第93話 師匠・3

第九十三話 師匠・3


わたくしはなんの為に理力甲冑カレルマインに乗っているの?)


 己の夢を叶えるため。


(夢……私の夢とは?)


 世界を見て回る。色んな国や土地の人々を知りたい。


(それは一人で?)


 出来れば……二人で。ヨハンと二人で。


(それは貴女ネーナのワガママではなくて?)


 確かに……。


(自分の好意を押し付けてるだけなのでは?)


 …………。


(でも)


 でも。


(この気持ちを抑えることなんて、出来ませんわ!)




「行きますわよ、お師匠様! お覚悟はよろしくて?!」


 カレルマインは鋭く一歩を踏み出し、サカキの乗るステッドランドへと接近する。右、左と連続した突きを繰り出し、相手を牽制する。とはいえ先程とはうって変わり、どこかサカキも捌くだけで手一杯のように見えた。


「ほら、どうした?! まだまだこんなもんじゃないだろ!」


 サカキの激励に応えるようにネーナは己の意思を再確認する。理力が意思、意思が強さとなるのならば、この気持ちをとことんぶつけてやろう。


「これは……どうですか?!」


 ネーナが叫ぶと同時にカレルマインはその身を沈め、相手の脚を払う水面蹴りを繰り出す。だがサカキはその動きを見切っており、軽やかに機体を跳躍させて回避する。


 しかしネーナは止まらない。空中に跳んだ事で一瞬だが身動きの取れないステッドランド目掛けて上段回し蹴りを放った。サカキはこれをなんとか両腕で受け止めるが、あまりの衝撃力に装甲がいくらか歪んでしまった。


 直後、カレルマインはクルリと一回転してさらに後ろ回し蹴りを叩き込んだ。踵がステッドランドの脇腹に直撃したが、どうやらサカキは例の防御法を使ったらしく、こちらの膝と足首の関節がミシリと鳴ってしまう。


「まだまだ……ですわ!」


 後ろ回し蹴りを防御したステッドランドは、しかしその衝撃を全て殺すことは出来なかったらしく、その場から何歩か下がってしまう。サカキに反撃の機会を与えまいとネーナはさらに間合いを詰めていった。


「その調子だ! もっと集中しろ!」


 思い切り踏み込んだ右脚を軸に逆突きを放ち、続けて左の前蹴りへと繋げる。カラテの基本である突きと前蹴り。ネーナは瞬間にだが、サカキから稽古をつけてもらう日々を思い出した。




(いいか、前蹴りというのは最初に膝を高く、身体で抱え込むように上げるのがコツだ)


(突きの威力を高めるには、こう、こうやって突きが当たる瞬間に拳を絞って、それから捻るんだ)




「いやぁぁぁ!」


 気勢を上げ、さらに連打の速度を上げていくネーナ。一つ一つの動作を確認するかのように脚、腰、上半身、脇の締め方、そして腕の振りを意識する。一連の動作は非常に正確、そして滑らかに連動しており、あたかも最初から動作を決められた機械のようだ。


 サカキもその速度になんとか追いつくが、次第に一撃一撃の重さに機体の腕が追い付かなくなっていく。どうにか一つの突きを捌いても、次の突きに間に合わず装甲同士が激しく火花を散らせる。先刻の上段回し蹴りを受けた際に前腕の装甲および内部骨格インナーフレーム、人工筋肉に少なくない損傷が与えられたのか、その動きは周囲の者でも分かるくらいに鈍くなっていた。


 カレルマインとステッドランドは激しい攻防を繰り広げる。防御に徹するサカキのステッドランドはもちろん、連続攻撃を行うネーナのカレルマインもその損傷が少しずつだが蓄積していた。


 前腕をはじめとした機体各所の装甲はかなり傷つき、歪み、内部の人工筋肉や骨格も痛んでいることだろう。生身の身体であれば自然と抑えてしまうほどの威力の突きをこの短時間で数十と放ち、受けている。




