第84話 面従・1

第八十四話 面従・1


 その日、クリス・シンプソンは彼の人生のうちでも、一番に困惑したことだろう。


 目の前の小さな机には南方で採れる最高級のお茶。そして向かい合って座る人物はオーバルディア帝国、現皇帝であるジョナサン゠アル゠ラント゠オハラ゠オーバルディア、その人だった。









 鎮護の森から戻ったあと、クリスはセリオとグレンダにそこで見聞きした事の口止めを厳重にした。いくら皇帝直属の護衛部隊とはいえ、おそらくあの森にいるニッポン人と彼らが持つ科学技術の事は帝国でも相当に重要且つ、極秘事項なのだろう。


「偶然知ってしまったとはいえ、この事が誰かに知られたら我々は秘密裏に始末されるだろうな」


「うう……どうしてこんなことに……」


「そんなことより早く朝飯食いに行こうぜ。腹が減って力が出ねぇ」


 グレンダは話の最中に寝ていたため、殆ど内容を理解していない。セリオも、事の重大さを多分に理解しているため当面は問題ないだろう。


 しばらくは様子を見つつ、皇帝と議会の動向を探る。鎮護の森で出会ったニッポン人、シズコの考えを諸手を挙げて受け入れるわけではないが、それでもクリスは彼女の言葉が妙に頭へと残っていた。


(しかし……私の今の立場では、正直何も出来ないな。肩書こそ、特殊警護部隊皇帝直属第二課小隊長と、そこらの指揮官よりは発言権があるらしいが)




 理力甲冑部隊の腕は立つがどこにでもいるような小隊長だったクリスは、とある秘密を知ってしまった。それはこのルナシスの歴史であり、アムリア大陸に住むニンゲンと先住民であるアムレアスの隠された歴史だった。


 その秘密は大陸全土で守られているらしく、そのことを知っているのは各国の指導者や王族といったごく限られた者たちだけ。それはこの世界の本来の住人であるアムレアスが、大陸を明け渡す代わりにニンゲンから隠れ住む為の取引の結果でもあった。


 そのため、普通であればクリスはアムレアス達の住む名もなき島から帰還した際、秘密を知ってしまった者として一生を牢獄で過ごすか、処刑されるはずだった。


 それを免れたのは彼の持つ類まれなる理力甲冑の操縦技術と、単独で漂流現象を呼び起こした理力、そして猛将ドウェイン・ウォーの推挙によるものであった。


(皇帝にも直接意見できるドウェインくらいの戦果を挙げる……いや、前線に立てなくなった現状、それは難しいな)




 皇帝とドウェインの付き合いは二人が若い頃まで遡るという。当時の帝国もそれなりに強大な国ではあったが今ほど力を蓄えてはおらず、魔物の脅威や近隣諸国との軋轢により理力甲冑が出動する自体が何度もあった。若き日のジョナサン皇帝はまだ即位前ではあったが、いずれ軍で指揮を取るべくその任に就いていたという。


 ある時、帝国領の小さな村が魔物に襲われたとかで、討伐部隊が編成された。ジョナサンは現場を知らねばまともな指揮は出来ぬ、とその討伐部隊を率いて出発する。重臣達も、魔物の討伐程度さほど危険もないのなら、と仕方無しに見送ったという。


 だが、村を襲った魔物は凶暴なロックベアだった。それが三体も。


 当時の理力甲冑は今ほどの性能は無く、銃火器も普及していなかった。そんな状態で岩石熊の異名を持つロックベアの表皮を破る武器はなく、出来ることといえば大人しく山へと帰るのを待つくらいだ。


 一瞬にして討伐隊は壊滅、ジョナサンも命の危機に晒されようとした。その時、重量級理力甲冑を駆ってジョナサンを助けたのがドウェインだった。彼の理力と技量は当時から並外れており、たった一機でロックベア三体を屠ってみせたという。


 この時からジョナサンとドウェインは親友ともいえる間柄になり、それは立場や階級を超えたものだった。当然、周囲からはいい目で見られなかったが、ドウェインは見る見る間に戦果を挙げ階級を登りつめることでそれらを黙らせていく。彼は現場にこだわったため、大隊長の階級よりは上へと行かなかったが、順調に進めば一軍を率いる将軍になり皇帝を補佐する立場に就いていたことだろう。




 考えれば考えるほど、皇帝に進言するということが不可能と分かってくる。それも帝国内では禁忌扱いと思われるニッポン人の技術について、だ。とてもではないが、その話題を出すことすら憚られる。


 それから数日間、クリスは普段と変わらないように任務と訓練をこなしてきた。いや、それ以上の行動が出来なかったともいえる。念の為、皇帝に拝謁する機会を密かに覗ったが、議会への出席や商会との会合、軍議などで多忙を極めていた。


 そして今日も、午前は侍衆との合同訓練を行い、いつもと変わらない一日となるはずだった。


「シンプソン、クリス・シンプソン!」


「は、なんでしょうか。エッジワース殿」


 昼食を終え、しばしの昼休みを取ろうとしていたところに一人の侍衆がやって来た。彼はギルバート・エッジワース。歳は四十をいくらか越えたくらいだが、その身体つきは若々しく逞しい。背丈は長身のクリスより少しばかり低いが、分厚い胸板と鍛え抜かれた二の腕が実際よりも体躯を大きく見せている。


 やや白髪が見え隠れする真っ黒な髪、鋭い眼光は猛禽類を思わせ、その覇気と抜身の刀のような佇まいは平時であっても思わず身が竦むようだ。


 それもそのはず、彼は帝国軍でも最強の理力甲冑部隊である侍衆、その一騎当千の強者どもを束ねる侍大将なのだから。


「直に話すのは部隊の再編成以来だな。どうだ、ウチの連中との訓練は」


「いえ、身に余る光栄です。侍衆の操縦技術を間近で体感出来るのは私の部下にとっても大変勉強になります」


「それは重畳。さて、お前を呼び止めたのはただ、世間話をするためではない……こちらへついて来てもらおう」


 クルリと踵を返すと、エッジワースはスタスタと歩き出す。行き先を告げられないまま、慌ててクリスはそれを追いかけた。


「あの、どちらへ?」


「…………」


 無言のまま、軍の施設から出るとそこには馬車が停まっていた。クリスは促されるようにして客車へと乗り込み、エッジワースも後に続く。四人乗りのそれなりに豪華な装飾の施された二頭立ての馬車はゆっくりと帝都中央へ向かって進みだした。


「……エッジワース殿」


「そう心配するな。別にこのままというわけではない」


 その妙な言い方に、クリスは鎮護の森での事を思い出す。が、努めて顔には出さず、相手の出方を窺う事にした。


「なに、お前に会いたいというお方がいるだけだ。少し茶でも飲みながら話をしたいと」


「それは……」


 そう言いかけてクリスは誰かを訊ねるのを止めた。どうせこの調子では教えてくれないだろう。その様子を察したのか、向かいに座っているエッジワースは不敵な笑みを浮かべるだけだった。









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