第78話 模索・1

第七十八話 模索・1


 目の前に広がる闇。


 ユウは真っ暗な空間に一人、立っていた。いや、立っているのか水中のように浮いているのかさえ不確かな空間だ。どっちが上で、どこが下なのか。ユウはぼんやりとした頭で、とりあえず今向いている方へと足を踏み出そうとする。だが、彼の足は少しも動こうとはしなかった。


「……?」


 金縛りではない。どちらかと言うと頭は動けと命令を出しているのに、足がそれを拒否するかのようだった。足だけではない。ユウの全身はまるで力が入らなくなってしまっていた。


「…………」


 仕方ないので、そのまま静かに前だけを見つめる。すると、暗闇だったはずの空間に少しずつ色が付き始めたのだ。それをただ、眺め続ける。そして最後には、とある景色となってユウの周囲に広がっていた。


「ここは……アルトスの街の近く?」


 いつの間にか体は動くようになっていた。先ほどとは違い、地面の確かさも重力もちゃんと感じる。周囲を見渡せば背の高い木々がまばらに伸びている森だった。そう、ユウがこの世界に召喚された漂流した時のあの森だった。そこへ突然、轟音と共に激しい風が渦巻く。


「うわっ! ス、スワン?!」


 ユウの目の前にはホワイトスワンが森の中を突っ切って現れた。そしてその向こうには帝国軍のステッドランドが一機、追いかけてくるではないか。


「助けなきゃ……!」


 気が付くと何故かアルヴァリスに搭乗していたユウは咄嗟に駆けだす。それに気づいた敵機がこちらへと銃口を向けてくるが、あくまでもユウは冷静だった。一度、機体を深く沈ませると思い切り地面を蹴る。ギリギリで敵の銃弾を躱しつつ、アルヴァリスは一気にステッドランドへと距離を詰めた。


「でぃやっ!」


 片手剣を思い切り袈裟切りに振り下ろす。相手のステッドランドは咄嗟に小銃で防御するが、そんなもので剣戟を防げるわけもない。真っ二つになった銃をその場に捨てると、腰から剣を抜くために鞘へと手を伸ばす。しかし、その隙をユウが見逃すはずが無かった。


「遅いっ!」


 振り下ろした剣をそのまま敵に向けて真っすぐ伸ばす。鋭い切先は狙いを過たず、敵ステッドランドの右手首のみをきれいに刎ねた。わずか一瞬のうちに敵機の戦闘能力を奪いさったユウは外部拡声器スピーカーを起動させ、相手の操縦士に向かって告げる。


「これ以上は無駄だ! 命が惜しいならさっさと逃げ帰れ!」


 状況を判断したのだろう、敵の操縦士はよろよろと機体を反転させ、元来た方へと逃げ出してしまった。ユウとしては相手の命を奪ってまで続ける戦闘ではないので、この脅しが通用してくれて安堵のため息が漏れる。


「スワンの皆は……?」


 機体ごと振り返った瞬間、何故かユウは地面の上にいた。いつの間に機体から降りたのだろうか。と、その体に軽い衝撃が走る。


「ありがとうデス! ユウが奴らを追い払ってくれて助かったデス!」


 衝撃の正体は飛びついてきた先生だった。いつもの白衣を羽織ったラフな格好で、その綺麗な金髪からは女性特有の甘い香りがする。辺りには他の誰もおらず、アルヴァリスもホワイトスワンも消え去っていた。しかし、今のユウはそのことにあまり疑問を抱かなかいでいた。


「大丈夫ですか、先生。怪我とかしてません?」


「私は平気へいちゃらデス。それより、ユウにはいつも助けてもらってばかりデスね」


「いや、僕は理力甲冑に乗って皆を守るのが仕事みたいなもんなので……」


「それでもユウはよくやってくれてるデス……だからこそ私は」


 先生はそのまま両方のつま先をピンと伸ばし、精一杯の背伸びをする。整った先生の顔が、唇が、ユウへと接近していくのだが、こういう状況に慣れていない彼はどうしていいのか分からず固まってしまっていた。


「ユウ……」









「うわっ?!」


 額と身体の全面に大きな衝撃が走る。ユウは自分の身に一体何が起きたのか理解出来なかった。


 辺りを見回すと、そこはユウの自室だった。先ほどの衝撃はベッドから転げ落ちたときのものだろう。床で強かに打ったオデコがズキズキとしているのをさする。備え付けの窓からはうっすらと月明りが差しているのでまだ夜中だという事が分かった。辺りは静かで、ホワイトスワンの大型理力エンジンと推進器の音だけが耳に入ってくる。


