第65話    

第六十五話    


 光。


 光の粒子が溢れる。




 ユウはここがどこなのか分からなかった。だが、どことなく 見覚えがある気もした。


(この光る粒子は……ノヴァ・モードの……?)


 全身を包む光の粒子はノヴァ・モード発動時に機体から放出される粒子と同じに見えた。




 ユウは自分が何をしていたのかを少しずつ思い出す。直前までクリスの駆るティガレストと激しい戦闘を繰り広げていたはずだ。ここはあのケラートの街の広場なのだろうか? しかし、足の裏からは大地の確かさが感じられない。かと言って、どこかへ落ちているような感覚もない。


 今、見えるのは金と銀の粒子、その奔流。聞こえてくるのは理力エンジンの唸りといつもの高回転音。今いるのはアルヴァリスの操縦席ではないようだが、すぐ近くに機体があるのだろうか。


 この空間は一体なんなのだろう。


(僕は夢でも……見ているのか?)


 あまりに非現実的な空間。だが、ユウの意識はハッキリしている。これは夢ではない。自分の右手を見つつ、握って開く。体はちゃんと動く。しかし、まるで水の中に浮いているかの如く奇妙な浮遊感に包まれていた。


「……どこかへ向かっている?」


 なんとなく、そんな気がした。よく目を凝らしてみれば、光の粒子は一直線にどこかへ向かっているようだ。これらはどこから来て、どこへ行くのだろう。


 ユウがそんなことを考えていると、次第に意識が薄れていった。強い眠気のように、どうにも抗えない。


「……みんなの所へ……帰らなくちゃ……」










 ユウは桶いっぱいの水を運んでいる。


 いや、正確にはユウのこの少年が、だ。


(今度はなんだ……?)


 直感的に夢かと思った。しかし、夢にしては桶の触感や水の重さ、空腹感などがやけにハッキリと認識できる。しかし、体の自由は利かない。意識だけが別の人物と相乗りしているような感覚だ。


(でも、他人になる夢なんて見るもんなのかな……)


 目線の高さといい、視界に入る腕や指の大きさからはこの少年はそんなに大きくなさそうだ。むしろ、痩せ気味な感じすらある。視界の端から見える服装や、周囲の様子からここはどうやらルナシスのどこかのようだ。


 と、少年は一軒の粗末なあばら家に着く。まるで倉庫にでも使うかのような小さな家だが、彼はここに暮らしているのだろうか。


 少年は桶の水を零さないよう、慎重に扉を開ける。建付けが悪いのか、ギギと嫌な音が響く。


「……母さん、水を汲んできたよ」


 母さん、と呼ばれた女性がこちらを振り向く。あまり綺麗とは言いにくい服を着ており、髪はボサボサなのを無理やり纏めている。この少年同様、少々痩せ気味なためか、頬がこけている。


「あら、お帰り。クリス、重かったでしょう?」


、だって?!)


「……そんな事ないよ。僕だってもう十歳だ。もう大人に混じって仕事が出来る」


 クリスと呼ばれた少年ユウ水瓶みずがめに今しがた運んだ水を入れる。


「いいから母さんは早く洗濯の仕事に行ってきなよ。急がないと昨日も怒られたんでしょ?」


「え、ええ、そうね。そろそろ行ってくるわ」


 パタパタと家を出ていく母親。それをじっと見ているクリス少年。


(これは……もしかしてクリスさんの記憶……なのか?)


 このクリスという少年は恐らくクリス・シンプソンのことだろう。さきほどの母親も彼と同じく金髪金眼で、顔立ち自体は整っているうえにどこか似ているとユウは思う。


(でも、一体どうしてクリスさんの記憶が……)


 事態を把握できないユウは軽く混乱してしまう。と、気が付くと辺りは家の中ではなく、いつの間にか森になっていた。


(え!?)


