第83話 暗幕・1

第八十三話 暗幕・1


 オーバルディア帝国軍は皇帝を指揮系統の頂点として、帝国議会を通じてその命令が下る。


 間に軍人ではない文官を挟んでいるのは、軽率に軍事力を奮わないため、ということになってはいる。形の上では、議会の承認を経て軍による作戦行動が許諾されるのだ。これは帝国が建国されたときからの仕組みであり、一つの文民シビリアン統制コントロールといえる。


 現実には、帝国議会は現皇帝の意向には逆らえないため、その統制は機能していないと言ってもいい。


 それでも皇帝の勅命から議会を通過し、実際に軍が動くにはいくらかの時間が掛かってしまう。帝国が建国初期の頃はまだまだ情勢も不安定だった頃は、皇帝を守護する独自の命令体系を持つ戦力が必要だった。


 それが通称、侍衆サムライしゅう。正式名称、オーバルディア帝国軍特殊警護部隊。帝国でも、いやアムリア大陸でも屈指の理力甲冑と操縦士が集まる部隊だ。唯一、皇帝が直接命令を下せることができ、とある噂では超法規的措置も行使できるとまことしやかに囁かれているほどである。





「……で、これもその任務の一つ、ということか?」


 黒い理力甲冑、ティガレストの操縦席ではクリス・シンプソンが退屈そうに呟く。昼もわずかに過ぎ、外は心地よい日差しが刺している。


 モニターを通じて広がるのは広大な森。帝都からすぐの場所にあるこの森林は鎮護の森と呼ばれ、その中央部には歴代の皇帝が眠る廟がある。文字通り帝国の礎となった皇帝を祀り敬うこの場所は皇帝と一部の特別な役職の者以外、何人たりとも立ち入ることが許されない。


 クリスと彼の部隊はその鎮護の森、その周辺の警護に就いていた。今日は月に一度、皇帝が歴代皇帝廟へ参拝する日であり、皇帝直属の部隊である侍衆とクリスの部隊がその警護に当たるのは当然と言える。


「いやぁ、憧れの皇帝直属部隊……。その任務に就けるなんて……クリス隊長に付いてきて良かった……」


「なぁ、アタシは寝ててもいいか? どうせ暇だろ?」


 彼の副官であるセリオ・ワーズワースは恍惚とした声で、そして山賊娘であるグレンダはアクビ混じりの声で応える。


 クリスの理力甲冑部隊は皇帝直属部隊に編入されたとはいえ日も浅く、全員がクリス並みの実力を持ち合わせているわけではない。そのためほぼ円形をしている森の周囲を侍衆が満遍なく囲み、クリスの部隊はさらにその周囲の警護をしている。直属とはいえ、いきなり皇帝を間近に見えるような位置で護るわけではなかった。


(確かにここを襲撃しようなんていう愚か者はいないだろうが……)


 風の噂では、都市国家連合軍は恐るべき進軍速度で帝都に迫っているという。が、それもドウェイン率いる部隊が巧妙な罠を仕掛けたとかで見事足止めを果たしたらしい。結局、連合の白い影アルヴァリスとユウを倒すことは叶わなかったとも聞いている。最前線から離れてしばらく経つため、そういう情報の詳細が分からないのが今の職場の難点だ。


「帝都のすぐ側だからな……魔物すら出てきやしない」


「クリス隊長、そんな気を抜いてはダメですよ! 我々は皇帝直属の部隊としてしっかりと任務を果たさなくては!」


「セリオは真面目すぎんだよ……見ろよ、あの赤い奴侍衆らと同じだ。硬っ苦しくて息が詰まりそうだぜ」


「こらっ! グレンダさん、貴女も映えある帝国軍人ならばもっとしっかりして下さい!」


(そういうセリオも一年前は……いや、下手に口を挟まないほうがいいか……)


