第84話 面従・2

第八十四話 面従・2


 クリスとエッジワースを乗せた馬車は帝都中央、議会場や王城を間近に臨むこじんまりとした邸宅の前で停まった。どうやらここが目的地らしい。


 小綺麗な身なりの使用人に出迎えられ、クリスは屋敷の中へと入っていく。エッジワースはここまでのようで、客車の中からクリスの方へと意味深な表情を向けていた。


 屋敷の大きさはこの界隈で見られるような豪邸よりもはるかに小さく、どちらかというとそこらの民家と同程度だ。しかし、そこかしこに見られる調度品や家具はそれなりにしっかりしたものが多い。いかにも、な高級品ではないようだが、それでもこれだけ揃えてあるとなるとこの屋敷の主はある程度の地位を持っているはずだ。


(しかし……侍大将を使い走りにするような人物……? 皇帝……いや、まさかな)


 しかし、皇帝がクリスこうして呼びつける必要があるような用事などあるのだろうか。もしそうだとしてもこのような小さな屋敷で、ということが?


 部屋へと通され、その人物が何者なのかを考えてしまう。それなりに地位の高い人物なのは間違いない。侍大将であるエッジワースをこのような使いに出せるとなれば、それこそ皇帝一族か、その系譜に連なる有力貴族くらいなものだ。


 どちらにせよ、誰が何の目的でクリスを呼びつけたのかまでは分からないが、相当な面倒ごとであるのはほぼ間違いない。まだ会ってもいない人物の顔を思い浮かべて、クリスは静かにため息を吐く。




 と、軽く扉を叩く音が部屋に響く。ようやく来たか、とクリスが椅子から立ち上がって出迎えようとする。いったいどこの誰が出てくるのかと待ち構えていると、扉がゆっくりと開かれる。


「……!?」


 そこにはある意味でよく見知った顔があった。知ってはいるのだが、直接会話したことは無くこうして間近で見るのは初めての相手。少なくとも、帝国の民ならば子供でも知っている顔。


「君がクリス君か、話には聞いているよ。初めまして、かな。こうして急に呼びつけた無礼を許してくれ」


「……いえ、そのような事は決して。陛下」


「私のような立場になるとそうそう簡単に人と会えなくてね。まったく、とは辛いよ」


 そう、クリスをここまで呼び出したのはオーバルディア帝国第十三代皇帝、ジョナサン゠アル゠ラント゠オハラ゠オーバルディアだったのだ。さしものクリスも、この人物は意外で少々緊張してしまっている。


「立ち話もなんだし、座ろうか。ああ、ここでは君が客人なのだから変に気を遣わんでよろしい。堅苦しい敬語もナシだ」


「そうは言いましても……」


「よいよい。もうすぐ茶を用意させる。しばしの間、お待ち頂こうか」


 そうこうしているうちに、先ほどの使用人が紅茶の用意を持ってくる。銀色のお盆には二人分のカップとポットが乗っており、微かにいい匂いが香ってきた。特別詳しいわけではないが、一時期は貴族の屋敷で暮らしていたクリスにはその茶葉とカップの良さが分かる気がした。


 芳醇な香りは濃密だが嫌な感じはしない。むしろ紅茶本来の香りといったところか。高温で抽出された鮮やかな赤色の液体を啜ると、ほのかな苦みと共にふわりと鼻腔に抜ける甘さが舌の上に広がる。


「……私はこの手の事に疎い身ですが、とても良いものですね」


「この茶葉は私のお気に入りでね。そう言って貰えると嬉しいよ」


 皇帝は満足げな表情でカップを傾ける。式典などで国民に向ける時の、凛々しくも穏やかな顔と声色だ。それでいて、余人とは異なる一種独特の雰囲気を纏っている。思いがけず、真に人の上に立つ人物とはこういうものか、とクリスは感じ入ってしまう。


「ところで」


 と、皇帝は静かにカップをソーサーの上に戻す。


を知っているかね。クリス君」




 一瞬、時が止まったかのような錯覚を覚える。クリスは僅かな動揺を面に出さないよう、口に付けていたカップを離した。


「と、言われますと……帝国の歴代皇帝が眠るという、あの森のことでしょうか」


「そうだ。殆どの帝国臣民が知っていると思うが、あそこには建国当時からの霊廟が祀られている。私の父も、祖父も、そしていつか私もあそこで悠久の眠りにつくのだろう」


 皇帝の一挙手一投足に変化はない。先ほどの穏やかな声色も変わらず、この話の真意が全く見えない。


(……まさかとは思っていたが、バレていたのか?)


