第93話 師匠・2

第九十三話 師匠・2


 サカキの発する闘気が一層増したのか、ネーナの身体がビクリと震える。と、次の瞬間には三発の突きがカレルマインへと叩き込まれていた。


「ッ?!」


 機体の中心線、いわゆる人体において正中線と呼ばれる箇所、顎先、鳩尾、腹部へとそれぞれ強い衝撃が襲う。人間の身体では急所とされる部位は、すなわち人体を限りなく模倣しているカレルマインにとっても危うい箇所となっていた。


 顎先は頭部に収められた眼球カメラ・アイや通信機などに損傷を与え、鳩尾と腹部にあたる部位は操縦席にいる操縦士を直接攻撃するものであり、その鋭い打撃はカレルマインの顔面と胸部装甲を容赦なく破壊する。ネーナ自身もあまりの衝撃に気を失いそうになり、思わず機体の操縦が覚束なくなってしまった。


 小さい地響きと共に、深紅の理力甲冑がその場に崩れ落ちる。


 その眼前には無手のステッドランドが立ちはだかった。構えこそ解いているものの、その圧倒的闘気は依然として発せられており周囲を取り囲む侍衆でさえうすら寒いものを感じさせるほどである。


「さて、と。これで終わりだ。分かっただろ、ネーナ。お前の腕じゃ俺は倒せない……まだ、今はな」


 サカキは何を思ったのか、含みを持たせた言い方をする。そしてその纏った闘気を消し、カレルマインにその手を差し伸べた。




「今こうして手合わせしてみて分かった。お前ネーナの筋は良い。今はまだ粗削りだが、これから俺が本格的に教えてやればすぐに強くなれる。そう、をお前の拳一つで護れるくらいには、な」


 そこでサカキは一呼吸置く。


「だから、帝国へ戻れ。何、処罰だとかそういうのは気にするな。俺が何とかするさ」







 若干と意識が朦朧とするネーナはその言葉の意味、真意を図りかねていた。どういうことなのか、これは額面通りに受け取るべき言葉なのか。それとも何かしらの意図があるのだろうか。自分は確かに父がオーバルディア帝国の大貴族であるし、血筋だけで言えば現皇帝とも繋がりがある。そういった所からの策謀なのか、それとも自分を政略の道具にでもするつもりなのか。


「……お師匠様には感謝していますわ。何も出来なかったわたくしにカラテを教えてくれたおかげで、ここまでやってこれました」


 ネーナは痛む体に喝を入れ、無理やり操縦桿を握りしめる。口の中に鉄の味が広がるのが分かった。浅く早い呼吸をなんとか制し、ゆっくり静かな深呼吸をして、全身に新鮮な空気を送り込む。そして目を見開き、少しずつカレルマインを立ち上がらせた。


 幸い、眼球カメラ・アイの損傷は酷くなく、まだ戦闘に耐えうるようだ。胸部装甲もかなりひしゃげてしまったが、動作に影響はない。ネーナの意識もようやくハッキリしだし、真っすぐにステッドランド師匠を見据える。


「お師匠様は暇つぶしのつもりだったのでしょうけど、あの稽古が無ければ私は今も屋敷のなかに閉じ込められていた……いや、自ら外に出る勇気が持てなかったかもしれませんわ」


 カレルマインは右手を開き、そして閉じる。それを二度繰り返し、それからゆっくりと指を折りたたんで拳を作った。強く握り込まず、手のひらに少しの空気を掴むように。


「そしてあの日、私は屋敷から、家から出ることが出来ましたわ。いえ、導いてくださった方が現れました。それから少しですが、いくつかの街や土地を訪れましたわ」


 鋼鉄の脚はやや肩幅に開き、しっかりと地面の上へと立つ。重心を低く、足裏と大地が一体化しているような感覚に。強い突きと蹴りを繰り出すには地面との一体化が重要だと彼に教わった。


「そのうえで申し上げます。今の帝国は間違っておりますわ。周辺諸国との調和を乱し、自国の利益を追求する。国の繁栄を願うのは民の、臣下の上に立つものとして当然でしょうが、その方法が正しいとは思えません。故に……」


 ネーナはもう一度、息を深く吐き、そして吸う。全身が疼くように痛む。衝撃で打ち身になったのだろう、だが今はそれを意識的に鈍くさせる。


 今は、この眼の前のを倒す。己が正しいと思うことの為に、間違っているものを正す為に。


「だから、お断りしますわ」



「……そうか」


 ネーナの返答にどこか断られることを想定していたのか、あまり追求しないサカキ。


「それに」


「?」


「そんな帝国に寝返ったらヨハン様に嫌われてしまうかもしれませんわ。もしそうなったら私、生きていけません! 例えお師匠様と言えど、二人の仲を引き裂くような非道は許しません! お覚悟を!」


