第66話 漂流・3

第六十六話 漂流・3


 駄目元で聞いてみたユウはどこか気まずそうに目を右に左に泳がす。


「別にいいが、どうしてそんなに挙動不審なんだ?」


「いや、えっと、あの……クリスさんの子供時代って……どんな感じだったんだろうかなー……なんて」


 クリスはフム、と小さなため息を吐く。そして手に持っていた小さな赤い実を口に放り込んで何度か咀嚼すると、何かを考え込む。


「……あの頃は……そうだな、今みたいに森に入って木の実や薪を拾って毎日を凌いでいたよ」


「え……」


「私が物心ついたころ、既に家は貧乏だったな。どういう経緯かは知らないが、母はとある貴族の妾だったそうだ。だが、私が生まれて間もない時期にその貴族が死に、屋敷を追い出されたんだ。母と私は」


 ユウは思わず息を呑む。本当は魔物に襲われた時の事を聞きたかったのだが、当のクリスが話はじめたのはもっと彼の深い所に関する話だった。


「私が言うのもなんだがね、母は人よりちょっと劣る人間だった。簡単に言うと、鈍くさい。まぁ、そんなところが人によっては愛嬌に写るんだろうな。私にはよく理解出来ないが。……とにかく、幼い頃は毎日の食べるものにも苦労したよ。君がしたように、森に入って木の実を拾い、薪を拾い、町に出ては大人と混じって仕事をして」


 当時の事を語るクリスの顔には当時の苦労を思い出させるのか、眉間にいくらかシワが寄る。


「あの頃は……とにかく将来についてなんかは全然考えなかったな。その日を生きるのに精いっぱいだった。だから、結果的にあの日が転機になった」


「あの……それってもしかして魔物に襲われ……たり?」


「ああ、そうだ。……ある日、いつものように母と私は森で食料と薪を拾っていたんだ。そうしたら普段はいない筈の魔物が襲い掛かってきた。当時は十歳……だったかな? 正直、何頭もの魔物に囲まれるのは言いようのない恐怖だったよ」


 ユウはその事を知っている。あの時、彼の記憶を垣間見たからだ。


「母と私は必死に逃げた。持っている物をそこらにぶちまけ、もつれそうになる足を無理やり動かして。だが、駄目だったよ。子供の私とあまり機敏ではない母の二人が魔物から逃げおおせることは出来なかった」


「で、でも、クリスさんはこうして無事にしてるじゃないですか。大丈夫だったんでしょ?」


「そう、だな。確かに、は無事だったよ」


 クリスは含みを持たせた言い方をする。


「結果だけを言うと、母は死んだ。魔物に食い殺されたんだ。私の身代わりになって、な」


「…………」


 ユウは言葉を発することが出来なかった。母の死を淡々と語るクリスだが、しかしどこか声に虚しさを感じる。


「母が身代わりになったお陰でほんの少しの時間が出来た。奴らが母を喰ってる間、私は呆然とその光景を見ているしか出来なかった……そして、次は私の番、と思ったその時、助けは来た」


「助け……って?」


「帝国の理力甲冑部隊さ。たまたま魔物の目撃情報でもあったのか、ただの哨戒任務だったのか分からないが……私と母が襲われていた辺りを軍の部隊がたまたま訪れたのさ。私にとっては畏怖すべき魔物だったが、その操縦士はあっという間に七頭の魔物をほふったよ」


 見事な操縦だった、とクリスは視線を遠くにやる。


「そして私は彼らに救出された。ショックでその時の事はあまり多く覚えていないのだが……気づいたら、私は助けてくれた操縦士の家に引き取られることになった。ま、それが今の職業軍人に就く切っ掛けになったのさ」




 彼は木の枝を使って焚火の薪を弄る。パチリと火の粉が散った。


「あの……すみません。そんな、事が、あったなんて……僕知らなくて……」


「なに、君が気に病むような事は何もない。それにもう十何年も昔の話だ」


「それでも……すみません」


「謝らなくても良い。ある程度はんだろう? 君も」


「え? それはどういう……」


 戸惑うユウにクリスは視線を外す。


「謝るというのなら私も同じだ。君の過去……君の病気の母親についての記憶、か。私も見たんだよ。悪かったな、他言はしないと誓う」


 一瞬、ユウは彼が何を言っているのか理解できなかった。


「君が唐突に昔の事を聞いてくるものだからな。それに、私たちは二人ともあの光る粒子に包まれただろう? 原理や理由は良くは分からないが、アレのせいでお互いあまり話したくない記憶に触れてしまったようだ」


 確かにユウがクリスの記憶に触れたのなら、その逆もあって然るべきである。


 ユウの過去、クリスの過去。確かにあまり触れたくない内容だ。少なくとも、ユウはまだ母と父の事を完全に乗り越えられていないと自分で感じている。


「クリスさんは……今でも引きずっていますか? その時の事を」


「そうだな……精神的には克服できたと思う。だが、引きずる、という言葉を使うのであれば、私は今だに引きずっているよ。恐らく、これからもずっとな」


「え……それってどういう……?」


「さて、そろそろいい時間だ。明日は早いからそろそろ寝るぞ」


 そう言ってクリスは立ち上がり、自機ティガレストの方へと歩いていく。その足元には緊急用ブランケットを利用して作った寝袋が置いてあった。


「…………」


 聞きにくい事を根掘り葉掘りに聞いてしまった手前、ユウはそれ以上に踏み込む事は出来なかった。確かに、さまざまな事を話してくれたのはクリスの厚意によるものであり、どこまで話すかは彼に任せるしかない。




 その夜、アルヴァリスの操縦席でブランケットに包まったユウは久しぶりに家族の夢を見た気がした。目覚めた時にはうろ覚えだが、元気な頃の母親と、実直だが優しい父親、そして幼いユウの三人。家族が一緒に過ごす、なんでもない夢だったということは覚えていた。









 次の日の朝、太陽が昇る頃には行動を開始した。まだ眠気の残る頭を酸っぱいリンゴで目覚めさせる。


「さて、準備は出来たか? そろそろ出発するぞ」


 二人はそれぞれの理力甲冑に乗り込み、小山を降りようとする。だが、ユウは何か妙な感覚を覚えた。


「クリスさん……僕たち、囲まれています」


「何?」


 アルヴァリス・ノヴァとティガレストはそれぞれの得物に手を伸ばす。大型の魔物はいない筈だが、何かに周囲を囲まれている気配を感じる。


 クリスが油断なく周囲を見渡すと、確かに木々の陰に何かが潜んでいるようだ。だが、何かがおかしい。ヒトのようだが人間の大きさではない。かといって魔物のような禍々しさは感じられない。


 と、突然、奇妙な歌声のようなものが聞こえてきた。


「な、なんですか?!」


「分からん! 気を抜くなよ!」


 二人が敵の出現に備えて剣を構える。が、しかし、一向に相手は現れない。一体なんなのかと訝しむユウとクリス。




「ブキをしまってくれ。我々はオマエ達と敵対するツモリはナイ」


 妙なイントネーションと共に現れたのは一人の白いローブを纏った少女だった。


 そして、その後ろには数人の巨人が。その身長は少女の三倍はあるだろうか。体にはいくつもの装飾品を身に着け、なかなか派手な出で立ちだ。肌は薄っすらと緑色をしており、盛り上がった筋肉が力強さを誇示している。よく見れば、人間とは異なる身体つきが余計に違和感を駆り立てる。


 そして、それらの特徴にユウは心当たりがあった。


「エ、エンシェントオーガ……?!」







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