 鎮護の森は皇帝自身とわずかな側近、そして専門の役割を与えられた役人以外は何人たりとも立ち入ってはいけないという決まりがある。それが例え、皇嗣(皇位継承順位第1位の皇族)であってもだ。


 実際に鎮護の森へと不法に侵入した者はこの二百年の間いないとされる。しかしそれは表向きで、過去には賊が霊廟の金品目当てに忍び込み、捕縛されたというウワサがあった。そのウワサ話では凄惨な拷問の末、荒野の果ての魔物に生きたまま喰われたらしい。真偽のほどは定かではないが、それを裏付けるような厳重な警備は身をもって体験している。


「まだまだ御身は壮健のご様子。そのような言葉を漏らされては国民と軍人の意気も沈んでしまいます」


「フフフ、まるで侍従長のようなことを口にするな……まぁ、まだまだ当分は元気なつもりでいるのだがね」


 皇帝は再びカップに口を付け、残った紅茶を飲み干す。やや後退気味の頭髪はすっかり白くなり、顔のあちこちには深いシワがきざまれている。しかし、その立ち振る舞いやはきはきとした喋り方にはまったく老いを感じさせず、言葉の通りあと十年は現役でも通用するのかもしれない。


「どうしてこんな話をするのかというとだね、あそこには霊廟があるだけではないのだよ」


「……と、言いますと?」


「君はこの世界の成り立ちとアムレアスについて知っているな?」


 この世界、ルナシスの先住民たるアムレアスと、別の世界から漂流してきたクリス達の祖先にあたるニンゲンと様々な動植物。はるか昔はこの地のものと共存していたらしいが、いつしか人間達はアムレアスを排除していき、今の繁栄があるのだという。


「ええ、アムレアスの長から聞きました。漂流のことについても」


「うむ。この世界とは異なる世界から、何らかの拍子に流れ着く……我がオーバルディア帝国建国の際も彼らの助けなくしては成し得なかった」


「彼ら……とは?」


「ニッポン人だよ。初代皇帝がまだ地方の一貴族だった頃、彼らは突然現れたらしい。それこそ、一つの村か町くらいの規模がまるごとな。彼らはどうやら技術者や科学者の集団だったらしく、今の我々よりも数段先の科学技術を擁していたと伝え聞く」


 クリスはなんとなく会話の目的を察しながら相槌を打つ。下手にこちらから詮索するよりも、向こうに話させればいい。


「当時の技術では彼らの持つ技術をほとんど再現できなかったが、それでも革新的だった。ただの地方貴族が持つにしては過分なほどの武器と兵の運用方法……そして、人が強力な武器を手にすると考えることは一つしかなかろう?」


「王位の簒奪……ですか?」


「その通りだ。歴史書には初代皇帝が旧王国に反旗を翻したのは、当時の貴族や国に搾取される民草を救うためとされている。が、真実はなんてことはない。本当の所は強力な科学技術をニッポン人ごと他の有力貴族に奪われそうになったからだ。自らの身と技術を守るため、王を討ち自分が他の者より強いと示すことが最善の手段だっただけだ」


「…………」


「儂はその考え方を肯定的に捉えておる。手段はどうあれ、初代皇帝が周囲に反抗したためニッポン人達の科学技術は守られ、今の帝国の発展に寄与している。そして大陸全体の文化的、技術的水準は百年は一足飛びに進歩したのだよ」


「……今の帝国の豊かさ、精強さは私も実感するところであります。しかし、今の話ではニッポン人の活躍が見えてきません。歴史の本にも、そのようなニッポン人の話はどこにも書かれていませんが?」


「彼らの技術はな、先を行き過ぎているんだ」


 皇帝は柔らかい陽光が差す窓の外を眺める。その遠い視線は一体何を見ているのか。


「さっきも言ったが、人は強大な力を手にするとそれを使いたくなってしまう。それは恐らく人の生まれ持った性分なのだろう。それを理解していたからこそ初代皇帝は帝国を建国したのち、彼らの技術が他国へ流出することをよしとせず、技術の段階的封印をすることにしたのだよ」


「段階的……封印?」


「そうだ。我々が一度にさまざまな技術、理論、原理を知ってもその扱いに困る。そのため、技術の原典をニッポン人たちに管理させ、我々はそれを少しずつ開示してもらい世に普及させる事になった。鎮護の森はそんなニッポン人たちの隠れ家であり、我々帝国は彼らを守護しているのだよ」


 クリスは何も答えず、じっと皇帝の顔を見る。その表情からは何も読み取れず、こちらを精神的に揺さぶっているとも、ただの世間話をしているようにも思えてしまう。


「……そのような真実、想像もつきませんでした。初代皇帝の慧眼、感服いたします」


「おや、聞いていなかったのかね? から」


 その言葉に、クリスの全身から血の気が引く音が聞こえた気がした。










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