第88話 衝突・1

第八十八 衝突・1


「ふぅ……ハッ!」


 シンは短く息を吐き、全身に気を巡らせる。これまでの戦闘でかいた汗が服に貼り付くが気にはしてられない。少しでも油断すれば、文字通り叩き潰されるような相手だ。


 グラントルクは両手を構え、機体をやや半身にする。武術も何もない、ただのケンカの構えだ。そのはずなのに、自然体な構えは隙が無く、堂に入ったものだった。これでいい。これが一番とシンは直感的に判断する。


「いくぜ……おっさん!」


 シンは言い終わる前にグラントルクを前方へと跳躍させた。助走も無く、人工筋肉の瞬発力だけで一気に間合を詰めたグラントルクはそのまま腰を捻り飛び蹴りを食らわせる。跳躍の運動エネルギーをほぼすべてにぶつけた蹴りは、受け止めたゴールスタの足元を深くめり込ませ、やはり石畳を砕いて陥没させてしまった。


「やるではないか!」


 凄まじい衝撃の蹴りを腹部と両腕で難なく受けきるドウェイン。ただ分厚い装甲に頼っているのではなく、精緻な機体操作による衝撃の緩和を行っているのだとシンは直感的に分かった。


「おっさんもな!」


 右脚をゴールスタ・プラスに掴まれたまま、グラントルクは反対の脚を振り上げた。そして相手の頭部へと勢いをつけて振り下ろす。


 だが、強烈な踵落としが決まる直前にグラントルクの機体は思い切り投げ飛ばされてしまった。まるでハンマー投げのように理力甲冑を軽々と振り回すゴールスタの圧倒的パワーを前に、周囲を取り囲む操縦士は目を見開いてしまう。


 轟音と共に、放り投げられたグラントルクは近くの建物へと頭から突っ込んでしまう。幸い、この付近の住民は避難しているらしく、建物の中に人の気配はない。ただ、バラバラと崩れたレンガや粉々になった建材が容赦なくグラントルクへと降り注ぐばかりだ。


「いちち……」


 あまりの衝撃にシンは頭を擦る。どこかぶつけたようだが、血は出てないようだ。グラントルクもその重装甲の機体に損傷は無いようで、操縦桿から伝わる感触はいつも通りの力強いものだった。


 両手を突いて立ち上がろうとするが、普通の建築物が理力甲冑の重量を想定した造りであるはずがなく、二階部分の床がガラガラと崩れてしまった。不自由ななか、どうにか機体を立ち上がらせたシンは砂ぼこりの向こうに巨体を見る。


「へへへ……面白くなってきやがったぜ!」


 彼の口元がニィ、と獰猛に吊り上がる。全身の血液が熱くなり、心臓は脈を強く打つ。


 グラントルクも強敵の存在に悦んでいるのか、すこぶる調子が良い。シンの思考を完璧に動作として再現でき、今なら機体を通して五感全ても感じ取れそうなほどグラントルクと一体化出来ている。


「いくぜいくぜいくぜ!」


「フン、もう一度投げ飛ばしてやろう!」


 グラントルクは再び地面を駆ける。対するゴールスタ・プラスはその場から動かず、まるで巨大な石像のような威圧感を振り撒く。あまりの闘気にシンはその大きさが何倍にも錯覚しそうになるが、腹の下あたり、丹田に力を込めることで相手に呑まれないように気を張った。



 * * *



 彼は思う。ここまで胸が躍る『戦闘』は久しぶりではないだろうか。




 シン・サクマはごく普通の家庭に生まれた。中堅どころの電機メーカーに勤める父、近所のスーパーでパートをしている母。そして体格に恵まれ、大抵のスポーツは人並み以上にこなせるシンの三人家族。特に何かがあるわけでもなく、普通に高校を卒業すればクラスの皆と同じく大学進学するのだろうと思っていた。


 だが、そんなが終わりを告げたのは進学直前の事だった。友人に連れられ、たまたま入った総合格闘技のジム。それまで格闘技に特段の興味が無かったシンはただ人より体格がいいというだけで誘われただけだったのだが、そこで初めて闘うことの面白さを知ったのだった。


 その日を境にシンは格闘技をはじめとした闘うことにのめり込む。大学の授業もそこそこに、アルバイトとトレーニング、スパーリングを繰り返す日々。センスもあり、フィジカルもメンタルも人より優れていたシンはメキメキと実力を付けていった。数年後にはちょっとした大会で優勝するくらいに。


「……なんか違うな」


 シンがそう言い残してジムを退会したのと、大学を中退したのはほぼ同時だった。


 何が違うのか、それはシンにも分からなかった。試合で勝つのは楽しい。筋トレも減量もたいして苦にはならない。だが、何かがモヤモヤしてしまうのだ。


 それを知ろうと彼は空手やキックボクシングの門を叩き、そしてやはり何かが違うとしか感じなかった。そしてまた別の道場やジムを訪ね歩く。金が無くなれば工事現場やパチンコ屋で働き、時には怪しくとも金払いの良いバイトも探すような毎日。


 そんな生活を続ければ当然、家族との軋轢も生じる。両親からすれば、一人息子が大学にも行かずフラフラと遊び歩いているようにしか見えず、家に帰れば口喧嘩が絶えなくなってしまった。仕方なくシンは安アパートを借り、そしてまた自分の探し求めるなにかを見つけるためにトレーニングを励む。


 シンの心には一度着いた火が燻っていたのだ。自分にしか分からない、このモヤモヤしたものを確かめないとは一生引きずるだろうという妙な確信だけがあった。




 ルナシスに召喚されたのは、そんな時だった。




 最初は何の冗談かとシンは思った。ここが何処だか分からないのにロボット理力甲冑に乗って戦え? ふざけるのも大概にしろ、早く元の世界に戻せ。


 そう思う一方で、シンの心に奇妙な期待感があるのも確かだった。聞けばこの大陸ではオーバルディア帝国と都市国家連合が戦争をしているという。


(そういえば、本気で命のやり取りはしたことなかったな……)


 シンが手習ってきたのは格闘技や武道といえども、あくまでもスポーツの範疇にある。試合や練習中に怪我をする事はあっても、本気で人を殺したり殺されたりなどというという殺伐な世界とは無縁だった。


 しかし、この理力甲冑での戦闘は大怪我では済まない。一昔前まで無闇に相手の操縦士を害するのは未熟な腕と考えられてきたらしいが、最近ではそうもいかないとの事だ。




 殺るか、殺られるか。




 果たしてシンは理力甲冑においても抜群のセンスを発揮した。槍を主武装にしたのは、こちら側へ召喚される前までとある槍術の門下生として修練していたという事もあるが、やはり理力甲冑に乗ってのきたのが槍だったから。彼自身、こういった直感や感覚は実戦において重要だと知っていた。




(このヒリつくような空気……やっぱり試合とは一味違うな)


 肌が焼けるような殺気と正気を失いそうになる緊張感。理力甲冑での戦闘はシンの心を覆うモヤモヤを吹き飛ばしていった。別に人を殺す事に快感を覚えたわけではないが、戦うことで自分が自分でいられる事、その確かさを実感できる気がするのだ。


(でもよ、自分より弱い相手をいくら倒しても……あの時感じた違う何かは分かんねぇな……)


 だからシンはグラントルクに乗る。戦い続ければ、いつか自分よりも強く、燻る心を燃やしてくれる強敵の存在が現れると。そして自分が何を探し求めているのか、それが分かる瞬間を待ち望んでいるのだった。




「おっさん……テメェは教えてくれるのかよ?」






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