第70話 遷移・2

第七十話 遷移・2


「クレア! 理力エンジンの調子はどうデスか?」


 レフィオーネは後方に待機していたホワイトスワンの下に一度帰還し、弾薬の補給を行っていた。


「ええ、バッチリよ先生。ただ、ブルーテイルの照準がちょっぴり右に逸れる気がするから、戦闘が一段落したら銃身の確認をお願いしたいんだけど」


「ふむ、このところ連戦続きデスからね。もしかしたら施条ライフリングが磨耗しているかもしれないデス、そしたら一度バラして各部品の精度を確認するデスよ」


 先生はその小さい体ながらもパタパタと弾薬を運んでいる。その度に少し癖っ毛の金髪が揺れ、丈が長い白衣が翻った。


「どうデスか?」


「どう……って、何が?」


 先生は弾薬を載せた手押し車を止めて、クレアの顔をじっと見る。機体に乗りっぱなしだったクレアは差し入れの冷たい水を一息に飲み干してしまう。


「そりゃ、ここの戦況デスよ。リディアから聞いた話じゃ、今日も一進一退て所じゃないデスか」


「……どっちも退くに退けないのよ」







 この数か月は連合軍も帝国軍も泥沼の戦況に陥っている。


 帝国は一気呵成に連合に属する大都市を幾つか攻め落とせば、自国に有利な条件で和平なり停戦なりの交渉が出来た。しかし港町ケラートが連合に奪い返されたうえに、アルトス、クレメンテも攻め落とせないでいたのだ。


 各都市の連合軍が予想外の粘りを見せた上に、クレメンテを始めとした北方戦線ではステッドレイズが先行配備されていたおかげで大きな戦果が挙げられなかった。そればかりか、電撃戦の要である高速輸送艇の対策が幾重にも施されていた。帝国の将は知る由もないが、ホワイトスワンが何度か輸送艇と戦闘を重ねたせいで、先生がその対策方法を考えていたのだ。


 連合軍も厳しい状況なのは変わらない。想定よりも早く帝国軍が進撃を開始したため、各地では兵士や理力甲冑、食糧などの備蓄が完全ではないまま本格的な戦闘に突入してしまった。そのお陰でケラートは一時、帝国軍の占領下に入ってしまい、その奪還作戦で多くの損害が出ている。


 虎の子のステッドレイズも配備数がまだ不足しており、前線の被害も大きい。如何せん、帝国と連合では兵の練度が根本的に違うのだ。とはいえ、総合的な国力ではやはり都市国家連合の方がやや勝っている。特に小麦や野菜をはじめとした食糧は、各都市国家が大陸の穀倉地帯と呼ばれる地域である事、それと積み重ねた農業の年月の差が大きい。帝国の兵力や先進性も脅威だが、やはり人は食べ物が無ければ戦えないのだ。


 近年、軍事力を増していき、対連合の直前までシナイトスと戦争をしていた帝国。そんな隣国の脅威を目の当たりにしながらもギリギリまで日和見な対応しか出来なかったが、総合的な国力は大きい都市国家群。ある意味、この結果は当然と言える。






 現在、ホワイトスワン隊がいるのは大陸中央部、すぐ傍にアルトスの街を望む平野だ。ここはアルトスへと侵攻をかけようとしている帝国軍を食い止める防衛線であり、帝国の重要都市へと繋がる要所の一つでもある。ここを押さえる事が出来れば、両陣営とも侵攻の足掛かりとなる地点だ。


 そのため連合・帝国は互いに退けず、今日も野砲を撃ち込み理力甲冑同士がぶつかり合う。決定的な戦力差も無く、伏兵なども配置しにくい平野ということもあり、今では随時補充される戦力をただ摩耗していくだけだった。




「よっし、これが最後の弾倉デス! クレア、もういいデスよ!」


 先生は頭上へと声を張り上げる。すでにクレアは休憩を切り上げ、操縦席へと戻っていた。


「……? クレアー! 聞いてるデスかー!」


 早くブルーテイルの予備弾倉を手に、押され気味な右翼の援護へと向かわなければならない。だが、レフィオーネはピクリともしなかった。


「クーレーアー!」


 とうとう先生は痺れを切らし、レフィオーネの薄い水色の装甲をガンガンと蹴り上げる。


「ちょっと何よ! レフィオーネを蹴らないでよ!」


 と、ここでようやくクレアは先生の声に気が付いたようで、操縦席から頭だけを覗かせる。


「うっせーデス! クレアこそボーッとしてる場合じゃないデスよ!」


「え、あれ? あ、ごめんなさい……」


「……」


 どこか集中していないクレアの様子に先生はため息を一つ吐き、レフィオーネの脇にある急な階段を上っていく。この階段は操縦席や整備の為の上部通路キャットウォークへと向かうためのもので、カンカンと小気味いい音が格納庫へ響く。


