第71話 励起・4

第七十一話 励起・4


「理力エンジン、緊急停止まであと五秒って所かしら?」


 レフィオーネの操縦席では耳障りな警告音が鳴り響いていた。画面の端では理力エンジンに異常があることを示す表示が繰り返し点滅する。


 合計三発の弾丸が、三基のスラスターを破壊してしまった。そのお陰で推力はかなり喪われ、落下していないのが不思議なくらいだ。だがしかし理力エンジン保護の為の緊急遮断システムが働いており、数秒後にレフィオーネはする。


「この高さから落ちたら、痛い……じゃ済まない……わよね、きっと」


 クレアは小さくため息を吐いた。


 装甲がわずかに振動し、外の風を感じる。操縦席にいても、空というものが全身で分かった。一体、どれほどの高さまで昇って来たのかと高度計を見るが、海抜二百メートルの所で針が動かないでいた。どうやら衝撃で壊れてしまっているらしい。


 目の前に広がる画面のほとんどは青い空と白い雲。残るは地上に広がる森の緑と土の色。そして戦闘の白煙。


 レフィオーネの理力エンジンが完全停止し、特徴的な甲高い音が次第に落ち着いていく。そして機体とクレアの身体に重力が働き、地面に向かって加速していく。重量のあるブルーテイルを下向きにして、風を切りながら地上を目指していくのだ。




(敵はやっぱり、姿が見えなくなる機体……きっと、ユウが戦ったらしいヤツね)


 以前、帝国軍の軍事工場を襲った際、その町の守備隊として配属されていた機体。そのうちの一つが姿を消しつつ狙撃してくるとユウが言っていた。


『原理は分からないけど、装甲の色や模様を周囲の景色と同化させるみたいだった。狙撃する場所もすぐに変えるからなかなか倒すのに苦労したんだよ。え、どうやってソイツのいる位置を見分けたのかって? えーと、なんとなく?』


 確か、そんなことを言っていたとクレアは思い出して、少し頬が緩む。何がどうなんとなくで敵の位置を探れるのかは分からないが、ユウにはそういうちょっと天然なところがある。


(そしてユウの話では、姿を消せるのはだけ!)


 突然、空高く上昇したのは自分を狙撃する際の発砲炎を探すためであり、狙撃銃を探すためだったのだ。いくら巧妙に隠れられるとしても、完全に姿を消せるわけでは無かったのだ。


 そしてクレアはその一か八かの賭けに勝った。


 地上のとある地点、そこにはっきりと発砲炎が確認でき、さらには不自然な位置に黒い銃身だけが見えている。おそらく銃本体には迷彩柄の塗装をしているか、布を被せているのだろう。そして、クレアを狙うことにばかり夢中になっているのか、そこから動く気配がなかった。


「墜落しながらの銃撃なんて……初めてだけど!」


 クレアが叫ぶと、レフィオーネは最小限の動きでブルーテイルを構える。全身のスラスターが使い物にならない今、四肢を巧みに動かし空気抵抗によって姿勢を制御する。この世界で初のスカイダイビングといったところか。


 殆ど真下に向かってブルーテイルの引き金を引く。その衝撃は瞬間だが、落下しているレフィオーネを押しとどめるほどだ。すぐさま次弾を装填、発射、装填、発射。弾倉に残っていた全弾を撃ち尽くす。


 もはや、それは狙撃ではなかった。クレアらしからぬ、おおざっばな射撃。発砲炎が見えた辺り、こちらを向いている銃口の付近に向かってとにかく弾倉の中身を撃ち尽くしたのだ。着弾した衝撃で舞い上がった土砂が降り注ぐと、奇妙な色彩の何かが見えた気がした。が、もう関係ない。


 グラスヴェイルの胸部には大きな風穴が開いていたのだから。







「さて、どうしようかしら」


 徐々に大地が迫ってくるなか、クレアは呑気に呟く。


「理力エンジンは……まだ停止中。再起動するのと墜落するの、どっちが先でしょうね」


 いちおうスラスターは可動するので目一杯に展開させて空気抵抗を受ける形にしたが、あまり落下の速度に変化は見られない気がする。


(いざとなったら、コレを使えって先生は言ってたけど……)


 クレアは自身が来ている服、その胸元を締め付けるように配置されたベルトを触る。彼女の服には先生お手製の専用装備が取り付けられている。それはレフィオーネが空を飛ぶ機体だからで、そのうちの落下傘パラシュートもその一つだった。


(でも、私一人が逃げるのは後ろ髪が引かれるわね)


 レフィオーネがここまでボロボロになったのは、ひとえにクレアの腕のせいであり、自身の未熟さ故である。客観的にそうとは言えない部分も多々にあるが、クレア自身はそのように考えてしまうのである。


「ま、だからこそ最後までやるっきゃないわ」


 クレアは操縦席の横にあるゴチャゴチャしたスイッチ類を見る。これも先生が取り付けた装置で、各種理力エンジンやスラスター、圧縮空気を作る槽を操作するためのものである。戦闘中にいちいち細かい操作は出来ないので普段は自動設定オートだが、今のような緊急時に使うものである。


 その中の一つ、再始動と書かれたスイッチを入れる。理力エンジンが停止した場合など、強制的に始動させる機構だ。二度、三度とスイッチを入れるが、うんともすんとも言わない。


 別の手段、とクレアはレフィオーネに関する機能を思い浮かべた。今の状況を打破するにはどうすればいいのか? 何故、理力エンジンは再始動しないのか?


