第85話 碧空・1

第八十五話 碧空・1


 オーバルディア帝国領内。その上空に巨大な円筒形をしたが浮かんでいた。


 これはオーバルディア帝国軍が開発した軍用飛行船、ルクセント。気嚢を鉄板で覆った、いわゆる硬式に分類される巨大飛行船だ。内部には大量のヘリウムガスが貯蔵されており、後部のプロペラによって推進力を得ている。


 内部は見た目の割に狭く、その殆どが浮力を得るための気嚢と、理力甲冑の格納庫で占められている。帝国軍の主力であるステッドランドを八機収容でき、簡易ながら整備と修理も可能な設備を備えていた。


 一部の設備や配管など、実はホワイトスワンを参考にしているところもあり、初期の設計段階で図面が流用されていることに起因する。これは試験飛行用機種での成功から、実戦用機種の開発、及び運用までの期間短縮を図ってのことである。




「風向きと天候はどうですか?」


「はっ、観測班からの報告ではこの先一時間は変わらず、との事です。風も一定の速度のようですし、予定通りかと」


「分かりました。引き続き高度と速度を維持してください」


 彼女、エベリナ・ウォーは飛行船の艦長からの報告を受け取り、ブリッジから外の景色を眺める。払暁の日差しは鋭く、眼下に広がる大地を幻想的な色に染め上げていた。


(霧も出てないし、うかつに進むと発見される可能性もある……しかし)


 大陸の西から東に吹く強い気流に乗った飛行船団は順調に目的地へと進む。先の戦闘でも示されたように、速さこそが勝利に繋がる重要な要素だ。飛行船での移動は従来の馬や徒歩によるものとは一線を画す、革新的な移動法として今後は広がっていくだろう。


 表面効果を利用した高速輸送艇の時もそうだが、軍隊において移動時間の短縮は計り知れないほどの効果を有する。およそ戦争というものは、実際に敵と戦闘する時間は少なく、その殆どは移動しているか、もしくは寝るか食べるかだ。そしてそれは、軍の規模が大きくなればなるほどその重要性が増してくる。


 そのため、近年の帝国軍ではこのような新たな移動手段について模索し続けていたのだ。




 雲一つない快晴。飛行船に乗り込んだ気象観測班の報告によると、目的地付近の天気は晴れ。風向きは南西からの微風。湿度、気温もこの時期の平年並みで、端的に表すならばお出掛け日和という奴だ。


 そう、それはこの飛行船部隊にとっても、絶好の航行日和なのだ。




(時刻からすると、そろそろ連合との国境……例え見つかっても、この高度を攻撃する手段は少ない……)


 ここ、ルナシス世界ではおよそ飛行機などの航空技術は未発達分野だった。ニッポン人から学んだ航空力学などの理論はあるものの、せいぜいが滑空機グライダーなどの動力に頼らないものしか実用化されていない。


 それは偏に、例えばガソリンエンジンのような小型で高出力な内燃機関に類するものが発明されていない事に起因する。そしてそれはこの大陸で原油が採掘出来ていない事にも由来していた。


 それがここに来て風向きが変わる。


 先生の発明した理力エンジンは近代的な内燃機関と同等の大きさと出力を兼ね備え、燃料ではなく人間の理力を基に稼働する機関だ。本来であれば蒸気機関や内燃機関という技術的段階を経なければいけない所を、一気に技術革新ブレイクスルーしてしまったのだ。


 そのおかげで航空機の軍事利用は利点も大きいが、修正しきれない歪みも生じてしまっていた。


(あのスカート付きレフィオーネ……連合に潜入した間諜によると量産されているらしいですが、それが真実だとしてどれくらいの数が実戦配備されているのでしょう)


 エベリナの心配事は航行中の天気だけではない。航空機がほとんど発達していないため、現在のところでは帝国、連合の両軍では対空火器を鋭意開発中である。が、それを上回る脅威が連合軍が開発した、単独飛行可能な理力甲冑による迎撃だ。


「さすがに多くは多数を量産配備しているということは無いにしても、警戒しなければいけませんね……」


 いくらこの飛行船が巨大で理力甲冑を何機も搭載しているとはいえ、飛行する理力甲冑相手では小回りの利かない船体はいい的でしかない。武装自体は船体各所に理力甲冑用の小銃を改造した機銃が設けられているが、それでもどれほどの効果を発揮するのかは未知数だ。


 帝国軍でもレフィオーネのような単独飛行可能な理力甲冑について研究は行われていた。しかし、機体の重量軽減と理力エンジンの出力、そして安定した推力の制御が難航しているのが現状だ。これは帝国製の理力エンジンが、本来の開発者である先生のものを参考に作り上げた粗悪品デッドコピーであるためだった。




「ん……!」


 これから始まる作戦とその対応、それに様々な懸案事項が絡まり合い思考が纏まらなくなってきたエベリナは眼鏡を少し上げ、目頭を押さえて軽く揉みほぐす。


「隊長、お疲れのようですが……少し休まれては?」


「いえ、私は大丈夫です。もう一時間もすれば作戦が開始されるのですから、休んでいる暇はありません」


「ですが……」


「艦長、もう連合軍の国境を越えるのではないですか? 見張りを厳にせよ、と各部署へ通達して下さい」


「……はっ!」


 正直なところ、今のエベリナは披露が蓄積しつつある。


 数ヶ月前にこの飛行船部隊の指揮官を拝命し、部隊の訓練と運用法を突貫作業で確立していったうえに、此度の作戦では重要な役割を任じられているのだ。軍上層部は言葉にこそしないものの、この作戦が決戦に相当するものと捉えているらしい。


 それだけにエベリナは東奔西走の下準備をせねばならなかった。作戦の詳細を詰め、各部隊との連携を図り、兵站と物資の確保……工作も含めてその働きは多方面に渡った。


「ふぅ……」


 部下にはああ言ったものの、エベリナは備え付けの椅子に腰掛ける。もともと、ドウェインの代わりとして指揮をとる場面は何度もあったが、いきなりの昇進に伴う部隊長としての役割と責任は大きかった。


(こんなところで押しつぶされない……あの人の、血が繫がらないとはいえ娘ですもの)








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