 そして、直感的にネーナは感じ取ってしまった。このままでは押し切られて負けてしまう、と。




(やはり、私ではお師匠様には勝てないのでしょうか……)


 左右の連打から隙のない回し蹴り。だが止められる。


 一気に懐へと入り込み、肘を使った猿臂えんぴ打ちからの振り下ろす拳槌打ち。だが逸らされる。


 あらゆる打撃が、蹴りが寸での所で止められるか躱される。圧倒的実力の違い。




 師匠に勝ちたい、ヨハンにこの気持ちを伝えたい。その一心で拳を繰り出していたが、次第にその意気も消沈しかけてしまう。自分では駄目なのか。自分のような世間知らずの決意とはこの程度なのか。


(ヨハン様……)


 一瞬だが、視界の端に鈍色の理力甲冑が映った。ヨハンの乗るステッドランド・ブラストだ。


 ブラストは満身創痍、左腕は肩からだらんとしており、機体のあちこちは傷だらけで無事な箇所を探すのが大変なくらいだ。相当に疲労と損傷が蓄積しているのか、どこか動きもぎこちない。


 だが、それでも彼は戦っている。片腕で赤い短刀を振り、迫りくるカゲロウを相手取っている。ヨハンは決して諦めてはいなかった。




(…………!)


 ネーナはその姿を見て、己を恥じる。自分が心折れかけているのに、ヨハンはその素振りすら見せない。たとえ不利な状況だとしても、乗機が満身創痍でも、まだ戦える。


 だというのに、自分はなんだ。師匠が強いくらいで、たったそれだけのことで負けた気分になっている。そうではない、まだ勝負はついていないのだ。決着がついてないうちから勝手に負けてどうする。





 ネーナの瞳に、再び闘志が宿る。諦めるのは後だ。泣き言を言うのも、弱音を吐くのも、全部が終わってからだ。今は疲労困憊の身体に鞭を打ち、機体がバラバラに破壊されるまで戦い抜くのみだ。


「お師匠様、私は、ネーナは貴方を倒します!」


「ならば、その意思を見せて見ろ! 言葉だけではなく、心からの意志を!」


 両者は一瞬のうちに互いの間合いから飛び退る。


 サカキのステッドランドは前羽の構え。肘をやや曲げ、両腕を身体の前面にする構えで、ここから相手の攻撃を受ける十字受けや腕を回転させることで逸らしてしまう回し受けといった様々な防御法に繋げることのできる守りの構えだ。この前羽の構えが完成すると、あらゆる攻撃を防げるという。


 対してネーナのカレルマインは右拳と左拳を身体の前面に、両脚をやや開き気味に構える。カラテの基本中の基本、正拳突きの構えだ。突きや蹴りを始め相手からの攻撃を受けやすく、達人はこの構えを見ただけでその人物の強さを推し量れるという。




 二機の理力甲冑は微動だにせず、相手をじっと見据える。これはお互いに相手の出方を窺っているのではなく、自ら攻撃を仕掛ける機会を窺っているのである。傍から見れば硬直しているようでも、両者の間では激しい牽制が行われている。


 ネーナは自分の突きをどう繰り出せばサカキへと到達するか、逆にサカキの攻撃をどう捌くか、目に見えぬ攻防を繰り広げる。ほんの僅かな瞬間、ほんの少しの対処の差、そのどれもが一撃必殺になり得る師匠の攻撃を掻い潜り、自身の一撃を送り届けるか。


 その時間はほんの一瞬だったかもしれない。いや、もしかすると何分、何時間、何日も経ったのかもしれない。ネーナとサカキは今や集中の極致にあり、時間の感覚があやふやになる程だった。だが、不思議なことにその精神は非常に澄み渡り、どこまでも晴れわたった空か、もしくは静かに水面をたたえる湖をも思わせる。