「どうしたのよ、先生」


「クレア、今は戦闘中デス。余計なことを考えてると、オマエが死ぬデスよ」


「……余計な事って、何よ」


 クレアの目が少し険しくなるが、先生はそれに怯む事なくその言葉に応える。


「ユウの事デス。今は、デスよ」


 その瞬間、クレアの手は先生の白衣を掴んだ。


、ですって?」





 ――そんな事、出来るわけないじゃない――





 少しの時間。しかし、その言葉はついぞ、クレアの口からは出てこなかった。


「……ごめんなさい、少し頭を冷やさないとね……」


 クレアがその手をそっと放す。よほど強く握っていたのか、先生の白衣は手の痕がしっかりと残ってしまっている。


「……いや、ワタシも悪かったデス。でも、油断はしちゃ駄目デスよ。オマエまで居なくなったら、スワンの皆はバラバラになるデス……」


 パッパと白衣を伸ばし、シワを取る。そして先生はくるりと操縦席へと背を向けた。


「大丈夫デス、きっとユウは生きてるデスよ」


「……そうね、早く戦争を終わらせて迎えに行かなくっちゃ」






「レフィオーネ、出るわ!」


 クレアは予備弾倉を腰に取り付け、理力エンジンの回転数が規定値以上なのを確認する。スカート状のスラスターをフワリと稼動させ、飛行に支障がないと判断した。次第にエンジンの回転数が上昇していき、スラスターの噴出口から圧縮空気が漏れ出す。


 機体内部に設けられた槽内部の圧力が一定を超えた時、勿忘草わすれなぐさ色の機体は蒼空へと舞い上がった。


「クレア、気を付けて! なんか敵側の勢いが増してるみたい、未確認だけどが出てるって情報もあるよ!」


 角付き。それは帝国軍の理力甲冑操縦士の中でも特に操縦技術と戦果に優れる者へと贈られる称号のようなものである。その名の通り、機体の頭部には通信機能向上と威嚇を目的とした角が取り付けられ、操縦士の希望によっては特別な改造や武装が与えられる。その戦闘力は一機で小隊、または中隊規模にも匹敵すると連合軍兵士に恐れられていた。


「分かったわリディア。そういう事なら、なおのこと急がなくっちゃね」


「いつも通りなら日没前には戦闘が終わるはずだけど……このままじゃあどうなるか分からない、油断しないでよ!」


 クレアは返事の代わりに、一気に機体を加速させた。












「おーおー、敵さんも頑張っちゃって。こりゃ、働き甲斐があるわ」


「無駄口叩いてないで、さっさと突っ込んで敵の一機でも倒せ」


 二機の理力甲冑が並んで立つ。


 一機は如何にも重装甲……いや、どちらかと言うと昔ながらの潜水服といった風な出で立ち。その手には口径がやたらと大きく奇怪な銃を持っている。


 もう一機はこれまた奇抜な色合いの装甲をした機体で、背負っていた狙撃銃を取り出すと適当に構えて照準の調子を見ている。


 どちらの機体の頭部にも、特徴的なが生えていた。


「うっせぇな。俺の機体は味方がいると本領発揮出来ねぇんだよ。お前も知ってるだろうが」


「はいはい、そうだな。ほれ、俺が援護してやるから敵の頭数減らして来い。ついでに後方で隠れてる新型も潰して来い」


「ヘッ! 言われなくても!」


 二人は軽口を叩きながらも、ゆっくりと潜水服のような機体が前進していく。と、その傍らにいたはずのド派手な機体はいつの間にか音も無く姿を消していた。


「今日は味方を巻き込むなよ、ガス。オキサイド潜水服の機体の武装は強力過ぎるんだからな」


「だから何度も言うなって、マーヴィン。それよりグラスヴェイルド派手な機体はこの煙の中でも姿を隠せるのかよ?」


 黒髪の厳つい風体をしたガスパール・ボーン、金髪の落ち着いた印象を与えるマーヴィン・ハドック。


 二人の駆る理力甲冑は白煙に紛れてを開始した。











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