第93話 師匠・1

第九十三話 師匠・1


「ど、どこに行ってらしたんですか! !」


 深紅の理力甲冑、カレルマインに搭乗しているネーナが思わず目の前の理力甲冑に向かって叫ぶ。その機体は無手で特に武器らしいものを身に着けてはいなかった。


「どこに、だと? んなもん俺の勝手だろう?」


「それでフラリと姿を消すのは勝手が過ぎますわ! 家庭教師としてお雇いになられたのに、お父様が凄く困ってらしたんですのよ?!」


「あ~、そりゃ悪かった。いや、つい南方の料理が食いたくなってだな……」


 ネーナが師匠と呼ぶ男性は悪い悪いと謝るが、その口調はまったく悪びれた様子が感じられない。


 彼は周囲からはサカキと呼ばれていた。


 サカキというのは苗字か名前かはネーナは知らない。聞いても教えられなかったからだ。そんな彼は元々、ネーナの家庭教師の一人として屋敷に招き入れられたものの、本来の教えるべき学問はそっちのけでカラテの稽古ばかりつけていた。ネーナの父親も、家に籠ってばかりよりかは多少の運動も良いだろうと黙認していたらしい。


 だが、ある日突然、書置きも誰に告げることも無くサカキは姿を消したのだ。家庭教師の前は根無し草だと嘯いていたが、どうやら今の言動を鑑みるに本当の事だったのかもしれない。とにかく、ネーナはそれ以降は独学でカラテの修行を積み、誰に教えられるでもなく理力甲冑の操縦法を体得していったのだった。




「まぁそれはこの際、横に置いておきますわ。それより、どうしてお師匠様が理力甲冑に乗って帝国軍の方と一緒におられるんですか? 別に軍人さんでは無かったはずですが」


 ネーナの師匠は緑灰色のステッドランドに乗り、そしてその周囲にはカゲロウが。これはどう見ても帝国軍の手の者だと言わざるを得ない。だがネーナの記憶の中では、サカキは軍人でもなく、むしろ軍隊を嫌う素振りすらあったはずだ。


「ああ……それを話すと長くなるんだがな」


「なら良いですわ。特に理由を知りたい訳でもありませんし」


「っておいおい、お前から聞いてきたんだろうが……」


 思わず調子を狂わされる師匠。だがネーナは少しも油断はできないと感じている。こうして普段通り会話をしていても、師匠が乗るステッドランドはまったく隙を見せないのだ。


「……さて、話すことも無いのなら……仕合しあうか……!」


 無手のステッドランドが腰を深く落とし、両手を構える。途端、ネーナは周囲の空気がいくらか冷えたような気がした。もちろん、実際に気温が下がったわけではない。師匠の気当たりが彼女の恐怖心を呼び覚ましたのだ。


(お師匠様の本気……! 初めて見ますけど、やっぱり想像以上ですわ……!)


 ネーナが師匠から学んだカラテはあくまで基礎の動きと構え、そして精神的修行の方法くらいなもの。こうして二人が間接的とはいえ拳を交えるのは初の事だった。そして、ネーナ自身が考えているよりも師匠は数段強いという事が肌を通して理解できる。


 しかしだからといって彼女が退くことはないだろう。師匠が強いことはなんとなくだが知っていた。こんな所で再会するとは思わなかったが、それでも強敵と戦わなくてはならなかった事には違いない。


「お師匠様、わたくしの修行の成果を……見て頂きますわ!」




 カレルマインは相手に対してやや半身、そして腰を落として左右の拳を機体の前にして脇を締めるように構えた。カラテにおける、基本の構えだ。


 両者の間に一陣の風が舞う。カレルマインとステッドランド、互いに一挙手一投足の間合いで相手を睨み、出方を窺うように気配を読む。


「…………」


「…………」


 ネーナはじっと操縦桿を握り、サカキ師匠の攻め手を予想した。師匠の構えは両手を機体の前で開くようにして相手の攻撃を受ける構えだ。この構えは鉄壁の防御を誇り、極まればあらゆる攻撃を弾き、いなすと教わった。


(それなら、わたくしの攻撃がどこまで通じるか……試させて頂きますわ!)


