幕間・11
幕間・11
カリカリカリ……
お世辞にも広いとはいえない部屋で、紙に何か筆記具を走らせる音が響く。
辺りには高く積まれた本の山、脱いだままの白衣、くしゃくしゃに丸められた図面……。ここはホワイトスワン内部、先生に割り当てられた自室だ。
ベッドの上はシワだらけのシーツ。私物を入れる戸棚やタンスは半開きのまま。どう見ても散らかっている
しかしそういう時、先生の台詞はいつも決まっていた。散らかっていない、これはちゃんと場所を把握してるから問題ない、むしろ綺麗に片付いていると不安になる、と。
「ふぅ。流石の私でも一朝一夕には終わらないデスね……こういう時に分身の術でも使えればババッと終わるんデスが……」
徹夜で書類を作成していたのか、先生の目元にはクマが出来ている。どうやら理力甲冑の運用データを纏めているらしく、様々な数値やグラフ、整備記録などがこと細やかに書き記されていた。
「くぁ〜……」
赤いフレームの眼鏡を外し、眠たい目を軽くこする。眠気と日頃の疲れが蓄積しているのか、先生の思考判断力は徐々に低下しつつあるようだ。しばらくペンを走らせていたが、次第にウトウトし出してしまう。
「うう……頭が鈍いデス……少しだけ……少しだけ……おやす……デス」
そう言い残すとそのまま机に突っ伏してしまい、すぐに先生の意識は深い微睡みの中へと沈んでしまった。
* * *
「先生~います?」
先生の部屋の前、扉をコンコンとノックするユウ。朝食の時間になっても先生がやって来ないため、彼が呼びに来たのだが……。
「? 先生、開けますよ?」
ガチャリ、と扉を開ける。
「……と、寝てる?」
そこには机に突っ伏したまま、静かな寝息を立てている先生の姿が。
(うーん、相変わらず散らかってる……)
他の人間がうかつに手を出すと先生が怒るためなかなか片付かない部屋の中、なんとか足場を見つけて一歩ずつ進んでいく。
(……少しだけ……甘い匂い……)
自慢ではないが、ユウはあまり女性の部屋というものに訪れた事がない。ルナシスへと召喚される以前、学校生活において女友達というものはいたのだが、特別
ぐちゃぐちゃに散らかっており、床には専門書が高く積まれ、何かの図面が広がり、ベッドには白衣がそのまま――――
「……っ!」
と、その白衣の下から覗く下着を見て顔を赤くするユウ。どうせ先生の事なので、シャワーの帰りに脱いだ下着を白衣と一緒に丸めてポイしたのだろう。
「先生はこういうの男の人に見られても別に平気って言うけど……うーん」
ユウとしてはもう少し慎みを持って欲しいとは思っているのだが、どうも先生は学者気質というのか、下着などはただの布程度にしか認識していないらしい。流石に艦内を下着姿でうろつく、などという事は無いのだが、クレアによると自室内では頓着していないそうだ。
なるべく下着の方を見ないようにしつつ、ユウはどうにか先生が眠りこけている机までたどり着いた。彼女は何かのデータを纏めている途中らしく、ペンを持ったまま寝落ちしている。
「あれ……?」
やや癖っ毛の金髪の向こう、先生が掛けている眼鏡。
「……先生って眼鏡かけていたっけ?」
ユウが知る限り、先生が眼鏡を掛けている所はこれまで見たことがない。整備の時やホワイトスワンのブリッジにいる時をはじめ、日常生活では特に視力が悪そうな素振りも見せた事はない。
ここルナシスにおいて眼鏡自体はそこまで珍しいものではない。ユウのいた元いた世界のように相当な数が普及しているわけではないが、それでも大きな街に行けば必ず専門の眼鏡屋あり、そこそこの町でもいくらか眼鏡を取り扱う商店はある。なので先生が眼鏡を掛けていても別段不思議なことは無いのだが……。
「うーん?」
深めの赤をしたフレームは、やや角張ったアンダーリムタイプ。比較的小顔の先生にはよく似合っているとユウは思う。
「……おっと、早く起こさなきゃ。ほら先生、起きてください」
他人の寝顔を盗み見る事に僅かばかりの罪悪感を覚えたユウはユサユサと先生の肩を揺する。それなりに深い眠りに入っているのか、なかなか起きない。
「うにゅ……」
「ほら、先生! 早く起きないと朝ごはん終わっちゃいますよ!」
無理やり先生の身体を起こすユウ。先生の頬に張り付いた書類がパサリと落ち、眼が半分開いた。
「んぁ……?」
「ようやく起きた。ほら、顔洗ってください。それからご飯の時間ですよ」
「ユウ……? ふぁあ……おはようデス」
「はい、おはようございます。ところで先生? 先生って眼鏡かけてましたっけ?」