「そうか、安全装置が働いてるのかも」


 先ほどまで、理力エンジンは強制開放させられたことで普段よりも大きな負荷が掛かっている。そのため、遮断システムによって エンジンが止まった際に安全装置が勝手に働いたのかもしれないとクレアは考えた。


 すぐさま、今度は理力エンジンを強制停止させるためのキルスイッチを入れ、そして切る。他にも理力エンジン始動の為の装置などを再起動していく。確認している暇はないが、画面に映る赤い警告表示がいくつか消えた気がする。


「これでエンジンが始動しなかったら……」


 この短時間にも落下は続いている。もはや大地はすぐそこまで迫っており、いくらパラシュートで脱出しても間に合わないだろう。


 しかし、クレアは不思議と焦りも後悔もなかった。どうしてだか、成功するような気がするのだ。


「ま、レフィオーネが壊れちゃったら……ごめんね、先生。ユウ」


 クレアは静かに理力エンジン始動のスイッチを押す。





 しかし、エンジンの唸りは聞こえなかった。


(あー駄目だったか。いけると思ったんだけど、そうそう上手くはいかないのが人生ってやつなのかしら?)


 近づく大地から背けるように目を閉じるクレア。


(こんな操縦士でごめんね、レフィオーネ。でもきっと先生が直してくれるはず。……先生は怒るだろうなぁ)


 先生が自ら仕上げた機体とあって、レフィオーネはアルヴァリスと同様にいつも入念な整備が行われているのをクレアは知っている。一度、敵との戦闘によって内部骨格インナーフレームが歪みかけたほど損傷したとき、クレアは先生にこっぴどく叱られた事もあった。それを考えると心が痛む。


(ヨハンは私がいなくてももう大丈夫よね、ネーナもいる事だし。リディアは最近、突っかかってこなくなったのが逆にムカつくわね。全く、理力甲冑の操縦を教えてもらいたいならそう言えばいいのに)


 ホワイトスワンのメンバーの顔が、かつての出来事が走馬灯のように浮かんでは消える。


(レオさんとは銃の話、出来なかったな。たまに森に出かけてるときに猟銃持ってるの見たけど、あれは絶対に良い銃のはず。ボルツさんは……まぁ、ボルツさんね。あの人、整備と先生の研究の手伝い以外に趣味とかないのかしら?)


 仲間たちとの思い出、一緒に話したこと。いま振り返ると、多くの時間を一緒に過ごしてきた。


(ユウ……本当にどこへ行ったの?)


 もう何か月も顔を見ていない。普段は少年っぽい幼さを見せるが、いざという時はあれでなかなかカッコいい顔つきになる。


 先生とだけ通じる変な話で盛り上がっているときの表情。顔には出さないが、自分クレアより背がちょっぴり低いのを気にしていること。近接格闘でなかなかヨハンに勝てないから、ネーナにカラテを教えて貰おうとしてあまりの厳しさに逃げ出したこと。


 レジスタンスの一般市民を巻き込んだ作戦に強い怒りを示したユウ。その後、どうにか敵地から戻ってきてくれたときは心の底から安堵したし、もう一度ユウの顔が見れてうれしかった。エンシェントオーガを倒すため、ボロボロになるまで戦い抜いた姿は胸がちくりと痛んだ。色んな場面で、ユウは仲間の危機を、クレアを助けてくれた。


 そう、初めて出会った時も、ユウは初めて乗る理力甲冑でクレアを助けてくれたのだ。


(なのに、私はユウの事を全然助けることが出来てない)


 ユウが困ってるときは相談に乗ってあげたい。苦手なことがあるなら代わりにやる。一人で無理なら私も手伝う。


(ユウ……ユウに……もう一度会いたい!)








 空気が細い管を通り、鋭い独特な音を奏でる。幾度かの曲がり角を通ると、無数の板がついた七色に輝く羽根車を回す。勢いが徐々に増していくそれは高速で回転しており、甲高い風切り音を狭いケース内に響かせた。


 その七色の羽根車は理力エンジンの中枢であり、本来は周囲の大気中に含まれる理力を吸収する機関だ。それがいま、操縦席からあふれる理力によって始動し始めたのだ。


「私は! こんなところで! 死んでられないのよ!」


 クレアは操縦桿を強く握り、思い切り叫ぶ。


 その想いに応えるかのように、レフィオーネは全身の理力をかき集め、輝く粒子と共に圧縮空気をスラスターから噴出させる。次第に圧縮空気の勢いは増していき、落下の速度が減じていく。


 水色の装甲の隙間から、全身のスラスターから、光の粒子があふれ、散っていく。そしてゆっくりと地上へと降り立つ様は、まるでおとぎ話に出てくる天女か、神話の女神かを思わせる。




 レフィオーネの華奢な脚が大地を踏み締めた瞬間、理力エンジンの出力が急に下がり、思わずよろけてしまう。今度こそ本当に理力エンジンも止まってしまったようだ。


「はぁ……はぁ……生きてる……?」


 何が起きたのか、クレアにはよく分からないが、確かなことは一つ。どうにか無事に着地できたことだ。


 疲れが一気に身体を襲い、張り詰めた緊張が解ける。なんとか息を吐くが、どうにも上手くいかない。それが息を吐ききっているから、と気付くまでにはしばらくかかってしまった。


「……スワンに連絡を取らなきゃ……」


 クレアが無線機に手を伸ばした瞬間、小さな爆発音と衝撃、そして画面の向こうにキラキラと光を反射する煙が見えた。










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