 相手に気取られぬよう、息を慎重に吸い、そして吐く。


 次の瞬間、カレルマインは全身のバネを活かした跳躍で一気に相手の懐へと飛び込んだ。機体の重量と速度を乗せた膝蹴りを叩き込もうとするが、師匠のステッドランドは左の手で上手く流れを逸らしてしまう。


 だが、カレルマインはその勢いを劉さず、むしろ逸らされた勢いを利用して機体を捻り、空中で回転蹴りに発展させる。大きく遠心力を味方につけた左の踵がステッドランドの胴へとめり込む。


 ……と、思われたが、サカキは右手と膝でガッチリ蹴り足を受け止めてしまった。一瞬だが動きを止めたカレルマインは、その背中に何発かの打撃を貰ってしまい元の場所へと吹き飛ばされてしまう。


「くっ……!」


「どうした? それで終わりか?」


 サカキの挑発に乗るようにカレルマインは振り向きながら再び構えを取る。師匠の前で隙を見せては命取りだ。


 今度は摺り足で少しずつ間合いを詰めるネーナ。カレルマインの損傷は軽微でまだまだ戦える。


 相手の間合いの内側に入っても、サカキのステッドランドは微動だにしない。おそらく、後の先カウンター狙いなのだろうか。しかし、睨み合い続けても状況は好転しない。むしろ時間が経てば経つほど寡兵であるホワイトスワンが不利となってしまう。


 カレルマインは小刻みな突きを繰り返し、サカキの防御を崩そうと試みる。ステッドランドは左右の腕を匠に使い、一つ一つの突きを丁寧に捌いていく。


(流石ですわ、防御にまるで穴が見当たりません!)


 師匠にはネーナの攻撃が完璧に読めているのか、彼女の攻撃する箇所を予め知っているかのような腕捌きだ。あまりに澱みなく流れる動きに、ネーナは自分の行動が予め決められた物のように錯覚してしまう。


「んー、良い線いってるんだがなぁ……なんて言うの? 思い切りが足りんぞ。俺を師匠と思わず、もっと殺す気で来い!」


 サカキはネーナの突きを物ともせず、それどころか指導するかのように話し掛ける。いくら彼女の師匠だったとはいえ、ここまで技量に差があるというのか。


「言われなくても……ですわ!」


 気勢を上げ、ネーナは精神を集中させる。カレルマインはその場で深く腰を落とし、両足をやや開く。左腕を相手の方へと突き出し、右腕を腰溜めに構えた。そして左腕を腰へと引き、その反動を利用するかのように、左右の肘が連動しているかのように真っ直ぐ拳を突く。


 カラテの基本技の一つ、正拳突き。


 両足をしっかり大地と一体化させ、上半身、腰、下半身の筋肉を総動員する。そして、引き絞った弓が矢を放つかのように撃ち出される単純だが最も強い突き。


 カレルマインの拳が空気を壁を叩き、それを貫く。一瞬だが音の速さを超えた突きは、ステッドランドの胸部へと叩き込まれた。


 鋼と鋼がぶつかりあい、まるで爆発したかのような轟音が辺りに響いた。




「なっ?! 嘘ですわよね?!」




「嘘なもんか。これがカラテだよ」




 渾身の一撃が打ち込まれたはずのステッドランドは、果たして無傷だった。胸部装甲は傷一つ、ヘコミ一つ無く、逆にカレルマインの拳がやや歪んでしまってる。


 ステッドランドの胸部装甲は特筆するほど厚くない。機体重量と生産性を考慮しつつ、それなりの防御力を備えた普通の鋼板だ。距離によっては小銃でも撃ち抜け、強い衝撃を受ければ簡単に曲がってしまう。


 その筈なのだが。


「カラテにはな、全身の筋肉を締めて相手の打撃を無効化する技術があるんだよ」


「いやそれ生身の話ですわよね?!」


「何言ってやがる、理力甲冑にも筋肉はあるだろうが」


 つまりサカキは打撃を食らう瞬間、機体の人工筋肉を力こぶを作るように膨張させたのだ。装甲の下にある人工筋肉は柔軟性のある緩衝材であり、堅く締まった肉の塊であり、もし全身の人工筋肉を完璧に操作することが出来たなら、それはカレルマインの正拳突きの衝撃を吸収することなど造作も無いことなのだろう。


「そんな無茶苦茶ですわ!」


「無茶なもんか、現にやってみせただろうが」


「反則ですわ! 抗議しますわ!」


「往生際の悪い、そろそろケリを付けるぞ?」






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