 クリスは入隊した頃のセリオを思い出し、ふと口元を緩ませる。本人は認めがらないが、頃よりは成長しているということだろう。


「……ん?」


 ふと、クリスの視界に荷馬車の一団が映った。荷は空っぽで、馬は軽やかな足取りのまま森から出てくる。


「あの馬車はなんだ?」


「ああ、あれは供物を運ぶ荷馬車みたいですね。霊廟へのお供え物として果物や新鮮な肉や魚を積んでました」


「なんだよ、墓にそんな豪華なモン置いとくくらいならアタシらに別けてくれりゃいいのに」


「そんなこと言ってるとバチがあたりますよ……」


「…………」


「隊長?」


「いや、なんでもない。それよりセリオ、これからの警備予定はどうなっている?」


 クリスの妙な態度を不審に思いつつも、セリオは記憶している予定を諳んじる。


「えーと、もうそろそろ皇帝が廟から戻ってこられるので、それに合わせて周囲を警戒。直接の護衛を侍衆の皆さんが担当するので、僕たちは夜まで森の周辺を哨戒……ですね」


「なんだよ、結局アタシらはずっと立ってるだけじゃねぇか!」


「それも大事な任務です! こうやって理力甲冑で警備するのにも意味があって……」


 警備の重要性を説き始めたセリオを尻目に、クリスは何かをじっと考える。


「ふむ、ならば夜まで待つか……」







「さて、出発するぞ」


「いや、ちょっと待って下さい」


「あんだよ、トイレか?」


 夜も更け、三日月が沈みだした頃。クリスとセリオ、グレンダの三人は鎮護の森、その近くの茂みに隠れていた。


「いやそうじゃなくてですね……」


「見ろ、見張りがあちこちに立っている。いくら歴代皇帝の墓があって立入禁止とはいえ、この厳重な警備はおかしい」


「いやあの隊長」


「なら見張りに見つからずに忍び込まなきゃな。どうすんだよ」


「この暗がりだ。上手く隙を突けば問題ないだろう」


 確かに月と星が出ているとはいえ、空は曇りがちで森のすぐ近くはかなり暗い。これならば大きな音を立てさえしなければ潜入は容易だ。


「よし、今だ。行くぞ」


「あっ、ちょっ!」


「ボサッとすんな、さっさとしろ!」


 慌てるセリオを置き去りにする勢いで走り始める二人。見張りが向こうへと移動している僅かな一瞬に森の中へと忍び込むことに成功した。


 森はあまり手入れされていないようで、地面はでこぼこ、木々は生え放題。枝や背の高い草をかき分けて一行はどうにか進んでいく。


「あの、隊長。なんで僕らは立入禁止である鎮護の森に不法侵入しているんですかね」


「なんでとは、どう考えても怪しいとは思わんか?」


「怪しいのは忍び込んでるアタシらだけどな」


「昼間見ただろ。森から出てきた空っぽの荷馬車……いくら墓への供え物とはいえ、あの量はおかしい。それに積んであったのは大量の水にパン、肉や魚、それに野菜と卵もあったらしい」


「もしかして、それ調べたんですか……?」


「まるで誰かに食事を持ってきたみてぇだな」


「そう、明らかに生きた人間の食料としか考えられない。ではなぜ、そんな回りくどいことをしているのか? そんな極秘にせねばならない人物とは? それを知るのも、皇帝直属の部隊であるわれわれの責務とは思うだろ?」


「いや思いませんよ! 思いっきり命令違反ですって!」


「おい、静かにしないと見つかるぞ? まあアタシはこういう森の中だと逃げ切る自信があるけどな」


 幸い、森の中には警備はおらず、多少の話声も木々に阻まれているようだ。不承不承といった様子のセリオを引っ張りつつもクリスとグレンダは先を進んでいく。


 すると、鬱蒼としていた森が急に開けだしてきた。


 木の枝は適度に間引かれ、下草は刈られている。これまでとは異なり、明らかに人の手が入っていた。それを察した三人は慎重に歩みを進めることにし、周囲に気を張る。この様子では、やはりここには誰かがいる。


「おい、あれ……」


 ふと、グレンダが立ち止まり、指を指す。その先にはぼんやりと灯りが見えた。













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