第76話 相違・2

第七十六話 相違・2


―― 一方、その頃。


「んで、話ってなんデスか。クレア」


 ホワイトスワン内にある先生の自室。比較的狭い部屋が、様々な物で溢れかえってより狭くなっている。何かの技術書、怪しげな機械と部品、計算式や図形がびっちりと書き込まれたメモ、それに理力甲冑か何かの図面が。ベッドの上には脱いだままの白衣が放置され、その下からは下着が覗いて見えている。


 先生は慣れた様子で備え付けの椅子に飛び乗った。足の踏み場もないほど乱雑に散らかっているように見えて、どうも彼女にしか見えない通路があるらしい。


「あのね、先生。私が言うのもなんだけど、もう少し片付けたら?」


「そんなことが出来ればノーベル平和賞が貰えるデス。いいからさっさと用件を話すデス」


 クレアは「ノーベル……なに?」と知らない単語を繰り返す。先生には片付けるという選択肢がそもそも存在しないらしい。仕方なくベッドの上の衣類を避けて座った。


「あのね……ユウに嫌われたかもしれない」


「ハァ?」


 思わずズッコケそうになる先生。何言ってんだオマエという顔をされて、クレアは少し喋りづらそうにしてしまう。


「いや、だから……ユウに……嘘吐いちゃってて……」





 クレアは事の顛末を話す。召喚されて間もない頃、ユウに元の世界に帰る手段があると教えた事。しかし、ユウの話によればそれは偽りの情報だという事。その事でユウを傷つけたかもしれないという事。


 先生はクレアの話を静かに聞いていた。彼女が喋るのを邪魔しないよう、相づちだけで反応を返す。


「……話は分かったデス。結論から言うと……」


「……言うと?」


 カッ、と目を見開く先生。


「ユウはそんな事、気にしちゃいねーデス! クレア、お前の気持ちは分かるデスが、そりゃ考え過ぎってやつデス! そもそも、自分も知らなかった事を嘘とは言わね―デス」


「そ、そんな事ないわよ! だって、あの時のユウの顔はそうだったもの!」


「それはオマエがそう思い込んでるだけデス。ユウの話を聞いて生まれた罪悪感がそう思わせてるだけなんデスよ」


 どこまでも正論かつ客観的な先生の判断。しかし、クレアはそれを聞き入れようとしない。


「だって、だってユウは……」


「それじゃあ聞くデスけど、ユウはその事でクレアを責めるようなこと言ったり、そういう態度を取ってるデスか?」


「それは……そんな事は、無い、けど……」


 あの日からユウの様子は特に変わった所は無い。いや、例のアムレアスが住む島からクレア達の下へ帰還した時も普段通りだった。それに、ユウの性格からして誰彼かまわず当たり散らすようなことはないだろう。


「これは私の想像デスが、たぶんユウはそんなに元の世界とやらに帰りたいわけじゃないデスよ。向こうで何があったかは知りませんけど、元の世界への執着は私達が考えてるよりずっと小さい気がするデス」


 先生の言葉に、クレアはいくらか心当たりがあった。


 ユウがこの異世界ルナシスへと召喚されて間もない頃こそ、自分の身に起きた事に混乱していたのか元の世界の事を気にかけてはいたが、数日もするとそういう話はしなくなった。クレアはそれを「仕方ない」とこの境遇を受け入れたのだと考えていたのだが、どうも違うのではとも思える。むしろ、こちらの世界へと積極的に馴染もうとしていた。それはつまり、元の世界に戻りたくないという意思の現れなのかもしれない。


 それにユウはあまり元の世界での自身のことや家族について話そうとしなかった。元の世界がどんなだとか、さまざまな文化については教えてくれることがあった。しかし、ユウがどういう生活を送っていたとか、父親や母親については全く触れようとしなかった。いや、母親については一度だけ、クレアには教えてくれたことがあった。


「ユウは……あんまり自分のことを話さなかったわ。それに、あんまり父親とうまくいってなかったみたいだし」


 さすがに母親の事は先生にも教えられない。ユウも、自分の知らない所で言いふらされても困るだろうとクレアは思った。


「ま、人間は生きてりゃいろんな事があるデスからね、ユウにはユウの事情があるんデス。私は別に詮索しないデスけど!」


と、先生は無い胸を張る。いわゆる大人の余裕というものを見せつけているか、そこの判断はクレアには難しかった。




「でも……本当にユウが気にしてなかったとして……私はどうすればいいのかしら」


「そこは、デス。簡単な話デスよ。もう元の世界に戻れないのなら、こっちの世界で生きていくしかないデス。だから、こっちの世界でも上手くやっていけるように、私たち皆がユウを手助けしてやればいいだけデスよ」


「そんなことで良いの?」


「そんなこと、だからデス。ユウが困らないように支えてあげるんデス。ユウは生活力も適応力もそれなりにあるようデスが、あれで案外ヌケたところがある奴デスからねー、結構苦労しそうデス」


「ユウを……支えてあげる……ずっと」


 先生の話が耳に入らなくなったクレアはぶつぶつと何かを呟きだした。


「そういや、ユウの市民権とかどうなってるんデスかね? ぶっちゃけ、ユウってこの世界に戸籍とかそういうの持ってないから浮浪者と同じ扱いなんじゃ……。役所とか戦争のゴタゴタでちゃんと機能してるんデスか? ちょっと、クレア、聞いてるデス?」


 すっくと立ちあがったクレアは足元も見ずにフラフラと扉の方へと歩いていく。脱ぎ散らかした服や落書きにしか見えないメモなどを踏みつけながら。


「ちょっ! クレア、下見て歩けデス!」


 だがクレアはそのまま先生の部屋を出て行ってしまった。後に残された先生は呆然としてしまう。


「アイツ、色んな意味で大丈夫デスかね……?」


 大きなため息を吐くと、次第に先生の表情はニヤリと悪だくみをしているものとなる。


「しかし、そうデスか。今ならユウのハートをがっちりキャッチするチャンス! クレアには悪いデスけど、エゲレス人は言ったデス。恋と戦争は全てが正当化される、と!」











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