街や村々それぞれの土地に根付いているもの……それを知らずに何が国を豊かにするだ」


「僕もクリスさんと同じ考えです。この世界に来てから一年と半年……僕はこのアムリア大陸の色んな所へ訪れました。そこでは沢山の人たちが精一杯、生きていました。陛下……貴方はそういう人たちを見たことがありますか? あの帝都イースディア以外の人々の暮らしを間近で見たことがありますか?!」


 ユウはこれまでの事を思い出す。アルトスの街は賑やかで外は一面の小麦や野菜の農地が広がっていた。クレメンテはさらに多くの住人がおり、大陸有数の大都市という事をまざまざと見せつけられた。


 途中、オニムカデが大量発生していた村を救ったこともある。あそこは確か、林業で生活していたはずだ。他にも、リディアとレオの故郷に立ち寄ったり、グレイブ王国に数日間だが滞在した事もあった。


 もちろん、帝国領内の村や町にも身分を隠して忍び込んだりもした。日用品や食料の買い出しが殆どだったが、帝国も連合も大きな違いは無かった。そこには、日々を一生懸命に生活する人々がいるだけだったのだ。




「う、五月蝿い! 儂が、この第十三代オーバルディア皇帝なる者がそ、そのような民の暮らしぶりを知ってどうする! そんな事よりも、儂は、儂はもっと多くの事業を推し進め、経済と政治を取り仕切ってきた! そして武力を以て危険な要素は全て取り除いてきた! そ、そのお陰で他国が飢饉に陥ろうとも、流行病で多くの死者が出ようとも、我が帝国はその被害を最小限に留める事が出来たのだ!」




「……ユウ、諦めよう。この御仁は、我々の言葉では素直に考えを改めてはくれないらしい」


 ユウが何を、と言おうと口を開いた瞬間。




 生暖かい液体がまるで噴水のように辺りへと撒き散らされた。


「なっ、オマエ! なんて事……をしたデスか!」


「動かないで! それ以上動くと、アンタを撃つわよ!」


 皇帝を一息に切り捨てたクリスはどこか遠い目をする。その表情は何かを成し遂げたり、目的を果たした歓喜のものではなく、寂寞とした、どこかやりきれないという感情を窺わせる。




「ク……リスさん! 何も殺さなくたって……!」


 思わずカッとなってしまったユウは彼へと詰め寄る。両肩を掴まれたクリスは、その勢いで剣をその場に落とした。


「最初に言っただろう……これは私怨のようなものだと。私はな、ユウ。はじめからこの男を殺すつもりだったんだよ」


「どうして……? せめて、せめて殺す以外の方法を探すべきだった!」


「それは無理な相談だな。何故なら、これは仇討ちだからだ。必ず、奴の死を以て償わなければいけなかったんだ……いや、違うな。これは私の勝手な言い分か……」


 そう言うと、クリスはあまりの出来事に固まってしまっているニホン人らの中に視線をやる。そして、年若い男性の影に隠れるようにしている男の子を見つけた。


「そんな……今更そんな事を言っても、クリスさんのした事は間違っていますよ! そんなのは誰かの考えを押し付けてるだけで、皇帝と同じですよ!」


「そう……だな。しかし、この事をどう判断するかは……成長したの決めることだ。それが罪であるというのなら私は甘んじてその罰を受けよう」


「自分勝手過ぎますよ……そんなの……!」




 事切れた一人の男の血が流れていく。まだ温かい血は、地面へと零れていき、少しずつ、確実に地面へと吸収されていった。


 ここは鎮護の森と呼ばれる、オーバルディア皇帝歴代の亡骸が眠る墓所。この地でジョナサン゠アル゠ラント゠オハラ゠オーバルディアはその生涯を閉じた。







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