第83話 暗幕・3

第八十三話 暗幕・3


「皇帝を……止めてください」


 シズコは意を決するように、その言葉を紡ぐ。その瞳は強い意志が宿り、口元からは覚悟が見て取れる。


「……それは」


「何も、皇帝の命を害するようなことを望んでいるわけではありません。今の帝国は私達の科学技術を利用して様々な兵器を開発していると聞き及んでいます。詳しくは存じませんが、このような地でも噂というものは風に乗って聞こえてきます」


 事実、軍人として最前線に立っていた彼らにはいくつか心当たりがある。宙をすべるようにして高速移動できる輸送艇や最近実戦投入されたらしい飛行船。それにティガレストにも搭載されている理力エンジンや、あの白鳥ホワイトスワンやアルヴァリスもそうなのかもしれないと、ふとクリスの脳裏に浮かぶ。いや、もしかすると今のこの大陸中、の技術が使われていないものなどあるのだろうか。


「私達の技術は……本来、平和のためにあるはずなのです。それが、今では戦争の道具を数多く生み出している。いえ、昔もそうだったのですが、その時は弱く幼かった国を護るため。しかし今では他国を侵略する事を目的とした兵器開発が行われております。このままではいずれ人間の手には余る程の兵器を生み出してしまい、取り返しのつかない事態に発展するやもしれません。……声高に言えませんが、一族の間でも殆どの者は今の帝国と皇帝陛下の方針に疑問を抱いています」


 技術を護り、秘匿している彼らだからこそ、その内包する危険性についても理解しているのだろう。しかし、帝国に庇護され、祖先の代から続く義理と恩のある立場としては強く言い出せないということもあるのだ。


「それで……我々に直談判してくれ、と。あの皇帝に」


「……ええ、その通りです。アナタ達は皇帝直属の部隊なのでしょう? それならばその機会も多少はあるはずです」


 クリスはふむ、と何かを考え出し、セリオはどうしていいか分からないといった表情をしている。無理もない、軍人として国に仕える彼らの立場を考えれば、いくら皇帝直属部隊とはいえ国家反逆罪に問われてもおかしくはないのだから。


「えと、あの申し訳ないんですが……」


「ふむ。分かった。我々ではどこまで出来るか分からないが、出来るだけのことはやってみよう」


「隊長?!」


 何かの算段があるのか、しかしクリスの表情はとてもではないがいつもの自信ある表情ではない。


「しかしご婦人、我々も一人の帝国軍人。国と皇帝に弓を引くような行為は出来ません。そこはご承知ください」


「ええ、ええ。是非にともお願いいたします。私達も皇帝に直接お会いする機会に進言してみます」











 三人は慎重に鎮護の森を外へ向かって進んでいく。シズコの話では、夜明けまでは警備の眼が森の外へと向いているので今のうちならば誰にも見つからずに脱出できる可能性が高いとのことだった。


「隊長、あの話……」


「今は何も考えるな。とりあえず今日の事は誰にも言うなよ」


「……結局、どういう話だったんだ?」


 緊張感のない声に二人は小さくため息を吐く。途中からグレンダが静かだったのは、話に興味がなくうつらうつらと眠りこけてしまっていたからだった。


「グレンダ、お前は何も知らなくていい……」


「一から説明しても理解できるか怪しいですもんね……」


「……それはつまり、お前ら二人してアタシをバカにしてるのか? あ? ケンカならいつでも買うぞコラ」


「いいから静かにしてろ。誰かに見つかると厄介だ」


 髪を逆立てて怒りを露わにするグレンダを抑えつけながら、夜の森を素早く移動する。すっかり三日月は沈んでしまい、あたりは僅かな星明りだけが照らす。この様子なら、森へ入った時よりも簡単に抜け出せそうだ。









(フン、よりにもよって皇帝を止めろ、か。アムレアスといい、ニッポン人といい、自分の都合ばかりを押し付けてくる)


 木々の陰に隠れてクリスの表情はよく見えない。が、その眼差しは何かしらの意志が見え隠れしているように鋭い。


 かつて、ユウと共に漂流した際、この世界の先住民であるアムレアスからこの戦争を止めてくれと頼まれた。そして今回は異邦者であるニッポン人、その末裔から皇帝を止めてくれと懇願された。


(戦争を……止める、か)


 今の戦乱をどうにかする。クリスはには賛成なのだった。彼の夢、いや野望とでもいうべき目的。その為にはアムレアスやシズコの言う通りにするのも悪くはないのかもしれない、クリスはそう考え始めているのだ。




 彼の目的、それはただ一つ。母の敵討ちだった。



 直接の死に関わった魔物は既に討伐されている。では何故、母は死なねばならなかったのか? それはつまり、クリスと母親の二人を乞食のような境遇に追い落とした奴らが悪いのか? それともそれを止めようとしなかった社会が悪いのか?


 クリスの母が死んでから長い時間が経った今でも復讐の相手は定まらず、クリスの心の底には瘴気が漂う沼のような、ドロリとした感情が溜まっていくばかりだ。しかし、ただ世の中に不満を言うだけで腐るような一生を過ごすのは間違っている。その為にも、育ての父親とでもいうべき男、帝国軍の将軍であり、ついこの間まで上官だったグレイ・ドーキンスのコネと家を最大限に利用して力を付けて行った。幸い、理力甲冑への高い適正もあり、軍への入隊は驚くほどすんなりと上手くいった。


 しかし、そこでクリスを待ち受けていたのは陰湿な仕打ちだった。彼の母親が貴族の妾だっただけならまだしも、その貴族が死んで家を追い出されたクリスは言わば一種の疫病神として周囲の目に映ったのである。


 残された貴族の跡継ぎはクリスより何年か先に入隊しており、実家の影響もありそれなりの地位へと就いていた。そんな彼が、自身の父の死の遠因(もちろん確たる証拠は無い)である女の子供が、例え腹違いの兄弟とはいえ、同じ軍で任務に就くなど許されることでは無かったのだ。


 また命を救ってもらい養子として入ったグレイの家は地方貴族とはいえ、そこそこの名家である。世間からすればどこぞの馬の骨ともしれぬ小僧が、別の貴族へとうまく立ちまわったようにしか見えなかったのである。


 そのため、クリスは入隊直後から執拗なイジメを受け続けていたのだ。いや、イジメで済めばクリスにとっては別に苦ではなかっただろう。軍の内部から見えたのは、地方貴族の腐敗、利権を貪ろうとする役人。そして例の跡継ぎの指示でクリスばかりか、グレイにまでも冷遇する軍上層部だった。




 何を正すべきなのか。振り下ろすべき拳は誰に向ければいいのか。




 未だにハッキリとはしないが、一つだけ分かったことがある。それはこの帝国軍という組織で実績を上げ、力をつけなければならないということだ。意思無き力はただの暴力であり、力無き意志はただの戯言。今のクリスは皇帝の直属部隊まで登り詰めたが、これではまだ駄目だ。


 もっとならねば。何者にも敗けず、どんな権力にも、たとえ帝国そのものが相手でも一歩たりとも退かないような強い力が必要だ。







「その為には……」


「隊長? どうしました?」


「いや、なんでもない」


「お、もうすぐ森から出られるぞ。ちょうど見張りもいないみたいだぜ」


 三人は夜の森を抜け出し、警備の者に気取られることなくその場を離れた。ふと、クリスは背後を振り返る。


 そこには夜の闇に閉ざされたように真っ暗な鎮護の森が見えるだけだった。










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