第71話 励起・3

第七十一話 励起・3


 その瞬間、レフィオーネのスラスターが大きく展開した。


強制解放リミッターカット!」


 クレアはガラス製の覆いを開け、保護されていた赤いボタンを押したのだ。途端に、基底状態だった理力エンジンの回転数は一気に限界ギリギリ、いや、危険領域レッドゾーンにまで到達した。




――――いいデスか、このリミッターカットは理力エンジン本来の仕様には無い装置デス。エンジンの耐久性を目一杯考慮しても三分が限度デスよ。それ以上は――――




「それ以上は! 知らないわ!」


 極限まで周囲の理力と大気をかき集め、さらに限界まで圧縮される。レフィオーネの理力エンジンと圧縮器が軋むように唸りを挙げ、スラスターからは嵐のような排気が渦巻いた。荒れ狂う風は辺りの大気をかき乱し、その反作用を受けて機体は凄まじい勢いで地面を削りながら離陸する。


「くっ!」


 これまでにない加速度を全身に受けつつ、クレアは機体を制御する。その最中、オキサイドが放った擲弾デストロイアがレフィオーネのすぐ横を掠めた。もう少し遅ければあの攻撃を受けていたかもしれない。背後の方を確認している暇はないが、着弾した箇所から拡散しだした煙はあっという間に吹き飛ばされてしまった。


 無理やり理力エンジンの回転数を上げ、スラスターの噴出口からは裂けそうなほどの圧縮空気が弾けた。機体の各部は激しい加速度によって軋んでいる。操縦士であるクレアの身体もその影響は免れない。


(目が……視界が……)


 あまりの加速度に体中の血液が正常に流れず、足元の方で溜まってしまう。そのため脳へ十分な血液が遅れず、視界が暗くなったりブラックアウト意識に障害が出始めるという。そんな話を先生から聞かされていたが、今のクレアには後悔するだけの余裕も無かった。


 なんとか脚を踏ん張り、力を込めることでブラックアウトに対抗する。そして徐々に最高速度へと達したようで、視界も意識もはっきりしてきた。地獄のような加速度は終わりを告げた。


 が、これでまだ終わりではない。ここで角付きを撃破しなければ、友軍の損害は増すばかりだ。


「まずはあのを潰す!」


 だが、クレアはまだグラスヴェイルの姿を消す能力に気付いていなかった。先に狙撃手を片付けなければ重装甲型を攻撃している間にやられてしまうため、ある意味これは当然の判断だった。


 しかし、本来ならば角付き二機を相手に単独で勝負を挑むのは無謀だと考えるべきだったのだが、クレアの性格と責任感が撤退という考えを捨てさせていた。


(ユウが居なくても……私が代わりにやる!)









「居ない……?!」


 銃弾の方向からおおよその方向にアタリを付けて捜索するが、敵の姿はまるで見えない。いつの間にかここら一帯の帝国軍は一時撤退していたようで、見えるのは放棄された両軍の理力甲冑の残骸か、撤退途中の歩兵ばかりである。


 だが。


 再び機体に鈍い衝撃が走り、失速する。またどこからか狙撃されたのだ。


「一体どこから?!」


 銃声らしき音は聞こえた。周囲の白煙はおおよそ晴れ、隠れられるような障害物もない。この距離ならば狙撃用の理力甲冑がいるならばその姿が認識できるはずである。


(エンジンもそろそろ限界……すぐにでも敵を倒さなくちゃいけないのに!)


 クレアはもう一度、辺りを見渡す。いくら地上スレスレを高速で飛行しているとはいえ、見逃すようなヘマをしたつもりはない。


(いくら迷彩塗装や隠蔽してもこんな平原だと効果は薄いはず……隠蔽……?)