 周囲は欝蒼と木々が生い茂っており、時刻は昼間のようだがそれでも薄暗い。


 そんな森の中をクリス少年と母親が籠に何かを入れている。どうやらたきぎになりそうな枝や食べられそうな木の実やキノコを採っているようだ。


「…………」


 黙々と落ちている乾燥した枝を拾うクリス少年。ちらちらと見える服装から、どうも先ほどとは別の日の記憶らしい。


「ねぇ、クリス。これは食べられると思う?」


 母親が手にした木の実は丸々として赤く、一見すれば食べられそうな見た目だ。


「……それは駄目だよ。お腹を壊すやつ」


「あ、あら? そうなの? もったいないけど、それじゃあ止めておきましょうか」


「……ハァ」


 どこか名残惜しそうに木の実を捨てる母親。そしてその様子を見てため息を吐くクリス少年。着ている物や痩せ具合からして相変わらず彼らの暮らしは豊かになっていはいないようだった。


 その後も二人は黙ってそれぞれ目的の物を拾っていく。そして、籠の中身が半分ほど埋まりかけた頃、クリス少年が何かに気付いたようだ。


「……?」


 先ほどから鳥の鳴き声が聞こえなくなったのだ。鳴き声が少なくなることはたまにあるが、全く聞こえないのは珍しい。今では僅かに木々の葉が擦れ合う音が聞こえるばかりだ。そして、勘違いでなければ、地面が少しだけ、揺れている。




 突然の咆哮。




 遠くから響く轟音、これは獣ではない。のものだ。


「母さん! 魔物だ! 早く逃げよう!」


「ええ!? そ、そうね! 逃げましょう!」


 薪の入った籠をその場に捨て、急いで駆けだそうとしたクリス少年は思い出したように振り返る。彼の母親はいくらか木の実やキノコが入った籠を大事そうに抱えてよろよろと小走りに駆けている。


「母さん! そんなの置いていかないと! 早く!」


「で、でも、せっかくこれだけ採れたんだから……」


「死んじゃったら食べられないだろ! ほら!」


 クリス少年は細い腕で母親の手を無理やり引く。姿勢を崩しかけた彼女は思わず籠を落としてしまい、中身をそこらに広げてしまった。


「走るよ! ちゃんと付いてきて!」


 木々をかき分けて走る二人。所々で盛り上がった木の根が邪魔をして走りにくいが、この辺りはそれなりに木が密集している。体躯の大きな魔物ならばここまではやって来れない筈だ。


 再び咆哮が聞こえる。先ほどよりも近い所からだ。


(近づいている……?)


 焦って走るクリス少年とは異なり、意識だけのユウは冷静に周囲を観察していた。


(犬……いや、狼みたいな鳴き声だったな。もしそうなら……)


 ユウの心配は的中した。咆哮の主は狼のような魔物で、それも何頭かの群れだった。


「追いつかれそう! 母さんもっと速く走って!」


 クリス少年が見る視界の端には黒っぽい灰色の狼、ただし体長はどう見ても大の大人よりも大きな、がピタリと付いてくる。狩りのつもりなのか、何頭かが周囲を取り囲んでいる。


「……!」


 とうとう、二人は狼の姿をした魔物に囲まれてしまった。魔物はゆっくりと包囲を狭めていき、その爛々とした眼をこちらへと向ける。魔物の中では中程度の大きさなのだろうが、それでもクリスや彼の母親を一呑みにしてしまいそうな顎だ。


 クリス少年は服のポケットをまさぐる。その手に握ったのは小さなナイフだった。木の枝を削ったり、ちょっとした作業に使うような、刃渡りの小さなナイフ。いくらなんでもコレで魔物と対峙するのは無理だった。


 魔物の息遣いが聞こえる。その口からはヨダレが垂れ、鋭い牙が覗いていた。




 絶体絶命、というやつなのだろう。これが只の記憶と分かっていても、ユウは思わず息を呑む。実際に体験したであろうクリス本人の恐怖は如何ほどだったのか。今も彼の身体は小刻みに震え、全身からは汗が噴き出している。


 魔物が大きくその口を開け、獣臭い息を二人に容赦なく吐きかけた。前も後ろも、右も左も逃げ道は無い。もはやこの魔物に大人しく喰われるのを待つだけだ。


(逃げて! 二人とも! 早く!)


 ユウは思わず叫ぶが、その声が二人に聞こえる事はない。これはただの記憶、過去にあったことなのだから。






 再び、ユウの視界は光の粒子に包まれた。








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