 何が切っ掛けかは分からない。気が付けば、身体機体が勝手に動いていた。


 カレルマインは大きく一歩を踏み出し、大地を砕きながら踏みしめる。腰の重心を安定させながら上半身を捻り、右の腕を真っすぐに突き出す。


 それを緩慢とも思える腕の動きで迎撃するステッドランド。だがその前腕はしっかりとカレルマインの突きを受け止めつつ力の方向を巧みに逸らしていく。そしてその反動を利用するように反対の腕を真っすぐに突き出した。しっかりと握られた拳は予め決められた軌道を進むようにカレルマインの胸部装甲へと打ち込まれていく。


 誰もがサカキの勝ちを疑わなかった。元からの実力差もある。今までの攻防を見ててもカレルマインに勝ち目はない。




 だが、ネーナは只一人、自身の負けを認めなかった。勝つのは自分だと最後まで信じ続けた。




 カレルマインは相手の打撃が届く直前、突きの腕を突然引きながらさらにもう一歩を踏み出した。そのせいでステッドランドの突きは腕が伸びきる前に当たってしまい威力が半減してしまう。ネーナは最初から相手の攻撃カウンターを誘うつもりで仕掛けたのだ。


 機体同士が密着した状態、そこからカレルマインは相手の胴体へと拳をピタリと当てる。そして踏み込んだ脚をさらに踏み込み、機体全身の人工筋肉を一気に膨張させるように、相手の胴体を撃ち貫くように力を振り絞った。


 まるで、爆発音。


 とても金属同士の衝突音とは思えない激しい音が辺りに轟いた。




 カレルマインとステッドランドは再び静止する。


 いや、カレルマインの突いた右腕が力無く垂れ下がった。装甲の隙間からは人工筋肉の保護液がとめどなく零れ始める。


 対して、サカキのステッドランドはほぼ無傷だった。突きが打ち込まれた胴体の一カ所に拳の跡がくっきりと残ってはいるが、見た目ほどの損傷は無さそうだ。





「…………」


「…………」


 しばしの沈黙。周囲を取り囲む侍衆も、この決着に固唾を飲んで見守っている。




「まさか、本当に勝っちまうとはな……」


 直後、ステッドランドは全身が脱力したかのようにその場で崩れ落ちてしまった。見れば、機体の全身からは人工筋肉の保護液が大量に流れだしているではないか。


 サカキはカレルマインの密着状態からの突きを例の筋肉を締め上げる防御法で凌ごうとした。だが、あまりの衝撃力に人工筋肉が耐えきれず、そればかりか突きの威力が全身へと伝播してしまい、機体のありとあらゆる人工筋肉が破裂してしまったのだ。筋肉を極限まで締め上げられた理力甲冑は、さながら内圧が極限まで高められた瓶のような状態となり、そしてとうとうその圧力に耐えきれなくなった。


「そんな事を仰って……最初からお師匠様は勝つ気が無かったくせに」


「ありゃ、バレてたか」


 ややおどけた風に言う師匠に多少の不満は見せつつとも、ネーナは感謝の言葉を口にする。


「本当にありがとうございます。お師匠様の教えは一生忘れませんわ、だから安らかにお眠りになって……」


「おいおい、勝手に殺すなよ」


「あら、しぶといですわね」


 あれだけの死闘を演じて見せたにも関わらず、二人からは思わず笑いがこぼれる。例え敵同士でも、例え僅かな時間ではあったものの、二人は師弟だったのだから。





「さて、と。どうすんだ、これから」


「決まっています。残りの方々を蹴散らして御覧に入れますわ」


 戦闘不能になったステッドランドを見て、次は俺の番だと言わんばかりに侍衆のカゲロウが前へと出てくる。ネーナはカレルマインの無事な左腕をゆっくりと持ち上げ、しっかりとした握り拳を作る。


 すぐ近くで戦っているステッドランド・ブラストの激しい剣戟音を背後に、深紅の理力甲冑は大きく一歩を踏み出した。







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