「まさか……? でも、もしそうなら……!」


 理力エンジンの限界まで、あと少し。クレアは再度の博打に自らの運を賭けることにした。









「……ッ! くそ、ちょろちょろ動きまくりやがって……これじゃあ照準がつけにくいな」


 グラスヴェイルをうつ伏せにさせ、愛用の銃を構えるマーヴィン。しかし、スカート付きレフィオーネの飛行速度がさらに上がってしまい、なかなか狙いを定められずにいたのだ。


「でも、な。速すぎて逆に直線的な動きしか出来ないみたいだぜ?」


 レフィオーネは確かに高速で移動しているが、その分複雑な機動が出来なくなっていた。そして、その動きをマーヴィンが捉えられない筈もない。


 彼は呼吸を深くし、操縦桿の引き金に指を掛けた。理力甲冑の操縦は理力を通じて思考が直接動きに反映されるが、一部の狙撃手は引き金を機械的に作動できる機構を好んで取り入れている。これは思考という実際には曖昧なそれより、自らの指の感覚を頼りに発射の瞬間を重視するかららしい。また、副次的な効果として、実際の引き金に指を掛けることでより銃を構える動きなどがイメージしやすくなり、結果として命中率が向上するという報告もある。


―――パアァン―――


 乾いた発砲音が平原に響き、一拍遅れて照準から見える水色の機体レフィオーネが失速する。今度は飛行できなくさせるために腰のスラスターを狙って撃ったのだ。


「へっ、そろそろ飛ぶのも限界なんじゃないか?」


 半自動式のマークスマン・ライフルは発射と同時に装填も行われる。次弾の狙いをマーヴィンが定めようとすると。


「ん……なんだ……?」


 スカート付きは突然、機首を上げて地上スレスレの低空飛行から上空へと急上昇し始めたのだ。ただ空を目指して上昇しているだけなので簡単に狙撃できる機動だ。


「なんのつもりか知らないが、これで終わりだな」


 マーヴィンは愛機をうつ伏せの状態から起き上がらせる。機体についた砂がパラパラと落ち、その度に装甲表面の色彩にノイズのようなものがはしった。


 グラスヴェイルは両腕でしっかりと狙撃用に調整されたライフルを構える。敵の速度、高度、予想進路を頭の中で思い描く。そして気温、地上と上空の風向き、強さを計算しつつ照準をずらしていく。およそ数秒という時間差を、どこまで狙撃手が読み切れるか。それが偏差射撃の妙だとマーヴィンは常々考えている。


 小さな発砲炎と共に、銃口からは再び弾丸が発射されていく。真っすぐ飛翔しているように見えるが、銃弾は重力に惹かれて大きな放物線の軌道を描いている。そして、あたかも吸い込まれるかのように水色の装甲を抉ってしまった。


「……運のいい野郎だぜ、まだ飛んでやがる」


 弾丸は腰部スラスターの一基、その付け根を破壊した。そのお陰でレフィオーネは姿勢を崩し、スラスターがもげてゆっくりと落下している。だが、致命的な損傷ではないようだった。


「そして、その運もこれで尽きたな」


 唇をペロリと舐めるマーヴィン。彼はいつの間にか自分が昂っていることに気付いていなかった。大抵の敵は一発か二発で仕留めてきた自分が、ここまで苦戦するとは。僅かばかりの苛立ちと同時に、この獲物は何としてでも仕留めてやる、今やその思いがマーヴィンを支配していたのだ。


 画面の向こうに映るスカート付きレフィオーネはいくつかのスラスターが破壊されたことにより、徐々に高度を下げていた。が、とうとう機関が停止したのだろうか、勢いを増しながら落下していく。このまま放っておけば、いずれ地面に叩きつけられて機体も操縦士も木っ端みじんになってしまうだろう。


(その前に撃ち抜いてやる!)


 より一層、銃を構える機体の腕に力が入る。風も殆どなく、マーヴィンも驚くほど緊張していない。まさに最高のコンディションだった。


 再び引き金に指を掛け、あとはいくらかの力を込めるだけ。


 そのはずだった。











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