「んぇ……?」
半分夢の中にいる先生は、言われてペタペタと自分の顔を触っていく。そして眼鏡に指が触れた瞬間、寝ぼけていた目がカッと見開かれた。
「あ、あわわわ……」
「せ、先生……?」
「見るなー! デス!」
「ぐほっ!」
先生が思い切り突き出した握り拳はユウの腹部に鋭くめり込み、彼は悶絶の表情のまま倒れ込んでしまった。
* * *
「いてて……」
「う、だから悪かったデス……」
ユウはお腹をさすりながら食堂の椅子にもたれかかっている。その向かい側には遅めの昼食を取りながらバツの悪そうな顔をしている先生が。いつの間にかあの眼鏡は外していた。
「いえ、その事はもういいですよ。それより……」
「駄目デス」
「まだ何も言ってないじゃないですか」
「眼鏡のことは忘れるデス」
「……」
先ほどからこの調子なのである。先生に眼鏡の事を聞こうとすると、駄目、忘れろ。この二種類の返事しか返ってこない。
「……別にいいんじゃないですか? 眼鏡」
「駄目デス」
「結構似合ってましたよ?」
「ぁぅ……」
似合っていると言われ、先生は思わずフォークを落としそうになってしまう。顔も真っ赤になってしまい、口をパクパクさせる。
「……その、私が眼鏡掛けてると……野暮ったくないデスか?」
「いえ? 全然? むしろ、より先生っぽい気がしますよ。可愛いから普段からそのままでもいいんじゃないですか」
「うぅ……!」
何故か先生の顔は先ほどよりも赤くなっている。それがどうしてなのか、ユウは全く気付いていないようだ。
「ユウのおたんこなーす! そ、そうやって変な事ばっかり言うなデス!」
「あ、先生! ご飯残ってますよ!」
「うるせーデス! 残りは後で食べるから取っておくデス!」
そう言い残して先生は食堂から走り去ってしまった。
後に一人、残されたユウは頭の上に
「先生、どうしたんだろう?」
* * *
「…………」
チラチラとクレアがユウを盗み見ている。何故か、眼鏡を掛けた状態で。
「……………………」
彼女は狙撃の名手で、視力も人並外れている。そんなクレアが掛けている眼鏡はよく見ると度が入っていない。つまり伊達眼鏡、というやつだ。
「…………………………………………」
「あ、あの。クレアさん?」
「あぁら何かしら! ユウ!」
「いや、あの……さっきからこっちを見てるけど……僕何か、やらかした?」
「そ、そんな事ないわよ! それより、何か気付かない?!」
クレアの謎の威圧感に思わずユウは一歩下がってしまう。
「え? な、なにが?」
「ほら! 何か気付くことがあるでしょう?!」
クレアはこれ見よがしに自分の眼鏡をクイと持ち上げてアピールする。どこで手に入れたのか、淡い水色をしたメタルフレームのオーバルタイプの眼鏡は柔らかい雰囲気を醸し出しつつ、どことなく知的な印象も与えている。
「……えっと……あ、もしかして!」
「ええ!」
「少し痩せた!」
「違うわよ馬鹿!」
思い切り叫ぶクレア。これは
「大きな声出して……なにしてるデスか」
「あ、先生」
ひょっこりと顔を出した先生はあの時の赤いフレームの眼鏡を掛けていた。
「な、なんでもないわよ!」
「助けて先生!」
ユウとクレアを見比べて、先生はなるほどという顔をする。
「はぁ、全部分かったデス。十中八九、ユウが悪いデス。それからクレア、ユウはこういう奴なんだからもっと直接的にいかないと全然
「う、それは確かに……」
「え? 僕が悪いの?」
「悪いデス! ユウは罰として腕立て百回デス!」
「なんで?!」
「……なんかムカつくから腹筋百回追加ね」
「クレアまで?!」
うろたえるユウを尻目に、クレアと先生はお互いを見合ってもう一度大きなため息を吐いてしまう。
「ユウはほっといて行きましょ先生。ところでその眼鏡、カッコいいわよね。どこで売ってたの?」
「これはかなり前に帝国の街で買ったやつデス。どうしても書類仕事が多いと目が疲れるデスからね。そう言うクレアのも良い趣味してるデス。この前寄った街でデスか?」
仲良く眼鏡の話題で盛り上がる二人の背中を見ながら呆然と立ち尽くすユウ。彼はまだまだ女心というものをよく理解していないのであった。
「あの、姐さん。ユウさんは別に眼鏡ッ娘が好きってわけじゃないと思いますよ?」
「な、なんの事かしら!? まったくヨハンは変なことを言うわね!」
(私もなんとなくそんな気がしてたデス)
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