「もしかして……夢?」


 今の出来事は全て夢だったのか。ユウは上手く働かない頭でようやく理解した。その瞬間、彼は何故か安堵している自分に気付く。


「夢にまで見るなんて……よっぽど重症だよなぁ……我ながら」


 ユウは床に座り込んだまま、盛大なため息を吐いてしまった。








「ふわぁーあ」


 ユウは大きなあくびをしてしまう。結局、あの後はよく眠れなかったのだ。


「ユウ君、睡眠不足ですか? 駄目ですよ、操縦士がそんな事では」


 何かの機械を弄りながらボルツが忠告する。


「アハハ……すみません」


 二人はアルヴァリス・ノヴァの操縦席で理力エンジンの点検を行っていた。理力エンジンは操縦士や周囲の理力を取り込み、増幅したり回転運動として動力を発生させる機関だが、やはり定期的な整備は必要なのだ。


「じゃ、ユウ君。理力エンジンを起動して下さい」


 ボルツに言われたとおり、ユウは機体とエンジンを起動させる。ホワイトスワンの格納庫に甲高いエンジンの音が反響し始めた。回転音が安定したところでボルツは手にした機械をさらに弄りだす。


「……ん、回転数がちょっと安定しないですね。でもこの程度なら許容範囲内でしょう。ユウ君、今の所は特に調整は必要ありませんが、もし戦闘中に理力エンジンが安定しない場合は早めに言ってくださいね」


「分かりました。次はノヴァ・モード用の理力エンジンを同期させます」


 ユウは赤いスイッチを押すと、機体の胸部装甲がせり上がり吸気口が露出する。ここから取り入れられた大気がもう一つの小型理力エンジンへと送られるのだ。ただ、今は戦闘中ではないのでノヴァ・モードが発動するほど理力エンジンを回さない。今回はあくまで二つの理力エンジンを同調させるだけだ。


「……数値自体は安定してますが、妙な揺らぎが見えますね……。これは機械側ではなく、操縦士側の影響でしょうか……? やはり操縦士の精神面が理力に与える影響についてまとめた方がいいですかね……それとも帝国がもう研究してるのかも」


 ブツブツと自分の思考を口にしながら纏めているボルツ。ユウには難しい事は分からないが、どうやら自身の精神的影響が理力エンジンになんらかの作用を及ぼしているらしい。


(……もしかして、先生の事で動揺してるのが表れたのかも)


「っと、すみません。もう理力エンジンを切っても大丈夫ですよ……ユウ君?」


「…………」


 ユウはボルツの呼びかけに気付いていない。それを見かねたボルツは立ち上がり、アルヴァリスの操縦席の方へと入る。狭い空間の中ボルツはその細身の身体をしゃがませつつ、ユウの肩を揺さぶりながらもう一度呼びかけた。


「ユウ君、大丈夫ですか?」


「え? あ、ああ、僕は大丈夫ですよ?」


「うーん、これは皆さんが言ってたようにかなりの重症ですね」


「う……」


「ユウ君、私が言うのもなんですが……ここはハッキリ決めたほうが良いですよ。そしてちゃんとユウ君の気持ちを伝えるんです。それが、彼女にとって良いものでも、悪いものでも。貴方自身の嘘偽りの無い気持ちであれば、それによって相手の心を傷つけることはありません」


「それは……分かってるんですが……」


「まぁ、確かに面と向かって伝えにくい事であるのは理解できます。ユウ君くらいの年齢だと、色んなことに気を回してしまいますからね」


「……ボルツさんは、そういう経験ってあるんですか?」


「ハハッ、私ですか? 偉そうに言っといてなんですが生憎とそういった話題とは無縁でして」


 ボルツはやや自嘲気味に口角を上げる。ユウはなんだ、と少し呆れたような表情をしてしまうが当のボルツはあまり気にしていないようだった。


「でも、ユウ君よりは長く生きてますからね。少しは人間の感情というものも理解はできます」


 そう言うとボルツは屈んでいた身体を起こし、操縦席の外へ出る。


「私はね、ユウ君や先生に後悔してほしくないだけです。きっと先生は自分の本心を君に打ち明けたのでしょう? ならば、ユウ君はそれに対し自分の言葉で応えないといけません」


「自分の言葉……」


「ま、部外者が口を出すのはここまでにしておきましょう。片付けは私がやっておくのでここはもういいですよ」


 早く先生の所へ行け、と暗に言われているような気がしたユウはアルヴァリスから降りる。今の時間、先生は自室にいる筈だ。しかしユウの足取りは重く、いまいち決断が出来ないでいた。









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