「……はぁ?」


 急に何を言い出すのかと思ったサカキはなんの事かサッパリ分からない。どうやら彼が知っているネーナと、今のネーナはだいぶ違うようだ。


「ええっとつまり、お前の惚れてる奴に嫌われたくないから、こっちには来れないと……?」


「きゃっ! もう、お師匠様ったらそんな惚れてるだなんて……私は確かにヨハン様の事を……ゴニョゴニョ」


 突然、クネクネとしだすカレルマイン。おそらくネーナの顔は真っ赤なのだろうなとサカキは思い、やれやれといったようにため息をつく。


「何を言ってるんだ、お前は……。だが、お前も昔のお前じゃないということか。つーか、そんな性格キャラだったっけ? なんか変わってねぇ?」


「失礼な、私は私のままですわ!」


「ああそうですか……んじゃま、仕切り直しも図れたことだし」


 その言葉を合図に、カレルマインとステッドランドは再び構え合う。周囲の空気もすぐに緊張で張り詰める。


「もう一度手合わせ、願おうか?」




 まるで巨大な蛇にでも睨みつけられたかのような悪寒が走る。だがネーナはその威圧に対して真正面から立ち向かった。


(とはいえ、どうしたものでしょうか……)


 先程の一撃からもわかる通り、今のネーナとサカキの実力は天と地ほどの開きがあると言ってもいい。殆どの攻撃は悉く捌かれ、もし直撃してもあの人工筋肉を堅く締める防御法の前では簡単に無効化されてしまう。


 かといって、逆にネーナが師匠の攻撃を捌ききれるかというとそれも怪しい。さっきは何をされたのか分からないほど疾く鋭い突きを見切れるのか。


(ヨハン様……)


 ネーナは思わず自身の背後、ホワイトスワンを隔てた向こう側、大広場で奮闘しているであろうヨハンの方を見そうになってしまった。だが、今は眼の前の敵から視線を外すことは自殺行為に等しい。少しでもヨハンの事を感じたいという気持ちに、仕方なく蓋をしようとした。今は戦闘中、そのような気持ちは相応しくない、と。






「……ネーナ、お前には基礎しか教えてこなかったがな。一番重要な教えを忘れていたよ」


「急になんですの、そんな昔話で私は絆されたりはしませんわよ?」


「まあ聞け、可愛い弟子が師匠に歯向かうんだ。餞別の一つくらいは良いだろう?」


 サカキの真意は図りかねるが、ネーナは彼が手の込んだ駆け引きや卑怯な真似をしないと知っている。なので、とりあえずは話を聞くことにした。


「カラテの最も基本にして最奥、これを極めることがカラテの意味と言ってもいい。それは世界との合一だ」


「……?」


「世界とは己の周囲、空気、土、木、動物に虫、魚や鳥。もちろん人間も含めたすべてだ。自らをそれら全てのものと等しくさせる、それはつまり自分という個が全てであり、全てはそういう個が集まったものだ」


「あの、お師匠様はいつから哲学か思索に耽るようになられたんですの?」


「確かに言葉にすると小難しいがな、もっと簡単な事なんだよ。お前に課した精神修行のいくつかはこの考えに基づいている。自分自身を世界と合一させるには、つまり全てのものと自分に宿る理力……意思を一つにするんだ」


 そう言うとサカキは機体の両の掌を合わせる。


「理力とは意思の事。自らの意思が理力となり、周囲のものから生じる理力はそれらの意思だ。自らの理力と周囲の理力、それらを自在に操る……それがカラテの目指す所となる」


 理力と意思。淡々と語るサカキだが、ネーナはその言葉の一つ一つに耳を傾ける。


「己の理力……意思を操るのは存外に難しくて、簡単だ。そして理力を操る事で生身の身体を鋼のように硬くしたり、巨大な岩をも砕く事が可能となる……ま、これは本来の使い道じゃないんだがな」


「…………」


「そして意思とは、己の心の内だ。己を抑圧し過ぎても、開きすぎても駄目だ。心と、精神と身体の流れに反するな。……ま、分かりやすく言えば、自分の心には素直になれ、って事だ」


「お師匠様……」


「へっ、礼には及ばんさ」


「最後の所以外はサッパリわかりませんでしたけど、言いたいことは理解しましたわ! なんとなく!」


「いや、なんとなくかよ。もう少し頑張ってくれよ」


 師匠が若干落ち込んでいるのを無視しつつ、ネーナは自分自身に問いかける。私はどうしたいのかと。






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